大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」
インクカートリッジで稼ぐモデルはいよいよ転換期へ
~セイコーエプソン・碓井社長に、2017年の事業戦略を聞く
2016年12月29日 06:00
「インクカートリッジによるビジネスモデルだけでは危機感がある。ビッグタンクモデルはユーザーの選択肢を広げるためにも必要である」――。セイコーエプソンの碓井稔社長は、インクジェットプリンタの今後のビジネスモデルについてこう語る。
プリンタビジネスが、インクカートリッジで利益を稼ぐモデルからの転換期にあることを、碓井社長自らが言及したのは今回が初めてだ。一方、2016年は、同社の新たな長期ビジョン「Epson25」をスタート。そのアクションプランである「Epson25第1期中期経営計画」の初年度でもあり、それに合わせて、新たな戦略的製品、技術が揃い始めた1年でもあった。セイコーエプソンの碓井社長(以下敬称略)に、2016年を振り返ってもらうとともに、2017年の取り組みについて聞いた。
インクカートリッジモデルだけでは限界に
――2016年はセイコーエプソンにとってどんな1年でしたか。
碓井:2016年に強く実感できた出来事の1つが、インクジェットプリンタのビッグタンクモデルには、一定量の市場があるということを確認できたことでした。ビッグタンクモデルは、もともと新興国向けに展開していた製品でありますが、欧州などの先進国においても、実績が上がり始めています。
同時に、日本でもビッグタンクモデルのラインアップを増やしてきました。もともとは、レーザープリンタの置き換えからスタートした製品でしたが、ここにきて、インクカートリッジタイプのプリンタからの置き換えも進んでいます。さらに、競合他社も同様の製品を投入しはじめました。
エプソンにおいても、当初の想定を上回るペースでビッグタンクモデルの構成比が高まっています。2016年度は年間620万台の規模にまで拡大し、全体の40%を占めることになります。
――これは、インクジェットプリンタのビジネスモデルの転換とも言えますか。
碓井:我々自身、インクカートリッジのビジネスモデルだけで展開することに危機感を感じているのは事実です。インクカートリッジで収益を得るというビジネスモデルは、プリンタユーザーに「たくさんプリントしたい」と思ってもらえるビジネスモデルではありません。
実際、私自身も、インクカートリッジをもっと安くして欲しいという声を、ユーザーの方々から数多く聞いています。プリンタの使い方は、個人ユースであるか、企業ユースであるかで異なりますし、個人ユースだけを捉えても、人それぞれに異なります。それをインクカートリッジモデルだけで提案するのには限界がある。使い方にあわせたさまざまな提案をしていくことが大切ではないでしょうか。
大量に印刷する人には、たくさんのインクカートリッジを購入していただくわけで、私たちにとってはいいお客様です。しかし、その一方で、こうしたたくさん使っていただいているユーザーこそ、インクカートリッジが高いという不満がある。そうしたお客様に向けて、もっと最適な提案はできないのか。そこにビッグタンクモデルの提案があるのです。
一方で、あまりプリントをしないお客様であれば、プリンタを安く購入して、使いたい分だけ、インクカートリッジを購入していただければ良いわけです。インクカートリッジモデルしかありません、だからこれを使ってくださいというように、1つのビジネスモデルに集中するのではなく、お客様に選択肢を用意し、多くのお客様の期待に応える仕組みを提案したい。ビジネスモデルを複数用意しても、インクジェットプリンタの基本技術そのものは変わりませんから、最初から新たな製品を作るというわけではありません。
これは大きな意味で、携帯電話のビジネスモデルの考え方と同じとも言えます。例えば、本体も安くて、通信料が安いというのは成り立たない。だが、よく使う人であれば通信料が安い方が良いわけですし、あまり通話はしないが、新しい製品が出たらすぐに購入したい人は、本体が安い方が良い。携帯電話の世界では、それぞれの人に合わせたプランが用意されているわけです。
考えてみれば、複数のプランを用意するというのは、幅広いユーザーに対応するには当たり前の施策です。プリンタではそれができていなかった。セイコーエプソンは、数年前からビッグタンクモデルの製品化にいち早く着手し、顧客ニーズに合わせた提案を進めてきました。これらのエプソンのプリンタ戦略は、お客様のニーズにあわせて、インクカートリッジモデルとビッグタンクモデルの2つを用意していくことになります。
――日本でも、ビッグタンクモデルの構成比は上昇しますか。
碓井:ビッグタンクモデルは、特にオフィス向けに積極的にやっていきます。その点では、ビッグタンクモデルの構成比は上昇していくことになります。
2017年にはオフィス向け複合機市場に参入
――2016年は、複合機市場への参入を発表した点も大きなポイントだと言えます。発売時期は、Epson 25 第1期中期経営計画の期間中ということでしたから、2018年度までということでしたが。
碓井:2016年の取り組みにおいて、ビッグタンクモデルへのシフトが外から見える成果だとすれば、外から見えない成果がこの領域への取り組みだといえます。マイクロピエゾ技術を進化させたPrecisionCore(プレシジョンコア)を活用したラインヘッドが、2016年中に完成しました。これを使ったオフィス向け複合機を2017年に投入します。
この分野に参入するのであれば、これまでの電子写真方式の複合機と同じ製品を作っても仕方がありません。エプソンは、インクジェットプリンタの特徴である圧倒的なスピードと印刷品質、優れた環境性能を実現した製品を投入する予定です。実現する印刷速度は同じクラスの複合機に比べて2倍。この製品を見れば、こんなに速く印刷ができるのか、こんなに良い印刷品質なのかということを実感していただけると思います。
一方で、商業用プリンタについても、テキスタイル分野での成果があがっています。ラインアップも増加し、ビジネスが軌道に乗り始めたと言えます。12月には、デジタル捺染印刷機の開発を目的に、新たな研究開設施設として「イノベーション・リサーチラボ」と、「プリンティング・リサーチセンター」を、世界有数の捺染業拠点である、イタリアのコモ地域に開設しました。
ただ、まだ生産能力には課題があるといえます。イタリアでの生産能力の増強や、日本での生産を開始したいと思っています。さらに、開発設計体制の強化も図ります。また、UVインクに対応したデジタルラベル印刷機も、ようやく市場に製品投入ができました。2016年は、ここでも一手を打つことができたと言えます。
――2016年12月には、いよいよ世界初の乾式オフィス製紙機「PaperLab A-8000」の商品化を発表しました。
碓井:PaperLabは社長直轄プロジェクトとして推進していたもので、私のイメージでは、SE15の最終年度である2015年度中に商品化する予定でした。それに比べると1年遅れですが(笑)、それでも、開発チームは、よく1年遅れという範囲で商品化してくれたと思っています。
エプソンは、プリンタメーカーの責務として、紙を安心して使ってもらうためにPaperLabを開発しました。紙の普遍的な価値は、コミュニケーションのシンプルさにあります。見やすく、理解しやすく、記憶に残りやすい。そして、持ち運びや書き込みがしやすい。紙の使用を削減することが必ずしも最適解ではありません。オフィスで使い終わったコピー用紙を、将来を担う子供たちの折り紙やノートブックに変えることもできます。PaperLabのユーザーが持つ願いや創造力により、紙による豊かなコミュニケーションを生み出し、世の中をよりよいものに変えていくことが可能です。
紙の未来を変えることができる製品がPaperLabです。今使っている私の名刺は、PaperLabで作った再生紙を使用したものなのですが、今後全社員の名刺をこれに変更していくつもりです。
レーザー光源を活用した次世代プロジェクタの威力
――プロジェクタについても、レーザー光源を搭載したフラッグシップモデルの投入など、積極的な製品投入が目立ちました。
碓井:プロジェクタ市場全体は低迷していましたが、その中でもエプソンのビジネスは順調でした。市場シェアは前年の32%から36%へと上昇しています。3LCD方式のクオリティの高さが浸透してきたこと、コスト対応力があることがエプソンの強みとして理解されたことが影響しています。
さらに、明るさについても、世界最高となる25,000lmの製品を投入。10,000lmまでの間に5機種をラインアップしました。Epson25の中では、ビジュアルコミュニケーションの強化として、空間を彩る「空間イノベーション」への取り組みを掲げています。この中では、ほかの拠点と接続した拡張オフィスへの取り組みや、太陽の光が部屋のなかに射しているような演出ができる空間の提案などが含まれています。
ただ、こうした環境を実現するには、ランプ交換が不要なほど寿命が長い、レーザー光源の採用が不可欠です。現在、ラインアップしている上位モデルは全てレーザー光源を採用したものであり、これが市場から高い評価を得ています。この分野でのエプソンの市場シェア10%程度に留まっていたのですが、プロジェクションマッピングなどの用途などにおいて、「これは行けそうだ」という手応えを感じています。プロジェクタの分野でも、Epson25で掲げた目標に向けて、着実な一歩が踏み出せたと思っています。
ウェアラブル事業では新たな製品投入も
――ウェアラブルについては、MOVERIO(モベリオ)は、新製品のBT-300によって、性能が大きく進化しましたね。
碓井:MOVERIOは、BT-300によってハードウェアが大きく進化したのはご指摘の通りです。シリコンOLED(有機EL)を採用することで、小型、軽量化とともに、高輝度や高コンストラスト、高解像度、高画質化を実現することができました。画面を通じてリアルの世界を見ているという雰囲気から、リアルの世界を見ているなかにバーチャルの映像が表示されている雰囲気へと変わりましたし、装着性も高まっている。かなり完成度は上がってきました。
ただ、アプリケーションの開発が進んでいるものの、「これだ!」というアプリがまだない。2017年以降は、ここに力を注いでいく必要があります。ここでは、自分たちで囲い込まないで、エコシステムを活用して、アプリ開発を促進していく環境を作りたいですね。
一方でウェアラブル事業全体では、ウォッチ事業と融合させたことで、新たな取り組みを開始しました。ウォッチ関連については、2017年は、セイコーへの供給だけでなく、オリエントとの融合強化も促進しますし、さらには、エプソンが出すリスト機器はこういうものだ、という製品を市場投入したいと考えています。今、そのための要素技術が揃ってきた段階にあります。
特定の分野で尖った性能を発揮するのがエプソンのセンサーの特徴ですが、これを活用するだけでなく、ウォッチ事業で培ったデザインの美しさや、エプソンが得意とする省エネ性なども加えていくことになります。腕に付けるものですから、見やすくて、美しくて、自慢できるものでありたいですよね。これはぜひ楽しみにしていてください。
一方で、これまでにも、ランナー向けのウェアラブル機器である「WristableGPS」などを投入してきましたが、これに関しても、さらにユーザーインターフェースを改良し、グローバルにも展開していきたい。実は、時計技能競技全国大会ではセイコーエプソンの社員が「金」を独占するなど、当社の技術力は圧倒的です。こうした社員が作り上げる製品をもっと多くの人に使ってもらいたいですね。
――ロボティクス事業では、どんな成果がありましたか。
碓井:スカラロボットや6軸ロボットのラインアップの拡大もあり、ビジネスの幅を広げる体制が整いました。特に6軸ロボットでは、新型アーム構造により、省スペース化を実現したNシリーズを新たに投入しました。このロボットは、人が作業するのと同じ600mm四方のスペースがあれば設置できるというメリットがありますから、今まで人手でやっていた生産ラインを応用しながら、ロボットを導入できるようになります。
ロボットにはセンサーが重要ですが、特に触覚のためのセンサーと、モノを見るためのセンサーの良し悪しがロボットの性能を左右します。エプソンはここで強みが発揮できます。その背景には、水晶、半導体、インクジェットヘッド、プロジェクタ向けパネルなどの要素技術の存在が見逃せません。
――改めて2016年を振り返ってみると、さまざまな戦略的製品が投入された1年でしたね。
碓井:2016年は、Epson25のスタートの年でしたが、そのベースとなる製品、技術が揃ってきたといえます。もちろん、それに向けた準備は以前から進めてきたものですが、エプソンが今後の中核に据える新たな製品、技術の姿をお見せできたのではないでしょうか。
「高い志」を持って取り組む姿勢を醸成
――一方で、Epson25においては、引き続き、高い志を持って取り組む社内文化の醸成にも力を入れていますね。
碓井:社会に貢献しようと思うと、世の中にない、新たなモノを作ることが必要です。それは競合他社を意識して「勝った」、「負けた」というのではなく、自分たちはどこに向かって仕事をしているのか、ということをしっかりと見据え、そこに向けて製品を開発し、技術を磨かなくては成し得ないものです。セイコーエプソンが目指しているのは、そうした高い志を持った企業です。
今やらなくてはならないことと、将来の期待に応えるものとを切り分けて、それぞれにシナリオを描くことも必要です。ようやく、社員の間に、その両方を考える習慣ができ始めてきたと言えますし、社員の意識も変わってきたと言えます。
――社員の意識変化はどんなところで感じますか。
碓井:私はフラっと事業所を訪れることがあるのですが、それは組織系統における言葉の伝達だけでは、全ての想いや、目指す「志」が、伝わりにくい部分があると感じているからです。現場の社員と話すのは、それが伝わっているのかどうかを確認する意味と、伝えたい部分をストレートに伝えるという狙いがあります。
現場では、具体的に何をやれという指示をすることはなく、みんなに持っていてもらいたいことを直接話すようにしています。伝えたときにはすぐに活きなくても、悩んでいるときに感じてもらったり、考え方を変えてもらえれば、次のアクションに繋げられるようになる。そうした対話を通じて、自分たちが今やらなくてはいけないことを、社員みんなに認識してもらいたいと思っています。
社員の意識が変わったというのは、技術や製品を見てもわかるのではないでしょうか。私自身、感じているのは、私が思った以上のものができているという点です。
例えば、PaperLabはオフィス内で使うことにこだわって開発してもらいましたが、この時に水を使わない技術を持っていることを想定していたわけではありません。結果として、現場が考えて、形にしてくれた。そしてPaperLabの開発チームには、新たな技術は、どこかに投資をしてもらって完成させるのではなく、自分たちで稼ぎながら技術を完成させて欲しいと言ったのですが、業務用プリンタ向けのインク吸収シートなどに、PaperLabの一部技術を応用して、実際に稼ぎながら開発を進めてくれた。
また、MOVERIOも、これだけ良い液晶や有機ELの技術があるのならば、外に展開するのでなく、自分たちで最終製品を作ってみたらどうだろうか、という話から始まったもので、私の頭のなかには、リアルとは融合しないVRのようなものになるだろうな、という想定もありました。しかし、実際に現場が作ってきたのはシースルーの製品で、まさにエプソンが持つ技術を活かせる製品が完成したわけです。
MOVERIOで使用していた液晶は、デジカメのEVF向けに開発していたものですが、この技術を他社に持って行っても「こっちのデジカメには採用するが、こっちのデジカメには採用しない」というように、喜んでもらっているか、そうでないのかわからないような反応ばかり(笑)。これだけ良い技術なのに、それを評価してもらえないならば、外販せずに自分たちの最終製品に使ってみれば良いと思ったんです。
しかも、社内の生産技術開発部門は、他社でやるプラスチック成形の金型を自分たちで作れるほど、生産そのものの技術もある部門で、さらに光学系技術も社内で開発できる環境も持っていた。色々なものが鍛え上げられていたからこそ、社内でウェアラブルデバイスを開発することができたのです。
MOVERIOの最新モデルで採用した有機ELにしてもそうです。有機ELは、かつてはテレビ向けやスマホ向けも開発していましたし、車載向けもやっていました。だが、この技術はマイクロディスプレイやプロジェクタ向けに磨いて、自分たちで使うのが良いと判断したのです。
実は、ある自動車メーカーに有機ELディスプレイの採用が決まっていました。しかし、これを始めたらそのビジネスが止められなくなり、自分たちが目指すものが作れなくなる。それで、私自身が断りにいった経緯があります。そうしたこだわりを持って磨き上げた技術を、私たちの最終製品として世の中に出しているわけです。
2017年も戦略的製品が相次ぐ1年に
――今、感じているセイコーエプソンの課題はありますか。
碓井:私が今感じているのは、ソフトウェアの力が弱いという点ですね。またAIも十分ではない。AIは、ロボティクス分野での活用を先行させていますが、必要なのは大学や研究機関でやっているようなAIではなく、現場で使えるAI。そのあたりを強化したいですね。
また、生産機械やオフィス機器のメカを設計できる技術者が少ない。2016年は、ロボットもいい製品をラインアップできましたが、これをもっと増やそうとすると技術が足りない。オフィス向け製品でも、その分野のノウハウを持った人材が足りない。また、オフィス向け機器を販売するための体制をしっかり作るという意味でも人材が足りない。人材不足については、エプソンが新たな領域に出ていっているということの裏返しでもあり、嬉しい悲鳴とも言えることですが、異動や中途採用を含めて、人材の強化を図っていきたいと考えています。
――2017年は、セイコーエプソンにとってどんな1年になりますか。
碓井:2016年は、PaperLabを含めて、こんなことができるんだという製品を投入しましたが、2017年も同様に、こんなことができるんだというような製品を投入する予定です。オフィス向け複合機にしても、ウェアラブルにしても、ロボティクスにしても、新たな製品が登場する年になります。エプソンの新たな姿を、製品、技術面からお見せることができる年になりますから、ぜひ期待していて下さい。