山田祥平のRe:config.sys

PCが使えないと何が困るのか

 スマホでしかできないことが増えている。それは事実だ。いや、本人確認のプロセスなど、スマホがないとPCすらまともに使えなかったりもする。その結果、PCは普通の生活において特に必要ではないという論調も一般的になってきた。

パーソナルコンピュータはホームコンピュータに

 悪いことは言わないからPCには日頃から慣れ親しんでおいた方がいい。MacだってWindowsだって、何ならLinuxだってChromebookだってかまわない。ちゃんとした大きな画面を持ち、必要ならさらに画面を追加でき、操作のためのポインティングデバイスとキーボードを持つデバイスだ。

 一般にそういうデバイスはノートPCと呼ばれている。普通の人にとっては「PC=ノートPC」になってしまっていると言ってもいいかもしれない。本当はデスクトップPCと外付けモニターの組み合わせの方が、トータルでのコストは安上がりになるだろう。でも、日本の住宅事情では、据置PCを出したままにしておくスペースの確保が難しいことも多い。

 だからこそ、とにかくノートPCをすぐに使える状態にキープしておこう。何だってスマホだけでできると思わないことだ。この際、一人一台なんて言わない。緊急事態だ。一家に一台でいい。

 できる、できないの話であれば、スマホ1台で何だってできるだろう。長文執筆、スプレッドシートでの集計作業、Webでの情報収集、プレゼンテーションスライドの作成、写真の整理にメールの読み書きと、一通りのことは何でもこなせる。AIが浸透したらできることはもっと増える。PCと何も違わない。

 この四半世紀くらいの間、PCの浸透とともに一般化したデジタル作業の多くは、スマホでもできるようになったし、もしかしたらスマホの方があらゆる点で親しみやすいと思うユーザー層の方が多くなってきているかもしれない。

スマホだけにこだわるとソンをする

 なぜPCを使えた方がいいのか。それは、同じことを同じようにやるのなら、スマホよりもPCの方が効率的だからだ。タイパもいい。

 今や、単一のアプリとだけ格闘して何かをつくり上げるという作業はそんなに多くはない。長い物語を延々と書き続けているだけのように見える作家だって、使うアプリがワープロだけということはありえない。多くの資料を参照しつつ、ストーリーのアウトラインをまとめ、それを小説という織物に仕立て上げていく。最終的にはスプレッドシートで取材費をまとめたりもするだろう。それはビジネスマンが取引先にとって魅力的に感じてもらえる企画をプレゼンスライドにまとめる作業と何も違わない。

 こうした作業は、作業のためのスペースが広い方がやりやすいし、要する時間もかからない。そのほうがコンテンツの質も高まるに違いない。

 それは別にPCである必要はなくて、スマホにキーボードやマウス、外付けモニターをつなげばいいんじゃないかと思うかもしれない。実際、ここ10年くらいの間でプレスイベント会場でも、iPadに外付けキーボードを接続したようなセットを使ってメモを取る記者をすごくたくさん見かけるようになってきている。中にはメモを取るのにスマホのみで文字入力して済ませる強者もいる。端で見ているとかなり高速な入力で感心してしまう。だが、誰もがその次元まで達することができるわけではない。

 PCはどうか。誰もがちょっとした努力で相応の高みに達することができる。すのこのように最初から1段高いのだ。ノウハウの会得のために血と汗にまみれるような努力は必要ない。そうだったのは過去の話だ。

 スマホのようなモバイルOSで複数の異なるアプリをとっかえひっかえするのは大変だが、PCならそうでもない。一般的なモバイルデバイスよりは画面が大きいので、異なるアプリを並べてもある程度は確保できるし、それこそ、作業領域が足りなければ画面を追加すればいい。それが簡単にできるのがmacOSやWindowsなどのOSの強みだ。

PCを捨てるとニッポンが生き残れなくなる

 このまま日本全体のデジタル体験がモバイルデバイスに収束していくと、同様のことをPCとスマホ、どちらでもやれる環境、そしてどちらでやるにも抵抗を感じないように暮らしている環境にある他国との差は開いてしまうことになるだろう。いわゆる国としての力はこういうところから開いていくように思う。

 日々の暮らしの中で、当たり前のようにスマホとPCを使い分ける国で暮らす人々と、スマホだけですべてをまかなうことを当たり前にしてしまった国の人々では、最終的に得られるものが違うように思うのだ。

 いろんな意味で批判もたくさんあったとは思うが、GIGAスクール構想は学校という場のICT環境を整備し、子どもたちがITデバイスに親近感を持てるように推進し、教員のITリテラシーを高める方向に働いた。それが学校だけではなく、家庭でのITデバイス利用にも何らかの影響をもたらしてくれることを願いたい。

 たぶん、スマホが使えればPCはすぐに使えるだろうし、PCが使えればスマホもすぐに使える。その行ったり来たりに抵抗を感じないようになってほしいということなのだ。でないと、あとで自分が苦労することになる。今後もこのことは厭われることを覚悟の上でも言い続けていきたい。

 この記事を読んでくださっている読者の方の多くは、PCを使うことに何の抵抗もないはずだ。だとしたら家族を含め、身の回りのスマホ一辺倒な人たちに、分かってもらえるようにPCの価値感を伝えてほしい。

モニタはPCの潜在能力を底上げするデバイスの1つ

 先日、ASUSのモニター製品の秋・冬モデル内覧会をのぞいてきた。新製品の多彩さに驚いたが、中でも「ZenScreen Fold OLED MQ17QH」はすごいと思った。

 USB Type-Cポートを2つとMini HDMIポートを1つ持つモバイルモニターなのだが、スクリーンがAMOLEDで2つに折り畳めるFoldフォームファクタで、開くと17型相当の2,560×1,920ドットスクリーン(縦横比4:3)が出現する。キックスタンドを装備し、縦にも横にも自立する。重量は1.7kgだ。

 価格は未定だそうだが、30万円程度に落ち着くことになるらしい。ちょっとわくわくする製品だが、ローコストで高い投資効果が得られるのが外付けモニターだ。それを考えるとさすがに30万円を出すのはためらう。折り畳めない17型液晶のモバイルモニターなら2万円前後で買えることを考えると……。

 その一方で、横に並んでいた「VU249CFE」は、一般的なIPS液晶のフルHDモニターで、HDMIポートのほか、USB Type-Cポートを1つ装備し、USB PD(15W)とDisplayPort Alt Modeに対応する。15Wの電力供給では接続したノートPCのバッテリを消費せず駆動するのは難しそうで、ここが仕様的に残念なのだが、実売予想価格は2万1,420円前後とのことで、結構がんばっているように感じた。ノートPCの拡張にはちょうどよさそうで、部屋のインテリアを邪魔しないカラバリに魅力も感じる。

 モニターのみならず、こうした周辺デバイスがいろいろとあって、PCを取り巻く環境はとにかく便利で効率的なものに、容易に拡張できる。いろんな意味でPCは恵まれた環境にいるのだ。だからこそ、それを生かしてほしい。

 PCが使えないと何が困るのか。モバイルデバイスだけであらゆる作業をこなすには高度なスキルが必要だし、スキルがなければ生産性が落ちるのが目に見えている。それで失うものは大きい。きっと困る。