山田祥平のRe:config.sys

便利と実用の向こう側

 テクノロジーはいろんな分野に貢献する。社会のために役にたつものもあれば、心を癒やすものもある。テクノロジーをどう使うかは、この時代に限らず、人間にとってとても大事なことだ。AIをどう使うかも同じで、必ずしも、実用や便利、効率化を追求するためだけのものではない。なんとなく、そう思うことが多くなってきた。

暮らしを豊かにするためのひとてま

 文具メーカーのキングジムが「ひとと いいひと HITOTOKI展」を開催している(2024年4月12日~14日の3日間限定、代官山T-SITE GARDEN GALLERY)。

 同社は1948年に株式会社名鑑堂として開店した創業76年の老舗事務用品メーカーで、キングジムへと社名変更したのは1961年だ。事務の王様の意味が込められている社名だ。現社長の祖父である創業者の宮本英太郎氏が「特許人名簿」、「印鑑簿」を発売したのは1927年なので、そこをスタートとすれば100年近く事務用品を作っていることになる。

 オフィスで使われている2穴パイプ式のファイル「キングファイル」は同社の開発によるもので日本のオフィスの定番ファイルとして知られ、パイプファイルという名称自体、同社の登録商標だ。デジタル電子文具では、ラベルライター「テプラ」、デジタルメモ帳「ポメラ」などのブランド名を聞けば、あのメーカーだとわかる方も多そうだ。

 これらの商品群から、イメージ的に実用一辺倒の硬派な会社だと思いこんでいた。ところが、HITOTOKIというブランドがあって、その原画展が行なわれるというのを意外に感じて、様子をのぞいてきた。

 このHITOTOKIというブランドは、女子文具をスタイル文具として広く知らしめるようと、7年前の2017年に社員3名と外部デザイナー1名の計4名でスタートした。特定のカテゴリにこだわらない同社初のカテゴリ横断ブランドで2年間の準備を経て立ち上げたという

 今回のイベントは「つながり」をテーマに、ブランドのこれまでとこれからをアピール、ぐるりと回遊できる楕円形のデザインの会場で各種展示やデモンストレーション、体験コーナーなどを楽しめる体験型イベントだ。

 氷印(こおりじるし)透明スタンプといった新製品も出た。すべてのパーツが透明素材で作られ、まるで氷のような見かけをもつ透明スタンプだ。スタンプはこのブランドでは初めてのカテゴリで、もっと使いやすいスタンプをと企画されたという。

 従来のスタンプは捺すときに印面が見えないので失敗しやすく、本体の汚れも落としにくかった。だが、パーツを透明にすれば、多色のインクをあわせて使う時にも、インクの色味や出来映えが分かりやすいし、位置調整もしやすい。手入れも簡単だ。こうしてたくさんの工夫を取り入れた仕様により、上から印面が見やすく、押す位置を細かく調整できる製品が完成した。持ち手はアクリル製で、インクや汚れが付着しても簡単に拭き取れる。

 キングジムのイメージなら質実剛健で、このスタンプを作るにしても、「済」だの「未決」だの「OK」だの「NG」だのと、何らかの機能性を持たせたものを想像してしまう。そういうスタンプが透明素材で押しやすいというのは使いやすさが追求されたな立派な商品特性だし、テクノロジーやアイディアを実用や便利にダイレクトにつなぐことができる。

 ところが今回の新製品の印面は動物や植物、スイーツ、パターン模様など、デコレーションに使いやすいイラストが採用されている。それでも紙の裏側にインクがにじまないように塗りつぶし面を細かいドットで表現するといった工夫がこらされていたりもする。

 同社では、こうした製品を投入することで、新たなユーザー層を開拓し、このブランドの認知を拡大していくという。そもそも同社には、こうした動きを容認する社風があったという。

道具としてのパーソナルコンピュータを再定義

 今、世の中では一気に生成AIの利活用が華ひらこうとしている。その多くの利用形態は、どちらかといえば仕事の効率化や暮らしを豊かにするためのものだ。これまで検索で得られてきたような知識を、もっと容易な手段で入手できるようにすること、そして、複雑なアプリの使い方を覚えなくても、望みのイメージの図版や写真、音楽、アニメなどを生成する。

 長い文章は要約し、欠席した会議は克明に記録した議事録から、議論の内容を素早くキャッチアップするために、その要約を生成したりもする。

 まさに、ビジネスの現場で、以前なら、部下に丸投げしたり、自分が四苦八苦して得られていた成果がたちどころに手に入る世の中がやってくる。

 それはそれでいい。大いに進化させてほしい。

 でも、キングジムがHITOTOKIブランドで考えたように、便利や実用とは異なる方向性での利活用についても、そろそろ考えなければならないのではないだろうか。

 たとえば会話。AIと1対1の会話を飽きることなく数時間続けることができるかどうか。たわいもない天気の話から政治経済、科学技術や歴史、文化の話題まで、ざっくばらんに腹をわり、互いを尊重しながら会話を続けることができるかどうか。今のAIが学習して蓄積した知識と、その場で即座に入手することができるインターネットの情報源を駆使すれば、たいていの話題の会話には十分な材料となるはずだ。

 もっとも、気が置けないパートナーとの、なんでもない会話だとしても、それは将来の独居老人問題を解決するような有意義なAIの使い方でもあるのだから、役にたたないどころか十二分に人類の未来を助けるソリューションだ。ついつい、そういう役割を考えてしまうのは悪い癖かもしれない。

 キングジムのHITOTOKIが目指す方向性は、キャラクターを文具に添えたファンシーグッズとはちょっと違うようにも感じる。

 実用性を持ち、仕事や暮らしにおいて人間の役に立つことだけを前面に押し出したAI活用が、ちょっと寂しく感じられる中で、コンピュータとのなんでもない会話という高度な高みの成立は、まさに、パーソナルコンピュータを再定義するものにもなる。HITOTOKIは、その模索の過程にあるのかもしれない。