ニュースの視点

なぜソフトバンクはARMを買収したのか?

~大河原氏、笠原氏、山田氏の視点

このコーナーでは、直近のニュースを取り上げ、それについてライター陣に独自の視点で考察していただきます。

大河原氏の視点

 ソフトバンクグループによる、英ARMの買収が発表された。買収金額の約3兆3,000億円(240億ポンド)は、過去にソフトバンクが行なってきたボーダフォン日本法人買収の1兆7,820億円、米スプリント買収の約1兆8,000億円の大型買収を上回り、日本の企業の買収案件としても過去最大となる。

 中国アリババ、フィンランドのスーパーセル、日本のガンホー・オンラインの株式売却により、約2兆円の資金を調達していただけに、その使い道が注目されていたところに今回の発表が行なわれた。当初噂された米ヤフー買収という後ろ向きの地盤固めに使うのではなく、ARMという将来に向けた布石への投資は、まさに孫正義社長らしい「攻めの経営」を感じさせるものだ。

 孫社長は、英国で行なわれた会見で、今から40年前となる学生時代の1976年に、サイエンスマガジン誌に掲載されたCPUの拡大写真を見て、「人類の頭脳を超えるものを、人類が生み出したことに感動と興奮を覚え、両手両足がジーンとしびれ、涙が止まらなかった」と、その時の様子を、克明に描写しながら振り返って見せた。そして、「今日、私自らが未来の姿に関わっていくことになる。事業家としての人生において、もっともハイライトすべき日である」と続けた。

 このエピソードに触れた孫社長が、いつもの「私」ではなく、「僕」という言葉を何度か使っていたところに、若い日に戻って発言している様子が感じられた。

 もちろん、孫社長が、こうした若い日の思い出だけで日本最大の買収案件を決めたわけではない。今回の買収案件は、「過去」の歴史でも、「今」の利益を求めるものでもなく、「未来」への投資であることに注目しておきたい。

 ARMの強みは、スマートフォンやタブレット市場において、アプリケーションプロセッサで約85%のシェアを持つことにフォーカスされがちだが、実は、IoT(Internet of Things)の領域において、極めて重要な位置付けを担っている点が見逃せない。家庭内で使われるさまざま機器や、今後さらなる電子化が進展する車などにも、ARMの活躍の場はある。そこに孫社長は目を付けている。

 「囲碁は、碁石のすぐ隣に打つのは素人のやり方。遠く離れたところに打ち、それが50手目、100手目になると力を発揮する。3年、5年、10年が経過すれば、ソフトバンクグループにARMがいる意味が分かる。ソフトバンクグループの中核中の中核になる企業がARMである」とする。

 中長期的視点に立って成果を求めるのであれば、先頃の英国におけるEU離脱の国民投票の結果は、「判断には影響しなかった」という意味も理解できよう。短期的な振れ幅は大きいが、長期的な視点ではその振れ幅は縮小化されるからだ。ソフトバンクのビジネスモデルは、「事業資産」と「投資資産」で構成されるが、今回の買収は事業資産。だからこそ、今買収に踏み切ったと言える。

 孫社長は、「買収完了後にどんな役職に就くことになるのかは分からないが、私自身が長期戦略の策定にも深く関わることになる」と、事業資産という観点から経営に関与する姿勢を見せる。

 一方で、ソフトバンクグループとのシナジー効果については、具体的な数値としては言及しなかったが、「直接的、間接的に全てのグループ会社が関わる」としているように、今後どんな形でARMの買収がプラス効果となって現れるかが楽しみだ。幅広いグループ会社を持つだけに、どんなところから、どんな形で効果が生まれるのかは注目しておきたい。

 ただ、製造分野では、かつて米キングストン・テクノロジーを買収したものの、その後、手放した経緯があるなど、製造分野においては経営手腕が発揮されていない。ARM自らは製造拠点を持たないが、れっきとした製造業だ。

 だが、ボーダフォン日本法人買収時には、「通信の素人」と言われた孫社長が、今では国内通信事業だけを見れば、EBITDAマージン、フリーキャッシュフロー/売上高比率といった経営指標では世界一となっている。孫社長が使う世界最大の「モバイル・インターネット・カンパニー」という表現も間違いではない。ARMの買収によって、製造分野における初の大型成功事例を生むことができるのかにも注目したい。

 いずれにしろ、今回の買収で、ソフトバンクの未来に向けて次の一手が打たれたのは確かだ。それによって、今のソフトバンクを表現している「モバイル・インターネット・カンパニー」が、将来どんな表現に変化するのかも楽しみだ。

笠原氏の視点

 ソフトバンクが、イギリスの半導体デザイン企業のARMを約3.3兆円で買収する予定であることを発表した。今回のニュースの最大の論点は、ソフトバンクはなぜARMを買収したのかではなく、なぜARMはソフトバンクに会社を売る必要があったのかにある。なぜならば、半導体産業にいれば、(お金があれば)ARMは誰もが買収したい会社だからだ。

 ARMは、Qualcomm、Apple、Samsung Electronics、MediaTekといった半導体メーカーに対して、CPUのISA(命令セットアーキテクチャ)や、CPUやGPUのデザイン(前者がCortexブランド、後者がMaliブランドとなる)をIP(知的所有権)として提供する企業になっている。ARM自身は何もハードウェアを作っておらず、あくまでIPを開発し、それを顧客となる半導体メーカーに提供し、そこからライセンス料を得る、それがビジネスモデルだ。

 このため、ARMは固定的にかかる経費が、事実上エンジニアにかかる人件費と開発コスト程度で、ハードウェアメーカーにつきものの、工場の建設や維持にかかるコスト、在庫にかかるコスト、そしてその減価償却といったコストがかかっていない。つまり、どれだけの経費がかかるか、非常に見通しが良いビジネスモデルだと言える。

 従って、ARMの収益性は悪くない。2015年の売り上げ高は1,791億円、税引き後の利益は578億円で、どちらも年々伸びている。しかも、2016年第1四半期の時点での粗利益率は96.7%で、人件費などの運営上のコストを引いた営業利益率は48.6%と、非常に健全な経営が行なわれている会社だと言っていい。俗に言えば儲かってる会社というやつだ。

 しかも、今後もARMの売り上げは増えることはあっても減ることはないだろう。ARMはモバイル市場を事実上独占しており、唯一のライバルとなっていたIntelは、モバイル市場からの撤退を余儀なくされた。モバイル市場は、先進国でこそ市場が成熟しているが、発展途上国では依然として成長を続けており、今後も成長を続けるだろう。PCやサーバーといったIntelが依然として強い市場への参入は現在までのところうまくいってないが、ARMの前にはIoTという巨大な市場が横たわっている。

 既にIoT市場でも、ARMは大きな成功を収めつつ有り、例えば自動車向けのSoCでは今やARMが標準の命令セットになりつつある。今後自動車には、ADAS(先進運転支援システム)、自動運転などの実装で、自動車に搭載されるSoCは1つや2つではなく、複数のSoCが実装されることになるだろう。もちろん、自動車以外にも、スマートウォッチ、アクティビティトラッカーなどさまざまなウェアラブル機器にもARMが既に入っており、今後も増えていく。

 つまり、誰がどう見ても、今後もARMは安定して収益を産む会社なのだ。筆者が今回の買収劇でもっとも驚いたのは、ソフトバンクがARMを買ったということではなくて、ARMが売りに出ていた、まさにそのことだ。では、なぜARMは、会社をソフトバンクに売る必要があったのだろうか。核心部分はそこにある。

 ロンドンで行なわれた記者会見の質疑応答の中で、ソフトバンクの孫正義社長は「ARMの経営陣を信用しており、現行の経営陣を継続する」と、経営陣を変えることがないという見通しを明らかにした。また、盛んにARMはイギリスベースの会社のままで残し、雇用を守りむしろ従業員を増やしたいとアピールした。買収前にはイギリスのメイ新首相と電話で会談したほか、発表当日にはイギリスの財務大臣とも会談したとアピールし、イギリス側との意思疎通ができていることを盛んに強調した。

 このことを裏読みすれば、ソフトバンク側はARMおよびイギリス側が出した条件(価格、現経営陣を維持する、雇用を維持する、本社をイギリスから移動しない)などを全部丸呑みしたのではないだろうか。

 今回の買収により、ARMはソフトバンクの100%子会社になる。上場企業であれば、常に株主からの、研究開発費を削って、それを配当に回して欲しいという圧力に抵抗しなければいけない。しかし、100%子会社であれば、株主はソフトバンク1社であり、ソフトバンクの了解さえあれば、経営者は自由に経営できるので、短期的には赤字になってしまうような大規模な開発といった大胆な戦略も可能になるだろう。そう考えれば、ARMが当然ほかにもあったであろう選択肢の中からソフトバンクを選んだというのも納得がいくのだ。

 では、ソフトバンクはARM買収で何を得るのかという点だが、短期的にはソフトバンクは単なる投資家に過ぎないということだ。実際、今回孫社長は現在のソフトバンクのビジネスとのシナジーについて質問されたが、納得のいく答えを用意できていなかった。しかし、長期的に見れば前述の通りARMは金の卵だ。おそらく10年間持っているだけでも、その価値は何倍からそれこそ何十倍にもなってソフトバンクに帰ってくるだろう。

 当初はARMを従来と同じように回すとしても、結局会社はオーナーのものだ。どこかのタイミングで、孫氏が完全な主導権を持つようになるだろう。その時、孫氏の立場は、Appleから製品を卸してもらう立場から、Appleに製品を卸す立場に180度変わることになる。

 その時には、ソフトバンクはもう日本のソフトバンクではなく、グローバルな企業としてのソフトバンクになる。そのビジネス規模から考えれば、小さな島国のキャリアビジネスなど吹いて飛ぶようなものに過ぎないかもしれない……今、ソフトバンクが昔はソフトウェア流通や出版事業をやってた会社であることを知らない若い人が多いのと同じように、日本でキャリアビジネスをやっていたなんて誰も知らないという時代が来るかもしれないのではないだろうか。

山田氏の視点

 果たしてこれはIT案件なんだろうかという疑問が頭から離れない。もちろんソフトバンクグループは日本有数のモバイルキャリアを擁し、インターネットインフラを牛耳る泣く子も黙るIT企業の1つだし、ARMはARMで今をときめくSoCのIP企業だ。

 孫氏は「たかが3兆円」と表現しているのだが、そもそもARMが約322億ドルで買えてしまうことの方が驚きでもある。先日話題になったMicrosoftによるLinkedInの買収額が約262億ドルだったことを考えると、さて、どっちがお買い得だったのかという下衆の勘繰りをしてしまったりもする。

 ソフトバンクがARMを購入することによる同社ビジネスへのシナジー効果は明らかにされていないが、今後くるはずのIoTの波への準備というのが同社の見解だ。

 つまり、使い道は買ってから考えようといったところだろうか。だから、このニュースは、今の時点ではどちらかというとIT案件というよりも投資案件であり、ARMのオーナーが変わったところで何も状況に変化はないのではないかというのが大方の予測だ。

 疑問が残るとすれば、買収をこのタイミングまで待たず、なぜもっと早い時期にARM買収に動いていなかったのかということだ。既にAppleやQualcomm、Mediatekが手放せなくなっている現在のARMの絶対的立ち位置は、この数カ月で確立されたわけではないのだから、その動向をいち早く予測することができていれば、もっと安く買えたかもしれない。でも、これから本格的に立ち上がるであろうIoTの世界では、この構図に変化があるかもしれないことが孫氏の頭の中にはきっとあるのだろう。

 今回の案件は、ソフトバンクが筆頭株主として投資しているYahoo!を連想させる。ほとんどソフトバンク臭を感じないYahoo! JAPANのブランディング、そして、Yahoo Inc.の動きなどから想像するに、ARMはARMとして大事に育まれるのではないか。「金の生る木」としても、とりあえずは盤石だ。