■後藤弘茂のWeekly海外ニュース■
平井一夫氏 |
ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)の次世代ポータブルゲーム機「NGP(Next Generation Portable)」(コードネーム)では、現行のPSPタイトルもサポートする。
ただし、PlayStation Storeからのダウンロード(またはメモリカード?)のみで、後方互換はエミュレーションで実現する。UMDはサポートしない。この展開は、PlayStationタイトルをAndroidデバイス上のエミュレータで走らせるPlayStation Suiteの戦略と、部分的に似ている。このことは、SCEが、同社プラットフォームのコンテンツ資産を、エミュレーション技術などで活かす戦略に転じつつあることを暗示している。
以前、このコーナーで、PSP2(NGP)ではPSPタイトルの後方互換は取られないだろうと予測した。そう推測した理由は3つあった。(1)PSPとNGPでは、CPUとGPUのアーキテクチャが異なるためハードウェアレベルの互換性が保てない。(2)互換性のために現行PSPチップセットを搭載することは、コスト削減のために難しい。(3)ソフトウェアエミュレーションではパフォーマンスが大幅に食われ完全な互換を実現することが難しい。
しかし、フタを開けたら、NGPでもPSPタイトルとの互換性は維持されることになっていた。PlayStation 3(PS3)では途中から切り捨てられた後方互換が、NGPでは保たれる。平井一夫氏(ソニー・コンピュータエンタテインメント(SCEI)代表取締役社長兼グループCEO)は、NGP発表後に行なわれたラウンドテーブルで次のように説明した。
「それ(PSPタイトルサポート)はネットワーク経由です。そのために、ゲームパブリッシャーと話をして、なるべく多くのPSPのタイトルをPS Store上に上げていただかなければと思っています。権利関係でできないタイトルも、残念ながらあります。しかし、先日も、カプコンさんが、『モンスターハンターポータブル3rd』をPS Storeに出すというお話がありました。なるべく多くのライブラリをNGPの皆さんにも提供していただきたいと思います」。
●ダウンロードモデルだがPSP資産は生きるNGPはUMDドライブを物理的に備えない。そのため、PSPタイトルを走らせられると言っても、UMDからロードできるわけではない。その意味では、UMDタイトルを多数抱える既存PSPユーザーにとっては、互換性が絶たれているとも言える。この点は、PSPの一部ユーザーから、非難されることになるだろう。
また、この点はニンテンドーDSとの互換性を持つ任天堂の3DSに対して弱いポイントでもある。もちろん、NGPで外付けUMDドライブからUMDイメージを吸い出して仮想ドライブで実行するツールとか、UMDを持っているユーザーにPS Storeから同じタイトルを無料ダウンロード可能にするといったサービスをSCEが提供すれば別だ。しかし、それらの方法は、現実的には難しいだろう。
しかし、ダウンロードタイトルならPSPでプレイできるため、SCEにとってはPSPフォーマットのソフトウェア資産は活かされる。これは、ゲームソフトウェア資産を多角的に活かそうとする現在のソニー戦略からすると非常に重要だ。また、ゲームパブリッシャーにとっては、既存のPSPタイトルが、ストア経由で、まだ売れる可能性があることを意味する。不足しがちな新ゲーム機向け初期タイトルも補うことができる。
●PSP向けのバイナリをそのまま走らせる?島田宗毅氏 |
ソニー・コンピュータエンタテインメントの島田宗毅氏(第2事業部ソフト開発部部長/第1課課長)によると、NGPで走らせるPSPタイトルについては「新しくNGP版を開発する必要はない」という。すでに購入しているPSPタイトルも、DRMの認証範囲内の台数ならNGPにインストールしてプレイすることができるという。つまり、PSPタイトルをNGP用に改めてメイクする必要はなく、そのままのバイナリをNGP上で実行できると見られる。PSP goとともにスタートしたPSPタイトルのダウンロード販売は、NGPへの布石だったことになる。
とはいえ、NGPはPSPとハードウェアレベルの互換性を保っているわけではない。半導体チップレベルで見ると、NGPがPSPからの継承性を持っていない。現行PSPは、MIPS R4000をかなりカスタマイズ(32-bitにしてベクタFPUを追加など)したCPUコアに、独自開発のGPUコアを載せている。それに対してNGPは、クアッドのARM Cortex-A9 CPUコアに、クアッドのPowerVR SGX543MP4+ GPUコアだ。カスタムIPを開発した独自性の強いPSPに対して、今回のNGPでは外部のIPを使う方向にある。
そのため、NGPでのPSPタイトルサポートは「エミュレーションになる」(島田氏)という。NGP上でPSPハードウェアをソフトウェアエミュレートすることで、PSPタイトルを走らせる。ここで問題となるのは、エミュレーションによるパフォーマンスロスと互換性だ。どうしてNGPでPSPのエミュレーションが可能になるのか。
●エミュレーションで利点があるNGPアーキテクチャ
まず、エミュレーション時に有利な点は、NGPの最終仕様では、CPUが4コアで、しかもNGPとPSPの間に、かなりのCPUコアパフォーマンスの差があることだ。
ソフトウェアエミュレーションでは、バイナリコードをトランスレートするタスクと、トランスレートしたネイティブコードを実行するタスクの2つが平行する。2つのビジーなタスクが平行するため、マルチコアとは比較的相性がいい。オリジナルPSPには、CPU以外にやっかいなユニットがいくつかあるが、2コア以上あるため、それも対処はできそうだ(ただし4コアのうち1コアはOS占有に近いと推測される)。
もっとも、コア当たりのシングルスレッドのスカラコードの実行パフォーマンスが、オリジナルCPUよりあまり高くなければ、マルチコアでもうまくエミュレートできない。しかし、NGPのコアはARMであっても、2命令デコード&アウトオブオーダ実行のARM Cortex-A9で、シングルスレッド性能は比較的高い(旧来のARMは1命令デコードのインオーダ実行)。元のPSPのCPUコア(MIPS32版のR4000アーキテクチャ)は、Cortex-A9よりずっとシンプルであるため、NGPのCortex-A9の方がIPC(Instruction-per-Clock)は高いはずだ。
さらに、NGPのCPUコアはPSPより動作周波数も高いため、性能差はさらに大きい。理論的には、Cortex-A9コアは1GHz時でも、300MHz台のR4000コアに対してDMIPS (Dhrystone MIPS)で5倍近い性能になるはずだ。加えて、今回は、RISC-RISCの命令変換になる(ARMをRISCと呼んで良いのかという議論を置いておくと)ため、バイナリ変換はx86と比べると単純になる。
Cortex-Aファミリのアーキテクチャ PDF版はこちら |
Cortex-Aファミリの性能 PDF版はこちら |
●問題が起きやすいGPU側のエミュレーション
こうした背景があるため、原理的には、NGP CPUでのPSP CPUエミュレーションは、以前予想したよりも容易だと推定される。もっとも、ゲーム機の場合、通常、エミュレーションでチャレンジとなるのは常にGPU側だ。実際、Xbox 360でのXbox初代エミュレーションでも、CPUはそれほど問題がなかったが、GPUで問題が多発して大変だったと言う。エミュレート元のGPUと実行するGPUのアーキテクチャが異なれば異なるほどハードルは高くなる。
もっとも、PSP初代のグラフィックスパイプライン自体は、基本的にはシンプルだ。しかも、エミュレートする側はプログラマブルなシェーダプロセッサハードウェアなので、相対的には対応はしやすい。PSP1グラフィックスパイプでやっかいそうなステージは、カーブドサーフィスのサポートのための「SUBDIVISION」だ。しかし、これも、ほとんど使われなかったことを考えれば、それほどクリティカルではないかも知れない。
とはいえ、ソフトウェアエミュレーションでは、どうしてもエミュレータの挙動は実際のハードウェアとは異なってくる。そのため、エミュレータで完全な動作を期待することは、かなり難しい。原理的には、ハードウェアの世代ギャップ(=パフォーマンス)が小さければ小さいほど、難しくなる。今回もハードルは低くはない。
しかし、ダウンロードタイトルならパッチ当ても容易なので個別の対処は可能だ。エミュレータでの動作で問題が出たタイトルに対しては、NGPへのダウンロード時に対応パッチも提供すればいいからだ。ただし、そうした後方互換性の検証と修正作業は、ハードウェアベースの互換より膨れ上がる可能性が高い。実際、Xbox 360では、互換性を実現する作業が膨大になったため、全てのXbox初代タイトルをエミュレーションで走らせることができなかった。
そのため、エミュレーションによる互換確保は、SCEにとっての負担が大きくなる可能性がある。SCEのソフトウェア開発リソースを食い、開発現場を圧迫するかも知れない。PS3以降、SCEにとって最大の問題の1つは、社内のソフトウェア開発リソースの不足にある。ただし、ソフトウェア開発リソースの不足については、任天堂も似たような問題を抱えている。
PSPのチップブロック(一部推定) PDF版はこちら |
PowerVR SGXのアーキテクチャ PDF版はこちら |
PSP初代の3Dエンジン PDF版はこちら |
●NGPとオーバーラップするPSPハードウェアビジネス
平井氏 |
SCEがNGPでPSP互換を維持することによって浮かび上がる、大きな疑問は、現行のPSPハードウェアはどうなって行くのかという点だ。NGPへと移行させて、PSPは迅速にフェイドアウトさせるのか。しかし、平井氏は、PSPも継続すると明言する。
「PSPビジネスについては、NGPを発表したからといって、PSPを来月ディスコン(製造終了)するということは全くありません。SCEの戦略では、常にプラットフォームがオーバーラップします。PS3を出した後も、PS2でビジネスを成り立たせているのと同様に、これからもPSPはプラットフォームとして引き続きビジネスがある限り続けます」。
据え置き型ハードについては、これまでもSCEはオーバーラップ戦略を続けてきた。そのため、PSPとNGPのオーバーラップ戦略も不思議ではない。
しかし、今回は、PS1→PS2やPS2→PS3のケースと違う点が1つある。それは、PSPが日本以外の市場の多くでは、存在感をすでに失っていることだ。そのため、PSPハードウェアビジネスが、ワールドワイドでPlayStation 2のように長期継続されるかどうかには、まだ疑問符は残る。
PSPハードウェアは継続するとしてもUMDはどうなのだろう。NGPが、PSPダウンロードコンテンツしかサポートしないとすると、SCEはPSPタイトルをUMDからPSストアへと誘い、UMDを消滅させて行くのではないのだろうか。しかし、平井氏は、UMDによるPSPタイトルの供給も継続すると説明する。
「これからもUMDでタイトルを供給することは、プラットフォームホルダとして当然の使命です。急にUMDがなくなることは想定していません」。
NGPでUMDから離れるという方針は、企画当初から決定していたと言われる路線で、現在までブレは生じていなかったと見られる。機械部品であるドライブハードウェアは、PSPにとってコストや重量、サイズ、消費電力と全ての面でお荷物だったからだ。SCEは初代PSPを企画した当初、UMDをSD解像度のコンテンツの共通メディアとして、ゲーム機以外にも普及させるビジョンを持っていた。しかし、現実にはUMDはPSP以外には普及せず、その構想は実現せず、時代は中容量の光ディスクから離れてしまった。
しかし、SCEはプラットフォームホルダーとしてUMDの供給を継続し続けなければならない。特に、流通現場では、UMDをフェイドアウトさせると言った瞬間から大混乱が生じてしまう。平井氏の言葉は、そうした懸念を払拭する。しかし、UMDの継続は、SCEにとって重荷以外の何物でもないはずだ。