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ソフトバンクの孫氏が「これから数年、Armに全集中」と宣言!

ソフトバンクグループ 孫会長兼社長

 ソフトバンクグループの孫正義会長兼社長は、2022年11月11日に開催した2023年3月期第2四半期決算説明会において、「これから数年間は、Armの成長に神経を集中させ、爆発的な次の成長に没頭する。私はもともと攻めの男である。事業家として、経営者として持て余した力を使い、Armによる攻めに徹する」と宣言した。

 ソフトバンクグループは、2022年度第1四半期(2022年4~6月)の3兆1627億円の最終赤字を計上。第2四半期は、アリハバの株式放出などにより、3兆336億円の黒字を計上したものの、これを除くと赤字決算。上期累計でも1,290億円の最終赤字が残っている。特に、ソフトバンク・ビジョン・ファンド事業は、投資した企業の株価が下落して、苦戦状態が継続。ビジョン・ファンド事業は上期に3兆3507億円の大幅な赤字となっている。

決算内容

 孫会長兼社長は、「ソフトバンクグループは、『情報革命の資本家』になることを掲げ、ソフトバンク・ビジョン・ファンドを通じた積極的な投資を行ってきた。だが、いまの情勢では、上場株も、未上場株も、投資していた会社のほとんどが全滅に近いぐらいにやられている。そこで、ソフトバンクグループが、いま取るべき道はなにかを、ずいぶん考え、社内でも議論をした。ビジョン・ファンドは、このまま投資を続けるべきなのか。それとも、一気に身軽になって、負債の比率を下げ、手元のキャッシュを厚くして、より安全運転することに舵を取るべきか……」と語り、「しばらくインフレは収まらない。我々が出した結論は、守りを固めることである」とした。

 3兆円を超える最終赤字を出した第1四半期決算発表時には、徳川家康の顰像(しかみぞう)を例にあげ、「家康は、三方ヶ原の戦いにおいて、家臣からは『この戦に出ていくと負けることになる。守りを固めて籠城した方がいい』との進言があったのにも関わらず、それでは、武士の沽券に関わるとして、城を出て武田信玄の軍勢と戦った。しかし、大敗して、命からがら逃げてきた。このことをしっかりと反省し、戒めとして覚えておくために描かせたものである。私の正直な心境は、これだけ大きな赤字を出したことをしっかりと反省し、戒めとして覚えておきたい」と、自らの状況に照らし合わせて、反省の弁を述べていた。

第1四半期決算発表の際に使用した徳川家康の顰像

 今回の発言でも、「聖域なくコスト削減を実行している」とし、ビジョン・ファンドの戦略を守りにシフトし、新たな投資についてはより慎重に実行することや、ビジョン・ファンドに関わるマネジメント体制を縮小したことを示した。

「Armの成長に、神経を集中して注いでみようと考えた」

 だが、ここからが孫会長兼社長らしいところである。

 「日常の経営的な業務は、後藤君(ソフトバンクグループ取締役 専務執行役員 CFO兼CISOである後藤芳光氏)を中心に行ない、ほかの経営幹部にも権限を委譲し、オペレーションを継続してもらう」と、守りに転じるソフトバンクグループの経営を委ねる一方で、「私は事業家として、経営者として、力を持て余すことになる。幸いなことにArmが手元に残っている。Armの成長に、神経を集中して注いでみようと考えた」。

 ソフトバンクグループは、2016年にArmを買収したが、コロナ禍における業績低迷によって、一度売却を決定した経緯がある。

 Armを株式の3分の1は現金で売却し、残りの3分の2の株式で、売却先となるNVIDIAの株式を取得し、筆頭株主になるという異例とも言える手法を採用し、注目を集めた。当時、孫会長兼社長自らも、この状況を「売ったような、買ったような」と表現していた。Armを完全に手放したくないという孫会長兼社長の思いが、ここからも垣間見られた。

 しかし、規制当局から合併に関する許認可が下りず、2022年2月には、Armの売却を断念することを決めた。

 「もともと売りたくはなかった。承認が下りなかったことは、むしろ良しと受け止めた」。

 その上で、「この数カ月、Armに集中してみたところ、最近になって、『これはすごい!』と思うようになった。Armのこれからの成長のエネルギー、技術革新、成長機会は爆発的なものであることを再発見した」と語り、「Armを買収する前からArmに惚れ込んでいたが、最新となるArmv9の機能が使われるようになり、さらに、次のバージョン、その次のバージョンにおいて、Armをどう活用したら、画期的な技術やサービスが実現できるのか、ということを深く考えると、ものすごいエネルギーと技術革新を見出すことができた」とする。

 そして、「これからの数年間、私は、Armこのことだけに専念する。Armの爆発的な次の成長に私は没頭する。その他の経営については、守りに徹する。ソフトバンクグループが、守りを固めるのは、私よりも後藤くんが中心になるのが適切である。私はもともと攻めの男である。Armの攻めのところに集中したい。いまは、Armの技術の深いところまで、事業計画の深いところまで、直接、毎日、朝から晩まで没頭している。これが私の興奮であり、幸せにつながっている」と語る。また、「ソフトバンクグループのこれからの成長のために、最も貢献できる仕事である。これは、株主にとっても、情報革命のためにも、未来の人たちにとっても、私が最も役に立てることだと心の底から思っている。『情報革命で人々を幸せにしたい』という私が描いた原点の思いを、そのまま純粋に追い求めていく。そこにだけに集中したい」と語った。

いまや富岳もArmを採用

 会見の冒頭で、孫会長兼社長は、「決算発表会でのプレゼンテーションは、当面、今日で最後にしたい」と切り出した。会見通知でには、運営方針を変更し、孫会長兼社長は冒頭の挨拶だけの出席になることが告知されていたが、孫会長兼社長は、「その告知を見て、病気でもしているのか、引退するのかという質問が寄せられた。健康そのものであり、気力はますます充実している。やりがいも、気合も十分である」と噂を払拭。「株主総会での説明は引き続き私が行ない、突発的なことが起きればいつでも出てくる用意はある」とも発言しながら、「突発的なことはないと信じている」と笑いを誘った。

 今回、孫会長兼社長が最初に持ち出した話題が、「私が事業家として、ソフトバンクを始める前の原点」であった。これもArmにつながる話だ。

 「米国にいた19歳の学生のときのことであり、いまでもよく覚えている。運転していたクルマを降り、秋の景色の中、サイエンスマガジン誌を読みながら歩道を歩いていた。そのとき、1枚の写真に巡りあった。未来都市のような、幾何学模様のような不思議な写真であり、なんだろうと思った。次のページをめくると、これがマイクロコンピュータのチップであることを初めて知った。

孫氏がサイエンスマガジン誌で出会ったマイクロコンピュータのチップは不思議なデザインに感じたという

 学生として毎日、IBMの大型コンピュータの端末に触れており、プログラミングをしていた。そのコンピュータが、人差し指の上に乗ってしまうということはまったく想像していなかった。この記事を見て、人類は初めて、自らの知的活動を超える可能性があるものを生み出したと感じ取り、両手の指がジーンと痺れ、涙が止まらなくなった」と、当時を振り返る。

 それから46年を経過していて、孫会長兼社長は、今年で65歳になった。

 「情報革命に人生を捧げようと思う最初のきっかけとなったのが、このマイクロコンピュータのチップの写真である。その中心にいるArmの持ち主になれるということは19歳の私にとっては想像外のことだった。情報革命は46年を経過しても、まだまだ進化している。成熟するどころか、さらに広がっている」

 孫会長兼社長が指摘するのが、「コンピューティングの中心はPCから、スマホに移った」という点だ。同時に、「CPUの中心はインテルから、Armに移ったと私は思っている」と語る

 そして、「Armは、スマホ以外のあらゆるものにも入り、IoTの世界が広がっていく。そこから発生する地球上のあらゆる情報はクラウドに蓄積されるが、ここでもアーキテクチャーの中心が、インテルからArmに変わろうとしている。なぜ、インテルからArmに変わるのか。それは、コンピューティングのエネルギー源は電力であり、電力を使うことに対して、最も効率的な設計になっているのがArmだからである。

 また、かつてのArmは演算性能が低く、PCやクラウドには向いていないと言われていたが、最近ではそうではないことが証明されてきた。主要なクラウドは一直線にArmアーキテクチャーに変わりつつある。PCの世界でもその兆候が一気に広がっている。Armが主役として活躍する場が爆発的に増え、揺るぎないポジションを獲得することになると私は信じている」と語る。

 孫会長兼社長が指摘するように、Armの活用領域は広がっており、世界最速を誇ったスーパーコンピュータ「富岳」にも、Armのアーキテクチャが採用されている。

一番売りたくなかったのがArm

 孫会長兼社長は、ソフトバンクグループのこれまで手法を振り返り、「可能な限り背伸びをして、小が大を飲み込むような、実力以上のM&Aも繰り返してきた。そして、ネットバブルのときも、リーマンショックの時も、ソフトバンクグループは、持っているあらゆる資産を売って、生き延びてきた。

 3度目の危機となるコロナ禍では、コロナの谷に、ユニコーン企業が真っ逆さまに転げ落ちるかもしれないと考えていた。ここでもあらゆるものを手放すことを考え、その一環としてArmを手放すことを泣く泣く決意した。一番売りたくなかったのがArmであったが、生き延びることは、それにも増して重要なことであった。実際には、ユニコーン企業が、先に回復し、立ち上がってきた。そして、思ったよりコロナの谷は深くはなく、危機は大きくなかった。ArmとNVIDIAの合併についての許認可が下りず、一度は、あきらめた経緯があったが、それはいまとなっては良かった」。

 孫会長兼社長の決算会見での最後の挨拶は、25分以上に渡った。これまでは、四半期ごとに孫会長兼社長の発言を聞くことができ、今、孫会長兼社長がなにを考えているのか、どの方向に向かおうとしているのかを明確に理解することができた。ソフトバンクグループは、孫正義氏の会社である。孫会長兼社長の発言を聞く機会が減ることは、ソフトバンクグループの現在と未来の方向性が伝わりにくくなる。その点は、これからの懸念材料である。