大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

FM TOWNS誕生から35周年。初のCD-ROM標準搭載パソコンを振り返る

FM TOWNS

 富士通は、1989年2月28日に、世界で初めてCD-ROMドライブを標準搭載したPC「FM TOWNS」を発表した。それからちょうど35年の節目を迎えた。

 現在、FujitsuブランドのPC事業を行なう富士通クライアントコンピューティング(FCCL)では、これにあわせた特別企画などは用意していないが、本誌では、この機会に、FM TOWNSの歴史を振り返ってみた。

FM TOWNSの誕生

 1989年2月28日午後1時30分――。当時、富士通の本社があった東京・丸の内の丸の内センタービル20階の大会議室には、約200人の報道陣が集まり、新世代のマルチメディアパソコンの登場を、いまかいまかと待ちわびていた。

 当時、パソコンの新製品発表の会見に、これだけの報道陣を集めることは極めて異例であった。

 発表前の2月10日から、TVCMを通じて、パソコン業界初となるティーザー広告を展開。その数は約200本に達し、新たなPCの登場に世間の関心が集まっていたことも、多くの報道陣が集まった理由の1つだった。

FM TOWNSの発表記者会見の案内通知

 富士通からは、山本卓眞社長(当時)や、のちに同社社長に就く関澤義専務取締役が登壇。記者席の周りを約50人の富士通関係者が取り囲み、異様な盛り上がりをみせていたことを覚えている。

 富士通の山本卓眞社長は、「FM TOWNSは、コンピュータ文明の新しい1ページを開くパソコン。FM TOWNSによってパーソナル分野に本格的に参入する」と高らかに宣言する一方、関澤専務取締役も、「富士通は、唯一、パーソナル分野で差をつけられている。この市場に向けて、ホビーからビジネスまで幅広く利用できるマルチパーパスハイパーメディアパソコンとして、FM TOWNSを発売する」と、新世代パソコンの狙いを示した。

 掲げた目標は、店頭市場における7%のシェアを、3年後の1991年度には30%以上にすること。そして、PC事業全体でも、5年後の1993年にはシェア30%に拡大する計画を打ち出した。

FM TOWNSのプレスリリース

ハイパーメディアを目指したFM TOWNS

 FM TOWNSの開発が動き出したのは1987年のことだ。

 パソコン黎明期となる1980年代前半には、「8ビット御三家」の一角を担っていた富士通だったが、16bit時代になると、1982年にNECが発売したPC-9800シリーズが市場をけん引。国内パソコン市場は、NECの独占状況となり、一時は国内PC市場の7割以上のシェアを獲得して、その状況は「ガリバー」と称されるほどだった。

 メインフレームやオフコンでトップシェアを獲得し、残るパソコン領域でもトップシェア獲得を狙う富士通が、「打倒キューハチ(PC-9800シリーズ)」に向けて、1987年に投入した新たなビジネスパソコン「FMRシリーズ」に続き、コンシューマ領域において放った矢が「FM TOWNS」であった。

 その当時、富士通が、新たなコンシューマパソコンの開発をスタートしているという噂は漏れ聞いていた。いまだから言えるが、取材活動の中では、発表前にあるルートを通じて資料を入手することに成功した。そこに書かれていた製品名の表記には、「TOWNES」と「E」が入ったコードネームを使用。事前の関係者向け説明会では、「新機種T」という表現をしていたこともあった。

関係者に配布されたFM TOWNSのフォルダーと、正式発表前の1988年12月の関係者向け説明会で使用された資料の表紙
正式発表前に関係者に配られた資料で示されたFM TOWNSのコンセプト

 開発当初に掲げたコンセプトは、「コンシューマ市場で売れる新たなPC」であり、ピーク時には60人にも達する専任プロジェクトチームを発足して、富士通が活かせる強みを徹底的に議論。その答えの1つとして、グラフィック機能やオーディオ機能の追求を掲げることになった。

 この背景には、1985年に発売したコンシューマ向け8bitパソコン「FM77AV」において、当時のパソコンとしては画期的ともいえる4,096色の同時表示や、FM音源の標準装備などを実現。富士通には、グラフィック機能やオーディオ機能では市場をリードしてきたという自負があり、そうした理由からも、この方向性については、比較的早い段階で決定したという。

 グラフィック機能やオーディオ機能を追求すると、結果として行きつくところは、当時のキーワードとなっていた「マルチメディア」になる。

 FM TOWNSでは、それまでのパソコンが得意としていた数値や文字の処理に加えて、音声(音楽)と画像(映像)を組み合わせて、これらを自由に表現できる新たなパソコンの開発を目指したのだ。

 FM TOWNSのプロジェクトチームのメンバーからは、「これまでのパソコンでは、アニメで鳥を表現し、鳴き声は文字で表現していた。だが、富士通の新たなパソコンは、鳥の自然な鳴き声を、自然の中を飛ぶ鳥の動画と一緒に聴くことができるものになる。これは数年後のパソコンでは基本機能になっていく。ユーザーに新たな世代と感じてもらえるパソコンになる」と説明。「5年~10年は継続できるアーキテクチャーを実現するとともに、パーソナル市場における90年代のアプリケーションプラットフォームを提供し、長寿命で、先進的なアーキテクチャーを採用することを目指す」と、FM TOWNSのコンセプトを語っていた。

 富士通ではこれを、当時流行っていた「マルチメディアパソコン」とは呼ばず、「ハイパーメディアパソコン」と呼んでいたが、そこにも富士通のこだわりがあった。

 「マルチメディアパソコンが、数値、文字、音声(音楽)、画像(映像)という4つの機能を、個別に使える段階だとすれば、ハイパーメディアパソコンはこれらの機能を統合して利用でき、一歩先を実現するものになる」と説明。「音と絵とブログラムを同時に扱えるハイパーメディアパソコンの領域に、他社に先駆けて踏み込んだ」と自信をみせていた。

CD-ROMドライブの標準搭載

 ハイパーメディアパソコンの実現において、ポイントとなったのはCD-ROMドライブの標準搭載であった。

 音声や映像を扱うために、データ量は膨大になるが、これを実現するには、当時の主流だったフロッピーディスク540枚分(540MB)の「大容量」を、1枚で扱えるCD-ROMの採用は不可欠だったのだ。

 ただ、開発当初の課題は、技術面よりも、FM TOWNSの市場投入時に、CD-ROMドライブが安定調達できる環境が整うか、また、家庭で利用するコンシューマ向けパソコンに採用できる価格で調達できるかという点だった。技術動向や生産動向、流通動向をいち早くキャッチし、調達に動いたことが、世界初のCD-ROMドライブ標準搭載パソコンの誕生につながっているという。

 もう1つ見逃せないポイントが、コンシューマ向けパソコンに、32bit CPUのi80386を採用したことである。検討段階では、コストの高さを懸念する声が社内にあったが、FM TOWNS向けアプリケーションを開発するソフトウェアメーカー各社から、「80386ネイティブモードを利用することで、4GBの広大なリニアアドレス空間を使うことができ、リッチなコンテンツを活用したアプリケーションの開発が可能になる」といった声が数多くあがり、これを反映。32bit本来のパワーを発揮するとともに、10年継続できるアーキテクチャーの実現という方針を実現する上でも、i80386の採用が不可避だと判断したという。これがFM TOWNSならではのアプリケーションの品揃えにつながっている。

FMTOWNSのカタログに表記されたスペックや価格

 当時、シャープがビジュアル機能に優れたX68000シリーズを発売していたが、音源などのオーディオ機能の強みや、CD-ROMドライブ搭載といった観点でFM TOWNSが優位であることを強調。アップルのMacintoshはモノクロモニターであったことやオーディオ機能が弱い点で差別化ができ、32bitで先行していたNECのPC-9801RAシリーズはビジネス用途が中心であり、CD-ROMドライブがオプションであること、AV機能に劣ることなどが指摘されており、FM TOWNSの特異性は際立っていた。

生産面から見るFM TOWNS

 生産の観点からも、FM TOWNSの歴史を追ってみよう。

 最初にFM TOWNSの生産が行なわれたのは、群馬県館林市の富士通館林工場(現富士通館林データセンター)および岩手県一関市の富士通ゼネラル一関工場である。

 当時、コンシューマ向けパソコンの「FM77AVシリーズ」などは富士通ゼネラルで生産。館林工場では、ワープロ専用機「OASYS」や金融機関向けのATM、オフコン「Kシリーズ」、法人向けパソコン「FMRシリーズ」などを生産していた。

 FM TOWNSは、その後の生産拡大などを想定し、館林工場および富士通ゼネラルの2つの拠点で生産することを決定。館林工場では、コンベアを止めずに作業を行なうフリーフローラインで、FM TOWNSの生産が行なわれることになった。当初は、館林工場の体育館を利用して生産を開始したというエピソードも残っている。

 1990年10月には、富士通グループ初のPC専門工場となる島根富士通が操業したのにあわせて、同工場にFMTOWNSの生産を統合、移管することを決定。FMRシリーズとともに、FM TOWNSの生産が開始された。

島根富士通でのFM TOWNSの生産ライン

 島根富士通で最初に生産したのは、第3世代となるFM TOWNS(開発コードネームはLISBON)で、島根富士通での生産を通じて、低価格化を実現。さらに、1991年11月に発表したFM TOWNS IIでは従来筐体モデルのCXに加えて、モニター一体型のUXも生産。さらに、「白TOWNS」と呼ばれた筐体を白くした横型デザインのMXやMAなども島根富士通で生産した。

 FM TOWNSの生産ラインでは、CD-ROMドライブを搭載したこれまでにない設計ということもあり、いくつかの工夫が凝らされた。

 初期の縦型デザインでは、本体下部にオーディオボードを配置し、それに対して、垂直方向にメインボードを配置するという設計を採用。専用インターフェースを採用し、現在のようにフレキシブルケーブルはないため、ケーブルも太く、コネクタも大きなものだったという。だが、筐体サイズには余裕があったため、構造的には組み立てやすいものになっていた。

 工夫の1つが、オーディオ機能への対応だ。

 初めてPCに搭載されたCD-ROMドライブの検査や、スピーカー、マイク、ヘッドフォンなどの各種オーディオ機能の試験のために、専用の検査機を工場で独自に開発。検査工程では、波形を見て計測するというそれまでにはなかった検査方法も採用したという。これらのマルチメディア関連の検査も新たな挑戦の1つであり、検査機の開発や検査の実施では苦労したようだ。

島根富士通のFM TOWNSの試験ラインの様子

 だが、当時の島根富士通は、PCの生産を開始したばかりであり、現場では、FM TOWNSの生産を、特殊なケースというようには捉えなかったようだ。それまでの経験値が蓄積されていないという状況は、裏を返せば、操業当初からマルチメディアパソコンの生産を標準仕様と捉え、高度な生産および検査体制を構築することにつながったともいえる。

 島根富士通では、1990年10月から、1995年2月までの間に、7機種のFM TOWNSを生産。ここでの累計生産台数は17万5,000台に達した。

FM TOWNS
島根富士通におけるFM TOWNSの生産台数推移

 その後、島根富士通では、1993年10月から生産を開始したFMVシリーズの生産が急拡大したのに合わせて、1994年には生産能力を倍増したが、それでも対応が追いつかなくなったため、FM TOWNSの生産は、1995年2月に、同製品向けブラウン管モニターを生産していた富士通ゼネラル一関工場に再び移管。1995年6月には、残りのデスクトップPCの生産をすべて福島県伊達市の富士通アイソテックに移管し、ノートPCの専門工場として、生産台数を拡大することになった。ちなみに、2021年5月からは、富士通アイソテックのデスクトップPCの生産を島根富士通に再び移管。現在、FujitsuブランドのPCの国内生産は島根富士通に一本化されている。

FM TOWNSのプロモーションに一役買った電脳遊園地

 一方、FM TOWNSのプロモーション施策として触れないわけにいかないのが、1989年3月10日~12日の3日間に渡って、東京・後楽園の東京ドームで開催された「電脳遊園地IN東京ドーム」である。

電脳遊園地の会場ではTOWNSタワーを用意し、合計で400台が展示された

 FM TOWNSの発表から10日後というタイミングで開催となった電脳遊園地は、約400台のFM TOWNSを展示。ソフトメーカーや周辺機器メーカーなど270社が出展して、富士通パソコン向けに開発された約600種類のアプリケーションをデモストレーション。ステージには、人気タレントが毎日日替わりで登場して、大きな盛り上がりをみせた。

東京ドームで開催された「電脳遊園地IN東京ドーム」は18万人が来場した
FM TOWNSならではのソフトウェアを展示

 イベント開催にかけた費用は22億円という異例の規模に達し、会期中には当初計画の15万人を上回る18万人が来場。東京ドームを使用したパソコンメーカー1社によるイベント開催は、いまだに富士通だけだ。

 実は、電脳遊園地は、もともとはFM TOWNSを主役に据えて企画されたイベントではなかった。

1988年11月に開催が予定されていた際の幻の「電脳遊園地」のパンフレット。当然、発表前のFM TOWNSの文字はない

 当初、電脳遊園地の開催が予定されていたのは、FM TOWNSが正式に発表される前の1988年11月18日~22日であり、企業が東京ドームでイベントを開催する第1号になるはずだった。

 しかし、1988年9月から昭和天皇の病状悪化が明らかになり、日本各地で自粛の動きが拡大。電脳遊園地の開催は一度見送られたのだ。その結果、企業によるイベント開催は、東京ガスに次いで2番目となったものの、電脳遊園地は、FM TOWNSの発売に連動した形で、お披露目の場としてのイベント開催となり、新製品の販売に弾みをつけることになった。

 そして、FM TOWNSの発売時には、電脳遊園地以外にも、多くの発売プロモーションが行なわれた。FM TOWNSの取扱店舗は全国3,000店舗以上となり、東京・秋葉原や、名古屋・大須、大阪・日本橋の三大電気街のPCショップや量販店には、約300台のFM TOWNSが展示され、店頭に用意された南野陽子さんを起用したFM TOWNSのカタログはわずか1日でなくなり、専用問い合わせ窓口である「TOWNSインフォメーションセンター」には電話が集中したことから急遽回線数を増強するというほどの注目ぶりとなった。当時の富士通の発表によると、発売2日間で1,000台の受注を獲得するという出足の良さもみせつけた。

FM TOWNSには人気キャラクターを相次ぎ起用。販促用のテレホンカードも作られた。左から南野陽子さん、宮沢りえさん、観月ありささん
FM TOWNSのカタログの表紙

 また、東京・大阪・名古屋の3カ所に設置したFM TOWNSプラザや、全国43カ所の富士通プラザにおいて、FM TOWNSの発売にあわせた各種イベントを開催。100万人のタッチ&トライを目指した全国9都市での巡回キャラバンや、3万台に限定した特別価格での発売記念セール、予約者を対象にしたオリジナルジャンパーのプレゼント、20人をニューヨークに招待するオープン懸賞なども実施した。

全国各地でFM TOWNSによるセミナーが開催された

3カ月後に失速したFM TOWNS

 このように鳴り物入りで登場し、出足の良さをみせたFM TOWNSであったが、その勢いは、わずか3カ月後には失速しはじめた。

 富士通の発表によると、発売1カ月間で8,000台のFM TOWNSを生産し、4月25日には1万9,000台の累計出荷を達成したが、5月末時点での累計出荷は2万1,000台となり、逆算すると5月の出荷台数はわずか3,000台へと縮小してしまったのだ。

 原因となったのはソフトウェアの品揃えの少なさだった。正式発表前から、ソフトウェアメーカーに対して試作機を提供したり、情報を開示したりすることで、FM TOWNS用CD-ROMソフトウェアのラインアップには力を入れてきた。その成果もあり、発売時には27種類を用意。5月時点では52種類に拡大することに成功したが、この時点で、NECのPC-9800シリーズ対応の32bit向けアプリケーションはすでに100本以上に到達。これに、既存のPC-9800シリーズ向けに開発されたアプリケーションが稼働することを考えると、その差は歴然であった。FM TOWNSにはリッチコンテンツを利用したアプリケーションが多かったものの、質よりも量で勝るPC-9800シリーズが、32bit時代でも先行し、それがFM TOWNSの失速につながったというわけだ。

 FM TOWNS対応ソフトウェアは、1989年12月には125種類にまで拡大し、1990年11月には305本のソフトウェアを揃えたが、「フロッピーディスクのゲーム開発と比べて、CD-ROM版の開発は期間で1.5倍、コストで2倍かかる」という状況が品揃えの遅れにつながったといっていい。

 当時の富士通の関係者は、「ハードウェアを先行させ、ソフトウェアの充実を待とうと考えたが、市場はそれを待ってくれなかった」と反省する。

 また、別売りになっていたモニターおよびキーボードを組み合わせたシステム価格は50万円前後となり、コンシューマ向けPCとしては高価であったことも響いた。

 富士通が掲げた初年度の出荷目標は10万台。それに対して出荷実績は7万台。10万台に到達したのはそれから9カ月遅れの1990年12月だった。

 その後、富士通では、FM TOWNSの販売拡大に向けて、教育分野向けに積極的に展開したり、システムルートを通じて企業の接客端末などに活用したり、ビジネスシーンで活用したりといった提案を推進。10型モニター一体型モデルの投入や、横置型モデルへのデザイン変更、家庭のTVに接続して使える「FM TOWNS MARTY」や、富士通テンを通じた車載向け「CAR MARTY」を発売。

TVに接続して使える「FM TOWNS MARTY」
マーティーのキャラクターである「Mr. T」

 1995年11月には、Windows 95とTOWNS OSの2つを搭載し、FMVシリーズとFM TOWNSシリーズのソフトウェアを利用できる「FMV-TOWNS」を発売した。この時点での累計出荷台数は50万台となったが、出荷台数は徐々に縮小しており、1997年6月に発売した融合製品の「FMV-TOWNSモデルH20」を最後に FM TOWNSの歴史は幕を閉じた。

FMVシリーズとFM TOWNSシリーズのソフトウェアを利用できる「FMV-TOWNS」

それでもエポックメイキングだったFM TOWNS

 FM TOWNSが、マルチメディアPCの世界を一気に引き寄せる役割を果たしたのは明らかだ。

 そして、富士通パソコンの歴史においても、エポックメイキングな製品と位置づけられている。ただ、振り返ってみると、積極的な販促投資などを含めて、バブル景気の中で生まれ、バブル崩壊とともに終焉していった製品であったともいえる。

 その一方で、テクノロジーやモノづくり力の伝承だけでなく、いまも続く世界最軽量PCなどの新たな分野への挑戦は、FM TOWNS時代からのDNAとして受け継がれているともいえよう。

 FM TOWNSというPCそのものが、市場全体に与えた影響は大きく、富士通パソコン事業の挑戦を象徴する存在の1つであったことは間違いないだろう。