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宇宙はなぜ生まれたのか? 宇宙にはなぜ反物質より物質が多いのか?
~解明に向けた日本のSuper KEKB加速器が試験運転に成功
(2016/3/3 12:39)
大学共同利用機関法人 高エネルギー加速器研究機構(KEK)は、2016年3月2日、粒子/反粒子の対称性の破れのさらなる探究、新たな粒子発見や物理の探求を目的とした「Super KEKB/Belle II 実験」を始めるため、5年間の性能向上を進めてきた「SuperKEKB加速器」において試験運転を開始し、直径1kmの電子リングおよび陽電子リングでのビームの周回/蓄積に成功したと発表し、記者会見を行なった。
SuperKEKBは周長約3kmの電子/陽電子衝突型加速器。2010年後半から、前身である加速器「KEKB」を大幅に高度化するために改修を行なってきた。SuperKEKBでは、「ルミノシティ」と呼ばれる電子と陽電子の衝突頻度を、従来の「KEKB」の40倍に向上させることを目指している。性能向上のためにSuperKEKBではまだ実用化されていない「ナノビーム大角度交差衝突方式」を採用。ビームサイズを「KEKB」の20分の1に絞り込み、蓄積ビーム電流を2倍に高めることで、40倍の衝突性能実現を目指す。建設費用は314億円。
今回、SuperKEKBは1月25日に線形加速器を立ち上げ、2月1日に円形加速器の試験運転を開始。陽電子リングに続き、2月22日に電子リングで初めてビームを入射し、周長約3kmのリングをビームが周回するよう調整を行なってきた。そして今回、継続してビームを周回させること、すなわちビームの蓄積に成功した。
加速器によって加速された電子ビームの衝突による素粒子反応を捉えるための測定装置が、今後、衝突点に設置する「Belle II (ベル・ツー)測定器」だ。Belle II 測定器の収集解析データは、従来の「Belle」の50倍になる。今後、Belle II 測定器および、数十nmサイズまでビームを絞り込むための新しい超伝導収束電磁石を衝突点に配置して衝突調整を行なう予定となっている。
今後は、6月まで絞り込んだ「低エミッタンスビーム」を安定して蓄積するための調整を行なう(フェーズ1)。同時にビームを曲げる時に発生する放射光でビームパイプ中の残留ガスを叩き出して表面を清浄にし、ビームパイプをさらに高真空にするなど調整を進める。フェーズ1運転終了後にはいよいよ「Belle II検出器」を設置する。それに先立ち、今はビームに起因するバックグラウンドを測定することに特化した小型センサーを備えたBEAST測定器を設置している。2017年秋からはビーム調整を行なう(フェーズ2)。
KEK加速器研究施設 施設長の山口誠哉氏は会見で「スタート地点に立ったばかり。いろいろな困難があると思う」と語った。続けて同素粒子原子核研究所 所長の徳宿克夫氏は「SuperKEKBはビームを作る加速器としては世界一。世界各地から多くの人が実験したいとやってきている」と600人以上の研究者たちによる国際共同研究であることを強調。「世界の中で重要な加速器が生まれ出したのは画期的なこと」だと述べた。
SuperKEKBは今後、2017年秋からはフェーズ2に入る。Belle II測定器のうち最も壊れやすい飛跡検出器を導入した後、2018年秋からフェーズ3(本実験)に入る。その後もさらに数年かけて、ルミノシティを上げながら(機器の調整をして性能を上げながら)、物理実験のデータを取っていく。「KEKB」の50倍データ蓄積の目標達成は、2024年あたりを目処としている。最初の衝突のシグナルが観測されるのは2017年末~2018年始くらいの予定だという。
「CP対称性の破れ」、KEKB/Belle実験、Super KEKB/Belle II 実験について
これまでの背景、SuperKEKBとBelle IIについてはKEK素粒子原子核研究所教授の後田(うしろだ)裕氏と、同 加速器研究施設教授の赤井和憲氏が解説した。
加速器とは、磁場や電場を使って、荷電粒子を光速近くまで加速して、高エネルギー状態にする装置である。真空に近い状態のビームパイプの中を電子や陽電子を「バンチ」と呼ばれる塊にして周回させて、衝突させる。その高エネルギーによって、宇宙初期に起きたと考えられる素粒子反応の様子を計測し、物理を探る。
全ての粒子には対となる反粒子が存在する。質量やスピンなどは同じだが電荷だけが反対の粒子だ。宇宙が誕生したときには同量が生成されたと考えられているが、現在の宇宙では反物質より物質の方が圧倒的に多い。それは物質と反物質にわずかな性質の違いがあるからだということが1964年に発見された。それは「CP対称性の破れ」によって説明できると考えられている。「CP対称」とは電荷を反対の反粒子に入れ替えても現象が同じで(C対称性)、鏡映変換しても同じ(P対称性)という意味だ。そのCP対称が破れているというのが「CP対称性の破れ」である。
2008年のノーベル賞を受賞した小林誠氏と益川敏英氏による「小林・益川理論」は、粒子を構成するクォークが3世代6種類あれば「CP対称性の破れ」が自然に起こるとしたもので、KEKの実験によって確認された(KEKによる「Belleの結果が導いた小林氏・益川氏のノーベル賞」参照)。物質が優勢である宇宙の謎を解明することがSuperKEKBとBelle IIによる「Bファクトリー」の研究目的の1つだ。
「Super KEKB/Belle II」の前身である「KEKB/Belle」実験は、加速器で電子と陽電子を衝突させることによって、「CP対称性の破れ」の効果が大きく現れるB中間子と反B中間子の対を大量に発生させ、衝突点に設置した「Belle測定器」で粒子崩壊過程を詳しく調べるというもの。CP対称性の破れの違いを詳細に究明することだけでなく、新しい粒子の性質の発見や物理の究明が目的で、世界の約50の大学と研究機関に属する約400名の研究者によって構成されている国際共同実験だった。なお「Belle」という名前は、B中間子がel(電子)とle(陽電子)の衝突から生成される様子を表したもの。「Super KEKB/Belle II」は加速器と検出器をさらに高度化したものになる。
なおB中間子は、反ボトムクォークとダウンクォークでできている粒子で、反B中間子はボトムクォークと反ダウンクォークからなる。質量は陽子の約5倍、寿命は1.53ピコ秒。1兆分の1秒で崩壊する粒子が観測できる理由は、相対性理論である。衝突させる電子と陽電子ビームのエネルギーが異なるのもそのための工夫で、片方のエネルギーが強いため、生成したB中間子は光速に近い速度で飛び出し崩壊していく。光速に近い速度なので、観測者から見ると寿命が延びる。だから測定装置での計測が崩壊していく様子を見ることが可能になるわけだ。測定器はB中間子対の崩壊を測定する装置の周りを、粒子の運動量そのほかを測定するサブ装置が取り囲んだ構成になっている。
SuperKEKBの前身であるKEKBは1999年に衝突実験を開始し、2001年に世界最高ルミノシティを達成し、2010年に運転終了。その後、SuperKEKBへの改造が進められてきた。改造作業がいよいよ一段落し、本格的な実験への新たなフェーズへ入った、というのが今回の発表である。
SuperKEKBでは、特に、現在の素粒子物理を理解するための枠組「標準理論」を超える世界へ一歩踏み出して、より高エネルギーの世界を探ることを目的としている。ある粒子が崩壊する過程では、量子力学の「トンネル効果」によって一瞬だけエネルギーを高くできる。その一瞬だけ、宇宙の始まりに近い高エネルギー状態を作ることで、宇宙開闢の頃に何が起きていたのかを検証する。これまでの「標準理論」だけで記述される現象と、標準理論を超える新物理で記述される崩壊現象を比較することで、新物理の効果が分かることが期待されると後田氏は語った。その差は非常に小さい差だが、精密測定すると見えてくると考えられる。そのためには大量のデータが必要であり、それがSuperKEKBとBelle IIが必要である理由だと述べた。後田氏は、ビーム周回/蓄積について、「実験する側としては非常にわくわくしている。実験を始められるのを心待ちにしている」と語った。
Super KEKBはどのように高度化されたのか
SuperKEKBでは、電子と陽電子が0.3mm程度の範囲で起こるように設計されている。この衝突によって、B中間子と反B中間子のペアを大量に作り出す。繰り返しになるが、ごく稀な現象を調べ、統計的に有意な議論ができるだけのデータにするためには多くのB中間子と反B中間子のペア数が必要になる。そのためには「ルミノシティ(電子と陽電子の衝突頻度)」を上げることが重要だ。1秒間あたりの衝突反応はルミノシティに比例する。そのために重要なことは衝突点でビームを絞り込むことと、ビーム電流を増やすことの2つだ。
ではどのようにしてルミノシティを上げるのか。衝突頻度を上げるためには衝突するバンチサイズを小さくして衝突点を絞る、またバンチ数を上げ、バンチ内の電子/陽電子の密度を高くするといったやり方が考えられる。SuperKEKBはこの2つ、低エミッタンス・ナノビーム方式(20倍)と、ビーム電流を倍増させる(2倍)方法を組み合わせることで、40倍のルミノシティ達成を目指している。
装置としては、電子リングと陽電子リングをそれぞれ改造し、粒子を打ち込む入射器も改良した。また、新たに「陽電子ダンピングリング」を作った。具体的には例えば、KEKB加速器では陽電子リング用に長さが90cmの偏向電磁石を使っていたが、SuperKEKBでは、長さ4m、重さ7.3tの電磁石に置き換えた。これによって、ビームをなめらかにできるという。電子と陽電子のエネルギーは、それぞれ7G電子ボルトと4G電子ボルトに変更した。衝突点にはさらにビームを絞り込む「ビーム衝突点用超電導磁石(QCS)」を設置する。
電子/陽電子の通り道であるビームパイプも改良を施した。ビームパイプの中は高真空だが、以前のKEKBの時には陽電子ビームの放射光によってパイプ内壁から叩き出される2次電子が、陽電子の周囲に雲のようにまとわりついてしまってビームの品質を損なうという現象があった。KEKBの時には周囲にソレノイドを巻き、弱い磁場を作り出すことで解消しようとしていたが、それにも限界があることが分かっていた。
そこで今回は、陽電子リングのビームパイプにおいて、パイプの横に飛び出る「アンテチェンバー」という小部屋のような構造を作ることで、ビームが不安定になることを防ぐことにした。また、内部は窒化チタンをコーティングしているが、このための装置はKEK内に設置して行なったという。「できるだけのことをやって臨むということで、アンテチェンバーに変えた」と赤井和憲氏は語った。
ビームのバンチ(電子/陽電子の塊)のサイズはKEKBの時は横100μm縦1μmくらいのサイズだったが、SuperKEKBでは横10μm、縦50nmまで絞る。このように細く絞り、なおかつ斜めに衝突させることでルミノシティの増強を図っている。ただし、ビームを絞りすぎると「砂時計効果」という効果が現れて、うまく衝突しなくなってしまう。そこでイタリアの研究者が考案した「ナノビーム大角度交差衝突方式」を採用、絞り込んだビームを角度をつけて衝突させるというやり方を選んだ。
Belle II 測定器とそのデータ収集システムの概要
一方、SuperKEKB加速器での衝突に伴う素粒子現象を精密に測定する「Belle測定器」も検出器を全て新しいものに変えてBelle II 測定器とし、性能向上を図っている。Belle実験で蓄積されたデータの50倍のデータを収集/解析できるという。現在は衝突点の横で組み立て中で、準備ができたら横へスライドさせる。
筐体はBelleと同じで、高さ、幅、奥行きほぼ8m程度である。検出器は玉ねぎのような構造になっていて、内側から外側へとそれぞれ異なるセンサーが配置されており、それぞれ、反応で生成された粒子を検出する。検出器には「崩壊点検出器(VXD)」、「中央飛跡検出器(CDC)」、「粒子識別器」、運動量を測定するための「超電導ソレノイド磁石」、エネルギーと方向を調べる「電磁カロリメーター」、物質を透過しやすい「ミュー粒子・中性K中間子検出器」などからなる。
データは、「トリガー」という事象を取捨選択する電子回路を通じて、データ収集システムに送られる。「COPPER」という読み出しモジュールが300枚あり、「イベントビルダー」でまとめられ、数百台のPCからなる「ハイレベルトリガー」に送られる。ハイレベルトリガーは事象データを解析して必要なデータだけを取り出す。データ収集システムはこの作業を毎秒3万回行なう処理能力を持ち、毎秒30GB送られてくるデータを毎秒1GB程度に圧縮できる。生成されるデータは最大年間数十PBになる。KEKの計算科学センターではそのために3,000コアCPU、7PBの磁気ディスク、16PBの階層型ストレージを導入しているという。全領域を1つの分散共有ファイルシステム(GPFS)としてアクセスできる。
標準理論を超える
従来のBelle実験チームをもとに新たに結成された国際共同チームには、2月現在で、世界23の国と地域からの94の大学/研究機関に所属する600人を超える研究者が参加。建設/データ収集および物理解析を共同で行なう。
今回のSuperKEKBの改造はできるだけ既存の施設を再活用しつつ性能を上げるという方針で進めたという。筐体やパイプなども使えるものは使っているそうだが中身のセンサーやドライバーなどは、ほとんどが更新されている。
B中間子崩壊の精密測定のほか、Super KEKB/Belle II では、超対称性理論で予言されているタウレプトンのレプトンフレーバー非保存崩壊や荷電ヒッグス粒子の探索、通常のバリオンやメソンと異なる「エキゾチック・ハドロン」の発見/検証などが期待されている。従来の標準理論を超える物理現象の発見と物理法則の解明、それを理解する新たな理論枠組みが誕生する日を期待している。