森山和道の「ヒトと機械の境界面」

ATR、脳の活動を高時間・空間分解能で可視化する「VBMEG」を無料公開
~脳と機械を繋ぐBMIやニューロリハビリに応用



VBMEGウェブサイト

 先端的な通信技術・情報処理技術の研究を行なっている株式会社国際電気通信基礎技術研究所(ATR)脳情報解析研究所は、6月15日、脳の活動を可視化する新しいソフトウェア(VBMEG)をインターネットで公開した。「VBMEG」はミリ秒単位の時間分解能を持つ脳磁図(MEG)と、mm単位の空間分解能を持つ機能的磁気共鳴画像(fMRI)の長所を組み合わせることで、高い時間・空間分解能で脳の活動を見ることができる。

 「VBMEG」とは「Variational Bayesian Multimodal EncephaloGraphy(階層変分ベイズ推定法)」の略称で、時間分解能に優れたMEG/EEGと空間分解能に優れたfMRI/NIRSを統合するソフトウェア。MEGのデータだけではなく、EEG(脳波)のデータからも脳表面上の電流強度(皮質電流)を推定して可視化できるソフトウェアで、具体的には、科学技術分野で広く使われているソフトウェアである「MATLAB」のツールボックスとして提供される。GUIでファイルを読み込むだけで脳の皮質上の格子点での電流活動を計算させて見ることができる。空間解像度はfMRIと同程度である3mm程度。デモの一部はVBMEGのWebサイトで閲覧できる。

ATR脳情報通信総合研究所所長 川人光男氏

 独立行政法人情報通信研究機構(NICT)の委託研究「複数モダリティー統合による脳活動計測技術の研究開発」の一環として開発されたソフトウェアで、無料提供される。設備や人的支援を行なう「ATR脳活動イメージングセンタ(BAIC)」では、計測から解析まで含めた有料サポートのほか、定期講習会の実施も予定している。再配布可能な「修正BSDライセンス」のオープンソフトウェアとして提供されるので、商用利用など企業活動に使うことも容易だとしている。

 ATRではこのソフトウェアを使って、昨年、人の手先の動きを脳活動から推定することに成功している。ATR脳情報通信総合研究所所長の川人光男氏は「脳の中で行なわれる情報処理の本質、情報の流れのダイナミクスに迫り、人のこころの動きなどもより理解できるようになる可能性がある」と語る。脳と情報通信技術を直接つなぐ「ブレイン・マシーン・インターフェイス(BMI)」の進歩にも貢献することが期待されるほか、最近リハビリ分野ほかで注目されているニューロモニタリング、ニューロフィードバックなどにも活用できるという。

 例えば、リハビリしても目に見えた効果がなかなか出ないことがある。だがそんなときも脳の中での活動には変化が見られる場合もある。その変化を視覚化して被験者に見せることで、より意欲を出してもらったり、あるいは不要な活動を除去するような方向にリハビリそのものを促すことができるという。

神経活動の変化を可視化する解析ソフトウェアVBMEGBMIやニューロフィードバックに使えるというATR脳活動イメージングセンタが支援する

●VBMEG(階層変分ベイズ推定法)とは

 まず簡単に背景を解説する。1990年代に入ってfMRIと解析ソフトの発展が大きく貢献し、人の脳を傷つけずに(非侵襲)脳の活動を見ることができるようになった。特に知覚や高次認知機能にかかわる脳の機能部位が特定されてきて、成果の一部は一般的にも大きく報道されている。fMRIにおいてはロンドン大学が開発した「SPM(Stastical Parametric Mapping)」と呼ばれるソフトウェアが解析に使われており、標準ソフトウェアとして広く用いられている。その結果、fMRIを使った研究論文も増えているという。

 だが、脳の機能を単にマッピングするだけではなく、どこでどのような情報処理が行なわれているかを調べるダイナミクス研究にはまだ不足がある。時間的な活動変化と、その活動変化がどのように他の領野に伝わっていくのかを調べていく必要があるからだ。

 MEGは神経活動に伴う電流による磁場を計測する。一方、fMRIは神経活動による代謝にともなう血流の変化を捉えるものだ。どちらも神経活動そのものを直接捉えているわけではない。そのため、逆問題として神経活動を推定しなければならなかった。だが、MEGのデータから神経活動を推定するのは電流パラメータ数よりもセンサー数が少ないため解が1つに定まらない、いわゆる「不良設定問題」となっている。具体的には数千から数万のパラメータを数百のセンサーデータから推定する必要がある。要するにどの神経細胞の活動による磁場を見ているのかがわからない。MEGは非接触計測でてんかんや認知症の部位診断に用いられているが、この不良設定の問題がネックとなっていた。

 解を求めるためには事前に知っている脳の知識をベースとして妥当な拘束条件を与える必要があり、いくつかの手法が用いられている。しかしながら決定的な手法はまだない。色々な解析方法があることによって同じデータであっても異なる結果が出てしまうこともある。

高時間・空間分解能で脳内神経活動を直接計測できる非侵襲の計測手法はないMEGの課題

 最近では複数の計測方法を組み合わせる手法が模索されている。15年以上研究してきたATRのグループは、この不良設定を解消するために、fMRIの活動情報を電流強度に対する事前情報として導入して電流を推定する「ベイズ推定」の考え方を導入した。事前情報と観測情報を組み合わせることで元の電流を推定する。こうして時間・空間分解能に優れた形で神経活動電流を推定できるようになった。

ベイズ推定をつかった手法事前情報を与えることで問題が解きやすくなる事前情報としてfMRIのデータを組み合わせることでMEGデータから神経活動を推定する

 だがこれにも課題があった。神経電流の磁場計測であるMEGと、血流応答を見るfMRIのデータは、時間・空間分解能も大きく異なるため必ずしも一致しない。その場合には誤差が生じるのである。そこでいったん「電流分散」という値を考えて、fMRIのデータを階層的に与えることにした。電流源の分散を観測データから推定し、電流強度の大きな場所を絞り込む電流分散を仮定してワンクッションおく。計算手法には変分法を用いている。こうしてデータが不一致なケースでも組み合わせることで、神経電流の推定精度が飛躍的に向上したという。

ベイズ推定だけでは限界がある階層化による改良をしたものが今回発表のVBMEG

 シミュレーションによる性能評価を経て、これを使って実際にやった研究の1つが、2010年にATRから報道発表された人の手先軌道を予測するという研究だ(2010年10月20日「脳活動計測で指先の動きをPC上に正確に再現する技術開発」に成功)。事前に計測したfMRI活動から脳の電流活動を計測して「スパース推定法」という手法を使って特長的な電流を自動的に選択して抽出。意味がある電流データだけを選び出すことで人が手先を動かしているときの手先運動を予測する。8方向の運動を0.02秒の時間間隔で再構成することができた。いったん脳活動を推定することで、実際に運動に寄与している場所がどこかもよくわかるようになる。

 また音声知覚と音声生成の相互作用についても調べた。これまでの研究で、音声を聞いているときにも、声を出していないのに関わらず音声生成に関わると考えられていたブローカ野や運動前野が活動していることが知られていた。だがブローカ野や運動前野も音声認識に関わっているのか、認識には心の中で音声をプレイバックしているに過ぎないのかわかっていなかった。ノイズがきつい環境での音韻識別課題をさせて解析を行なったところ、ブローカ野は音韻知覚にも関わっているという結果が出た。

 このほか、記者会見に続けて行なわれた一般公開講演の中で、東京工業大学ソリューション研究機構の小池康晴教授は、脳波を30チャンネルで計測して、VBMEGとスパースフィルタを組み合わせて使うことで、筋電信号を推定することに成功していることを示した。将来は脳波で動かす義手などのインターフェイスに応用していきたいと考えているという。指を動かす筋肉など皮膚表面に貼る電極では計測しにくい深い部分にある筋肉の動きを、脳波キャップのようなものをかぶるだけで計測・推定することができれば大変有用である。

音声生成に関わる領域が知覚するときにも活動していた脳活動から手先の軌道を再現する東工大の小池康晴氏らが研究中の筋電義手

 もう1度まとめると、「VBMEG」はMRIを使った皮質構造の情報やfMRIの情報を取り込んで、MEGなどのデータを使って、階層変分ベイズ推定を使って、皮質電流を推定するソフトウェアだ。記者会見でも実際のソフトウェアを使ったデモが行なわれた。表示したい時間部分を選択するだけで、グラフィカルにデータが確認できる。開発を行ったATR脳情報解析研究所所長の佐藤雅昭氏は「より解像度の高い推定技術を使って、ヒト脳機能ダイナミクスに貢献したい」と述べた。将来的にはリアルタイムにロボットを操作したり、リアルタイムにフィードバックすることでイメージトレーニングや心的情報通信に使えるように発展させていく。

VBMEGのまとめMATLAB上でGUIで操作できるATR脳情報解析研究所所長 佐藤雅昭氏

●脳の情報をネットワーク越しにデコードする「ネットワーク型BMI」

 今後のサイエンスと産業応用への可能性について、佐藤雅昭氏は「特に各個人の脳活動をできるだけ正確に推定したい。我々は特にBMIへの応用に力を入れているので、神経科学への活用についても神経活動推定を被験者へフィードバックするような実験的なことを考えている。他にもEEGやNIRSを使った研究開発も行なっており、もっと簡単に脳活動推定が行なえることを目指している。BMIを通じて、高齢者への支援とか脳卒中の人への支援なども考えていきたい」と述べた。

 川人光男氏は「サイエンスとしては、脳の特定部位は単独で働いているわけではなくて、各領野がネットワークとしてお互いに繋がりあって機能を果たしている。fMRIはそれをフリーズドライにして、時間情報を捨て去ってしまって見ているだけなので、情報がどの領野からどこに流れているのかをミリ秒単位で調べる方法ではない。VBMEGを使うと、時空間ダイナミクス情報が明らかになってくる。脳の情報処理の本質的なところはこれまでわからなかったが、心の動きのダイナミクスがわかるようになるだろう」と述べた。

 応用に関しては「いまは『脳波トイ』のような安い脳波計ができている。20チャンネルあるようなものでも10万円以下で気軽に買えるような時代がもうそこまで来ている。ある程度チャンネルがあれば、VBMEGを使えば脳のどこから活動が発生しているかを調べることができる。例えば、そのような『脳波トイ』とVBMEGを使ってニューロフィードバックなどに使って、商売をしようとすることは、VBMEGを使っていることだけ明記してもらえば、我々としては大歓迎」と語った。

 BMIの今後に関しては、脳のあちこちの領野から色んな情報を取り出して精度を上げることを目指しているという。脳では場所特異的に特定の機能があると考えられているので、違う部位から違う情報を次々と読み出すことで、より上位の抽象的な情報を取り出すことを目指しているようだ。そのためにも、まずはできるだけ正確に、どこにどんな情報があるのかを調べるのが必須となる。

 また、ATRでは今、「ネットワーク型BMI」の研究を進めようとしている。非侵襲計測による脳活動の推定、ブロードバンド回線などを組み合わせることで、高齢者などの負担軽減を目指すという構想で、NTT、積水ハウス、島津製作所などと共同で「BMIスマートハウスプラットフォーム」を構築し、さまざまなデータを取得してデータベースをつくるという。また、NIRSとEEG、そして今回のVBMEGを組み合わせた高精度可搬型脳計測システム、携帯型システムなどの開発も行なっている。

 BMIは脳活動を実験的に操作したり、定量的に予測したり、多様なデータを大規模に長時間連続計測することができる。そのためシステム神経科学自身を変革する可能性もあるという。脳の活動をきっちり計測して、どこにどのような活動があるかを推定することは、そのための第一歩である。VBMEGはそのための重要な技術であり、サイエンス面でも産業活性化という面でも活用されることを期待したいし、多くの人にソフトウェアの存在を知ってもらって使ってもらいたいと川人氏は強調した。

BMIスマートハウスプラットフォーム計画NIRSとEEGを組み合わせた高精度可搬型システムと携帯型システム