ASUS JAPANシンシアの「華華(ふぁふぁ)通信」

日本人社員が私に教えてくれたこと

 ニイーハオ! ASUS JAPANマーケティング兼広報担当のシンシアです。皆さん、又好久不見(久しぶりです)。皆さん元気にしていましたか? 私はぼちぼちやってます。

 日本と違い、台湾では6月は卒業シーズンです。入学や始業は9月で、アメリカと一緒かな? 私も台湾にいた時、6月に高校を卒業して、翌年4月の日本語学校入学を待っている間に、さまざまな体験をしました。機会があれば、その時のこともご紹介したいと思います。

 「卒業」は、中国語では「畢業(ビーイエイ)」と書きます。日本語のニュアンスと同じく、その言葉には期待も不安も詰まっています。

 実は、私の大切な仲間であり、部下でもあるMさん(日本人)が、6月末をもって弊社を退職します。今まで近くにいた部下が「畢業」することに関して、当本人はもちろん、私も期待と不安でいっぱいです。いろんな思い出や実績も共有してきた仲間ですし、そこに出身国などは関係ありません。

 今回は、彼女との思い出を綴りながら、日本人社員が台湾人の私に教えてくれた、かけがえのないことを皆さんにも知ってほしいと思い、この「華華通信」に記録することにしました。

Mさんと共に経験したASUSの高度成長期

 私が所属しているASUS JAPANマーケティング部には、個性のあふれる社員がたくさんいます。話がとても上手な実況マン、社内で自分が一番歌が上手いと言い張る3人、海外生活が長いのに考え方がすごく日本的な4人組、日本スタイルにとことんこだわる浅草生まれ浅草育ちの男子、仕事もプライベートも全力に取り組む細マッチョな女子、会議の進行中にいきなり「できました」と声を上げるマイペースで優秀なプログラマー、シンガーソングライターなど、とても自慢のできるチームです。

 100円PCと呼ばれた「Eee PC」(イーピーシー)からモバイルPCメーカーへと、ASUSとしての高度成長期とも言える7年間(2009年5月~2016年6月)に渡り、共に戦ってきた社内のデザイナー、マーケター、そしてプライベートではシンガーソングライターでもあるのがMさんです。

 彼女の思い出を弊社の製品と共に振り返ってみたいと思います。

EeeKeyboard PC(イーキーボードPC)

EeeKeyboard PC

 このPCはWindows OSを搭載した、なかなかクレイジーなASUSらしい製品です。2011年3月当時、59,800円でした。企画した本社のプロダクトマネージャーの頭なの中ではきっと、「みんなキーボードはずっと使うから、ならいっそ液晶もつけてPCにしちゃえ」、的なストレートな発想だったのではないかと私は考えます。

 残念ながら、壊滅的に売れませんでした(笑)。でも、私はこういう発想のASUSが大好きです。

 Mさんは本製品のカタログデザインを担当しました。「何でロボットのが左利きなの?」という議論はもちろんありました。確か、「右利きは当たり前で、左利きにした方がアイキャッチになる」と彼女に言われた記憶があります。

K53 (カラフル戦隊ケーゴサン)

 下の動画は、ASUSのEee PCではないノートPC製品がまだ日本に浸透していない時期、そして、呼び方がまだ「アスース」だった時期(今はエイスースですよ!)に、どれだけASUSのノートPCの選択肢が豊富で、見た目もよくて、さらに十二分に使えるよ!、ということを訴求するために企画したマーケティングキャンペーンです。

 PCの擬人化も、テーマソングも、製品説明のラップも、当時ではかなりクレイジーなので、台湾でもニュースになりました。

 この企画はMさんの担当でした。おかげさまで、K53シリーズの売れ行きは好調でした、今のASUSノートPCに与えたインパクトは決して小さくありません。

ISOI(In Search of Incredible)スローガン

 会社のスローガンが2012年冬に「In Search of Incredible」に変わる時、実はマーケティング部の私たちは「In Search of Incredible」の込められた意味が全ては理解できていませんでした。今までアニメのMr.インクレディブルしか聞いたことがなく、社名の新しい発音にもまだ慣れていない私たちが一生懸命、このスローガンの意味とジョニー・シー会長の込めた意気込みなどを日本語化し、マニフェストを作りました。

 これにはかなりの時間と議論を重ねました。Mさんはライティングを担当してて、何回も何回も一緒に考え直しては、やっぱり違うと挫折を繰り返し、やっとの思いでみんなが納得する文章ができあがりました。それをうちの「実況マン」(弊社のYouTubeのナレーションなども担当してる社員です)が、素晴らしい声で読み上げてくれた時、本当に感動して、一瞬鳥肌が立ちました。

 製品づくりって、こういうことなんだなあと実感しました。ちなみに、IncredibleをZenFoneとか、Zenbookとかに変えても意味は通じますよ。

「In Search of Incredible」~挑め。想像を超えたその先へ。

ひたすら挑戦を続ける人がいる。
創造性を働かせ、人を突き動かし、さらなる可能性を探し続ける。
そして時に、変化や挫折、失敗を恐れる気持ちと戦う。
その先にある“ Incredible”なことを実現するために。
私たちASUSが目指すのは、そんな挑戦を支えるための“Incredible”な製品を作り出すこと。
どんなに困難であっても、失敗を繰り返しても、あきらめない。
到達したからといって立ち止まることもない。
それが、ともに“ Incredible”を追い求める、私たちの使命だから。
「次」に向かって進む、すべての人たちへ“Incredible”な体験を。

「キモい」と言われたお父さんがASUS製品で娘のためにビデオレターを作ってみた

 このキャンペーンを企画したきっかけは、All-in-One(液晶一体型)PC製品がまだ日本に浸透していないため、ASUSはこういうものも作っていますよということを広めるためです。そして、これはMさんが関わった最後のプロジェクトでもあります。

 「ASUSは挑戦するお父さんを応援する」というちょっとしんみりとしたメッセージも含まれています。

 Mさんと私は、100%のデジ女(デジタル女子)です。自社の製品を使って、こだわりを持って、語って、おもしろおかしく語る。彼女の愛機はホットピンクのZENBOOKです。

 また、先にも書いたとおり、彼女はプライベートではシンガーソングライターの一面も持ちます。入社前から、そして今でもずっと続けています。そして、こんな格好で出社したりします。

※枻出版社「Flick!」vol.50より許諾を得て掲載(200円で絶賛発売中)

Mさんが私に教えてくれた日本に関する宝物

 最後に、これまでMさんが私に教えてくれた日本に関する「宝物」をまとめます。

1.人間は生き物、会社も生き物

 仕事でえらく落ち込む度に、Mさんといろいろ話をします。彼女が私によく言ってくれるのはこの言葉です、活気に溢れていても、時には病気もする。会社がどこにどのように向かうかは人にはコントロールできることもできないこともある。このことを聞くと、なぜかいつも元気になれる、私の大切な魔法の言葉です。

2.いざとなれば、ルールを決める

 私たちの本社は台湾にあり、時々、各国の社員が参加し、英語で行なわれる会議があります。日本人社員はたくさんいい意見を持っているのに、あまり発言しません。そのことをMさんに相談したら、「シンシアさんに指示されたら、きっと皆やりますよ」と言われました。そこで思い切って、「皆さん、1日1回の発言はマスト(必須)ですよ!」と言ったら、皆すごく積極的に発言してくれるようになりました(笑)。

3.実際に体験しないと分からない本当の日本の底力: 思いやりをもったコミュニケーション、人に迷惑をかけない精神

 日本で長年生活している私にとって、一生忘れることのない体験。それは東日本大震災です。今でもよく、その日何が起きて、何をしていたのか、台湾の友達に聞かれます。

 私はその日、いつものように会社で仕事をしていて、2012年夏モデル総合カタログの入稿確認をしていました。当時、席が私の隣のMさんはメインの担当で、外部のデザイナーから送られてきたPDFファイルを校正していました。

 そんな中、いきなり急に強い揺れが来ました。一時的にビルの外に避難しましたが、「入稿があるから」とつぶやいて、Mさんはすぐにオフィスに戻り、原稿を確認していました。余震が何度も続き、船酔いのようになってきたので、私は「危険だから入稿をやめよう。みんな帰ろう」と声をかけます。でもMさんは、「(外部の)デザイナーを待たせているので、今日中に確認を終わらせる必要があります」と言うのです。私は部の責任者で、カタログの責任者でもありました。部下の気丈な発言に、私の不安も吹き飛び、頑張ろうと決意しました。会社にTVはなく、ネットで状況を確認する暇もないほど作業をしていたので、どんなことが起きていたのか本当に分かりませんでした。

 そんなわけで、私にとって311で印象に残ったのは、地震そのものよりもMさんを初めとしたスタッフたちのプロ意識でした。これこそが日本の底力なんだと思いました。

 こんな非日常的な状況の中での、みんなの互いを思いやった会話や、人に迷惑をかけないぞという精神。「印刷所の印刷スケジュールがあるから、今日絶対に入稿しなきゃ」、「デザイナーさんから、PCが何台も倒れたけど、御社のデータは大丈夫です、安心してくださいって連絡がありました」、「印刷機は今の所、倒れていないから、来週の印刷は停電でもなければ、おそらく大丈夫です!」……などなど。

 今回のコラムでこのことを書くよって本人に伝えた時、「あの時、私としてはほかに何もできることがなかったので日常を続けるしかなかったというのが本音で、本来なら避難するなり余震に備えるなりする必要があったとも思っていました。プロ意識のようなかっこいいものがそうさせたのではなかったんです。でも、当時は地震の時の行動ルールもそこまでしっかりしてなかったから、ほかの人に迷惑をかけないよう仕事をしないといけないと思ってただけなんです」とまたかっこいいことを言ってくれました。

 この言葉からも、またいろいろ学ばせてもらいました。困難の中でも平常心、万が一の時に事前に備えること、日本人スタッフは自分では当たり前の行動をしていると思っていても、台湾人の私にはいつも光っているように見えます。私は、Mさんのことが本当に大好きで、尊敬しています。これからもプライベートで仲良くしていきたいです。

 文化の相違は外資系企業ではたびたび問題になりがちです。周りの皆さんに教えられながら、私もやっとここまでやってきました。

 会社は生き物です。これからもどうなるかは私もわかりません。

 でも、これからもみんなに教わりながら、付き合っていきたいと思っています。

 Mさんは今度、音楽に関係するマーケティング活動に関わるそうです。

 私の大切な仲間へ、どこに行っても「挑め。想像を超えたその先へ。」でいて欲しいです。

 シンシアとASUSは挑戦するMさんを応援しています!

シンシア

台湾・台北市出身。2002年8月にASUS JAPAN入社。当社初の正社員です。自作パーツ担当を経て、現在はPCとモバイル(タブレット/スマートフォン)製品の全般マーケティングディレクター。人手不足のため、2014年3月から広報も兼任中です。今まで担当した製品の中で一番印象に残ったのは「A8N-SLI Premium」。ビデオカードの2枚挿しの感動は今も忘れられません。テクノロジーへの感動はそこから始まったといえるでしょう。愛用機はZenFone Zoom(業務用)、ZenFone Selfie(プライベート用)、ASUS ZenPad S 8.0。趣味は海外ドラマ鑑賞とおしゃべり(情報交換)。