ニュースの視点
Microsoftが2.7兆円でLinkedInを買収。その狙いと影響は何なのか?
~大河原氏、笠原氏、山田氏の視点
2016年6月24日 06:00
このコーナーでは、直近のニュースを取り上げ、それについてライター陣に独自の視点で考察していただきます。
大河原克行氏の視点
米MicrosoftによるLinkedInの買収が、業界で大きな注目を集めている。買収金額は262億ドル(約2.7兆円)。2016年内に買収を完了する。鴻海精密工業が、シャープの株式の66%を取得するための買収金額が3,888億円。シャープが安く買い叩かれた点も否めないが、それと比較しても、この金額の大きさが分かる。Microsoftにとっても過去最大の買収規模であり、Skype買収時の約85億ドル、Nokia買収時の約75億ドルを遙かに超える。
670億ドル(約6.9兆円)というIT業界最大となったDellによるEMCの買収に比べると規模は劣るが、それでもEMCはストレージ以外にも、VMwareやRSAセキュリティなどを持つ複合企業という付加価値がある。LinkedIn自身も買収を進めてきたが、依然としてビジネスソーシャルネットワーキングサイト専業の域を出ておらず、それをこれだけの金額で買収したことはある種驚きだ。
では、Microsoftは、それだけの投資をしながら、LinkedInが持つ何が欲しかったのだろうか? Microsoftは、今回の買収について、「世界のリーディングクラウドプロフェッショナルと、プロフェッショナルネットワークの統合」という表現をしている。Microsoftが持つクラウドサービスと、ソーシャルグラフを核としたLinkedInのソーシャルメディアサービスとの組み合わせによって、新たなサービスの創出に繋げるのが狙いだ。
だが、Microsoftが手に入れたかったのは、SNSの技術そのものではない。同社は、既にYammerを手に入れており、単純にSNSの技術が欲しいわけではない。重要なのは、LinkedInの強みが「人材」に直結している点と言える。つまり、Microsoftが語るLinkedInの「プロフェッショナルネットワーク」とは、SNSの技術のことを言っているのではなく、人材のネットワークそのものを指していると言っていい。
財務指標の観点からみれば、買収完了後は、ワークスタイルの変革を推進する「プロダクティビティ&ビジネスプロセス」の領域に分類される可能性が高く、ここに含まれるOfficeやDynamics CRMといった製品と、LinkedInのプロフェッショナルプロファイルサービスとの連携が推進されることになるだろう。
Microsoftでは、LinkedInの独立性を維持しながらも、ニュースフィードのようなサービスでの連携や、LinkedInのデータとCortanaとの連携、Dynamics CRMとの連携による個人のソーシャルセリングにおける連携、組織作りにおけるリーダーを担う人材に関するインサイトなどのデータ提供、人を中心とした研修サービスやラーニング面での連携などを挙げているが、期待したいのは、LinkedInがMicrosoftの傘下に入ったことで、これまでにはなかったような進化だ。
かつてMicrosoftが買収したSkypeが、いまや単なるインターネット電話のサービスだけにとどまらず、Office 365やLync(現在のSkype for Business)との連動によって、オフィスの生産性向上のためのツールへと進化しているようなことが、LinkedInでも期待したい。LinkedInが持つ全世界4億3,300万人の利用者に、Officeの10億人のユーザーが組み合わさることで、どんなサービスが創出されるのかは注目に値する。
今回の買収を読み解くキーワードは「人」である。2014年2月に、米MicrosoftのCEOにサティア・ナデラ氏が就任した際に掲げた最初のキーワードが、「People-Centric IT」であり、それ以来、数々の施策の中に、人を中心としたIT戦略を盛り込んできた。
今、Microsoftが掲げているミッションステートメントは、「地球上の全ての個人と全ての組織が、より多くのことを達成できるようにする」ということ。つまり、企業の生産性を高め、個人の生活を豊かにするということにフォーカスを置き始めている。日本マイクロソフトの平野拓也社長も、同社の重点施策として、「徹底した変革の推進」を挙げ、その筆頭に、「PCを核とした考え方から、人を核とした考え方へ」を打ち出す。
そして、何度も繰り返して、ナデラCEOが標榜している3つのアンビション(野心)の中の1つである「パーソナルコンピューティング」においては、「これまでのPC中心の時代には人がデバイスに適応していったが、モバイルファースト、クラウドファーストの時代には、デバイスが人に適応していくことになる」と語る。
かつてのMicrosoftは、創業者のビル・ゲイツ氏が掲げたように、「全ての家庭に1台ずつのPCを設置すること」、「全ての指先で情報を利用できるようにする」といったようなデバイス中心のビジョンが中心であった。それは、後任のCEOとなったスティーブ・バルマー氏も同様であった。
だが、ナデラCEOが打ち出しているのは、人が中心の考え方であり、それが、同社の戦略の軸になっている。今回のLinkedInの買収も、人を中心とした同社の基本戦略に当てはめてみれば、むしろ、「ストライク中のストライク」の案件だと言える。ミッションステートメントの実現に向けた重要な布石になることが分かる。
とは言え、今後数年における日本における効果は限定的だ。日本でのLinkedInの利用は米国ほど活発ではなく、主流ではない。すぐに、日本での効果が発揮されるとは考えられない。
しかし、中長期的な視点でみれば話は別だろう。日本においては、現在の利用者数をもとにした短期的な効果が見込めない反面、LinkedInの技術を活用した中長期的な相乗効果は、Microsoftのプラットフォームを利用した、新たな「人」を核としたサービスの創出という形で表面化する可能性があるからだ。LinkedInそのものでは、日本へはそれほど受け入れられなかったが、MicrosoftとLinkedInの組み合わせによって、日本の「人」が、最適なものとして受け入れるかどうかがポイントだ。
笠原一輝氏の視点
今回の買収劇には多くの人が驚かされたのではないだろうか。LinkedInと言えば、日本のユーザーにはなじみが薄いものの、グローバルに見ればビジネスパーソンが使うSNSとしてメジャーな存在で、米国ではTwitterは拡散に、Facebookはプライベートに、LinkedInはビジネスの繋がりの維持にという形で使い分けるのがビジネスパーソンの常識だ。日本のユーザーにとっては、まだまだMicrosoftはWindowsやOfficeの会社であると見えているだろう。そのため、「なぜMicrosoftがSNSの企業を買収?」と訝しがった人も多いのではないだろうか。
だが、昨今の“変わりつつあるMicrosoft”という視点で見れば、このLinkedInの買収は非常に理にかなった戦略だと筆者は評価している。変わりつつあるMicrosoftというのは、最近のMicrosoftの標語である“クラウドファースト、モバイルファースト”に象徴されているビジネスモデルの転換のことだ。
一般的には、モバイル市場でAppleやGoogleに負けているMicrosoftが、その挽回としてこの戦略を打ち出していると見る向きも少なくないが、クラウドファースト、モバイルファーストというのは、Microsoftがハードウェアに依存してきたプラットフォームの会社から、モバイル端末とクラウドコンピューティングのソリューション企業へと脱皮しようという戦略の現われだと筆者は理解している。その背後には、今、パーソナルコンピューティングがローカルで処理する形から、クラウドで処理するクラウドコンピューティングへの大転換が発生していることがあるのは言うまでもない。
今回のMicrosoftのLinkedInの買収は、この路線の延長線上にある決断だと考えるのが妥当だ。というのも、SNSというのはクラウドコンピューティングそのものだからだ。SNSのバックエンドがどうなっているか考えてみよう。SNS企業が運営するデータセンターでは、ユーザーの膨大なデータを保存しているストレージと、それを処理する高速なCPUを持ったサーバーが用意されている。ユーザーが検索をすると、データセンターで検索が行なわれ、その結果をユーザーのブラウザやアプリに返す。現在ではせいぜい検索程度の機能しかないかもしれないが、将来的にはもっと新しい機能が実装されていく可能性すらある。
かつ、見逃せないことは、そこにはユーザーのデータが存在していることだ。ユーザーの属性、写真、動画、位置情報……などさまざまな情報がSNSには詰まっている。それらのパーソナルデータを濫用することはプライバシーの観点から許されないが、多くのSNSではその規約の中でプライバシーを除いた部分をビッグデータとして活用することをユーザーに求めていることが多い。そうした属性を分析したり、属性に基づいて趣向などを分析するという使い方が可能な場合がある。それを新しいビジネスに繋げる可能性も次のステップとして十分考えられるだろう。特に、LinkedInの場合はビジネス向けに使われているSNSであり、そこにあるデータの価値は改めて筆者が強調する必要も無いだろう。
ただし、Microsoftの買収には課題もあると指摘しなければならない。これまでのMicrosoftの企業買収の例を振り返ってみると、Microsoftがそれを活かしてきたかと言われると、そうではないことが多いと分かる。直近の例で言えば、2013年のNokia携帯電話部門の買収は、つい最近、部門の縮小が明らかになったばかり。また、2011年に買収したSkypeも、SkypeのアカウントとMicrosoftのアカウントの統合が行なわれ、Office 365のサービスとしてSkypeの通話権が提供されたぐらいで、買収の効果が出ていると言い切れない点もある。LinkedInでも同じようなことにならいように、その資産をよく検討し、最大限活かす戦略を早急に描いていく必要があるだろう。
こうした課題は残るが、MicrosoftがLinkedInの資産をうまく活用して、LinkedInを魅力的なクラウドコンピューティングのソリューションにすることができれば、2.7兆円という金額も決して高い買い物ではなくなり、未来への効果的な投資となるだろう。繰り返しになるが、Microsoftは、もはや我々がかつて見ていたWindowsやOfficeの会社ではない。Microsoftは本気でクラウドファーストな会社に脱皮しようとしており、今回のLinkedInの買収劇もその延長線上で見ていけば、十分に理にかなった戦略なのだ。
山田祥平氏の視点
Microsoftは決して買収がうまい会社とは言えない。大成功として語り継がれているものとすれば、当時パーソナルコンピュータ用のOSを外部から調達しようとしていたIBMに対して、シアトル・コンピュータ・プロダクツのQDOSを買収してPC DOS、すなわち後のMS-DOSに仕立て上げたことくらいだろうか。既に35年前の昔話だ。
今、身近な存在として認知されているものでは、OneDriveが、FolderShare買収の成果だと言える。あとはYammerやSkypeといったところだが、いずれも決して活かしきれているとは言えそうにない。
今回のLinkedIn買収については、Microsoftが現時点で持たないソリューションの1つが、SNSだったということにつきる。うがった見方をすれば、LinkedInでなく、Facebookであったとしてもよかったんじゃないだろうか。でも、それはあまりにも高い買い物になりそうだし、向こうもウンと言いそうにない。Facebookくらいなら逆にMicrosoftを買うことだって視野に入っているかもしれない。そういう意味ではある程度の規模を持ち、買われたがっているLinkedInはお手頃だったのだろう。
その買い物が株主にとって意義のあるものであることを示すためには、中途半端な金額では逆にまずい。買い物対象の金額は、その価値のバロメーターでもあるからだ。買って捨てたに近いNokiaの買収額のほぼ5倍となり、過去最高と言われるLinkedIn買収額の背景には、そんな舞台裏があるのかもしれない。
ここのところのLinkedInには、Facebookクローンに近い印象を受ける。ただ、ビジネスパーソンも専業主婦も一個人であることを前提に広がるFacebookネットワークと、個人としてのビジネスパーソンが仕事のための情報共有ネットワークとして使うLinkedInでは、その趣はちょっと異なる。もちろんその規模も違う。その登録ユーザー約4億人を、1人あたりの単価60ドルで購入したということか。言わばユーザー付きSNSパッケージといったところ。
Micorosoftに買われたことを理由に、LinkedInを離れるユーザー、逆にLinkedInに流入するユーザーというのはあまり考えられない。LinkedInは今のマーケティング手法でそのネットワーク価値を上げていくしかなさそうだ。そのためにMicrosoftが既に持っている各種のソリューションをどのように活かせるのかが問われる。欲しくても買えなかったソリューションが、自らを買われたことで自由に使えるようになればLinkedInの何かが変わる。個人的にはそこに期待したい。
つまり、今回の買収劇で変わるのはMicrosoftではなくLinkedInだ。Microsoftが自らの影響力とWindowsに依存しないビジネスのカタチを確認するために、4億人を巻き込んだ壮大なベータテスト。少なくとも現時点で2.7億台とされるWindows 10稼働PCの台数より多い。それが今回の買収だと言える。