山田祥平のRe:config.sys

Google+が提示するSNSの将来




 Googleが、Google+のサービスを開始、同社のSNSビジネスへの参入が、目に見える形で提示された。現在は、ものすごい勢いで会員数を増やしているようだ。今回は、このサービス参入による、今後のSNSについて考えてみることにしよう。

●今のSNSはパソコン通信サービス黎明期のデジャブ

 1985年の電気通信事業法の改正により、一般企業が第三者間のコミュニケーションを媒介することができるようになり、日本では雨後の竹の子のように、数多くのパソコン通信サービスが提供されるようになった。

 個人的には、この年の暮れにアスキーネット、その後、NEC系のPC-VAN、富士通系のNiftyServeに加入、また、いくつかの草の根BBSに登録して、コミュニケーションを楽しんでいた。

 当時と今の大きな違いは、これらのサービスが相互接続していなかった点だ。また、インターネットとは無縁だったために、サービスごとのホストコンピューターに、電話回線を使って接続する必要があった。今のように、最初にインターネットに接続してしまえば、すべてのサービスと接続できるというのとは、これらの点で大きく異なっていた。

 もちろん、接続のための電話料金も、最初は従量制だった。人気のサービスは、夜になると話中が多くなり、接続するために、何十回もダイヤルしなければならなかった。音響カプラを常用するようなことはなかったが、初めて買ったモデムは、オートダイヤルなんて気の利いた機能はなく、加入電話の契約をプッシュ回線に変え、少しでも素早くダイヤルできるようにしていたのを思い出す。

 今にして思えば、あの頃のパソコン通信サービスは、今のSNSそのものだったのかもしれない。パソコン通信サービスの会員は、サービスごとに閉じていたし、会員制であることで、それぞれのメンバーの素性もそれなりにはっきりしていた。サービス内で実名や住所などを公開することはあまりなかったが、BBSなどで盛り上がって、深夜にファミリーレストランでユーザー同士が会ったり、ちょっと規模の大きなオフラインミーティングと称する宴会が開かれるのは、東京のような都市部に住んでいれば日常茶飯事だったように記憶している。

●デジタルとリアルの出会い

 かつてのパソコン通信サービスにおいて、出会いはデジタルだった。おそるおそるBBSにメッセージを書き込んだり、見知らぬ人が居座るチャットルームに入り、ああでもない、こうでもないとキーボードを使って話をしたものだ。そして、そのうち、そこに入り浸る人々のハンドルネームと呼ばれる自分でつけるニックネームに慣れ親しむようになり、旧来の知り合いのように打ち解けていく。

 現在のSNSシーンは、出会いそのものはデジタルとリアルが混在しているように感じる。そして、TwitterとFacebookで、うまく棲み分けができているように思う。Twitterは、SNSであるといいながら、自分のつぶやきを、ほとんどの場合、不特定多数の第三者が誰でも見ることができるし、フォロー、フォロワーの関係を築くことができる。この関係が煩わしければフォローされてもフォローしなければいいし、他人のつぶやきを参照する場合も、フォローという宣言をしなくてもかまわない。そのあたりのゆるやかな関係が心地よいとするユーザーは多い。必ずしも、実名を公開せず、匿名で参加することができる点に居心地のよさを感じるユーザーも少なくない。たとえば、ぼくのTwitterアカウントというURLに辿り着くことさえできれば、誰もがぼくに気がつかれることなく、(ろくな書き込みがあるわけではないが)ぼくのTweetを閲覧することができる。アカウントには本名が含まれているので、見つけるのも簡単だ。文字数こそ制限されているが、この点では一時期一世を風靡したブログにも似ている。

 一方、Facebookは、実名を前提としたSNSとして、多くのユーザーの支持を集めている。友達になってもらうことを申請し、相手に承認してもらうということが前提になっていて、自分の書き込んだメッセージ、それに対するコメントを書き込めるユーザーの範囲を自由にコントロールできるため、ユーザーごとに、クローズドな場所、オープンな場所として機能させることができるが、多くの場合は、友達の範囲を限定したクローズドな場所として使われることが多いようだ。だから、たとえぼく自身のFacebookアカウントにたどりついたとしても、ぼくが友達申請を承認しなければ、コミュニケーションは始まらない。そして、おそらく、リアルの知り合い以外から友達申請が届いても、ぼく自身が承認することはないだろう。

●最後発だからこその曖昧さ

 Google+は、TwitterとFacebook、それぞれの特徴を、うまく融合させ、どちらとしても機能させられるような仕組みを提供することで、双方のユーザーを取り込もうとしているようにも見える。

 その仕組みを実現するための仕掛けが「サークル」だ。デフォルトでは、「友だち」「家族・親戚」「知人」「フォロー中」というサークルが用意されるが、自分自身で新しいサークルを作成することもできる。

 このサークルに、検索等で見つけたユーザーを登録していく。登録すると、登録された相手にはその旨が通知される。相手が自分のことに興味を持ってくれたり、継続的にコミュニケーションが成立しそうだと思えば、相手も自分のことを自分のサークルのどれかに登録する。

 かくして、ユーザーは、好き勝手なメッセージを書き込んだり、誰かのメッセージにコメントしたりするのだが、そのやりとりは、サークルごとの「ストリーム」と呼ばれるメッセージツリーに展開される。ユーザーは、ストリームを見たいサークルをクリックするだけで、そのサークルに属するユーザーだけのメッセージを見ることができるわけだ。

 各サークルには、重複してユーザーを登録することができる。その点では、TwitterのリストやFacebookのグループに似ている。ただ、サークルに登録されても、自分以外に誰が登録されているのかはわからないし、自分が登録されているサークルが、どのような素性を持つものかもわからない。Facebookは友達かそうでないかという1か0の世界だが、Google+はそうじゃないということだ。

 こうした仕組みによって、Google+は、Twitter的にも使えれば、Facebook的にも使える。両サービスのいいとこどりをしているともいえるし、どっちつかずともいえるサービスに仕上がっている。

●閉じたサービスゆえの不便

 パソコン通信の時代には、複数のメールアドレスを刷り込んだ名刺を受け取ることが多かった。今でいうなら携帯電話を2台持ち、3台持ちしているユーザーが、それぞれの電話番号を刷り込むようなものだろうか。

 パソコン通信サービスのサービス間でメール等が相互接続するようになったのは、ずっとあとのことだったので、特定のサービスに参加しているユーザーと連絡をとるためには、そのサービスの会員になる必要があったし、そのサービスにログインしなければ、メールをやりとりすることもできなかった。

 だから、多くの人々とのコミュニケーションを実現するためには、多くのサービスに加入し、それぞれのサービスにおける連絡先情報を相手に伝える必要があった。必然的に、誰かにアドレスを知らせた以上は、それぞれのアドレス宛のメッセージを確認するために、頻繁に各サービスにログインし、自分宛のメッセージの有無をチェックしなければならなかった。複数の携帯電話番号を他人に対して知らせてしまった以上、いつでも着信ができるようにそれぞれの携帯端末を常時充電保守し、電源を入れて待ち受けしなければならないのと同じだ。転送なんて仕組みがなかったので、もっと大変だったのは想像に難くない。

●メールがつなぐSNS

 少なくとも、ぼく自身の今の状況を見る限り、TwitterとFacebook、そして、Google+におけるぼくが属するコミュニティは、ほぼ相似形で、互いに認識しているユーザーの多くが重複しているように感じている。最終的に、どこに収束していくのかは、今の時点ではよくわからない。でも、当分の間は、かつてのパソコン通信サービスのように、それぞれのSNSを、全部チェックしていかなければならないだろうというのは気が重い。かろうじて、各サービスからの通知は、1つのメールアドレスに集まるようにしてあるので、届いた通知を見れば誰が自分のメッセージに反応してくれたかなど、それぞれのSNSで自分周辺に起こっていることを見落とすようなことはない。ただ、Twitterのつぶやきを、Facebookeに接続していたりすると、いわゆるマルチポスト状態になり、両方でメッセージツリーが展開されるようなことが当たり前のように起こる。こうなると話はややこしい。せっかくの有用なコメントがサービスにまたがって展開されず、中途半端なものになってしまう。そこをどう運用していくかは難しいところだ。

●「冷やし中華始めました」

 かつてのパソコン通信時代のように、名刺にTwitter、Facebook、Google+、それぞれのアカウントを全部刷り込むような時代が長く続くとは思えない。かといって、どれか1つのサービスだけが生き残るようなこともあるまい。考えられるのは、いわゆるインターネットのように、各サービスが相互接続したインターSNSとなり、ユーザーは、自分自身のコミュニケーション領域を自在にコントロールできるようになることだ。

 今、TwitterやFacebookのクライアントアプリが数多くあって、自分の好きなものを利用できるように、サービスごとのユーザー管理と、サービスごとのユーザー体験、あるいは、専用アプリを組み合わせ、自分の発信したメッセージが他者にどのように見えるかをコントロールできる世界がすぐにやってくるように思う。マルチポストではなく、メッセージと、そのコメントツリーへのポインタが拡散し、複合的なソーシャルネットワークが展開していく時代だ。

 ちょうど、夏の始めに中華料理店の店先に貼られる「冷やし中華始めました」のポスターで夏の到来を知るように、ユーザーは、特定のメッセージツリーが伸びる兆しを知る。サービスが主体となってユーザーをコントロールするのではなく、それぞれのSNSを包括したユーザー主体のメッセージコントロールができる時代。ぼくらは、今、その入り口にいるに過ぎないといえそうだ。