元麻布春男の週刊PCホットライン

IntelラトナーCTOに聞くAtom誕生秘話



Intel ジャスティン・ラトナー副社長兼シニア・フェロー

 IDF 2日目の9月14日、Intel CTOのジャスティン・ラトナー副社長兼シニア・フェローにインタビューする機会があった。Intelの研究・開発部門を統括するラトナーCTOには、翌日にIDF最終日の基調講演を行なう多忙なスケジュールをぬって、時間を割いていただいた。スケジュールの関係上、今回の基調講演に関する質問を行なうことはできなかった(本稿執筆時点では、まだ基調講演は行なわれていない)が、かねてより疑問に思っていたことを、いくつか尋ねてみた。

 最初に聞いてみたかったのは、IntelのR&Dの方向性に変化があったのだろうか、ということだ。現在Intelのポール・オッテリーニCEOは、Intelの歴史上初の博士号を持たない、いわば非技術畑の出身である。オッテリーニ体制になって、たとえば研究・開発のフォーカスがより製品に近くなった、といったことはないのだろうか、と思ったわけだ。

 ラトナーCTOは少し苦笑しながら、Intelの研究・開発は常に製品を意識したものである、と答えてくれた。そして、製品化までの時間も、最近変わったということはなく、製品分野に応じて、長かったり短かったりする、ということであった。たとえばSoC関連の研究は、それほど長い時間をかけてはいられないが、設計に4年ほどかけるようなビッグプロセッサ(例:Core iプロセッサ)に関連した研究は、設計開始から2~3年先行していなければならない。7月のResearch@Intel Dayで研究が披露されたResillent Processor(自己修復型プロセッサ:エラーが生じるところまでオーバークロックし、エラーを自己修正することで高性能あるいは低消費電力を実現する)のような技術が実用化されるのは、2015年~2016年頃になるのではないか、ということであった。

 ネットブックや組み込み向けのプロセッサとして注目されるAtomプロセッサも、Intel LabのMicroprocessor Architecture Lab(テキサス州オースチン)で開発された「Snocone」マイクロアーキテクチャが起源だとされる。そもそもSnoconeは、なぜ開発されたのだろうか。組み込み向けプロセッサを作るという目標があったのか、それともマイクロアーキテクチャに関する新しいアイデアが先にあったのだろうか。

 ラトナーCTOによると、2003年頃、IntelアーキテクチャでARMのような低消費電力のプロセッサが作れるだろうか、ということが話題になったらしい。当時の常識では、この問いへの答えはノーであった。命令セットが複雑なx86プロセッサは、デコーダの規模が大きく、Opコード空間も大きいため、基本的にエネルギー効率が悪い、だから作れない、というのが当時の常識だったという。そして、だからこそ常識に挑戦するというのが、研究者にとってのうってつけの研究対象になった、というわけだ。

●Intelを変えたAtomの成功

 18カ月後の2004年半ば、この研究者たちは再び集い、インオーダーのシンプルなマイクロアーキテクチャなら低消費電力のプロセッサが作れるハズ、という結論を出した。この頃、MicrosoftはUMPCを提唱し、IntelはHand Top(後のMID)を提唱するなど、6型クラスの小型ディスプレイを備えたフォームファクタに注目が集まっていたため、市場機会もあるとみて、Snoconeは製品化へ踏み出した。しかし、この時点においてIntelが想定していたAtomの市場規模は、MID向けに年間2~300万個程度、というものだった。

 そこに起こったのが、ネットブック現象だ。9~10型のディスプレイを持った小型のPCがこれほど売れると思った人間は、Intel社内にはいなかった。それが、ネットブックによってAtomには年間数千万個規模の市場が突然に生まれてしまった。

 ラトナーCTOによると、このAtomのヒットは、Intel自身を大きく変えたという。Intelはずっと、より高性能でより高機能なビッグプロセッサ(NehalemやSandy Bridgeなどのメインストリームプロセッサ)を指向していた。ところが突然、シンプル、安価、低消費電力、低性能(ビッグプロセッサに比べ)のプロセッサに全く見えていなかった大きな市場があると気づかされたのだ。外から見ていても、あまりピンとこないかもしれないが、社内的には大きな衝撃であり、初日の基調講演でオッテリーニCEOが述べたIntel自身の変容(Transform)にも、大きな影響を与えたのだという。

 Atomを生み出したのは「低消費電力のプロセッサをIntelアーキテクチャで実現できるか」という命題だったようだが、それを追求するのであれば、x86互換を捨てるというのはどうだろうか。上述したように、x86互換を実現するには、大規模なデコーダや大規模なマイクロコードが必要になる。x86互換性を捨てれば、これらをシンプルにすることが可能だ。

 また、Java、HTML、Flashなどアーキテクチャに依存しないプログラム環境や実行環境が広がりを見せている。クラウドコンピューティングのように、クラウドの向こうでアプリケーションが実行されるのなら、クラウドの向こうにはIAプロセッサが必要かもしれないが、クライアント側は柔軟にアーキテクチャを選択できる。将来的にIntelがx86非互換のプロセッサを作る可能性はないのだろうか。

 どうやら、その答えはノーらしい。Atomはエネルギー効率の良いプロセッサだが、だからといってSandy Bridgeがエネルギー効率の悪いプロセッサであるということにはならない。Atomは1~10Wクラスの消費電力において最も効率的なマイクロアーキテクチャを採用しているのに対し、Sandy Bridgeはそれよりもっと高い消費電力において、高い効率となるようなマイクロアーキテクチャを採用している。もちろん、性能も高い。

 Atom(Snocone)のプロジェクトは、1WのIAプロセッサは作れるのか、という問いに対する答えである。1Wどころか0.5Wでの動作も可能だ。現時点ではアイドルパワーは、ARMコアのプロセッサに比べて高いが、次世代のMedfieldではこれも改善される。つまり消費電力の目標を達成するために、IAを捨てる必然性はない。逆にIA互換であれば、膨大なソフトウェア資産を継承できる。まだまだ、IA互換の上に築かれたソフトウェアの資産価値は高く、未来永劫とはいかなくても、近い将来不要になるとは到底考えられない。そうである以上、IA互換を捨て去る理由はない。

●Larrabeeで学んだソフトウェアの大変さ

 さて、一口にIAといっても、実際には命令セットの拡張や追加で、世代毎に新しくなっている。間もなく登場するSandy Bridgeにも、最新の命令拡張としてAVXが採用されており、浮動小数点演算に特化したアプリケーションの性能を大幅に改善するとされている。こうしたCPUの命令セット拡張の行き着く先には、CPUによるGPUの置き換えがあるのだろうか。それとも、CPUとGPUはどこまで行っても異なるものなのだろうか。

 ラトナーCTOによると、人々はグラフィックス機能の複雑さが、ハードウェアにではなく、ソフトウェアにあることを過小に見ているという。GPUのハードウェアは比較的単純で、その複雑さはソフトウェアにある。このソフトウェアの大変さを、Intelも学んだのだという。

 IntelはLarrabeeでCPUの命令を拡張してグラフィックス処理を行なおうとしたが、それは実験的なものに止まり、その後に出てきたSandy BridgeのAVXもグラフィックス処理用ではない。CPUにグラフィックス処理用の命令セットを統合することは可能だけれど、コアとしてシングルスレッドのピーク性能を追求したCPUコアと、小さく単純なコアに大きなベクタエンジンを搭載したGPUのコアの違いは残るだろう。

 最後に、筆者はUSB 3.0とLight Peakの関係について尋ねた。Ligth Peakのデモに使われているコネクタは、今回のIDFでもUSB 2.0互換のものであった。このコネクタはUSB 3.0と互換性を持たないから、競合することになる。もちろん、このコネクタの仕様は最終ではないのだが、どうしても気になってしまう。ひょっとして、社内的に銅線派(USB 3.0)と光派(Light Peak)の対立でもあるのだろうか。もちろんLight Peakは、ラトナーCTO率いるIntel LabsのSilicon Photonics Labの研究を元にしたものだ。

 この問いに対して、そのような競合はあり得ないとの答えが返ってきた。USBの開発は事業部で行なわれており、そのロードマップに対してLight Peakが関与することはない。最大の違いは、USB 3.0がシングルプロトコル(USB専用)であるのに対し、Light PeakはUSB、Display Port、PCIなど上位にさまざまなプロトコルを配することが可能になっているということだ。Light Peakの製品化に際しては、専用のコネクタが定められ、USBとは併存していくであろうとのことであった。