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ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち【日立編 H68/TR~ベーシックマスター レベル3】

 「パソコン業界 東奔西走」番外編としてお送りしている特集企画「ニュースリリースで振り返る、時代を築いたPCたち」の第3回では、日立製作所を取り上げる。

 日立製作所は、2007年にPC事業からは撤退しているが、パソコン黎明期のPCメーカーの1社として、欠かすことができない存在である。特に、1978年に発売された「ベーシックマスター」は、日本初のパーソナルコンピュータと位置づけられる製品で、国立科学博物館の「重要科学技術史資料(未来技術遺産)」にも登録されている。

 今回の記事では、同社が発売したトレーニングモジュール「H68/TR」および「ベーシックマスター」のニュースリリースを掲載する。

 なお、日立製作所では、1995年以降のニュースリリースについては、デジタル化を完了しており、以下のサイトで閲覧が可能だ。

・1995年以降の日立ニュースリリース
https://www.hitachi.co.jp/New/cnews/backnumber/

 たとえば、1995年10月の項目では、初めてWindows 95を搭載した「FLORAシリーズ」のニュースリリースを見ることができる。

 だが、今回、掲載するニュースリリースは、ここには掲載されていないものであり、日立製作所グローバルブランドコミュニケーション本部コーポレート広報部の特別な協力を得て、探し出してもらった貴重なものだ。45年以上前にタイムスリップした感覚で楽しんでほしい。

H68/TR

H68/TR

 日立製作所編で最初に掲載するニュースリリースは、1977年4月27日に発表した「H68/TR」である。他社がトレーニングキットと呼んでいたのに対して、日立では、トレーニングモジュールと表現。日立の8bitマイコンシステム「HMCS6800」のプログラミング学習と、簡単な応用に最適なトレーニングモジュールと位置づけている。

 日立が開発したMPU(CPU)である「HD4 6800」を搭載した基板と、プログラムデータの入力に用いるポケットタブルタイプのコンソールで構成。本格的なアセンブラをファームウェアとしてマスクROMに内蔵している点を特徴に挙げている。

 ちなみに、当時の日立製作所の広報部門は、「弘報」と表記しており、このニュースリリースにもそれが残っている。

ベーシックマスター MB-6880

ベーシックマスター MB-6880

 1978年5月16日に発表したのが「ベーシックマスター MB-6880」だ。

 それまでコンピュータ学習用途として利用されていたマイコンモジュールから進化し、キーボード一体型の筐体を採用したほか、モニターやプリンタなどを組み合わせて利用できるシステムとして提供。プログラミング言語としてBASICを採用し、個人でも簡単に利用可能となったことで、日本初のパーソナルコンピュータと位置づけられている。

 ただし、ニュースリリースの中には、「マイクロコンピュータ」という言葉は使われていても、「パーソナルコンピュータ」という言葉は一度も使われていない。また、同時に発表されたモニターは12型であり、いまのモバイルノートPCよりも小さいサイズだ。

 ニュースリリースの発表から2日後の1978年5月18日~20日に、東京・平和島の東京流通センターで開催されたマイクロコンピューターショウ' 78」に展示。ニュースリリースには同年8月からの発売としているが、実際には、9月からの発売となった。ニュースリリースの中で、「ファイル名で呼び出す」という言葉に対して、注釈がついているのが興味深い。

日立キャラクタ ディスプレイ K12-2050G

ベーシックマスター レベル3

 1980年5月12日に発表したのが、「ベーシックマスター レベル3」である。型番は「MB-6890」となっているが、一般的には「レベル3」、あるいは「ベーマス3」と呼ばれた。初代ベーシックマスターの後継機として、1979年に発売された「ベーシックマスター レベル2」の上位モデルと位置づけ、レベル2とレベル3を並行販売した。

 個人用途だけでなく、流行し始めた「OA(オフィスオートメーション)」を実現するための企業用途を想定した多目的な高性能パソコンとして、1980年9月に発売。国産パソコンとして初めて標準でひらがな表示に対応するとともに、拡張スロットにオプションボードを加えることで漢字にも対応。ライトペンと呼ばれるポインティングデバイスによる画面タッチ入力も実現した。

 先にも触れたように、「レベル3」は、未来技術遺産に登録されたが、その理由を、「レベル3が持つ特長には、その後のパソコンの基準となった要素が多く、パソコンの発展に貢献したとして高く評価された」とされている。