山田祥平のRe:config.sys

終わりに向かう汎ブラの時代




●アプリという名の専ブラ

 学生のころの授業で、任意の日付の新聞をメジャーで測り、広告と記事の面積を調べて比較しろという課題を与えられたことがある。実にめんどうくさい作業だった。あのころにExcelがあったら、どんなにラクで便利だったかというのはさておき、その結果として、広告の分量が50%を超えていたのに、ちょっとしたショックを受けた。多いとは思っていたが、まさか面積比で50%を超えているとは感じていなかった。まさに、マス媒体が広告によって支えられていることを痛感した初めての経験だ。

 故・南博先生(社会心理学者 1914~2001)の授業だった。最初の授業の時、自分が「マスコミ」という略語を作ったとおっしゃられ、「マコミ」じゃ変だしということで、「マスコミ」に落ち着いたんだといっておられた。南先生は、フラストレーションに「欲求不満」という言葉を当てたことでも知られている。

 もし、熱心な学生なら、それではTVはどうなんだ、ラジオは、雑誌は? そして、今ならインターネットはどうなんだと、ストップウォッチや定規、バイトカウンターなどを駆使して計測し、論文の1つやふたつは書くんじゃないだろうか。残念ながら、さほど勉強熱心ではなかったぼくは、ちょっとした驚きだけで、その場を終わらせてしまった。

 先日、ヤフージャパンがGoogleの検索エンジンを採用することになったというニュースが流れ、世の中を騒がせた。そのニュースの中で、繰り返しアピールされたのが、ヤフーにしてもGoogleにしても広告収入がその屋台骨を支える源であるという点だ。つまり、広告なくしては、これら巨大検索プロバイダの多彩なサービスを享受することはできない。そして、いわゆるInternet ExplorerやSafariのような、汎用のブラウザは、これらの広告とコンテンツを同時に見せるために欠かせない存在であるといえる。PCは、ブラウズとメールができればそれで十分と言われるが、今やメールもブラウザの仕事であり、汎用ブラウザ1つあれば、およそ、PCでやりたいことのほとんどをカバーすることができる。

 その一方で、もう1つの勢力として汎用ブラウザに対する専用ブラウザ、いわゆる専ブラの存在がある。某巨大匿名掲示板を見るための専用ブラウザのようなものといえば、わかる人にはわかってもらえるだろう。PC上のアプリケーションであれば、AdobeのAirやMicrosoftのSilverlightなどで実現されるアプリケーションも専用ブラウザの範疇に入ると考えていいだろう。

 そして注目すべきは、今、iPhoneやAndroid端末で、みんなが夢中になっている「アプリ」という存在も、実際には、専ブラの一種であるものが少なくないということだ。

 専ブラは、それが動くプラットフォームに最適化され、さらには、コンテンツ源となるサイトにも最適化されているため、操作はしやすいし可読性も高い。携帯電話の小さな画面では、フルブラウザを使うよりも、ずっといい。

 コンテンツが専ブラでアクセスされるようになると、そこでは、記事と広告は合体してナンボという原則が崩れてしまう。専ブラの多くは、純粋なコンテンツだけを持ってきて美しくレイアウトして並べ、肝心の広告を見せずに捨ててしまうからだ。それどころか、コマーシャルベースの専ブラは、コンテンツと合体しているはずの広告とは無関係に、ブラウザそのものに個別の広告を掲示したりもする。

 RSSリーダーが流行始めたころ、コンテンツプロバイダは困った。フィードだけを購読されると広告を見せることができなくなるからだ。苦肉の策としてフィードに広告を混ぜるようになったことは記憶に新しい。だが、いわゆるトップページやポータルサイトの存在意義が、かつてほどではなくなっているのは誰もが認める事実ではないかと思う。ユーザーは、自分の楽しみたいコンテンツを、専ブラを使って楽しむ。そして、それこそアプリと思っている。少なくとも現在のトレンドはそうだ。

●こんなアプリが欲しいんだという魂の叫び

 極端な話、汎ブラがグーテンベルクによる活版印刷術なら、携帯端末で動く専ブラはアルダスの文庫本だ。

 500年も前にさかのぼることはないが、それでも今の状況を見ていると、なんだか四半世紀前のデジャブのような感じだ。フリーソフトを片っ端からダウンロードして、自分のPCをどんどんカスタマイズしていたころが懐かしい。ハードウェアとかソフトウェアとかじゃなくて、パブリック・ドメインのソフトウェアはPCをより積極的に使おうとしているパワーユーザーの魂の叫び、すなわち“ハート”ウェアなんだと信じて疑わなかった。

 そして、その想いは今も変わらない。AppleのAppStoreやAndroid Marketをブラウズしていると「そうそう、こういうことに困っていたんだ」と膝を手で打ちたくなるようなアプリがどんどん見つかる。それを見るまでは、自分が困っていることにさえ、自分が欲しいと感じていたことにさえ気がつかなかったようなものも多い。

 何だ、みんな、結局アプリが欲しかったんじゃないか、とも思う。自分の使うPCなのに、ちっとも自由にならず、アプリのインストールはおろか、汎用ブラウザでアクセスできるサイトまで制限される企業戦士たちの、反動に近い衝動ともいえそうだ。

 だが、これらのアプリは汎用ブラウザがもたらしたデスクトップ領域の余白を使った広告モデルを、少しずつおびやかしていく。

 今、電子書籍が話題になることが多いが、これは、広告一体型のコンテンツを、従来のビジネスモデルを下敷きに、よりスマートに提供し、現在のエコシステムを継続させるための、コンテンツプロバイダ側の最後の砦なんじゃないか。彼らはここで失敗したら、たいへんなことになるということがわかっているのだ。

 Appleのモバイル広告プラットフォーム「iAd」や、Googleの「AdSense for Mobile Ads」などは、こうした時代における新たなチャレンジであり、それによって広告のモデルやエコシステムがどのようなところに着地するのかが興味深い。ディスプレイ面積が狭く、いわゆる地価が高いモバイル端末ではなおさらだ。画面の半分を広告に占有されてはたまらない。

●コンテンツの消費と生産

 PC未満の機器の多くは、MID、タブレットから、スマートフォン、携帯電話にいたるまで、ほとんどがコンテンツ消費型のデバイスだ。コンテンツを作るという生産性のことを考えれば、今でも圧倒的にPC以上のデバイスが有利だ。PCとして処理性能が著しく低いネットブックは評価が難しいところだが、作業によってはそれで十分という考え方もできるだろう。

 生産する以外の仕事は、ニュースや天気予報を見て、Twitterのタイムラインをチェックし、メールに目を通して必要に応じて返事を書くくらいのことで、これらはPC未満のデバイスでも十分に役に立つ。そして、それらのためには、専ブラが充実し、汎用ブラウザを開くのは、Twitterのつぶやきやメール本文内のリンクをクリックしたときに勝手に開くときくらいだ。それよりも複雑なことをするのは、やっぱりPCがいい。調べ物で検索結果を片っ端からなめていくようなときもPCの使い勝手が圧倒的に上だ。

 そういう意味ではモバイルPCと、iPhoneやAndroid端末などのスマートフォンのコンビネーションは最強で、どちらか片方があればそれで十分とはならない。だから、常に、双方を持ち歩き、TPOに応じて使い分ける。大事なことはOver the Airによる双方の連携で、それゆえに、例えば、どうして、タイムラインの既読を複数の端末で同期してくれるTwitterクライアントがないのかと不満に感じたりもしている。欲をいえばキリがないが、Google Readerなどの動きを見ていると、普通にできてもよさそうなもんだ。

 PCがあれば、スマートフォンはより楽しく便利な存在になる。その逆もしかりだ。そして、そこでは専ブラアプリがカギとなる。今年は後半に、いよいよMicrosoftがWindows Phone 7をリリースするなど話題には事欠かない。これから何が起こってどうなるか。実に楽しみだ。