ニュース

スパコン富岳で「まるごと空力シミュレーション」。スキージャンプ競技力向上に活用

スーパーコンピュータ「富岳」

 理化学研究所に設置されているスーパーコンピュータ「富岳」を活用したスキージャンプの空力シミュレーションに関する研究成果が発表された。

 北翔大学神戸大学の共同研究グループが実施したもので、空気力学的な観点からの研究により、スキージャンプ競技における日本の国際競技力の向上を目指す狙いがあると位置づけている。研究成果は、選手や指導者にフィードバックされており、既に競技力向上のための資料として指導現場で活用されているという。

 説明会では、スキージャンプにおいて、北京冬季オリンピックでの金メダル獲得が期待される小林陵侑選手と、他のジャンパーのジャンプを比較。小林選手は、フライト後半に背面の気流乱れが少ないこと、揚抗比(揚力/抗力)が落ちないことが、飛距離に有利に働いていると分析した。

 NTC(ナショナルトレーニングセンター)競技別強化拠点の医科学スタッフも勤め、この研究に取り組んでいる北翔大学の山本敬三教授は、「空中に飛び出す競技は、モーグルやスノーボード、体操など、技を見せるためのものが多いが、スキージャンプは、飛翔するために空中に飛び出すことになる。時速約90kmで滑降し、踏切や飛行時に選手に作用する空気力が競技成績に大きく影響する。だが、選手の体格や動作には個性があり、空気力は経時的に変化する。踏切から着地までの選手の体格や動きを反映した空力特性をシミュレートするフレームワークの構築の必要性を感じていた」とした。

北翔大学の山本敬三教授

 「スキージャンプの空力解析は、1950年代から始まっており、これまでは風洞実験などによって計測してきたが、それらの多くは単純模型を使用し、フライト時の定常姿勢に限定したものだった。今回の研究では、非定常姿勢での解析、踏切から着地までの一連の動作が対象になる。解析結果は、NTCなどを通じて、選手や指導者にもデータを提供しており、将来的には選手ごとに空力特性を改善する資料として活用したいと考えている」という。

 また、理化学研究所 計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームチームリーダー/神戸大学システム情報学研究科教授の坪倉誠氏は、「助走、踏切、フライト、着地に至るのでの動作を計測し、解析する『まるごと空力シミュレーション』は、今回が世界初となる」とした。

理化学研究所 計算科学研究センター複雑現象統一的解法研究チームチームリーダー/神戸大学システム情報学研究科教授の坪倉誠氏

 スキージャンプ競技において、踏切局面が飛距離成績に重要であることは、選手や指導者、研究者の共通見解となっているが、踏切から着地までの一連動作中における空力特性を分析する技術はこれまでになく、そのため、選手の踏切動作が、その後の飛行局面にどのような空力特性を生み出すかは不明だった。

 共同研究グループでは、実際のスキージャンパーの姿勢変化をモーションキャプチャして、踏切から着地までの一連の動作をまるごと再現した空力シミュレーション技術を開発。これにより、「まるごと空力シミュレーション」を実現したという。この計算手法を用いた研究成果は、2016年にJournal of Biomechanicsに掲載され、論文は日本バイオメカニクス学会で学会賞を受賞している。

スキージャンプ競技と空気力の関係
これまでの空力解析の研究例

 2009年から北翔大学と神戸大学が共同研究を開始。このほど、理化学研究所との共同研究によって、このシミュレーションシステムを富岳に実装し、より高精度で、高速に結果を得ることができたという。

 動作中の空力特性の計算については、ジャンパーの表面形状データを取得し、モーションキャプチャによって表面形状データに関節角変化のデータを付与。3DのCGアニメーションを作成する。そして、理化学研究所が開発した大規模熱流体解析ソフトウェア「CUBE」と富岳を用いて空力シミュレーションを行ない、数値流体解析を行なった。

モーションキャプチャの実施
3D CGアニメーションの作成
大規模熱流体解析ソフトウェア「CUBE」で空力シミュレーション実施

 具体的には、3Dレーザースキャンを使用して、サンプルとなる1人の選手の体格を計測するとともに、ジャンプ場ではGPSによる位置計測飛行軌跡と速度を計測。日本人男子初となるスキージャンプ・ワールドカップ総合優勝者であり、北京冬季オリンピック代表の小林陵侑選手の協力を得て、2020年9月に、札幌市の大倉山ジャンプ競技場において、小林選手が慣性センサー式のモーションキャプチャを装着して、実際にジャンプを行ない、一連の動作全般を計測し、それらのデータを2022年1月下旬に富岳で分析した。小林選手とは別に、コンチネンタルカップに参加する水準の選手のデータも取得し、この比較により、小林選手の特徴を導き出ている。

 小林選手は、飛行局面後半で揚力が増加していく傾向があり、初期飛行で短期的に抗力が増加するが、その後、一気に減少に転じるという。また、飛行局面では抗力が抑制されていること、離陸後の揚抗比(揚力/抗力=L/D)の立ち上がりが早いこと、フライト全般を通じて、L/Dの減少が少なく、飛行性能が維持されていることがわかったという。

 「小林選手は、初期飛行段階の姿勢が特徴的であり、身体を伸ばして飛び出している。これは、前から多くの風を受けて、抗力が高くなるため、失速のリスクが高まり、空力的に不利な姿勢といえる。だが、小林選手は、そこから素早くフライト姿勢に移るため、抗力を下げ、揚力を維持できる。フライト姿勢に早く移行するのは小林選手ならではの特徴であり、身体を伸ばしたフライト姿勢だからできるということではない。

 また、フライト局面の後半になると、風が巻きつくように背面を流れ、背面の気流の乱れが少ない。背面側の圧力が小さいため、これが揚力を高めている。さらに、揚抗比(揚力/抗力)が落ちず、迎角が大きくならず、これが飛距離に有利に働いている。

 後半では前傾角度を少しずつ変えながら飛んでいるのではないだろうか。抗力が高まっているのに、揚力が落ちないという結果も出ており、いままでの考え方では通用しないテクニックを持っているジャンパーである」と述べた。

小林陵侑選手の空力シミュレーション
他の選手の空力シミュレーション
小林陵侑選手の揚抗比の遷移

 例えば、トップジャンパーの一人である葛西紀明選手の場合には、身体を持ち上げないスタイルであり、いまはこれが一般化している。小林選手は特徴的な飛翔スタイルといえるが、「選手ごとに体格の違いや、飛び方には個性があり、ゴールデンスタンダードはない。小林選手の飛び方が最もいいというわけではない」とも語った。

小林選手の特徴
初期の姿勢の違い

まるごと空力シミュレーションで富岳を利用するメリットとは?

 今回の「まるごと空力シミュレーション」で、富岳を利用する意義について、坪倉教授は、3つの点から説明した。

 1つ目は、スピードである。

 「この計算は、国立大学が持つスーパーコンピュータでも計算できるが、富岳を使うと一部のリソースだけで計算しても10倍弱程度の加速ができる。それでも、計算結果を出すのに一晩かかるが、将来的には、選手が一度ジャンプをしたあとに、2回目のジャンプまでにシミュレーションを終えて、選手にコーチングしたいと考えている。チューニングをしていけば、富岳ではそこまで加速できる可能性がある」とした。

 2つ目は、精度だ。「これまでの計算に比べて、1オーダー以上、解像度を高めることができる。それによって、選手間の体格の差による違いも見えてくるようになる」という。

 そして3つ目が、多くのシミュレーションを同時に行える点だ。これにより、「多くの飛び方の例をみせながら、選手に対するコーチングができるようになる」と述べた。

 「現在は、モーションキャプチャのスーツを着用してジャンプする必要があるが、カメラで撮影した映像を使って、モデル化する方法を検討しており、これが使えるようになれば、実際に競技の中で利用することもできる」としている。

 また、「まるごと空力シミュレーション」には、理化学研究所が開発した複雑現象統合シミュレーションフレームワーク「CUBE」を利用しているが、坪倉教授は、「人が動いている際に、空気の流れを追いかけるということは、かなりレベルの高いシミュレーションになる。市販のソフトウェアではそれができないが、CUBEであればそれができるようになっている。CUBEは、新型コロナウイルスの飛沫シミュレーションにも使用されているソフトウェアであり、人が歩きながらしゃべっている際の飛沫による感染シミュレーションの結果なども公表している」とした。

フライト局面の後半で迎角が大きくなり、空力的に不利な姿勢に

 坪倉教授は、「選手の身近に科学が寄り添い、縁の下の力持ちとして、サポートしていくことが大切である。富岳の能力によって、できなかったことができるようになる。その成果をスポーツにも活かしたい。ジャンパーが飛べる回数は決まっているが、富岳を使うことで、選手に最適な飛び方を提案できる。

背面の流れの重要性

 将来は、選手ごとにテーラーメイドでコーチングができるようにしたい。日本の選手の記録はまだ伸ばせる。科学が選手をサポートして、能力を引き上げていくといったことに二人三脚で取り組みたい」としたほか、「今回の富岳によるシミュレーションで、小林選手の飛距離が長い理由について、科学的な裏づけが取れた。あとはいい風が吹くことを期待したい。小林選手には、北京オリンピックでは、自信を持って飛んでほしい」と期待を寄せた。