森山和道の「ヒトと機械の境界面」
ロボットを人に似せる意味は何か
~ヒューマノイドロボットのデザイン
(2013/11/18 06:00)
11月13日、IPA未踏プロジェクトと「日本ヒューマノイドロボット研究会」主催で「未踏交流会ロボット特集ロボットデザイン」が行なわれた。
日本ヒューマノイドロボット研究会とは「未踏IT人材発掘・育成事業」に選ばれている吉崎航氏が主催する研究団体。今回の会は、その吉崎氏と、未踏プロジェクトのプロジェクトマネージャー(PM)も務めている大阪大学の石黒浩教授からの提案で今回の会が主催されたという。今回は特にヒューマノイドロボットのデザインに関するパネルディスカッションということで4人のパネラーが選ばれ、「ロボットを人に似せる意味はなにか」と「どこまで人に似せるべきか」をテーマに、トークと簡単な議論が行なわれた。
デザインとは関係性を構築すること
まず始めに、T-D-F代表、インダストリアルデザイナーの園山隆輔(そのやま・たかすけ)氏が講演した。園山氏は、カワダロボティクスの双腕作業支援ロボット「NEXTAGE」、産総研の研究開発ロボットプラットフォーム「HRP-4」、2005年の愛知万博に出展されたテレイグしスタンス端末「TELESAR-2」などのデザインを手がけてきた。最近はアールティによる家庭用の卓上アームロボットのコンセプトモデル「NEKONOTE」、同社の段ボール外装ロボット「RIC-90」などもデザインしている。「RIC-90」はロボットデザインのワークショップ等を行なうときに、そのデザインのコアとしてデザインしたという。そのほか、イラストレーターとしてロボット学会誌の表紙イラストを手がけている。
園山氏は、デザインとは美しく洗練されたフォルムのことでも機能美でもなく、「関係性を構築すること」だと語った。購入者や所有者にとって対象物が何なのか、どんな役割を果たしてくれるものなのかをはっきりさせることがデザインの最大の目的であり、特にロボットのように良く分からないものの場合はそれが重要だという。炊飯器やラジカセのように既に役割がはっきりしているものは変わったデザインをほどこしても構わないが、これから出てくる新しいモノは誤解がないようにする必要があるからだ。
同氏は、テプラで注意書きが貼られたコンビニのコーヒーサーバの写真を示して、関係性について具体的に語った。ネット上でも話題になっているが、あのサーバーは、元来はコンビニ店の訓練された店員が扱うものとしてデザインされたものが、途中で顧客自身が扱うものへと関係性が入れ替わってしまったのではないかと園山氏は想像しているという。このほか、石けんと水の出る蛇口のどちらが主役か分からないトイレの手洗い場の写真などを示して、「かっこいい」や「美しい」も大事だが、まず大事なのはユーザーとの関係性を大事にすることだと強調した。モノの5W1Hを念頭に置くことが必要だという。
ではロボットと人との関係性とは何か。園山氏は、ロボットは基本的に乗り物や家電の上位概念だと捉えているという。乗り物の場合、誰がどこでどんなふうにいくためのものなのかによってデザインは変わる。そして「産業としてのロボットを考えるとき、関係性は最重要課題の1つ」だと園山氏は語った。人は自分に関係のないものは買わないからだ。対象を購入することで、どんな良いことが起こるのかが大事だという。例えば「商談で使える秘書ロボットが欲しい」という関係性を要求する顧客がいたとする。そこにかわいいロボットを持ってきたとして、その関係性を満たすことができるだろうか。普通は満たさないが、これがキャラクター商品を展開する会社の人だったら話が全く変わってくる。つまり、人によって関係性は違ってくるし、いずれにしてもその関係性が明確なものを人は欲しいと思う、というのが園山氏の考えだ。
園山氏によれば、「ヒト型」ロボットの条件も関係性によって変わるので、一概に「これがヒト型です」とは言えない。ヒト型の理由も、例えば「HRP-4」はヒト型ロボットの研究をするためのプラットフォームなのでヒト型である意味がある。「NEXTAGE」は産業用アームロボットの進化系としてデザインされたものだが、「NHKスペシャル」では「汎用人型ロボット」という扱いだった。これは「NHKのコンテンツとしての関係性」でそうなったのだとジョークまじりに述べて、ロボットを人に似せる意味は、人型である関係性が求められているのであれば、あるのだと語った。
「どこまで似せるのか」についても「どこまで求められているかどうか」だという。つまり、人のシルエットをしていることで安心感があるなら人型シルエットであるだけで十分だし、人そっくりにすることが求められるのであれば、それなりに似せなければいけないということだ。デザイナー的にはそうなるということだろう。
「歩くことをなめるな」--二足歩行は深い
独立行政法人産業技術総合研究所(産総研)の梶田秀司(かじた・しゅうじ)氏は、産総研でのヒューマノイドロボット開発について、2足歩行の研究者としての立場から講演した。まず2足歩行ロボットの歴史を振り返り、早稲田大学の故・加藤一郎氏らが1973年に作った世界初のヒューマノイド「WABOT-1」、1982年に動歩行を実現した「Biper-3」などを紹介。そして「ものすごい数式だらけの論文」を見て、「中2病」的に「僕のアイデアをもってすればもっと簡単に歩かせることができる」と考えて研究者になったと述べて、自身が産総研の前身の1つ機械技術研究所時代に開発した鳥脚式の2足歩行ロボット「Meltran II」を紹介した。
梶田氏は1990年代前半に撮影された当時のNG動画を示しながら、ロボット開発の苦労を述べた。例えば、今のロボットでも同じだが、センサーを載せれば歩くというものでもない。センサーには必ずノイズがある。センサーで床面の障害物を見つけて歩行するロボットだと、存在しない障害物を誤って認識してしまったり、さらにそれで姿勢を崩してわけが分からない状況に陥ったりしてしまうこともある。予算も限られているなか、苦労しながら開発を続けていた。
そんな中、1996年12月にホンダが本格的なヒューマノイドロボット「P2」を発表する。世界中の研究者を驚かせ、梶田氏は研究をやめようかと思うほどショックを受けたと当時を振り返った。だがそうしているあいだに、1998年から経済産業省によって総予算46億円の「人間協調・共存型ロボットプロジェクト(HRP)」が立ち上がり、ヒューマノイドの応用可能性が追求されることになった。梶田氏はその計画を通じて新たなロボットを開発することになる。余談だが「PC Watch」がロボット記事を掲載しはじめたのも「HRP」の頃からだ。
産総研はHRPとその後継プロジェクトの中で、ヒューマノイド研究用のプラットフォームロボットとして、複数のロボットを開発した。最新型が「HRP-4」と「HRP-4C」だ。「HRP-4C」は、2足歩行するヒューマノイドの応用可能性の1分野として、エンターテイメント、人間シミュレーターとしての可能性を探索するためのロボットだ。首と腰に3軸ずつ自由度があるので腰を回転することもできる柔軟性を持ち、爪先の自由度を使って、かなり人間に近い形での2足歩行もできるようになった。このHRP-4Cを実現するために足首そのほかで機構を工夫して、モーターを回転軸から外して人間のように関節部分が細めの構造を実現した。
さらに梶田氏は、2足歩行ロボットのバランス制御に使われていることが多い「床反力中心(ZMP)」制御について説明を続けた。ZMPとは立っていたり歩いていたりするときに足裏が床面から受けている力の中心のこと。力のベクトルの作用点がロボットの足の支持範囲内にあれば倒れないし、その中にあるようにボディを制御することができれば、ロボットはいろいろな動作が可能になる。
HRP-4CはZMP規範で制御されており、ヤマハとコラボレーションして歌ったり、踊ったり、一人芝居をやったり、ウェディングドレスのショーに出たり、APECサミットではオバマ大統領とも会った。そのあたりはこれまで本誌や「Robot Watch(休刊)」でもレポートしてきた通りである。最近は試しに浴衣を着せてみて、そのままでも歩行可能なことを確認したという。
最後に梶田氏は「私の考えるヒト型ロボットの条件は2足歩行」だと述べた。「ただ歩くだけでもさまざまな動作が含まれており、それらはまだまだ実現できていない」と続け、「歩くことをなめないで欲しい。2足歩行は非常に深い。やるべきことがたくさんあるが先は見えてない」とまとめた。
ロボットを思い通りっぽく動かすために--V-Sido
ソフトウェアにおいて傑出した個人を支援する「未踏プロジェクト」のスーパークリエータに選ばれたこともあり、最近は倉田光吾郎氏によるアート作品としての巨大ロボット「クラタス」の制御ソフトウェア担当として知られるアスラテック株式会社事業企画本部 チーフロボットクリエイターの吉崎航(よしざき・わたる)氏は、そのソフトウェア「V-Sido(ブシドー)」について「大きなロボットも小さなロボットも同じように扱えるソフトウェアだ」と解説して話を始めた。
ヒューマノイドは人間の形に似せており、特定の仕事をするのではなく汎用的なものとして最初から想定されている。そのため、色々な仕事ができると稼働率が高くなって効率的かもしれない。また、見た目で使い方などが通じる点も多い。一方で、過剰な期待感を与えてしまうこともある。また、これらの利点は巨大ロボットにもあてはまるという。例えば重機をヒト型にすることができれば設置面積が減る。片腕でものを抑えながら作業することもできるかもしれない。ヒト型ロボットの制御技術は、ロボットが効率よく作業する上で役に立つはずだ、というのが吉崎氏の考えだ。要するに、人型ロボットには機能的にも存在意義があり、見た目のインパクトだけではないという。
ただし、利点があるということと、必然性があるということは別だ。わざわざ人型にするのには技術的課題が多い。歩行制御だけではなく、さまざまな技術を組み合わせる必要がある。制御ソフトウェアとして、吉崎氏が提案しているのがロボット操作用統合ソフトウェア「V-Sido(ブシドー)」だ。多くの関節からなるロボットを、適当に動かすと予想外の動きをしてしまうことがある。例えば上半身だけを動かすと、下半身がついてこなくて転倒してしまうといったことが起こる。吉崎氏はこのような状況に対し「思いどおりに動かすのではなく、思い通りっぽく動かすことが必要なのではないか」と提案する。例えば、上半身だけ操作すれば、下半身のバランスはシステム側で対応してほしい。「V-Sido」はそういう補完を自動でやってくれる。
「V-Sido」のコンセプトは3つ。リアルタイムな操縦が可能であること。シミュレーターと同期して動作を安定化できること。そしてもう1つが、操作補助を加えてできるだけ簡易にロボットを操作できることだ。ただの遠隔操縦システムではない。着ぐるみを操作するにしても、着ぐるみとまったく同じロボットを用意する必要はない。吉崎氏はアールティ社の「着ぐるみロボット」を「V-Sido」でリアルタイム操作する例や、センサーレスの予測制御で安定した歩行ができる例をビデオで示した。「V-Sido」を使うことで演出した歩かせ方も可能になる。吉崎氏は比較的安価な市販サーボモーターでも十分に安定した制御ができることを示そうとしているという。
「クラタス」は前述のように倉田氏によるアート作品で、吉崎氏にとっては油圧駆動での「V-Sido」実験用機体でもある。「V-Sido」によってハードウェアメーカーとソフトウェアメーカーを繋げ、より自由な発想で多くのロボット製品を作って欲しいと考えているという。ヒト型の利点については、人が動かすのであれば、人と同じ関節構成の方が直感的に動かせるだろうと述べた。
2つ以上の感覚モダリティの統合が人の存在感を感じさせる
大阪大学教授で「未踏」のPMも務める石黒浩(いしぐろ・ひろし)氏は、Skypeでの登場となった。石黒氏は人間そっくりのロボット「ジェミノイド」で知られる。石黒氏はこれまでのジェミノイドと、その活用例として百貨店での活用例を示した。石黒氏によれば、もともとマネキンは人間そっくりの蝋人形だったが、それが近代化と共に「でっかいハンガーみたいになっちゃった」経緯があるのだという。百貨店での接客にアンドロイドを使うことについては、人間の販売員だと20件程度で疲れきってしまうがアンドロイドだと何十件やっても平気で、しかも1万円超えるような高額な服を実際に10日で30着も売ることができたことから、十分人間らしく働けたと述べた。
特定の誰かにそっくりの「アンドロイド」は、モダリティが欠けると「不気味の谷」に落ちる。そのため、全てが人間らしくないといけないというのが石黒氏の考え方だ。そこで人間の形を残しつつ、想像の余地を残した存在として「テレノイド」を開発した。テレノイドは特定の誰かの形をしていない。誰か分からないので、想像で関わることになる。ミニマルな姿形なので、声が聞こえてくると、声から想像することで人の存在感を感じて話ができるメディアになっていると考えているという。
「テレノイド」をさらに小型化したのが「ハグビー」である。巨大な抱き枕型ケータイホルダーだ。最近、石黒氏らのグループは、ハグビーを使うことで、唾液・血液検査でストレスホルモンであるコルチゾールの減少が見られることを見出した。つまりハグビーを使うことでストレス軽減効果があると考えられるという。石黒氏は「テレノイドとハグビーは人型の存在感メディアになる」と語り、2つ以上の感覚モダリティの統合が人の存在感を感じさせるのだろうと考えていると述べた。
人の脳内には人を認識させるためのモデルがあり、それをいかに刺激するかが存在感の有無に繋がると考えているという。そして関わりが短い場合はジェミノイドの方が良いが、関わりが長い場合は、「話す」というモダリティがあれば「テレノイド」や「ハグビー」で十分に存在感が感じられるという。「(ヒト型の)デザインということに戻ると、状況に応じて使い分けるのが正しい」と述べてまとめた。
既に必然性を持ちつつあるヒト型ロボット
最後のパネルディスカッションでは、「ロボットに個性は必要か」といった話題のほか、ロボットの知的能力向上の必要性や、ロボットと人はどういう関わりをさせて行くべきなのか、所有者との履歴ベースのエピソード記憶を持たせるべきではないかといった話題が出た。一方、掃除ロボット「ルンバ」のように個性がなくても十分に受けれ入られているロボットもあることから、ロボットが社会に受け入れられるためには「役に立つものか、役に立たないけど生命感が感じられるようなものか、どちらかでなければいけない」と石黒氏が述べて、ディスカッションは終わった。
最後に感想を述べておきたい。「ヒト型ロボット(の形)に意味はあるか」という議論は、ロボット周辺の論点として定期的に出る話題で、いつもだいたい「ケースバイケースだ」というオチに終わる。おそらくこれからもそうだろう。ロボットは目的を持って作られる人工物なので、人工物として求められる形を取るだけのことだ、というわけだ。つまり仕様として人っぽい形が必要とされるのであれば、そういう形で作られる。基本的には当然その通りだと思う。
11月に行なわれた「2013国際ロボット展」では、各社から上半身型のヒューマノイドと言ってもいい「双腕ロボット」が多数出展された。これらは人間が行なって来た作業をサポートしたり一部代替することを目的として開発されている。背景には、産業面では変種変量生産にフレキシブルに対応できるロボットの必要性が増していること、技術面では狭い空間に双腕を使っても腕がぶつからないような軌道を生成することができるようになったり、環境に対して固定されていなくても精度が出る視覚技術が充実してきたことなどがある。最近はバイオや医療分野にも双腕ロボットが進出を始めている。まだまだ人がやることで危険性が少なくなかったり、データのブレをなくしたいという要望があるのだという。その作業を代替するならばヒトに似た形の方がいい、ということであるらしい。
つまり、単なるヒトの模倣ではない、だが「ヒトに似た形」をしたロボットには、情緒的な側面以外での存在理由が既にあるのだ。先行した数社に続いて多くのメーカーが双腕ロボット開発へと乗り出し始めたことは、実際に導入してみると少なからぬ有用性が現場で確認されたことを意味しているのだろう。個人的には、この点に関する議論を深めてほしかった。徐々に性能を増すヒトに似た機械が生産現場をどう変えていくのか、そこには多くの興味深いテーマがあると思うし、現場の反応には耳を傾ける価値があるだろう。
現在の双腕ロボットは「下半身」に相当する部分は、床面にがっちり固定されているか、移動台車か、あるいはロボット本体のコントローラや電源ユニットとなっている。今後ここを小さくすれば生産現場内でのレイアウトの自由度は増すし、実際に現場ではそれが求められているとも耳にする。さらに腰軸が使えれば、位置精度は落ちるかもしれないが「ちょっと腕を伸ばす」ことができ、腕のリーチ範囲は伸びる。やがて、議論の中で述べられているように移動ロボット技術である二足歩行技術や全身協調制御によるバランス制御技術がフル活かされた生産用ヒューマノイドが登場するかもしれない。
空想はさておき、人は対象の「形」から多くの情報を読み取り、機能を期待する生き物である。ヒト型がなんらかの人の感情を喚起するのは必然だ。既に必然性を持ちつつあるヒト型ロボットがどこまで発展するのか。どんな技術が派生して出てくるのか。もうしばらく見ていきたいと考えている。