山田祥平のRe:config.sys

おはようからおやすみまでどころか、寝ている間も暮らしを見つめるIntel

 Bay Trailがデビューした。たかがAtomだが、これまでとは一味違うAtomとして、人々の暮らしを支えるあらゆるシーンを、Intelは、この意欲的な新製品で絨毯爆撃的に埋め尽くそうとしている。ここでは、その背景について考えてみることにしよう。

プロセスとアーキテクチャの合わせ技

 今週、米サンフランシスコで開催されたIntelの開発者向けカンファレンスIDFで、Bay Trailのコードネームで呼ばれてきた「Atom Z3000」が正式にお披露目された。いわゆるBay Trail-Tとしてタブレット製品向けのSoCとして登場する。これに伴い、各社はこの新プロセッサを搭載した300ドル台の魅力的なタブレット製品を披露した。その一部は先週のIFAでも紹介されてたのだが、その中味はとりあえずナイショだった。その真相が明らかになったのだ。

 IDF 2日目の基調講演に登壇したHermann Eul氏(Vice President, General Manager, Mobile and Communications Group)は、Bay Trailを指して、プロセスとアーキテクチャの合わせ技によるマジックだと表現した。この製品によってモバイルプラットフォームは、さらにスマートなものになるという。

 Bay Trailは、WindowsとAndroidの双方に最適化されたプロセッサだ。さらにはChrome OSにも最適化されている。つまるところは由緒正しいインテル・アーキテクチャだ。現時点では未サポートながらも64bit対応もしている。数百、数千台のPCを管理しなければならないIT管理者にとっては、配布イメージを1つにすることができるようになるのは朗報だ。もう、それだけで、あらゆるシーンで重宝されることが想像できてしまう。

 実際に、Bay Trailが稼働している新たなタブレット製品を手にとって使ってみると、先行製品だったClover Trail搭載機とは別物に感じるくらいにキビキビと動いている。笠原一輝氏によるパフォーマンスベンチマークのレポートを見ても分かるが、実際の体感でもはっきりとしっかりした処理性能を持っていることが分かる。

ARMに埋め尽くされたカテゴリをひっくり返す

 PCの世界では、長い間、キラーアプリケーションがないと言われてきた。処理性能の高いプロセッサを必要とするアプリがコンシューマレベルで存在しないため、人々は、数年前のPCを買い替えようともせずに使い続けている。いや、正確には、キラーアプリは続々と登場している。いわゆるSNSがその1つだが、残念ながらというか、幸いというか、これらは数年前のPCでも、十二分に快適にコミュニケーションできるくらいに軽い。さらには、Windows 7以降のWindowsは、これまた軽い。

 そして今、コンシューマが欲しがる新たなデバイスは、PCではなく、スマートフォンであったり、タブレットだ。ところがそこはARMに埋め尽くされている。だからこそ、Intelはその領域を、この省電力性とパフォーマンスを兼ね備えた新たなプロセッサでひっくりかえそうとしているのだ。まるでオセロのようにだ。時すでに遅し、という言葉は同社にはないらしい。オセロの石でひっくりかえせなければ、ボードごとひっくりかえせばいいと言わんばかりの勢いだ。

Atomというブランド

 これまでのAtomは、どちらかといえば不幸なプロセッサ稼業を営んできた。Windowsを動かせば重かったからだ。ちょうど、Windows Vistaの時代に生まれたのも、Atomが不幸になった要因と考えられる。リソースに贅沢だったVistaは、Atomにとってものすごく重荷だった。

 だが、Bay Trailの先代であるClover TrailのAtomはWindows 8で活かされ、まるで息を吹き返したかのようだった。でも、重い先入観は、その悪名を払拭できずにいた面もあった。

 でも、飛躍的な処理性能の向上を果たした今回のBay TrailでAtomを見る目は変わるだろう。企業のシステム管理者など、パワーユーザーであればあるほどAtomだというだけで毛嫌いする傾向にあったそうだが、今度ばかりはそうでもなさそうだ。もし、今回のIntelにミスがあるとすれば、頑なにAtomというブランドを残してしまったことかもしれない。ただし、低価格帯ノートブック用のBay Trail-M、Bay Trail-Dは、Celeron、Pentiumのブランドが与えられることになっている。

とるに足りるMIDの市場

 インターネットに接続できるタブレットやPDAなどのデバイスがMID(Mobile Internet Device)と呼ばれるようになったのは2008年頃だろうか。当時の記事を振り返ってみると、今から5年前、2008年に面白い文書を見つけた。

 「ウルトラ・モビリティー事業部長のアナンド・チャンドラシーカ氏とのラウンドテーブルで、そのことについて聞いてみたところ、MIDの市場など、PCの市場に比べたらとるに足らないものであり、それが1つのトレンドになることはありえないと一笑にふされた。コンテンツがどうなるかなんて話はあと3年後、2011年頃にしよう、ただし、自分がクビになっていなかったとして、とまで言われた。そこまでMIDが成功すれば、きっとチャンドラシーカ氏は、その頃、Intelの社長になっているかもしれないというくらいに、些細なことであるらしい」。

 2008年8月のIDFのときの記事だ。ここでチャンドラシーカ氏に聞いた「そのこと」というのは、MIDの普及によってマスとしてのMIDに世の中のコンテンツが最適化されてしまい、PCの存在感が希薄になってしまいやしないかということだった。それを当時のチャンドラシーカ氏は一笑に付したというわけだ。

 ただ、実際には今、それに近い状況が起こっている。

 一方、その約半年前、こちらは上海のIDFで、当時のVP、パット・ゲルシンガー氏は、その基調講演で、インテルアーキテクチャを孫悟空の持つ如意棒にたとえ、IAは、小さくなったり大きくなったりする如意棒のように、ミリワットからペタフロップまでをカバーし、コンパチビリティとスケーラビリティを提供するのだという。そして、将来にわたって、それがなくなることはありえず、IAは一生涯のためのアーキテクチャであると断言した。

 今回のIDFの基調講演を聴いていて、何か、どこかで聴いたことがある表現ばかりが出てきているような気がして仕方がなくて、もやもやしていたのだが、ずっと調べ込んでいて、これらの過去記事に行き着いた。違うとしたら、ミリワットがマイクロワットに置き換わったことくらいだ。

Intelに来れば何でも揃う

 当時と大きく変わったのは、Intelがチョイスの自由度をかつてより、ずっと積極的に展開していることだろうか。今は、急成長しているモバイルユセージのトレンドが、ハイパフォーマンスなプロセッサを求めている。だから、タブレット、ノート、デスクトップのそれぞれに、Good、Better、Bestの選択肢を提供するのがBay Trailに課せられたテーマだ。

 かつて、ゲルシンガー氏が5年前に断言した「IAは一生涯のためのアーキテクチャである」という言葉は重い。そして、新しい経営陣でビジネスをスタートさせたIntelが、それを着実に守っているところに同社のDNAのようなものを感じる。

 IntelのCEOがBrian Krzanich氏になって最初のIDF。新体制のお披露目的意味合いも強かった今回のIDFだが、ここで明確に、同社の方向性に迷いがないことが再確認できた。何も変わらないというのはやはりすごいことだ。コンシューマがお気に入りのデバイスの中に、どんなプロセッサが入っているのかを気にすることはないのかもしれない。Look Insideと言われて中をのぞいてみたら、そこにはやっぱりIntelが入っていたということがこれから起こる。Bay Trailは、その未来に向けた第1歩に過ぎない。

(山田 祥平)