大原雄介の半導体業界こぼれ話
生まれては次々消えていったIoT規格。Matterはついにコネクテッドホームの夢を見るか?
2022年10月27日 06:16
10月4日、CSA(Connectivity Standards Alliance)はMatter 1.0の仕様を発行するとともにSDKの提供、および8つの認証機関でMatter 1.0の相互接続性試験が可能になったことを発表した。まぁ1.0の標準化が完了したことそのものは喜ばしいのだろうが、筆者的には微妙な気分が否めない。今月は何が「微妙」と感じるか、という辺りをご紹介したいと思う。
IoTの始まり
そもそも“コネクテッドホーム”あるいは“スマートホーム”という言葉で代表される、家庭内機器のネットワーク化という夢は、かなり昔から業界関係者が抱いていたものだし、実際に製品も色々出ている。ただ広範に普及しているか? と言えばNoだし、接続性に関しても同一規格内のみというのがほとんどで、異なる規格同士の接続は「理論上は」両方のプロトコルを理解するブリッジというかルータが介在すれば可能ではあるものの、現実にはそうしたものは多くないし、そこで「完璧な」相互接続性が可能になった、という話もまるで聞かない。もっともこれは最近の話であって、2013年~2014年頃はまた違った姿が見えていた。
2013年とか2014年というのは何か? と言えば、IoTという言葉がある程度定着し、それをどう実現するかを、単に半導体ベンダーだけでなくさまざまなサービスプロバイダとかソリューションプロバイダが模索し始めた時期にあたる。
そもそものIoTというかInternet of Thingsという言葉そのものは、P&GのKevin Ashton氏が1999年に行なった講演の中で使った用語である(RFID Journalのこの記事で、Ashton氏が用語成立の時期の話を簡単にまとめておられるので、興味ある方はお読みいただきたい)。ただこの時点でIoTという用語はまだ一般的ではなかった。
これが俄然注目を浴びるようになった切っ掛けは、調査会社のGartnerが2011年6月公開のHype Cycle for Emerging TechnologiesというレポートにIoTの用語を載せたことだ(図版1)。
IoTと呼ばれるものそのものは、例えばその前だと日本だと坂村健教授の提唱するユビキタスネットワークと本質的に差はなかったし、あるいは2002年に設立されたZigBee Allianceが標準化したネットワークと実装的にはかなり近しいものだったりしたのだが、こうした先達がいまひとつ普及しきれなかったのを後目に大きく広がった理由の1つは、ネーミングだったのではないかと思う。
そしてIoT規格の乱立へ
さて、「次のフロンティアはIoTだ!」と業界に指針は出たものの、この時点でIoTを指すものは何か?あるいはIoTでは何ができるか? に関しての明確なビジョンはなく、逆にそのビジョン作りに各社は専念することになる。
これは別に狭義の組み込み業界(Ashton氏の場合、RFIDを使った在庫管理に携わっていた)だけでなく、もっと広範に電子機器業界全般に言える話である。当然その中に、今ではスマート家電と呼ばれるようなジャンルの製品を開発しているメーカーや、そうしたスマート家電を作るメーカーをターゲットにした半導体メーカーも含まれた。
この結果として何が始まったか? というと、スマートホームをターゲットとした規格の乱立である。もともとこの分野の草分けは、デンマークのZensysが開発したZ-Waveである。Zensysは2001年、ISM Band(900MHz)帯を利用したZ-Waveという低コストの双方向通信が可能な通信規格を策定するとともに、これをサポートするトランシーバチップも開発した。
Z-Waveはメッシュネットワーク構成で、ノード間距離は最大30m程度、通信速度は9,600bpsと低めなものの、リアルタイム制御でもしない限りはこれで十分であった。2005年に同社はエコシステムパートナーの拡充を狙い、Z-Wave Allianceを策定。2006年時点でメンバー企業は125社、2008年には250社以上に達した。
2008年にZensysは米国のSigma Designに買収され、さらに2018年にはそのSigma Designは同じ米国のSilicon Laboratoriesに買収され、現在はSilicon Labsが旗を振っている格好だが、仕様策定そのものはZ-Wave Allianceに移管されており、民主的に行なわれている。2017年、つまりSilicon Labsに買収される以前の状態でZ-Waveに対応した製品は2,000を超えており、コネクテッドホーム分野の草分けの中では恐らく最も成功した規格と言えるかもしれない。
これに比べると2002年にスタートしたZigBee Allianceは、同じくISM Band(2.4GHz帯)を利用し、メッシュネットワークを構築するといった特徴はZ-Wave Allianceに近く、2017年5月の時点でメンバー企業は370社と遥かに多いながら、単にコネクテッドホームのみならず産業向け(ビルオートメーション等)やリテールサービスなどもターゲットとしており、逆にコネクテッドホームに関して言えばこんなビデオ)を公開してさまざまな用途に使えるとアピールしつつ、実際に詳細な仕様が定まったのは実質Connected Lightingのみというありさまである。
ZigBee自身の仕様はちゃんと別にあるのだが、デバイスの振る舞いに関しては照明機器向けに「ZigBee Lighting & Occupancy Device Specification」が出ている程度で、あとはワイヤレスリモコン向けの「ZigBee RF4CE Specification」がある程度である。あれもこれも、と欲張った結果として色々決められなくなってしまったという方が正確かもしれないが、なんにせよコネクテッドホームのマーケットを握ることには失敗してしまった(ZigBeeそのものの普及はある程度成功したが)。
こうした先駆者(?)の状況をちゃんと把握した結果として、さまざまな会社がコネクテッドホーム/スマートホームのマーケットを席捲することを目的に、標準化団体と仕様作りに奔走することになる。筆者が認識しているだけでも
- OIC(Open Interconnect Consortium):ADT/Atmel/CISCO/Dell/Eyeball Networks/HP/Intel/Mediatek/Samsung Electronics
- Allseen Alliance:Haier/LG/Panasonic/Qualcomm/Sharp/Silicon Image/Technicolor/TP-Link
- Thread Group:Arm/Big Ass Fans/Freescale Semiconductor/Nest Labs/Samsung Electronics/Silicon Labs/Yale Security
といった団体が新たに生まれ、それとは別に以前から
- ECHONET Consortium:日立/三菱電機/NTT/Panasonic/東京電力/東芝
- IPSO Alliance:Arch Rock/Atmel/Cimetrics/Cisco/Duke Energy/Dust Networks/eka systems/EDF(Electricite de France) R&D/Emerson Climate Technologies/Ericsson/Freescale/Gainspan/IP Infusion/Jennic/Kinney Consulting/Nivis/PicosNet/Proto6/ROAM/SAP/Sensinode/SICS/Silver Spring Networks/Sun Microsystems/Tampere University/Watteco/Zensys
- ZigBee Alliance:AMX/Eaton/Commcepts/Cypress/Ericsson/Honeywell/Intel/Invensys Networks/Mattel/Micrel/Microchip/Motorola/Philips/RFMD(RF Micro Devices)/RFM(RF Monolithics)/Sensus/Somfy/STS/The Technology Partnership
といった団体がコネクテッドホーム/スマートホームに向けた規格作りを手掛けていた。おまけに後追いでクラウドプロバイダーもこのマーケットに参入してくる。具体的には
- Alexa:Amazon
- Home Kit:Apple
- Project Brillo:Google
といったあたりがメジャープレイヤーといったところだろうか。いずれの団体も、標準化を進めるとともに、エコシステムパートナーを増やすべく懸命に水面下での活動を繰り広げることになる。
IoTの標準化からイニシアチブ主導へ
この時点で、既に活動の目的が「コネクテッドホーム/スマートホーム実現のための標準化を図る」ことから「コネクテッドホーム/スマートホームの標準化でイニシアチブをとる」ことに活動の重点が移り始めた感がある。
もちろんこれはこれで意味があることだ。この手の規格は広範な機器で利用できるようにしないと使いどころが限られるし、広範な機器で利用できるようにするためには、なるべく多くのパートナー企業を集めて、一斉に対応してもらう必要がある。そのためには、イニシアチブをとれるような、有力な規格にするしかない。その意味で戦略目標としては間違ってないのだが、これを力押しで進めると、結局VHS対ベータ(この比喩も、もう若い読者には通用しない気がする)のように、陣営作りというか囲い込みにのみ奔走することになる。
その行く末は何か? というと規格同士の融合(という名の喰い合い)である。
一番分かりやすいのは、Intelが音頭を取ったOICであろう。まず2015年11月にUPnP Forum(1999年に設立された、Universal PnPの仕様策定を行なった業界団体)を吸収合併。2016年2月には名前をOCF(Open Connectivity Foundation)に変更し、さらに同年8月にはThread Groupと提携している。
ちなみにOICからOCFに看板を変えた理由だが、公式には不明である。ただOIC→OCFでボードメンバーの入れ替わり方を見るに、恐らくはAllJoynとの相互運用性をある程度担保するためにはQualcommとの関係を良好にせざるを得ず、OICのままだとこの関係をうまく保てない「何か」があった模様だ。
もう1つの陣営がQualcommが音頭を取るAllseen Allianceで、実装としてAllJoynが提供された。このAllJoyn、最終的にはどうなったか? というと、OCFの中に取り込まれることになった。その一方で、OCFの元になったOICは2014年12月に、自身がスポンサーになる形でIoTivityを立ち上げている。これはOICのオープンソースによる実装を目指したものだ。
さて、2013年のOIC立ち上げから9年あまり経った現状は? というと、OCFとIoTivityはまだ存在しているが、これを採用したアプライアンスの数はそれほど多くないというか、一時はもう少しあったけれどなくなったというか、要するに標準規格にはなりきれなかった。
これはAppleのHomeKitとかAmazon Alexaも同じで、確かにスマートスピーカーを始めとする製品はいくつか存在するが、では家庭内をAlexaなりHomeKitだけで統一できるか? というとそこには程遠い。Googleは「Project Brillo」を「Android Things」に改称して広範な普及を目指したものの、2020年に撤退を発表している(その代わりにGoogle Homeを前面に押し出した)。ほかにもいくつかコネクテッドホーム/スマートホームを志向した規格は存在する(例えばOSIoTとか)が、成功したものは皆無である。
ネットワーク側も同じである。例えばBluetoothメッシュとか、最近だとAmazon Sidewalkとか、要するにコネクテッドホームをターゲットとしたネットワークの規格はいくつかある(Wi-Sunを使うECHONET Liteもこの分類に入る気もする)が、そこから単体の製品に行くことはあっても、システムとして成立するところまで発展していない。「一将功成りて万骨枯る」と言うが、ことこの分野では「万骨枯り、一将たりとも功成らず」のが実情である。
そして誕生したCSA
こうした10年弱の標準化規格の争いの後に、新たに湧いて出たのが冒頭で紹介したCSAのMatterである。そもそもCSAという団体、その前身は何度か出てきたZigBee Allianceである。そのZigBee Allianceは2019年12月、Amazon、Apple、Google、Samsung、およびSmartThingsと共同で、新たなコネクティビティの規格を策定するCHIP(Connected Home over IP)というワーキンググループを設立する。
そして2021年5月には名称をCSAに改めるとともに、このCHIPで策定が進んでいた新しいコネクティビティの標準規格をMatterという名称で公開することを発表した(参考リンク)。
ちなみにCHIPの目的は、特定のネットワーク技術に拠らずに広範な接続性と相互運用性、柔軟性や信頼性、セキュリティを担保した技術を策定することで、実際EthernetやWi-Fi、Bluetooth LE、Threadなどもターゲットにしている。要するにこの時点でZigBeeそのものは事実上メンテナンスモードに切り替わり、活動の対象はネットワーク層からその上層に移行したことになる。
2021年5月の発表時点で、Matter策定に関わるボードメンバーには新たにIKEA/Legrand/NXP Semiconductors/Resideo/Schneider Electric/Signify/Silicon Labs/Somfy/Wulianが加わっている。いずれの企業もこれまでほかの規格に参加していた面々で、その意味では対応規格の鞍替えという感じでもある。
CSAのプロモーターにはこれまで標準化規格を引っ張ろうとしてきたメーカーが「ほぼ」含まれている。「ほぼ」というのは、例えばIntelはプロモーター枠ではなく加盟者枠に入っているが、これはIntelがエンドポイント側のIoTビジネスから事実上撤退している(以前はそれこそEdisonだのCurieだので、エンドポイント側に参入する気満々だった)あたりを反映してのことだろう。
Qualcommもやはり加盟者枠だが、もう最近同社はホームアライアンスビジネスよりも自動車の方が重要(いや一番重要なのはスマートフォンなのだろうが)ということで、この辺りを反映してのものと思われる。
一応仕様もSDKも定まったMatterの今後
ちなみにMatter、当初は2021年後半に仕様をリリースするとしていた。ところが2021年10月には、リリースを2022年前半に行なうと発表。更に今年3月17日には、リリースを2022年秋に延期することを表明。トータルで1年ほど遅延することになった。
遅延した理由は、当初よりも対応するプラットフォームが増えたことでSDKの改善が必要になったことを挙げている。ちなみに昨年10月の時点では、SDKおよび認証プログラムの準備ができていないのが遅延の理由とされていた。
一応現状、Matterは準備が整ったように見える仕様とSDKはダウンロード可能状態になっているし、認証についてはAllion Labs、Bureau Veritas、Dekra、Element、Eurofins Digital Testing、Granite River Labs、TUV RheinlandおよびUL Solutionsという8つのテスト機関で実施可能になっている。
ただ仕様を見る限りでは結構重いプロトコルになっており、それなりにパワフルな環境が必要である。まぁIPv6ベースの実装と言う時点でネットワークスタックが必須だから、8bit MCUで動作させるのは論外で、32bit MCUにそれなりのメモリ/フラッシュが必要になるだろう。とは言え、Google HomeとかApple Home Kitを動かすことができる環境なら概ねMatterも動作するようだ。
Googleは既にMatter対応の開発環境を提供しているし、Appleも開発者アカウントを持っている開発者であればMatterの対応を有効化できる。今年(2022年)1月のCESでは複数のベンダーがMatterのデモを行なっており(例 NXP、Nordic)、また既に複数のメーカーがMatter対応の開発キットをリリースしている(例:Silicon Labs、NXP、Infineon)。
こう書くとMatterの前途は洋々に見えるのだが、CESの展示は筆者には2015年のCESでQualcommが行なったAllJoynのデモに被って見えるし、さまざまなメーカーが開発キットを用意、というのは組み込み向け業界ではごく普通の風景であり、殊更にどうこうという感じもしない。
これまで数多の規格が乗り越えられなかった壁をMatterは乗り越えて普及に至るのか、それともやはり壁にぶち当たって終わるのか、現状では筆者も答えを持っていない。答えが出るまでには、最低でももう1~2年はかかりそうだ。