■後藤弘茂のWeekly海外ニュース■
8.9型Kindle Fire HD |
Amazonが新しいKindleファミリを発表した。最大の目玉は、WUXGAパネルを備えた「Kindle Fire HD」の8.9型バージョンだ。従来の7型のKindle Fireより一回り大きく、サイズ的には9.7型のiPadに対抗する。画面解像度は1,920×1,200ドットと、iPad (第3世代)の2,048×1,536ドットには敵わないがフルHD超だ。
Amazonは初代Kindle Fireを199ドルの安値で市場を開いたが、今回の8.9型Kindle Fire HDも299ドル(16GB NANDストレージ)と破壊力のある価格で攻める。LTE版も499ドル(32GB NANDストレージ)から2モデル用意する。LTE通信はサブスクリプションを用意するのではなく、月250MBまでの枠のプランで年額49.99ドル。さらに、7型のKindle Fire HD(1,280×800ドット、16GB)を199ドル、従来のKindle FireはCPUとDRAMを強化して159ドルで投入する。
一言で言えば、Kindle Fireでの成功を踏まえて、Kindle Fire系のラインナップをiPadに対抗できるレンジにまで広げた。従来の低価格路線そのままで。また、HD解像度に上げたことで、Amazonの狙うコンテンツの比重は、これまでの電子書籍から、映像系コンテンツへと傾いたように見える。
Amazonのこうした戦略は、しかし、モバイルSoC(System on a Chip)とモバイルデバイスの大きな潮流の中にある。パネルの高解像度化と、それに合わせたグラフィックス&ビデオプロセッシング機能の強化だ。Appleが先導し、業界全体がそれに引っ張られて進んでおり、その中で、コンテンツも変わりつつある。その背景にあるのは、モバイルSoCの進化だ。
●8.9型Kindle Fire HD を支えるTIの新SoC「OMAP4470」8.9型Kindle Fire HDが搭載するモバイルSoCは、Texas Instrumentsの「OMAP4470」。OMAP4ファミリの最新チップだ。OMAP4ファミリでは、従来の「OMAP4430/4460」が多数のモバイルデバイスに採用されている。初代Kindle Fireも、OMAP4430だ。OMAP4470は、その発展系で、今年(2012年)前半から量産出荷が始まっている。
TIは、ARMの次世代CPUコア「Cortex-A15」ベースのOMAP5を、Cadenceの協力の元に開発してきた。OMAP5はCortex-A15のトップランナになる見込みで、市場に登場すればシングルスレッドパフォーマンスでは、Cortex-A9ベースのSoCを圧倒できる。しかし、28nmでCortex-A15のOMAP5は、現時点では量産には間に合わない。そのため、TIは激化するモバイル市場で戦うための、中継ぎを必要としていた。
OMAP4470は、まさにそのためのSoCだ。従来のOMAP4の機能拡張版で、従来通り45nmプロセスで量産される。TIはOMAP4470を、2011年後半からサンプル出荷しており、量産スタートはOMAP5より6カ月先行するとブログで説明していた。KindleやiPadのような大量出荷製品の場合、SoC側も一定のスペックで膨大な数量が必要で、そのためにはある程度成熟したプロセス技術が必要となる。現時点では、OMAP4470がベストタイミングだったと見られる。
下は従来のOMAP4430/60とOMAP4470のブロックを比較したものだ。共通するのは、Cortex-A9デュアルコアで、TI独自のビデオアクセラレータ「IVA3」とイメージシグナルプロセッサ(ISP)を搭載する点。基本的なI/Oはほとんど同一だ。
OMAP4430/4460ブロックダイヤグラム |
OMAP4470ブロックダイヤグラム |
しかし、設計上の違いもいくつかある。まず、CPUコアは最高1.8GHz動作となった。8.9型Kindle Fire HDに使われているのは1.5GHzのバージョンだ。従来は、OMAP4430が1.2GHzまで、OMAP4460が1.5GHzまでだった。
GPUコアはImagination TechnologiesのPowerVR SGX540から、PowerVR SGX544になった。SGX544系になると、シングルGPUコアでも浮動小数点演算ユニットの数が倍増する。TIのホワイトペーパーでは、従来のOMPA4に対して、OMAP4470ではトライアングルレートが1.4倍、シェーダパフォーマンスが2倍上がると説明している。同周波数時の浮動小数点演算パフォーマンスは2倍だ。
さらに、OMAP4470では、専用の2Dグラフィックスアクセラレータも搭載。グラフィックスサーフィスを統合して表示するためのコンポジションエンジンもハードウェアで搭載した。
TIは、OMAP4470の強化ポイントがグラフィックスにあるとしており、その目的は高解像度のサポートだ。OMAP4470ではQXGA(2,048×1,536ドット)までの解像度への対応が可能となっている。8.9型Kindle Fire HDの1,920×1,200ドットはもちろんサポートの範囲内だ。
●TIの最大の強味は強力なビデオコーデックエンジングラフィックスの強化は、タイリングアーキテクチャであっても、アプリケーションによってはメモリ帯域の強化を必要とする。そのため、TIはOMAP4470でメモリ帯域も引き上げた。
従来のOMAP4は、デュアルチャネル(2x32bits)のLPDDR2メモリインターフェイスを備えているが、OMAP4470ではLPDDR2のサポート転送レートを933Mt/secに引き上げ、最大7.5GB/secのメモリ帯域を実現する。LPDDR2は800Mt/secまでのスペックでスタートしたが、現在はスペックを最大1,066Mt/secで8.5GB/sec(2x32bits時)まで拡張しつつある。LPDDR3が普及するまでのつなぎとなるスペック拡張だ。
低電力メモリのバンド幅ロードマップ ※PDF版はこちら |
さらに、OMAP4470はOMAP4シリーズの最大の強味である、強力なビデオコーデックエンジンIVA3も継承している。IVA3のIVA-HDエンジンは、フルHD(1080P)動画の、エンコードとデコード両方をサポートし、幅広いフォーマットに対応する。TIの独自設計のビデオエンジンで、最大の特徴は、専用ハードウェアロジックと専用プロセッサコアを密接に結合させた点にある。
膨大な種類の動画フォーマットスタンダードをカバーしつつ、フルHDでのコーディングを高画質で実現し、しかも省面積で省電力に抑えるためだ。フルハードワイヤードのソリューションでは、柔軟なフォーマット対応が難しい。しかし、フルプログラマブルでは高パフォーマンスなフルHD動画を、低消費電力かつ省エリアで実現することが難しい。
そのため、TIはハードウェアとソフトウェアを注意深くパーティショニング。「IVA-HD」と呼ぶアクセラレータ群とローパワーの専用DSPを用意した。アクセラレータは最高266MHzで動作する。IVA-HDのアクセラレータ群は非同期に並列に動作させることで、パフォーマンスを稼ぐ。また、外部メモリアクセスを減らす仕組みも備える。
強力なIVA3によって、OMAP4ファミリは低消費電力で高品質かつ広サポートのビデオエンコード/デコードが実現されている。例えば、フルHD解像度のH.264 HP L4.0ストリームのデコードは、わずか65~95mWのレンジで実行できるという。同スペックのエンコード時は100~145mWとなる。
OMAP4430のI/O |
IVA-HDのブロックダイヤグラム |
IVA-HDの概要 |
このほか、ブロック図中にはないが、OMAP4ファミリはメインCPUとコーデックDSP以外に、組み込み向けのARM CPUコアである「Cortex-M3」をデュアルコアで備えている。2個のCortex-M3は、片方がビデオとディスプレイコントロールのためのリアルタイムOS(RTOS)、もう片方がStill IMage COProcessor (SIMCOP)コントロールソフトウェアスタックを走らせる。電力消費の多いメインCPUを走らせることなく、コプロセッサにメディアタスクを行なわせる。
●モバイルSoCの行き先にはTV用SoCとの融合がある?OMAP4470の特長は、Amazonが目指す、高解像度で映像コンテンツも重視し、かつ長バッテリ駆動のデバイスに向いている。また、徹底的に低価格で攻めるAmazonにとって、製造コストが比較的低いと見られることも有利だ。下は、OMAP4430/4460系のダイ(半導体本体)とダイサイズ(半導体本体の面積)だ。OMAP4470もGPUコアを強化したとはいえ、それほどダイは肥大化していないはずで、チップ自体の製造コストはAppleほど高くはないはずだ。
モバイルSoCのダイサイズ移行図 ※PDF版はこちら |
OMAP4のダイ写真 |
こうして見ると、モバイルデバイスは急激に高解像度化が進んでおり、それに合わせてモバイルSoCのグラフィックス機能とメモリ帯域の強化が進んでいることがわかる。Kindle Fire HDとOMAP4470は、その流れにあるデバイスだ。では、この先に何が待っているのか。
解像度に対して、特に3Dグラフィックスでのバランスを取ろうとすると、今後はGPUコアの強化とメモリ帯域の拡張がますます必要となる。メモリ帯域は、Wide I/O 2とLPDDR4がさらに先に控えており、今後も2年置きに新技術が導入されて帯域が倍増して行く。GPUコアも、この先の急発展は必至だ。また、TIが実現しているような、高効率なビデオアクセラレータの開発も競争となっていく。専用アクセラレータの強化は、ダークシリコンを埋めるという、半導体設計上のニーズからも必要となる。
興味深い点は、モバイルSoCの高解像度対応が進んで行くと、その機能がデジタルTV用のチップセットに近づいていくことだ。もちろん、差異は色々とあるが、基本の機能は似通ってくる。そうなると、当然、予想されるのは、モバイルSoCとTV用SoCの統合化だ。モバイルデバイスとデジタルTVが同じチップを載せ、同じOSを走らせ、同じアプリを走らせるといったことが容易になる。Google TVなどの目指すところが、自然にデバイスレベルで実現していくようになる。その時の、覇者がどのメーカーになるのか、まだ見えていない。