森山和道の「ヒトと機械の境界面」

パラスポーツと楽器演奏に見る高度な認知と身体能力の融合

~東大ヒューマンオーグメンテーション学セミナーレポート

 東京大学大学院情報学環 暦本純一研究室によるヒューマンオーグメンテーション学(ソニー寄付講座)主催セミナー #3「身体能力の拡張」が2018年7月10日に行なわれた。もともとは学生向けのセミナーイベントだが、いまは社会人の参加のほうが多いという。

 人間と一体化して人間の能力を拡張させるテクノロジーを開拓していく「ヒューマンオーグメンテーション(Human Augmentation)」学は、2017年4月よりソニーからの寄付講座として実施されている。身体・存在・知覚・認知の四本柱で研究を進めており、これまでも各テーマでセミナーを開催してきた。とくに今回は身体、なかでもスポーツと音楽にフォーカスをあてた。暦本教授は「どちらも高度な認知能力と身体能力の融合だ」とスポーツと音楽の共通点を紹介した。

東京大学大学院情報学環 教授 暦本純一氏。ソニーコンピュータサイエンス研究所(ソニーCSL) 副所長
これまでのセミナーテーマ
ソニーによる、暦本純一氏と、「サイバースペース」という言葉を創ったSF作家ウィリアム・ギブスン氏の対談

脳は変容した身体に適応する パラアスリートの脳

東京大学大学院 総合文化研究科 生命環境科学系 教授 中澤公孝氏

 最初に、運動生理学、リハビリテーション科学の研究者である東京大学大学院 総合文化研究科 生命環境科学系 教授の中澤公孝氏が「パラリンピックブレイン パラリンピアンの脳にみる身体の再編能力」と題して講演した。中澤氏は国立障害者リハビリテーションセンター研究所で脊髄損傷の方のリハビリに携わったあと、東大に異動後、スポーツサイエンスも手がけて、パラリンピアンの脳機能を調べている。

 中澤氏はパラリンピックのアスリートは「損傷後の脳や身体組織の回復可能性を示す最高のモデル」だと述べた。身体損傷後には必ず脳に代償性変化が起こる。そこにリハビリで介入することで可塑性を引き出し、再編をはかることを「ニューロリハビリテーション」というが、パラアスリートは、ニューロリハビリテーションの最良のモデルだという。

 大脳皮質には身体の運動を司っている運動野と呼ばれている部位がある。パラリンピックアスリートは機能回復しようと思ってトレーニングしているわけではないが、その過程で代償的変化と可塑的変化があいまって、運動野に予想しなかった変化が起こるという。

ニューロリハビリテーション
障害後に脳に起こる代償性変化と可塑性変化

 中澤氏は最初に、走り幅跳び下腿切断クラス世界記録保持者であるMarkus Rehm(マルクス・レーム)選手の動画を見せた。膝から下を交通事故で切断してしまったが、走り幅跳びで健常人を超えてしまって、義足の有利性が議論になった運動選手である。

 彼の脳の働きをfMRIで見て筋肉を動かす運動課題をやってもらうと、義足側のない足首を動かすときにも反応が出た。また義足を操る膝関節まわりの筋肉を動かす部位は左右の両側が共に活発に活動していた。これは非常に珍しいパターンで、予想していなかったという。

fMRIでRehm選手の脳を調べた
両側性の反応が見られた

 膝下義足のほかの人の脳を調べてみても、やはり両側性の反応は出なかった。そのため、Rehm選手の脳の反応は、非常に高度に義足を扱う必要があるトレーニングの結果によるものだと思われた。同様に義足の走り高跳びの山本篤選手の脳を調べてみても、やはり両側性の活動が見られた。ほかに膝上の太腿切断の選手を調べると、やはり股関節を動かすときに両側性の支配が見られた。これは本人の主観的な内省とも一致しており、実際に健常側の動きがすごく大事だと考えているという。今後、さらにデータを蓄積して調べていく予定だ。

義足の走り高跳びの山本篤選手の脳
優れた成績を出すためには義足側と健足側両方の巧みな制御が必要

 次にパラリンピック水泳選手の動画を示した。脳性麻痺で歩行には障害がある方が、水中では健常者とまったく変わらないように見える動きができるという例だ。陸上では反射的に肘が曲がってしまうが、水中で腕を伸ばし大きく動かしてクロールすることができるのである。この方の脳には右半球に大きな損傷がある。だが磁場を使って脳を刺激することができるTMSで刺激実験をすると、損傷周囲の細胞の活性度が健常側の脳に比べてむしろ高いことがわかった。この方の事例は、陸上でもリハビリ次第では腕が伸ばせる可能性があることを示しているという。

広範な脳損傷のため左半身に麻痺がある水泳選手
細胞周囲の活動活性度が高いことが明らかに

 パワーリフティングは、パラリンピックの選手が健常者を上回る唯一の競技だ。中澤氏は予想外のこととして、グリッピングの研究例を示した。一定の握力を20秒出すというタスクをやらせたところ、パラリンピックの選手のほうが安定度が高かったのだという。

 脊髄損傷者は、健常者よりも上肢の力調節能力が高いことがわかった。下肢の機能を喪失した結果、代償的な変化が起こるがそこにトレーニングを行うことで、上肢の能力が高まったのではないかと考えられるという。「残された能力が健常者以上に高まることがある良い例」だと述べた。

パワーリフター
脊髄損傷者のほうが上肢の筋力調整が安定していることが明らかに

 最後に先天的に上肢がない方がアーチェリーを行う例を示した。Matt Stutzman選手は足指を手指のように使うことができ、細かいものを扱ったり、文字を書いたりすることもできる。脳を調べてみると、つま先を動かすときに、健常者では手を動かす領域まで活動していることがわかった。脳が大きく変わることを示しているという。TMSを使って電気生理学的に調べてみても、かなり広い領域が足を動かす領域に変わっていることがわかった。

Stutzman選手の足指操作
手指を操作する部位も足指操作に用いられていることがわかった

 最後に中澤氏は、リハビリにおいてもっとも重要なものはモチベーションであり、スポーツではそれが担保されている点が大きいと指摘した。このような研究は、iPS細胞の臨床応用など今後の再生医療実現後の適応能力の引き出し、リハビリにとっても不可欠だと述べた。なお中澤氏は電気刺激によってモチベーションを直接上げられないかという研究も行なっているそうだ。まだ結果を示せる段階にないという。

ピアニストの脳と演奏の可能性 音楽演奏科学とは

ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチャー 古屋晋一氏

 「音楽演奏科学」を掲げ、ピアニストをはじめとする音楽家の脳を調べることで脳神経系の可塑性と演奏家を支援する研究を行なっているソニーコンピュータサイエンス研究所(SONY CSL)の古屋晋一氏は「医工芸連携による音楽演奏の進化」と題して講演した。

 古屋氏は、「音楽家の能力を拡張することで音楽表現が進化し続ける世の中を実現したい」と考えており、「これまで聞いたことがない音楽によって、もっとコンサートホールに人が来てほしいと考えている」と講演を始めた。

 音楽の世界では良い表現が持続して生まれ続けている。だが日本から3大ピアノコンクールで持続的に優勝者を出せる状況ではない。音楽表現には感性と解釈、機能と技能の4要素があるという。音楽表現を進化させるためには、指を素早く正確に動かせるように熟達する必要がある。まずは制御のための脳を含めた身体が必要ということだ。

 また、ピアニスト独特の障害としてジストニアがよく知られているように、故障を予防することも重要だ。古屋氏のもとには毎週のようにピアニストから相談があるといい、これは「文化を殺す病」だと考えていると述べた。

音楽表現の4要素
故障予防も重要

 音楽家の身体の動かし方についてはあまり研究が行なわれておらず、エビデンスが少ないのが現状だという。古屋氏は表現するためには感性や知識も大切だが、まずは技能や機能が重要であり、それをサポートしたいと考えていると述べた。だが、才能がある人たちのほうがむしろ、とくに若いうちはあまりそういう話は聞いてくれない。実際には、才能ある人のほうが技能が最適でなくても弾けてしまったり繰り返しによる心身への負担が大きくなってしまうため、20代後半になってから相談に来る場合があるそうだ。

音楽表現と身体教育の関係
才能ある人のほうが障害につながる可能性も

 少ないとはいってもこれまでにも奏法の研究は行なわれている。たとえばニコライ・ベルンシュタインはピアニストの打鍵を調べた。彼は1930年代に簡単な腕のモデルを作り、関節加速度やモーメントを調べたところ、ピアニストは重力を使わずに打鍵していると述べた。だが古屋氏はより詳細なモデルを作り、重力を使っていることを示した。

 音楽家の脳や身体に関する研究は「Neuromusic(ニューロミュージック)」と呼ばれており、世界中で行なわれているが、日本ではまだ取り組みが少ないそうだ。演奏技能獲得にはさまざまな要素がある。ある音を出すための体の動き、コーディネーションは無数にある。どれだけ大きな音を出せるかは身体のコーディネーション次第で異なる。簡単にいうと「うまい体の使い方をすると、より大きな音が出る」というわけだ。

Neuromusic研究の現状
演奏家の技能獲得モデル

 だが、頭を使わずに練習していると局所最適解に陥ってしまうと古屋氏は指摘した。単純に練習すればいいというわけでもない。tDCS(transcranial Direct Current Stimulation、経頭蓋直流電気刺激)を使って脳の興奮性を上げると普通の人はちょっとうまくなるそうだが、エキスパートだとそういうふうにはならない。

ただ練習していると局所最適解に落ちてしまうことも
皮質興奮性をただあげればうまくなるわけでもない

 古屋氏は「コーディネーション・スキル・ラーニング(CSL)」と名付けた一連の研究を紹介した。たとえば、優れた演奏家の「超絶技巧」を転写する。具体的には、外骨格ロボットを使ってプロの動きを計測し、それを再生することで、学習者は力覚情報として演奏操作を体験する。ロボットなので、動きは四倍速まで速く再生できる。

コーディネーション・スキル・ラーニング(CSL)
超絶技巧を転写する
外骨格ロボットを使って演奏を追体験させる
演奏速度も可変

 人体の動きは個別の筋肉ではなくむしろ複数筋肉の協調関係で決まる。複雑な筋肉の協調関係を学ぶことが重要だという。また、学習者がミスしたときを精緻に感知できないという問題もあり、それを検知できるように技術でサポートすることで、熟達支援を実現したいと語った。

 それぞれの指の動きは連動しているので、個別の指の動きを速く動かすためには単純な筋力を調べるだけではなく、指同士の結合がどれだけ強いかを調べる必要もある。古屋氏らは、親指の柔軟性を上げることで人差し指が速く動くようになること、人差し指の動きと薬指の独立性が関係していることなどを明らかにした。すなわち、「指の動きはシステムとして考えないといけない」ことが重要だという。

重要なことは筋肉の協調「筋シナジー」
筋肉の協調パターンを調べて可視化する
演奏動作を遅くしてエラーを正確に感知させる研究も
指の速度と解剖学的特徴との関連

 最速でピアノを弾ける人は1秒間に14打鍵できる。彼らは指を下ろす速度ではなく、持ち上げるタイミングが速いことがわかっている。ではそれを強制的に持ち上げるトレーニングをしたらどうか。このタイミングで指を持ち上げないといけないということを強制的に体に覚えさせるという研究も行なっている。

 また練習しないとうまくならないが、多重最適化といって、リズムを変えるといいことがわかっている。古屋氏らはリズムを変えると筋肉の負荷が低下することを明らかにした。とくに演奏に関係しない指がじつは重要で、変わったのは筋肉の協調関係であることがわかったという。

 また、TMSを使って脳に電気刺激を与える研究によって、運動野への抑制が強い人は指の動かす速度が遅いことがわかった。脱抑制できる人ほど高速で弾けることがわかったという。指を動かすためにどういう脳の状態が必要なのかがじょじょに分かりつつある。

多重最適化によるリズム練習
リズム練習によって余計な筋収縮が減る

 演奏には単に速いだけではなく、正確性も必要だ。正確性のためには聴覚が重要だということがわかっているという。聴覚情報を適切に運動情報に変換できる人ほど、より正確に弾けることがわかっており、これは動作を修正し続けることが重要だということを意味している。ちなみに、盲目のピアニストは極めて正確な演奏ができるそうだ。

 いっぽう、緊張すると早口になることは誰もが知っているが、あれは心拍数が上がるからではない。緊張しているときは速度を落とすことができなくなることによって、どんどんテンポが速くなってしまうのだという。正確な演奏のためには聴覚からのフィードバックや適度なブレーキが必要だということだ。

正確な演奏のためには聴覚情報の適切な変換が重要
あがるとブレーキが効かなくなり、どんどん速くなる

 ジストニアについても改めて紹介した。自分の意思とは無関係に指が曲がったまま動かなくなったり、突っ張ったりしてしまうジストニアは音楽家の発症率が高い病気だ。ジストニアの本態は脳の運動皮質の機能異常で、抑制があまり効かなくなることで発症することが示唆されている。脳の可塑性の低下が局所性ジストニアの原因である可能性が高いという。

音楽家のジストニア
大脳運動皮質の機能異常と考えられている

 古屋氏はこれらの研究成果を社会に実装するために、教育現場への実装を試みている。たとえば、高速でピアノを演奏できる人は子供時代にバイオリンの演奏をしていた経験があるといったことがあるそうだ。ピアノ演奏家を目指す人であってもピアノばかりをやる前に、まずは別の楽器練習を積んだほうが、脳のなかに適切なコントローラが訓練されるようなことがあるのかもしれない。

 古屋氏は最後にピアニストの系譜を示した。文化はずっと紡がれているものだ。ジストニアなどの病をなくすことで、文化を紡ぎ続けるとが重要だと指摘した。また、音楽の表現には実際には複数の次元がある。そのあいだをいかに埋めて、粗くしないかも表現力を高める上では重要だと考えているという。

研究の社会実装を目指す
文化が連綿と紡がれていることを示すピアニストの系譜

視点を任意に切り替えたり、跳躍力を拡張するドローンも

東京大学大学院情報学環 特任准教授 味八木崇氏

 今回のセミナーのコーディネーターでもある東京大学大学院情報学環 特任准教授 味八木崇(みやき・たかし)氏は、人体の拡張について、インターフェース研究者の立場から同研究室の取り組みをざっくり紹介した。

 前述のように、ヒューマンオーグメンテーション学は身体・存在・知覚・認知の4つの柱で研究を進めている。知的能力に限定されず、身体能力(健康)の拡張も想定に入れ、人間とネットワークの融合、人間とAI、学習能力の拡張などを目指している。

ソニー寄附講座のヒューマンオーグメンテーション学
それぞれの柱は関連している

 4つの柱はそれぞれ独立しているわけではない。味八木氏は「存在の拡張」として「JackIn Space」を紹介した。一人称視点のカメラから抜け出し、第三者視点や任意視点で自分を観察してスポーツ技能を向上させたり遠隔コミュニケーションに用いるというものだ。技術的には自然に視点から視点への移動ができる点が特徴だ。だがフレームレートが低く、スポーツのほうは難しく、今は遠隔コミュニケーションに用いようとしているという。

 「知覚・認知の拡張」については「BodyCursor」を紹介した。人のボーンを認識して示すことで、CGの自分の動きをする分身をいろんな角度から観察したり、速度変換して見たりすることができる。

BodyCursor

 身体拡張に関する研究は昨年(2017年)から始めた。味八木氏は2件を紹介した。1件目はハッカソンから生まれた電極で筋肉を刺激するボード。ぶるっと武者震いした感覚を引き起こしたりできる。

ハッカソンの様子
跳躍力を拡張するAugmented Jump

 もう1つは「Augmented Jump」。ドローンを用いた跳躍力の拡張を目指したデバイスだ。これについてはプロジェクトマネージャーをつとめた学生の高橋卓巳氏が解説した。7kgの推力があるファンを16個使ったマルチローターのドローンを背中に背負って使うことで、ぴょんぴょんと飛び跳ねるような動きができないかと考えているという。

 おおよそ、20%~25%くらい重力を削減したような感覚が得られるという。これまでに5人程度で実験を行なっており、被験者からは「ちゃんと体についていく」「意外と自分でバランスを保てる」という主観評価があったとのこと。

東京大学大学院情報学環 高橋卓巳氏
Augmented Jump概要
研究の目標
体験者による主観評価

 「SXSW2018」では「Lunavity」という名前で公開され、話題にもなった。いまは低い垂直ジャンプしか飛んでいないので、今後は、より高く、水平方向にも飛んでみたいと考えているとのこと。なお今は諸般の事情で動かなくなっているそうで、今後の展開を期待したい。

 このあと、パネルディスカッションも行なわれたが、そちらは割愛する。

パネルディスカッションの様子