福田昭のセミコン業界最前線

ルネサス モバイルの挑戦と挫折

 ルネサス エレクトロニクス(以下は「ルネサス」)と子会社のルネサス モバイルは2013年3月12日、「モバイル事業の方向性の見直しに関する検討の開始について」と題したリリースを報道機関向けに発表した。リリースはこのように記している。

 「ルネサスは、RMCおよびその子会社(以下、RMC)のモバイル事業について、事業の売却その他を含むさまざまな選択肢を検討していくことを決定いたしました」。

 ルネサスに限ったことではないが、報道機関向けのリリースはたいがい抽象的であり、分かりやすいとは言い難い。粗く解説すると「RMC」とはルネサス モバイル(Renesas Mobile Corp.)のことであり、「モバイル事業」とはスマーフォン(およびメディアタブレット、フィーチャーフォン)向けのSoC(System on a Chip)開発事業を指す。この事業を、世界中の人員や設備などを含めて売却する方針を固めたということだ。

 ルネサス モバイルはスマートフォン向けのほかに、カーナビゲーションシステム向けのSoC開発と一部の産業機器向けのSoC開発を手掛けている。これらのSoC開発事業は売却の検討対象とはしていない。モバイル事業の売却とタイミングを合わせて、親会社のルネサス エレクトロニクスに吸収されるとみられる。

世界最大の携帯電話メーカーからの大型買収が始まり

 ルネサス モバイルの発端は、2010年7月に遡る。世界最大の携帯電話端末メーカー(当時)であるフィンランドのノキア(Nokia)から、携帯電話端末向けのベースバンドプロセッサ(モデム)開発部門を買収することで同社とルネサス エレクトロニクスが合意した。合意内容は開発部門の買収にとどまらない。次世代のスマートフォン向け半導体(具体的にはLTEモデム内蔵のSoC)を両社で共同開発することが含まれていた。携帯電話端末で世界市場シェアトップのノキアと提携することは、ルネサスにとってビジネスチャンスの大きな拡大を意味した。

 ルネサスは2010年以前に、NTTドコモおよび国内の携帯電話端末メーカーと協業することで国内端末向けのベースバンドプロセッサを開発した実績があった。しかし独自に十分な開発リソースを保有していたわけではない。ノキアのモデム開発部門を買収することによって開発リソースを拡充すると、携帯電話端末向けの要素技術をフルカバーする態勢が整う。

ルネサスとノキアの提携内容(2010年7月時点)。モデム開発部門の買収(譲渡)金額は約2億ドル(180億円)
ルネサスがノキアのモデム開発部門を買収する以前の状況。モデムチップ(ベースバンドプロセッサ)は協業によって開発していた
ルネサスがノキアのモデム開発部門を買収したことで期待される結果。ノキアのモデム技術(ソフトウェア技術とハードウェア技術)を吸収することで、携帯電話端末やスマートフォンなどが必要とする基本的なハードウェアとソフトウェアのすべてをルネサスが提供するようになる

 2010年7月6日に発表されたこの大型買収と大型提携は、ルネサス エレクトロニクスが同年4月1日に発足してわずか3カ月という時期であり、国内ではかなり高く評価されるとともに「ルネサスは良い方向に変わりつつある」との印象を与えた。

2010年の大きな期待

 繰り返し述べたように、ノキアは2010年7月時点では、携帯電話端末とスマートフォンでは世界最大のベンダーとみなされていた。市場調査会社IDCのデータによると、2009年における台数ベースのシェアでノキアは、携帯電話端末(フィーチャーフォンとスマートフォンの合計)で38.3%、スマートフォンで38.9%といずれも4割近いシェアを握っていた。

 次世代スマーフォン向けプロセッサをルネサスがノキアと共同開発し、ノキアのスマートフォンに採用されれば、大きな売り上げがルネサスにとって見込める。携帯電話端末向けプラットフォーム事業について2010年9月の時点では、2012年度の通年売上高を2009年度の2倍の2,000億円、2015年度には4倍の4,000億円に拡大するとの積極的な計画をルネサスは示していた。

 その裏付けとなるのが、ノキアの大きな市場シェアと、2012年に共同開発を完了して量産を始める予定のLTEモデム内蔵SoCである。共同開発したSoCがノキアのスマートフォンに採用されることで、「モバイル事業」が一気に花開くはずだった。

2009年における携帯電話端末のブランド別シェア(台数ベース)
2009年におけるスマートフォンのブランド別シェア(台数ベース)
ルネサスの携帯電話端末市場への取り組み(2010年9月時点)
LTEモデム製品の開発ロードマップ(2010年9月時点)

 2010年10月には、ノキアのモデム開発部門を中核に子会社ルネサス モバイルを設立すること、ルネサス本体のモバイル機器向けマルチメディアSoC事業を分割してルネサス モバイルに組み込むことが発表される。ルネサス本体のモバイル向けマルチメディアSoCはスマートフォン向けSoCと技術的に共通な部分が少なくないことや、将来はスマートフォン以外のモバイル機器や車載情報機器などがLTEモデムを内蔵するようになることが見込まれていた。このため将来を見据えて、ルネサス モバイルにモバイル向けのSoC設計/開発部門を統合した。

 そして2010年12月1日に、新会社ルネサス モバイルが営業を開始する。従業員数は約1,800名。その中で半分を超える約1,100名がノキアからの転籍だった。ノキアのベースバンド開発部門は、フィンランドやインド、英国、デンマークなどに開発拠点を構えていた。ルネサス モバイルは世界の各地域に開発拠点を構える、多国籍企業として出発した。

2012年の厳しい現実

 ノキア向けを手掛かりに、海外のスマートフォンやメディアタブレットなどに向けたビジネスを拡大する。この新規事業には大きな期待がかけられたが、2011年には早くも、暗雲が漂い始める。ノキアが携帯電話端末とスマートフォンのシェアを低下させていったからだ。特に、LTEモデムの主力用途であるスマートフォン市場でシェアを急速に落としていったことは、ルネサスにとって予想外だった。

 市場調査会社IDCの発表データによると、2010年末にノキアの携帯電話端末シェアは四半期ベースで30%に低下していた。出荷台数は四半期ベースで1億台~1億2,000万台の水準を維持していたものの、良い兆候ではない。ノキアのシェアはその後も低下し続け、2012年には20%を切るようになった。

 スマートフォンはさらに厳しかった。IDCの調査データによると四半期ベースのシェアは2010年第1四半期時点で40%近くあったのが、1年後の2011年第1四半期時点では25%に下がってしまった。その後もシェアの低下は止まらず、2012年第1四半期の時点では10%にまで下落した。出荷台数(四半期ベース)は2010年第4四半期の時点で2,810万台とピークに達した後は下降の一途をたどり、2012年第2四半期時点では1,020万台にまで落ち込んだ。

携帯電話端末の市場シェア推移(四半期ごと、出荷台数ベース)
携帯電話端末の出荷台数推移(四半期ごと、100万台)
スマートフォンの市場シェア推移(四半期ごと、出荷台数ベース)。2012年第3四半期以降はノキア(Nokia)がトップ5社から脱落したため、データが公表されていない
スマートフォンの出荷台数推移(四半期ごと、100万台)。2012年第3四半期以降はノキア(Nokia)がトップ5社から脱落したため、データが公表されていない

 この間、ルネサス モバイルのスマートフォン向けSoC開発は順調に進んだように見える。しかし、ビジネスは順調ではなかった。最大顧客として想定されたノキアが不調に陥ったことは、大きな誤算だった。かといってほかの有力なスマートフォンベンダーに短期間に食い込むことは至難である。2011年~2012年にルネサス モバイルがモバイル事業で受注できた顧客は、中国Huaweiや米国NVIDIAなどにとどまると見られる。スマートフォン向けプロセッサでルネサス モバイルが確固たる地位を築けているとは、言い難い。

スマートフォン向けアプリケーションプロセッサのベンダー別シェア推移。市場調査会社StrategyAnalyticsの公表データをまとめたもの

2013年3月にルネサス モバイルのCEOが交代

 そしてこの2013年3月には、ルネサス モバイルの最高経営責任者(CEO)が交代した。同社の設立以降、CEOを務めてきた川崎郁也氏が最高戦略責任者(CSO:Chief Strategy Officer)となり、非常勤取締役でルネサス本体のSoC事業本部長を務めていた茶木英明氏がCEOに就任した。この異動に先立つ2月22日に、茶木氏はルネサス本体の執行役員兼SoC事業本部長を退任している。

 2013年3月時点でルネサス モバイルが全世界で抱える従業員の数はおよそ2,000名。その70%以上が日本以外の地域で働く。仮にその数を1,400名とすると、ルネサス モバイルを処分することでルネサスグループは1,400名の人員を削減できることになる。

 ルネサス モバイルの挑戦は、おおよそ2年半で挫折した。技術開発主導のベンチャー企業が成果を出すまでには、短くとも3年~5年はかかる。10年くらいかかることも珍しくない。ルネサス モバイルが一種の社内ベンチャーであることを考えると、2年半で結論を出すのはいささか早いような気がする。一方でルネサスグループが事業再構築を迫られている現状を考慮すると、赤字続きのルネサス モバイルを放置しておくわけにはいかない、とも言える。

 貴重な開発成果がルネサス モバイルには豊富に残されている。同社の開発成果と技術開発力が今後も、有効に活かされる道が開けることを期待したい。

(福田 昭)