特集
m9(^Д^) 40代なんだからもういい! ヘンに若者ぶらないで、懐かしいもんは素直に懐かしむ! 逆ギレ気味に味わうインターネット流行史2024(またの名をインターネット老人会)
2024年10月3日 06:21
キタ━━━(゚∀゚)━( ゚∀)━( ゚)━( )━(゚ )━(∀゚ )━(゚∀゚)━━━!!!!!
筆者がこの顔文字を使いまくっていたのは2002年頃だったか。すでに社会人生活をはじめていたが、自宅にようやくブロードバンド回線のフレッツ・ADSLを引くことができ、それまでのISDN時代以上にネットへ没頭していたことを記憶している。
その時分に10~20歳代だった方は、多かれ少なかれ2ちゃんねる(現・5ちゃんねる)を筆頭としたネット文化に触発されたことだろう。上述の「キター」をはじめ、「ブーン」、「オマエモナー」、「マターリ」、「wktk(ワクテカ)」、「m9(^Д^)(プギャー)」あたりのワードを、リアル世界でも口にしていたのではなかろうか。
で、時は下って2024年である。“あの頃”から20年以上が経ち、ネット勃興期の思い出を、懐かしむ頃合いになってしまった。そこで今回は、2000~2010年頃のネット文化を同窓会気分(老人会でもおk)で振り返ってみようという企画である。PC Watch読者の皆さんにおかれましては、当日使っていたPCやガラケー(フィーチャーフォン)を思い出しながら、ご覧いただければ幸いだ。
なお筆者は今、48歳。2ちゃんねるはもちろん見ていたが、ニュース速報(VIP)板に入り浸るまでではなかった。生粋の2ちゃんねらー、そしてニコニコ動画ユーザーからみると、ヌルかったり偏っている点もあるかと思うが、なにとぞご容赦を。
21世紀初頭を牽引したのは2ちゃんねるであり、Flashだった
さて冒頭から匂わせてはいたが、現在30代後半~50歳前後の方にとって、2ちゃんねるは青春だったろう。1999年に開設され、ユーザーの情熱、喜び、欲望、理不尽、不満、怒りなどがまさに集中する場となった。殺伐としているような、連帯しているような、そのどちらも勘違いのような……。得も言われぬ雰囲気を醸成していた。
2ちゃんねるは「板」ごとに雰囲気がかなり違ったと思うが、時にその境界を突き抜け、現実に染み出るようなムーブメントも発生していた。年代順に見てみよう。
吉野家コピペ(2001年)
ある文章がなぜか定型化され、そのまま使い回されたり、一部改変されたりする「コピペ」あるいは「テンプレ(ート)」。その中でも圧倒的に有名なのが、この「吉野家コピペ」だろう。
新爆さんという方が自身の運営するサイト「NOTFOUND」で2001年4月7日に公開した日記だそう。途中に出てくる「もうね、アホかと。馬鹿かと。」、「小1時間問い詰めたい」という言い回しが、今なお印象的だ。
ゴノレゴ(2001年)
Webサイトにアニメーション効果を付加したり、もっと直球でアニメーション映像をズバリ作ったりと、一時代を築いた制作ツールがMacromedia(現Adobe)の「Flash」だ。アマチュア作家(名を伏せたプロ映像作家もいただろうが)によって数多くのFlashが公開され、2ちゃんねるを通じて広がっていった。
代表作は「バスト占いのうた」、「ムネオハウス」、「千葉!滋賀!佐賀!」など数あるが、「ゴノレゴ」は特に有名な作品。現在は、作者のポエ山さんのYouTubeチャンネルで一部が公開されている。Flash亡き今でも、かつての人気コンテンツが気軽に楽しめるのは嬉しい。
日本ブレイク工業 社歌(2003年)
建物解体業者の社歌。いち企業の社歌とは思えぬ、ヒーローソング風の曲調で知られるが、CDとしては2003年12月に発売。それに先駆ける同年10月には、TV番組「タモリ倶楽部」の企画で取り上げられ、グランプリを贈られている(筆者もこの回を視聴した記憶がある)。
作者のmanzoさんのインタビューによれば、楽曲自体は2001年頃に制作されていたようだ。こうしたタイムラインを見る限り、ヒットの出発は2ちゃんねるというより、TVだったと言えそう。もちろん発売後の盛り上がりに2ちゃんねるが貢献したのは間違いない。
名古屋はええよやっとかめ(2003年前後)
シンガーソングライターのつボイノリオさんが歌う名古屋のご当地ソング。1980年代に発表されていたが、プロモーションビデオ(PV)風のFlashアニメが2003年前後に(恐らく勝手に)制作され、2ちゃんねるで反響を得たという。
恥ずかしながら、筆者はこの曲もFlashも2024年の今まで一切知らなかった。やはり2ちゃんねるという海は広大です……。
電車男(2004年)
2ちゃんねるがエンタメの世界に飛び出した。その端緒は「電車男」ではなかろうか。オタク(とされる)男性の2ちゃんねるへの書き込みを発端に、それを見守る2ちゃんねらーとのやりとりが書籍化された。
特設サイトのインタビューによれば、編集者は2004年6月に電車男をまとめサイトで知り、その年の10月には刊行にこぎ着けた。さらに2005年6月には映画化されたのだから、凄まじいスピード感だ。
恋のマイアヒ(2005年前後)
今でも年に数回は聞くであろうヒット曲「恋のマイアヒ」。東ヨーロッパはモルドバ出身のバンド・O-ZONEが2003年に発表した「Dragostea Din Tei」が国際的にヒットし、2005年の日本上陸時に邦題が「恋のマイアヒ」が付けられた。
ただ、そのアニメ形式のPVに登場するキャラクター「のまネコ」が、2ちゃんねるでお馴染みのキャタクター「モナー」に似ており、さらにはグッズの商品化、商標登録まで企図されていたことから、騒動になった。一方、PVの原典はいちファンのFlashアニメだったりと、なかなかに事態は入り組んでいる。2018年には15周年記念シングルが国内発売されており、リンク先はその特設サイト。
VIP STAR(2005年)
2ちゃんねる周りのコンテンツを紹介したくても、著作権絡みで悩むのは常。その最たるものがこの「VIP STAR」だろう。平井堅さんの楽曲「POP STAR」の替え歌で、その歌詞には2ちゃんねるの「ニュース速報(VIP)板」的世界感が詰め込まれている。原典のPVに替え歌を合わせた動画があるが、どう扱っていいものか……。そのあたりの雰囲気は、INTERNET Watchの当時の記事でご確認を。
やる夫(2006年)
順番がだいぶ前後してしまったが、2ちゃんねると言えば「モナー」、「ギコ猫」、「内藤ホライゾン」など、文字や記号を組み合わせて描いたアスキーアート(AA)キャラクターが思い浮かぶ。やる夫はかなり後になって登場したAAで、2006年頃が初出という。解説系のスレッドで見る機会が多く、2009年にはやる夫の公式ブックまで登場している。合言葉は「だからニュー速でやるお!」
ちょwwwwwおまwwwww(2000年代中期?)
2ちゃんねるには本当に独特の言い回しが多い。うpだったり、乙だったり、DQNだったり、orzだったり。ややベクトルが異なるが、筆者は「能登かわいいよ能登」がミョーに心に残っている。
ちょwwwwwおまwwwwwは今でも比較的目にする表現だが、今回調べても初出時期はよく分からなかった。Q&Aサイトのタイムスタンプなどを見る限り、2006~7年頃か?
ちなみに、うはwwwwwおkkkkwwwwwwwwwは2002年発売のオンラインゲーム「ファイナルファンタジーXI」の界隈で見られた表現だ。
2006年12月、ニコニコ動画が誕生! 時代はどう動いた?
そしてネット文化のもう1つの潮流、ニコニコ動画がサービスを開始したのは2006年12月であった。2005年にはYouTubeが米国でスタート。当初のニコニコ動画はYouTubeを動画の参照元としていたが、アクセス集中のためか、その関係はすぐ終焉を迎える。独自の動画アップロード先「SMILEVIDEO」を整備し、サイト機能を強化した「ニコニコ動画(γ)」が公開されたのは、2007年3月6日のことであった。
この流れからも分かるように、2005年~2007年は動画視聴が一気に加速した時期。「動画といえばFlash」から、専用共有サイトでの視聴にスタイルが一変していった。郷愁に浸る間などなく、むしろ動画上に字幕コメントがオーバーラップ表示される「弾幕」に胸が躍ったものだ。
【ゴム】 ロックマン2 おっくせんまん!(Version ゴム)(2007年)
ファミコン用ゲーム「ロックマン2」のBGMに、ファンが勝手に歌詞を付けて歌ったのが「思い出は億千万」。それをさらに別の“歌い手”が歌ったバージョンが無数にあり、こちらはゴムさんが歌ったもの。
当時、筆者は全くのチンプンカンプンだったのだが、2008年のイベント(ニコニコ大会議2008)で聴衆がゲストのゴムさんを熱狂的に迎えるさまをみて、「これが若さか……」とクワトロ・バジーナばりに感じ入ったものだ。
新・豪血寺一族 -煩悩解放 - レッツゴー!陰陽師(2007年)
プレイステーション 2用ゲーム「新・豪血寺一族 -煩悩解放 -」に収録された楽曲……なのだが、なぜかしっかりPVがある。曲前ナレーション、歌詞、映像の組み上がり方が一種異様なのだが、実際に再生してみると思わずニッコニコに。「ニコニコ動画なんて興味ないしどうでもいい」という方も、この動画だけは一度見て欲しい。
【初音ミク】みくみくにしてあげる♪【してやんよ】(2007年)
ニコニコ動画と言えば、合成音声によるボーカル作成ソフト「VOCALOID」の存在は切っても切り離せない。さまざまな作者によって、無数のVOCALOID利用楽曲が制作されていたが、その中でも特に著名なものがこちら。
本格的 ガチムチパンツレスリング(2007年)
この動画は鑑賞注意! いわゆる「空耳」系のコンテンツだが、ほぼ裸の白人男性がハァハァ言いながら取っ組み合いのレスリングをしている。お子様は見ない方が……。名言多数なのだが、中でも「歪みねぇな」が際立つ。出演者であるビリー・ヘリントンさんは、ニコニコ運営側の招きで度々来日していたが、2018年に交通事故で逝去された。
【5周年改良版】全部手描きで各国の『フタエノキワミ、アッー』を検証してみる(2007年)
「フタエノキワミ」とは「二重の極み」。コミック「るろうに剣心」に登場する必殺技のことである。同作がアニメ化された際、英語版が制作されたが、「二重の極み」と叫ぶセリフのニュアンスが日本版とあまりに異なっていた。それを紹介する目的の動画が2007年段階で投稿され、人気だったそうだが、程なく削除された。それでも、手描きアニメを用いてでも同コンテンツの興奮を再現しようという方がおり、関連するコンテンツが幾つもある。
ゆっくりしていってね!!!
ニコニコ動画が登場しても、2ちゃんねるは健在だ。AA「ゆっくりしていってね!!!」は、2ちゃんねるの板が発信源とみられ、後に「ネット流行語大賞2008」の銅賞に選出された。同人ゲーム「東方Project」シリーズのキャラクターが、原典とはまた違うタッチで、しかも首から上だけ描かれるという構成の不思議。しかし、ジワジワくるものがあるのも確か。
忙しい人向けシリーズ
元となる歌や動画を、原典より短くして効率的に楽しもう(?)という名目で制作されたコンテンツ。2024年の今触れてみると、ショート動画やファスト映画との関連性もあるようなないような……。ただしニコニコ動画においては、笑いやギャグに振っているものが多い。
世界で一番ダサいシリーズ
ピクシブ百科事典の解説によれば、フィンランドの音楽ユニット「Armi Ja Danny」が1978年に発表した「I Want To Love You Tender」という楽曲が全てのはじまり。同曲のPVが「世界でいちばんダサいPV」の題で投稿されたが、ダンス表現、映像合成の具合は確かに凄い。このデキに触発され、さまざまな動画が作成/投稿された。だが“破壊力”という意味では、オリジンが頭一つ抜け出ている。
バーレーンの実況が日本語にしか聞こえない件(2009年)
これまた空耳系。バーレーンのサッカー代表戦の実況音声なのだが、実況者の興奮ぶりが凄まじく、それでいて日本語的に聞こえてしまう。原典となる動画は削除済みだが、興奮を伝える記事は今なお残る。その文字起こしを読んでいるだけでも、正直笑みがこぼれる。
「照英が○○してる画像下さい!」(2010年前後)
俳優・タレントの照英さんのコラージュ画像が流布したのは、2010年頃のこと。2ちゃんねるのスレッドに「照英が○○してる画像下さい!」、「とにかく急いでいます」などと書き込まれると、それをみたコラージュ職人が(かなり雑な)合成画像を投稿するというのが一連の流れ。最終的には本人へと届き、ゲームや映画の宣伝イベントに昇華した。リンク先は映画「カウボーイ&エイリアン」のトークイベント時(2011年10月)のもの。
(きこえますか...あなたの脳に直接呼びかけています)(2010年代前後?)
X(旧Twitter)などで度々目にする、この「きこえますか...」というテンプレ。これも2ちゃんねるやニコニコ動画がネタ元かと考えていたが、どうやら違うらしい。ニコニコ大百科や有志の記事によると、2010年頃からSNSを起点に広がったのだという。筆者が初めて見たのは2012年頃、シャープのX公式アカウントでのポストだったか。
以上、ダイジェストという形であるが、2000~2010年頃のネット文化を振り返ってみた。一覧にしてみると、2000年代は本当にあっという間だったというか、YouTubeやニコニコ動画が誕生した2005年~2006年を境に、前半後半がクッキリ分かれたという印象だ。
そして2010年代はXを筆頭に、スマホを主体とするSNS文化が花開いていく。2012年のロンドン五輪が「ソーシャリンピック」と呼ばれたことを、覚えておいでだろうか。
皆さんも是非、好きだったコンテンツやサービスが何年に誕生したものか、調べてみてほしい。想像より昔だったり、あるいは新しかったり。なかなかギャップがあって、楽しい作業になると思う。隣の席の若い衆に「まぁた昔話している!」と思われても、まぁそれはそれでいいじゃないですかwちなみに、mixiが爆発的に流行したのは2004年以降である。
さて10年後の2034年、58歳の筆者はどんな原稿を書いているのだろうか。「2024年頃は生成AIのプロンプトで変な命令を実行させたっけなぁ」などと、笑っているのだろうか。
なお本稿執筆にあたってはニコニコ大百科を大いに参照させていただいた。ウィキペディアとはまた違う、ネット文化のアーカイブ的情報源として、末永い発展を祈念したい。