山田祥平のRe:config.sys

シームレスな時代をスマートに生き抜く

 たいていの場合、10年前の記憶はあやふやだ。でも、少なくとも今年にかぎってはそれが鮮明だ。あの日から10年間の間に、いろんな当たり前が新しい当たり前に置き換わった。そして、これからの10年もそれが続く。

ハイブリッドからシームレスへ

 シームレスな時代だ。

 PCとスマホ、仕事と遊び、ビジーとアイドル、オンラインとオフライン、オフィスと在宅、リモートとローカル、リアリティとバーチャル、デジタルとアナログ、ストリーミングとブロードキャスト、パブリックとプライベート……、と、枚挙に暇がないが、とにかく、感覚的に別のものだった事象の区別が曖昧になりつつある。もちろん、厳密にいえば全然違うものではあるのだが、その境目の輪郭が薄らいでいる。そして、多くの新しい当たり前が誕生した。

 10年前の3月11日に東日本大震災を、東京・新宿駅周辺で遭遇した直後、コトの重大さを知ったのは3G通信で眺めたTwitterのタイムラインだった。新宿駅周辺の量販店で買い物をした直後だ。ただ、この日は自分ではなにも情報を発信していない。

 あの日の買い物は新型コンパクトカメラ、ソニーのサイバーショットDSC-HX9Vだった。発売日だというので、いそいそと新宿まででかけて予約済みのカメラを受け取り、喜び勇んで帰途につこうとしていたときのできごとだった。にもかかわらず、そのカメラで撮影したあの日の写真はない。今、調べてみたら地震の2日後に撮影した何の変哲もない写真が2枚見つかった。せっかくGPS内蔵のコンパクトカメラなのに、このていたらく。なさけない話だ。

 震災からほぼ2週間、いろいろなことを経験しながら、計画停電のことや、NHKのサイマル放送のことなどをつぶやいたあと、3月24日になってようやくのようなツイートをしている。コミュニケーションに飢えていたようにも思う。その後、6月の終わりには体調を崩して救急車で病院に搬送され、7泊8日の入院生活、そして7月5日に退院して再起動。いやはやたいへんな年だった。

 地震の被害といえば、デスクの上で、24型の液晶ディスプレイがうつむけに倒れ、画面の中央に無残な傷跡を残していたが、仕方がないとそのまま使い続けていて、まだ使えるのにもったいないなと思いながら、2021年、つまり今年の頭にようやく処分した。

めくるめく震災後の10年間

 コロナ禍は10年分のデジタルトランスフォーメーションを数カ月で推進したともされている。その一方で、お粗末なデジタルも露呈してしまった。それでも、解決すべきさまざまな課題があぶり出されただけでもよしとするのがいいだろう。

 脳天気なようだが、そこからのスタートでも足を踏み出さないよりははるかにいい。この10年の変化でさえめまぐるしかったのに、コロナ禍が10年分のデジタルトランスフォーメーションを数カ月で推進し、今後もそのペースが続くなら、2031年はどんな世界になっているのだろう。

 このシームレスな時代をどう生きるか。身近なところでは、やはりPCとスマホというデバイスを競合ではなく協調させることを考えたい。

 20年前は複数台のデバイスを協調させるのはたいへんだったが、今は決してそうではない。だとすれば両方を使わないとソンだ。文字の入力にスマホを使うのは当たり前としても、PDFやワープロ文書をスマホとPCの両方で読んだり、スマホとPCで会議に同時ログインして発表資料やプレゼンテーション、コミュニケーション機能を併行分業させたり、スマホとPCで文書を同時編集したり、スマホのフォーム入力とExcelのシートを連動させたり、また、写真はスマホで撮ってPCで整理し、音声については、会議を録音してPCでテキスト化など、カンタンに撮れる動画も、録画メモとして活用する。合わせ技だけで、ずいぶん応用のフィールドは拡がる。

 こうして、PCで扱えるデータの多くをスマホで入力できるようになった。その昔は、デジカメからPCに撮影済みの写真データをインポートしてフォルダに整理するところまでだけでも、立派な一冊の本が書けたことを思えば、スマホ単体で撮影し、それをクラウドに保存し、異なるデバイスで読み出して加工するといったことが、高度なIT知識がなくても無意識的にできるようになっているのは驚きだ。

 だからこそ、すべてをPCのみで完結するのではなく、スマホで入力、クラウドを介して、それをPCで処理するハイブリッドな使い方がスマートだ。そして、そのスマートな当たり前は、この10年間で起こったものがほとんどだ。これからの10年は、それを駆使する期間となる。

驚くほど原始的だった10年前

 10年前の震災時には、まだモバイルSuicaでさえ、スマホでのサービスは開始されていなかった。サービスインは同年7月だったのだ。何しろ、iPhone 3Gのデビューは2008年、Androidスマホの走りであるGoogleのNexus Oneがデビューしたのは2010年なのだ。2011年は、まだ機は熟していなかった。前年にサービスインしたドコモのXiとしてのLTEも、サービスエリアはまだまだだったのだ。ちなみに、2011年は、スティーブ・ジョブズ氏が亡くなった年でもある。

 今、ぼくらが当たり前のように使っているサービスやデバイスが、世の中に存在しなかったことを思うと、びっくりだが、それが10年という歳月の現実だ。

 もちろんLINEだってなかった。そもそも、ぼくがメインの端末をAndroidスマホにしたのは、震災からわずか2カ月後の5月20日だ。発売日当日に「AQUOS PHONE SH-12C」を入手している。こともあろうに3G端末だ。それまでは、iPod Touchや前年に発売された初代のGalaxy Tabをガラケーと併用していたのだ。

 3月11日の東日本大震災から10年後の今年、10年前と比べて何がどれだけ変わったか。そして、前年から続くコロナ禍の未曾有のパニックに襲われた年として、今年もまた記憶に残る年になるだろう。2011年以前と以後ではいろんなことが大きく変わったが、2021年以前と以後でもやっぱり大きな変化が起こるはず。そして、10年分のデジタルトランスフォーメーションを数カ月というのが、どんなイメージなのかを測る尺度にもなりそうだ。

 そして20年後、30年後。つねに、あの日と比べて暮らしがどう変わったかを比べていくことにもなりそうだ。あらゆる基点となるのが2011年の3月11日だ。あの日のことを忘れるはずがない。