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慶應義塾大、量子コンピュータ研究拠点「IBM Qネットワークハブ」を開設
~国内企業4社も参画、実問題を解く
2018年5月17日 18:56
慶應義塾大学と日本アイ・ビー・エム株式会社(IBM)は17日、慶應義塾大学理工学部に量子コンピュータ研究拠点「IBM Qネットワークハブ」を開設すると発表し、記者会見を行なった。
「IBM Q」は米ニューヨーク州のIBM Thomas J. Watson Research Centerに設置されている、20量子ビットの商用量子コンピュータ。超電導回路で量子ビットを作り、それを集積したかたちの汎用の量子コンピュータだ。ユーザーはクラウド経由でアクセスし、量子アルゴリズムの開発を行なうことができる。
「IBM Q ネットワーク」は、IBMとのコラボレーションに関心を寄せるFortune 500社、学術研究機関、国立研究所など、IBMのクライアントで構成されるグループ。2017年12月に発表され、ユーザーはIBM Qシステムへのアクセスのほか、量子コンピュータ活用を支援する専門知識や技術にクラウド経由でアクセスできる。サービス開始後、これまでに71本の関連論文が発表されている。
なお現在、次世代のIBM Qシステムとして、50量子ビットのプロトタイププロセッサも開発中とのことだ。
今回、慶應義塾大学理工学部は、米IBMの研究部門であるIBM Research、オークリッジ国立研究所、オックスフォード大学、メルボルン大学とともに、世界に5カ所ある「IBM Qネットワークハブ」の1つとなり、実用的な量子アプリケーションの開発を行なう。
同日、発足時のメンバー企業として、JSR株式会社、株式会社三菱UFJ銀行、株式会社みずほフィナンシャルグループ、三菱ケミカル株式会社の4社が参画することも発表された。慶應義塾大学の量子コンピューティング研究と、参加企業の実ニーズを合わせることで、実用的な量子アプリケーション開発を目指す。
量子コンピューティングが得意な分野を探索する
慶應義塾大学 理工学部長の伊藤公平氏は、「PCが普及する以前は、大型計算機がある場所にみんな自然と集まった。IBM Qハブができることで、その頃のように学生、教職員、企業関係者が集まって、ソフトウェア研究を行なえるようになることを嬉しく思う」と語った。
今回の拠点設置で、ハブユーザーにゲート方式の汎用コンピュータが開放され使えるようになること、実際に量子コンピュータが使えることで、日本に新しい国際産学協同のオープンイノベーションの場が作れると述べた。
慶應義塾大学がハブとして選ばれた理由の1つは、伊藤氏が20年にわたってシリコン量子コンピュータの研究を続けてきたことだ。伊藤氏は、「量子コンピュータのソフトウェアの重要性が明らかになってきた」と述べ、量子アーキテクチャや、制御研究などの多様性がIBMに認められ、ハブへの参加が適ったと語った。
量子コンピュータでどのような問題が解けるかは、ある程度はわかっているが、数が少ない。そこで、どこの部分で量子コンピュータが使えるのかを探る。また、企業ユーザーに実際に使ってもらうために、量子コンピューティングを使いやすくするにはどうすれば良いのかなどを探索する。
伊藤氏は、「量子コンピュータは単独ですべての問題を解くものではない。既存のスーパーコンピュータとも組み合わせ、パッケージとして、より多くの問題が解けるようになる」と強調した。2年半~3年後を目処に、どこにどんな量子コンピュータのアドバンテージがあるのかを探っていくという。
IBM Research バイスプレジデントのボブ・スーター(Bob Sutor)氏は、「IBM Qネットワークハブにとっても、今日は歴史的な1日になる」と挨拶。
伊藤氏の話を引き継ぎ、「量子コンピューティングはまったく新しい可能性を切り開く基盤になる。IBM Qは、伊藤氏らのような専門家グループとさまざまなコラボレーションを介して、真の意味で実践的に使えるコンピューティング技術に仕立てている」と述べた。
さらに「IBM Qネットワークはさまざまな組織とのコラボレーションをベースに成り立っている。ハブはそれぞれがセンター・オブ・エクセレンスとしての機能を持っており、自由にテーマを選んで研究を進める。
慶應義塾大学は、そのなかで中心的な役割を果たす。量子アプリケーションをできるだけ早く世の中に出していきたい。慶應義塾大学には、IBM Qネットワークを通じて、ほかの大学や研究機関に先駆けて取り組んでもらっている。ネットワークのユーザーは85,000人を超えている。IBM Qは、オープンに使ってこそ価値があるもので、参加してもらったことに感謝する」と語った。
量子ビット以外の能力を計る指標として、「量子ボリューム」があるが、常に20量子ビットのマシンの構造を改良しており、量子ボリュームで見ると、常に最速最先端のマシンにアクセスできる点も、IBM Qネットワークに加わることの利点だと述べた。なお、50量子ビットのマシンがいつ使えるようになるかについては明言されなかった。
慶應義塾大学 量子コンピューティングセンター長の山本直樹氏は、従来計算機を超越する量子コンピュータのインパクトを紹介。
量子コンピュータは、新規材料探索、実時間金融リスク計測、製造プロセス最適化、機械学習、創薬など多くの適用分野が想定されている。だが、量子コンピュータで、どのような実問題がどの程度高速に解けるのかは、まだあまり研究されていない。
そこで、実際にIBM Qを使うことで、ソフトウェアとハードウェアを一体化した研究を、多様なバックグラウンドを持った人材が、1カ所に集まって行なうことができるセンターを作ったのだと述べた。
量子コンピューティングセンターでは、アルゴリズムコンテストやミーティングなどを通した人材育成や研究促進も行なう。そして、「先端的量子コンピューティング研究によって社会的課題の解決を目指す」と締めくくった。
新材料探索や金融などを対象に
IBM Qネットワークハブの参加メンバー企業は4社。高分子材料をベースとしたJSR株式会社では、材料開発に量子コンピュータを応用し、新素材開発の可能性を探求する。
JSR四日市研究センターセンター長の小宮全氏は、「ミクロからバルクまで、幅広い領域において、どこに量子コンピュータが活かせるのか探索する。また、世界レベルの研究者たちのなかでの技術者の育成を行なう」と述べた。
株式会社三菱UFJ銀行は、量子コンピュータが、資産運用やリスク計算のほか、暗号関連など既存システム全般にも大きな影響を及ぼす可能性が高いと判断。同社の取締役専務執行役員 亀澤宏規氏は、「今回の拠点設置が実用化に近づく一歩だと考え、メンバーに参画した」と述べた。
株式会社みずほフィナンシャルグループ 執行役員の加藤純一氏は、「今日現在、あらゆる場所でコンピューティング技術が使われていることから、量子コンピューティングが大きく生活を変える可能性があると考え、先進的金融サービスの提供を目指す」とした。
三菱ケミカル株式会社 常務執行役員の垣本晶久氏は、「今取り組まないと世界と戦えないと考えて参画した」と述べた。持続可能な社会の実現に貢献する新素材開発、新たな研究手法の確立に挑戦する。次世代の研究者育成の起点としても期待しているという。
最後に、慶應義塾大学の伊藤氏は、学術的な意義としてAI分野への貢献を挙げ、「第3次AIブームは、シリコン技術とアルゴリズム技術の協調があって起きたが、第4次のためには新しいコンピューティング技術を用いて、従来のコンピューティングを破壊していかなければならない。多くの分野の研究者と、AIとの協働が不可欠になる」と会見を締めくくった。
「量子ネイティブ」な新世代人材の育成を目指す
会見後、研究拠点にて、実際にIBM Qを使って量子計算を行なう際のデモンストレーションが実施された。ネットワークハブである慶應義塾大学からは、一般には公開されていない20量子ビットのIBM Qシステムに、クラウド経由でアクセスできる。
IBM Qを動かすには、あまり知識がない人でも使えるように、グラフィカルUIを用いた「Composer」と呼ばれるソフトウェアや、ゲートレベルのアセンブリ言語である「QASM」、回路設計ができる「QISKit」、低レベルからの制御や最適化ができる「OpenPulse」などの複数の方法が提供されている。ユーザーは用途に応じて手法を選ぶことができる。
今回の拠点設置で、今まで実機で試すことができなかったアルゴリズムが、実際に高速化できるのかといったことを実際に試すことが可能になる。
伊藤氏らは、モンテカルロシミュレーションなどを試してみたいと考えているという。最終的には、既存のコンピュータでは計算できない、どの部分が量子コンピュータなら可能になるのかを確認する。
もう1つの目標は、「量子ネイティブ」な新世代の人材を育てることで、伊藤氏らによれば、量子コンピュータを扱うには、0/1の重ね合わせである量子ビットだけではなく、量子ビットの「位相」を利用する、これまでとはまったく異なる演算方式が必要になるという。
そのためには、最初から「量子ネイティブ」な考え方を持ってプログラミングができる人材が必要になる。そのような新たな自由度を活用できる人材を育成していくことが、このセンターの目的とのことだ。