バグは本当に虫だった - パーソナルコンピュータ91の話

第5章 検索の時代へ(4)

2017年2月21日に発売された、おもしろく、楽しいウンチクとエピソードでPCやネットの100年のイノベーションがサックリわかる、水谷哲也氏の書籍『バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話』(発行:株式会社ペンコム、発売:株式会社インプレス)。この連載では本書籍に掲載されているエピソードをお読みいただけます!

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スティーブ・ジョブズの右腕は沖縄出身 2010年

インターネットによる音楽配信サービスといえばアップルのiTunes。音楽や放送を、どこでも好きな時に好きな場所で聞けるというイノベーションを全世界に起こしました。このiTunesの開発に関わっていた沖縄出身の人物はジョブズの右腕といわれるほどでした。

 『マッキントッシュ伝説』(斎藤 由多加)によればiTunesの開発に関わっていたのはジェームス比嘉という沖縄生まれの人物。ジェームス比嘉の父親は琉球大学教授で母親もウチナーンチュ(沖縄人)でした。日本へ復帰する前の琉球政府時代の留学制度で両親は米国に留学し、この時に出会い生まれたのがジェームス比嘉です。

 ジェームス比嘉は沖縄のクバサキ・ハイスクールに入学。クバサキ・ハイスクールとは北谷町・海兵隊基地「キャンプ・フォスター」内にある高校で、キャンプ内には高校以外にも住宅、病院、映画館、ボーリング場などがあり、小さな街になっています。

 ハイスクールを卒業し、スタンフォード大学に進学、大学卒業後にカメラマンになります。アップルが日本向けにマッキントッシュを売り出す時、撮影依頼がありました。撮影の企画書を見たジェームス比嘉は、これは日本人向けではないと企画書の訂正を進言。これがきっかけでスティーブ・ジョブズと知り合いになります。スティーブ・ジョブズに「君に企画をまかせるから、そのかわりウチの会社に来い。」と言われ、アップル社員になります。

漢字トークを開発する

 マッキントッシュが日本で販売されましたが、日本語化にスティーブ・ジョブズが反対していたので、日本で売られるマッキントッシュは英語仕様のまま。これでは日本のユーザには広まりません。そんななかエルゴソフトがEgWord(日本語ワープロソフト)を出し、エーアンドエーがSweetJAM(日本語環境を提供するソフト)を出すことで、ようやくユーザは日本語が使えるようになります。

 この動きにさすがにまずいと思ったジョブズはアップル内で日本語が唯一話せるジェームス比嘉に「OSを漢字化するプランを作れ」と命じます。こうしてジェームス比嘉とプログラマが作りあげたのが漢字トーク。1986年発売のマッキントッシュ・プラスに搭載されました。今のMacOSの元祖になります。

iPod、iTunesを開発

 漢字トークの開発途中でスティーブ・ジョブズはアップルを追われネクストを起業します。ジョブズに誘われたジェームス比嘉もアップルを辞め、ネクストジャパンの社長になります。時が流れ、業績が悪化したアップルはジョブズに救いを求めます。アップルがネクストを買収し、ジョブズがアップルに返り咲くと、ジェームス比嘉もアップルに戻り、ジョブズの右腕として活躍します。

 ジョブズからまかされたのが、携帯音楽プレイヤとインターネットによる音楽配信サービスのプロジェクト。立案から半年、約二十人のスタッフと商品化をおこない、レコード会社との困難な交渉をこなし、これがiPod、iTunesになります。

 ジェームス比嘉は沖縄の楽曲“島唄”のように、世界のいろいろな所によい音楽があり、これをiTunesで広めたいと考えていました。iTunesストアに日本で初めて登録されたグループは「りんけんバンド」です。「りんけんバンド」とは、沖縄出身の音楽ユニットで、三線や島太鼓など沖縄に伝わる楽器と現代の楽器を組み合わせた沖縄ポップを演奏しています。

 スティーブ・ジョブズが亡くなった後、ジェームス比嘉もアップルを退社。現在はサンフランシスコを拠点にして新興企業へのアドバイスを続けながら、多くの時間をベイエリアの慈善活動に割いています。

チータにデトロイト 意外な開発コード名 2010年

新しいプロジェクトを立ち上げる時、よく開発コード名がつけられます。開発コード名は関係者の間で使われる名称で、製品化された時には正式名称が使われます。アンドロイドの開発コード名はドーナツ、エクレア、フローズンヨーグルト、アイスクリームサンドウィッチ、ジェリービーンズとスイーツだらけでした。

 アップルは初期の頃、音楽関係の開発コード名を多くつけていました。作曲家からつけた開発コード名にはコープランド、ガーシュインがあります。またラプソディというコード名はガーシュインの名曲「ラプソディ・イン・ブルー」にちなんだ名前です。他にもハーモニ、アレグロ、ソナタなどの楽章形式が開発コード名に使われています。

 MacOS Xからは音楽系の開発コードをやめ、チータ、ピューマ、ジャガー、タイガー、パンサー、レオパルド、雪ヒョウ(スノーレオパルド)、ライオンと大型ネコ科哺乳類のオンパレードです。ですがネタが切れたようで最新のOS開発ではマウンテン・ライオンという開発コード名が使われましたが、これは既に使われたピューマと同じです。

マイクロソフトは地名がお好き

 対するマイクロソフトの開発コード名は地名がよく使われています。これは開発者が実際に訪れたいと思い、想像をかき立てられるような場所という意味でつけています。ウィンドウズ95がシカゴ、98がメンフィス、Meがジョージアです。他にもデトロイト、カイロ、デイトナなどがあります。

 ウィンドウズXPの開発コード名はウイスラーでした。ウイスラーはカナダにあるリゾート地で、2010年にバンクーバーで冬季オリンピックが開催された時にはウイスラーでアルペンスキー、ボブスレーなど多くの競技がおこなわれました。

 ビスタの開発コード名が少し変わっていてロングホーンという名前です。このロングホーンはカナダにあるウイスラーとブラッコムの間にあるレストラン(ロングホーン サロン&グリル)の名前です。当初はウイスラー(ウィンドウズXP)とブラッコム(次期OS)の中間バージョンとする予定で、変則的な開発コードをつけてしまいましたが、結局、プロジェクトが遅れてしまい、中間バージョンだったビスタがメジャーデビューとなりました。

 ビスタの後継OSの開発コード名はブラッコムでしたが、これは正式には地名ではなくスキー・リゾートの名前でした。もう一度、自分たちが訪れたい地名に戻ろうと開発コード名が変更されてウィーンになり、これが発売されウィンドウズ7になります。ところがウィンドウズ10の開発コード名はスレッショルドで、ゲームに登場する惑星の名前からとられ、地名路線はやめてしまいました。

 マイクロソフトがシカゴ(ウィンドウズ95)を開発していた時、アップルは開発していたOS(システム7・5)にカポネ(シカゴのギャングの名前)という開発コード名をつけました。シカゴ(マイクロソフトの市場)を荒らすつもりで命名したのでしょう。

マイクロソフトにはウィンドウズという野球チームがある 2010年

会社規模が大きくなるにつれ、部門をまたがった交流がだんだんおこなわれなくなります。いろいろな部門の情報が流れなくなり、社内に連帯感が失われていきます。そこで会社が奨励しているのがクラブ活動。クラブ活動が盛んな会社はいろいろありますが、マイクロソフトもその一つ。マイクロソフトには野球部があり、このチームの名前がウィンドウズです。

 1991年創部で、会社設立五年後にできたマイクロソフトでは一番古いクラブです。チーム・ウィンドウズには背番号「3・0」、「3・1」をつけた選手が在籍していました。

 関東ITソフトウェア健康保険組合がおこなっているITS軟式野球大会(社会人野球)で、チーム・ウィンドウズは二度優勝しています。毎年秋に開催されるITS軟式野球大会はAブロック、Bブロック、Cブロックに別れ、各ブロックでは百十社ほどがトーナメント方式で戦います。昇格制になっておりBブロックで良い成績をあげないとAブロックに昇格できません。つまりAブロックで優勝するとIT企業三百五十社の頂点に立つことになります。

 チーム・ウィンドウズは強豪チームの一つで、2010年11月におこなわれた第二十五回ITS軟式野球大会では、サイバーエージェントに敗退し惜しくも第四位でした。優勝はコナミ株式会社、準優勝が楽天、第三位がサイバーエージェントでした。優勝したコナミ野球部はめちゃくちゃ強く、大会史上初の三連覇を成し遂げています。

 マイクロソフトのチーム・ウィンドウズは第二十二回、第二十三回大会で共に三位になっていますので、かなりの強豪チームです。第三十回大会では初戦で強豪のサイバーエージェントにあたったため敗退しています。第二十九回目もサイバーエージェントに敗退しています。サイバーエージェントとは、よほど相性が悪いようですね。

グーグルにはマリオカート部がある

 クラブ活動といえば、野球、ゴルフ、テニス、釣りなどの運動系や華道、茶道、カラオケなどの文化系が定番ですが、変わったところではグーグルにマリオカート部があります。ひたすらマリオカートでゲーム対戦して汗を流すというクラブ活動です。

 グーグルマリオカート部は2006年3月に結成され、4月には有志がファミレスに集まり第一回マリオカート大会がおこなわれました。二十四時間営業のファミレスで大会は終電までおこなわれました。周りからはオタクの集まりとしか見られなかったでしょう。

 2007年にはサイボウズの任天堂DS部から対戦申し込みがあり、交流試合がおこなわれました。ユーチューブで対戦風景を見ましたが、なかなか白熱していました。この時、試合に勝ったのはグーグルマリオカート部でした。サイボウズの任天堂DS部もグーグルマリオカート部と同様、会議室に集まっては、マリオカートの対戦をおこなっています。ただし負けた人は、反省文を提出しないといけません。

水谷 哲也

水谷哲也(みずたに てつや) 水谷IT支援事務所 代表 プログラムのバグ出しで使われる“バグ”とは本当に虫のことを指していました。All About「企業のIT活用」ガイドをつとめ、「バグは本当に虫だった」の著者・水谷哲也です。1960年、津市生まれ。京都産業大学卒業後、ITベンダーでSE、プロジェクトマネージャーに従事。その後、専門学校、大学で情報処理教育に従事し2002年に水谷IT支援事務所を設立。現在は大阪府よろず支援拠点、三重県産業支援センターなどで経営、IT、創業を中心に経営相談を行っている。中小企業診断士、情報処理技術者、ITコーディネータ、販売士1級&登録講師。著作:「インターネット情報収集術」(秀和システム)、電子書籍「誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術」(インプレスR&D)など 水谷IT支援事務所http://www.mizutani-its.com/