山田祥平のRe:config.sys

さらば専用機、だから汎用機

 PCは汎用デバイスだ。ソフトウェアと周辺機器次第で何でもできる。だからこそ、多くの役割を兼ね備える汎用、というよりも万能機としてビジネスの現場はもちろん、家庭にも受け入れられた。その状況は今なお続いている。今回は、汎用と専用について考えてみた。

役割を失う専用機

 PCの登場以降、さまざまな専用機器が、その役割を奪われてきた。専用機に見えていても、中味は一般的なPCだという場合も多々ある。きっと、ハードはもちろん、開発コストの関係も大きいのだろう。

 今、身の回りを見渡したときに、かろうじて汎用機と共存している専用機としては、カメラ、ビデオレコーダー、電卓、時計などが挙げられる。これらのデバイスは、それぞれの役割に特化した外観と使い勝手を持つことで、かろうじて生きながらえている。人によってはカーナビやオーディオプレーヤーも専用機に限るとするかもしれない。デジタルでできることが、ほとんどすべて汎用機に集約されていくのは、汎用モーターが掃除機になったり、エアコンになったり、冷蔵庫になったりしないのとは対照的な現象であるともいえる。個人的には専用の電子書籍リーダーもなくなると思っている。

 PCは、電卓にもなれば、TVにもなり、録画も再生もでき、CDやDVD、BDなどの再生も可能だ。さらには電話としても使えるし、FAXとしても機能する。

 ちょっとした誤算は、いわゆるスマホが急激に浸透しすぎて、本当ならPCが担うはずだった一部の機能をスマホに持って行かれてしまったところだろうか。もちろん、ある意味で、スマホも立派なPCなので汎用機であることには違いない。こうして、PCとスマホは、結果的に多くの機器の役割を奪い、それらを絶滅させてしまったし、これからもそうだろう。

 スマホは最初からモバイルデバイスとして誕生した。PCを小さくしようとしたわけではなく、むしろ、電話を多機能化したものだといえる。進化の起源が違うのだ。だから、丸1日バッテリだけで使われることを想定した作りになっている。そして、そのことによって、本当だったら人々がまちまちに持ち歩いているはずの、さまざまなデバイスをスマホ1台に集約することができてきた。結果、人々は本来持ち歩かなかったであろうものまでスマホに頼るようになる。携帯電話にカメラがつかなかったら、これほど多くの写真が撮られる時代はこなかったに違いない。かつて、人々にはカメラを日常的に持ち歩く習慣などなかったからだ。そして、誰がほとんどすべての人がGPSを身につける時代を想像しただろうか。

PCが大きなスマホになろうとしている

 今、PCは、ようやく丸1日のバッテリ駆動が現実的になってきている段階だ。機種によっては下手なスマホよりもバッテリが長持ちするものもある。大容量のバッテリを搭載すれば駆動時間は長くなるが、その分重くなってしまう。その損益分岐点のようなものと戦いながら、今のPCは、この先の未来を模索しているところだ。Intelの新しいプラットフォームでは、プロセッサのアイドル時の消費電力が大幅に削減されるという。そうなれば、さらにバッテリ駆動時間は延びるだろう。あと一息だ。

 まるで、スマホのように、PCが丸1日バッテリで駆動でき、ずっと稼働し続けることができるとしたら、ぼくらはPCに何を求めるようになるのだろうか。

 やはり、スマホと同じことはできてほしいと思う。例えば、メールの着信を知らせ、TwitterのDMやFacebookのメッセージを着信し、Skypeのインスタントメッセージ、音声通話の着信を知らせるといったところだろうか。

 ところが、これらのことがカバンの中のPCにできたとして、本当に便利なのかというとちょっと微妙だ。着信があるたびに、PCをカバンから取り出したりするだろうか。ポケットの中のスマホにも同時に通知されるのなら、ポケットからスマホを取り出して対応した方が手っ取り早い。

 いずれにしても、大事なことは、携行しているすべてのデバイスに、同じ情報が同時に通知されることであって、その時に使いやすいと思うものを開いて使うのだから問題はない。それが連携というものだ。

 今、LINEが人気を集めているようで、多くのユーザーがこのコミュケーションツールに夢中なようだが、個人的にはあまりピンとこない。というのも、LINEは1台のモバイルデバイスを専用に使うということしか想定していないからだ。PCだけは特別で多重ログインができるようだがそれは例外のようだ。

 スマホでLINEアカウントにログインし、もう1台のタブレットでログインしようとすると携帯電話番号による認証が求められはするものの、とりあえず、使い始めることはできる。ところが、スマホに戻ると、別の端末からログインしたため情報はすべて削除されてしまう旨のメッセージが表示されてご破算だ。端末を移動するにはSMSを使った認証からやり直しだ。

 つまり、複数台のデバイスでメッセージを同時に待ち受けることはできないということだ。これは、いわゆるキャリアメールと同じだ。キャリアメールは電話番号と紐付けられ、その電話番号を持つ端末だけで受信できる。ぼくの考えが古いのかもしれないが、個人的には不便で仕方がない。だからキャリアメールはよほどの理由がなければ使わない。

 理想を言えば、持っているすべての端末に、ワンナンバーで音声電話も着信して欲しいくらいなのだが、日本の事業者のサービスは高額なので、その都度転送設定することで対処している。

 そんなわけで、LINEに関しては、ちょっと使っただけで、さっさとアンインストールしてしまった。マルチデバイスを想定しないコミュニケーションツールは志が低いという判断だ。

 でも、世の中的にはそうでもないようで、着々とユーザー数を増やしているこのネットワークに、ちょっとした不思議さを感じている。

 Windows Live Messengerを常用していた時、サインインできる端末数に上限があったようで、おそらくは8台を超えてサインインしようとすると、端末が多すぎる旨のメッセージが表示され、どれかの端末は強制サインアウトさせられた。Skypeになって、このメッセージが表示されなくなったのはいいが、サインインしたままでいたはずの端末で、いつのまにかサインアウトしてアプリの常駐が解除されているなど、不可思議なことが起こっている。サインインしたままでいられる時間についての制限があるのだろうか。いろいろ調べても分からない。

 それでも、PCを含め、携行しているすべての端末に通知やメッセージが同時に届くのは便利だ。メールの送受信もそれが当たり前だ。そして、どの端末でも返事ができ、メッセージ履歴も残る。Facebookメッセンジャーでも、TwitterのDMでも同様だ。これが当たり前だと思う。それができないのでは、自宅に戻らないとメッセージの確認ができなかった大昔の留守番電話みたいだ。

できることはすべてで同じ

 極端な話、人は、専用機に頼らなくなったことによって、複数台の汎用機に、それぞれ別の役割を求めるようになってきているのではないか。その方が分かりやすいという感覚もありそうだ。

 でもぼくは、機能を固定して汎用機を使いたくはない。汎用機をTPOに応じて任意の専用機に七変化させたい。複数台の汎用機は、できる限り、相似であってほしいと願う。OSが違っていてもいい、ハードウェアはそれぞれの特徴があるべきだ。でも、できることは基本的に相似であってほしい。だからこそ、メールやメッセージは全端末に同時に届き、その時に使いたい端末で返信したい。

 それができてこその汎用機だ。その時々に応じて柔軟に役割を変えられる汎用機がいい。だからこそ、あるところには目をつぶらなければならないにしても、融通のきかない専用機よりも重宝しているのだから。

(山田 祥平)