バグは本当に虫だった - パーソナルコンピュータ91の話
第5章 検索の時代へ(1)
2017年5月29日 06:00
2017年2月21日に発売された、おもしろく、楽しいウンチクとエピソードでPCやネットの100年のイノベーションがサックリわかる、水谷哲也氏の書籍『バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話』(発行:株式会社ペンコム、発売:株式会社インプレス)。この連載では本書籍に掲載されているエピソードをお読みいただけます!
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2000年 | フレッツADSL開始 |
2001年 | ウィンドウズXP登場 |
2003年 | 個人情報保護法成立 |
2004年 | ミクシーがスタート |
2006年 | グーグルがユーチューブを買収 |
2007年 | iPhone、アンドロイド スマホ誕生 |
2008年 | ビル・ゲイツ引退 |
2000年、森首相が唱えたのがイージャパン戦略です。日本型IT社会の実現を目指す国家戦略ですが音頭をとる森首相がITを“イット”と呼んで話題になりました。予算がつき各地の中央公民館や役場で無料のパソコン教室が開催され、パソコンの電源の入れ方からホームページの見方まで教えてもらい、家庭内にパソコンが普及します。
パソコン教室は平日のお昼開催が多かったため、高齢者の受講者が目立ちました。高齢者はさっそくパソコンを買って、使い方を覚えたメールを送り情報交換にいそしみます。パソコンを買ってから、しばらくするとパソコンに事前インストールされたウイルス対策ソフトの使用期限が過ぎ、更新するように通知がきます。通知は専門用語オンパレードのメールで、しかも英語タイトルです。支払はカード決済でないと受けつけないなど、高齢者にはかなりハードルが高い更新作業です。結果的にウイルス対策ソフトの更新が無視され、ウイルス感染しているパソコンが日本中に現在もたくさんあり、しかも外部からあやつられて攻撃に使われています。
パソコン業界ではスティーブ・ジョブズがアップルに戻り、奇跡の復活をはたします。パソコン市場が劇的に変わったのが価格重視からデザイン重視という流れです。スケルトンモデルのiMacが登場した時は、斬新なデザインに多くの人が度肝を抜かれました。さらにカラフルな五色のiMacが発表され、パソコンがインテリアとなる時代が到来します。
イギリスのネットクラフト社が2016年3月に発表した内容によれば全世界のウェブサイトは現在、十億以上あります。このインターネットの世界を変えたのがグーグル。“ググル(検索する)”という言葉が一般的に使われるようになります。
グーグルは1998年に創業しますが、場所はカリフォルニア州メンロパークにあったガレージ。実際に借りていたのは五カ月間という短い間でした。最初は大学の寮で活動していましたが、その後、ガレージに電話回線を引きグーグルがスタートします。二つの地下室と車二台分のガレージがあり、大家は二人の知り合いでグーグル世界本社という看板をかけていました。ただトイレがなかったので母屋へ行ってトイレを借りていました。このあと、エンジニアを増やすためパロアルトのダウンタウンにあった自転車店の二階に移転します。メンロパークのガレージは創業の地ということで後にグーグルが購入。今や地元の観光名所になっています。
アメリカのITベンチャーはガレージで創業するのが定番になっています。そのきっかけとなったのがヒューレット・パッカード社の創業です。1938年にスタンフォード大学を卒業したビル・ヒューレットとデイブ・パッカードが小さなガレージを借り、このガレージで初の特許製品であるオーディオ発振器を開発。運転資金はわずか五百三十八ドルでした。ヒューレット・パッカード社の最初のお客さんはウォルトディズニースタジオで、映画「ファンタジア」のサウンドシステム開発用にオーディオ発振器が八台売れました。
ガレージの場所はカリフォルニア州パロアルト市アディソン通367番地。もともとはパロアルトの初代市長であるスペンサー博士が建てました。1989年、シリコンバレー発祥の地として記念碑が建てられます。2005年にはガレージと家が復元され、カリフォルニア州の歴史的建造物として、2007年にはアメリカの史跡に指定されています。
デイブ・パッカードはガレージの横にある家に夫妻で住んでいましたが、独身だったビル・ヒューレットは結婚するまでガレージに住んでいました。
アマゾンもシアトルのガレージから出発しましたが、創業者のジェフ・ベゾスによるとアマゾンが成功した時、「アマゾンもガレージからスタートした」といいたいがためにわざわざガレージで創業したそうです。
スティーブ・ジョブズは学生時代にヒューレット・パッカードでバイトをしていましたので、ベンチャーの社風を真似てガレージで創業しました。スティーブ・ジョブズの実家のガレージで1976年にスタート。このガレージからアップル㈵が生まれます。ヤフーはガレージではなくトレーラーハウスからスタートしました。
『グーグル秘録』(文藝春秋)によると1998年、著者のケン・オーレッタはウィンドウズ98を出して絶好調だったビル・ゲイツにインタビューをしており、その時の質問が「最も、怖れている競争者は」でした。ビル・ゲイツはしばし考えて、オラクルやアップルの名前ではなく、「怖いのはどこかのガレージで、まったく新しい何かを生み出している連中だ」と答えたそうです。ビル・ゲイツが怖れていたとおり、まさにその年にガレージで創業したのがグーグルでした。
グーグルはミススペルから名づけられた 1998年
1995年、博士課程に在籍していたサーゲイ・ブリン(モスクワ生まれでアメリカに移住)とラリー・ペイジ(アメリカ人)が出会い、在学中に検索エンジンのアルゴリズムを作成します。これがSEO(Search Engine Optimization)対策でよく名前を聞くページランクです。このページはホームページのページではなく、ラリー・ペイジの名前から名づけました。スタンフォード大学の二人は1998年にグーグルを共同で設立します。
ページランクはロボット型検索エンジンの基本となるもので各ページの重要度を計算するアルゴリズムです。特許はスタンフォード大学が持ち、グーグルに使用を認める見返りに、グーグル株を百八十万株取得していました。2005年、スタンフォード大学がこのグーグル株を売却し、三億三千六百万ドルの利益となります。この利益はスタンフォード大学の研究や教育に環流し、次のベンチャー企業育成となっていきます。
グーグル創業者サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは全世界の情報に索引をつけ、皆が巨大な量のデータを手に入れられるようにすることをミッションに検索サービスを始めます。検索エンジンに名前をつける時に考えたのが、すごく大きな数をあらわすグーグルプレックスという言葉。
Googol(グーゴル/ゴーゴル)という単位があり、1”googol(グーゴル/ゴーゴル)は1の後に0が百個続きます。この数よりもさらに大きな単位がグーゴルプレックス(googolplex)で、10のグーゴル乗であらわします。
ところがミススペルしてグーグルになった
サーゲイ・ブリンとラリー・ペイジは、このグーゴルプレックスという名前を商標として検索エンジンにつけようとしましたが、グーグルプレックスとミススペルしてしまいます。
グーグルプレックスを短くしたのがグーグルです。
“グーゴル(Googol)”というドメイン名は既に取られていましたので、このミススペルした名前“グーグル(Google)”をそのままつけることになります。
検索エンジン名はグーグルですが、グーグル社員はグーグル本社をグーグルプレックスとよんでいます。
グーグルは三十二個までキーワード入力できる
グーグルにキーワードをいれて検索しますが、入力できるキーワード数に制限があることをご存じですか。試しにグーグルの検索窓に数字を三十三個並べて検索してみてください。
「1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 32 33」
検索結果が表示され、検索窓のすぐ下に「検索クエリは 32 語までに制限されています。“33” とその後に続く語句は無視されました。」とメッセージが出てきます。クエリとは検索キーワードのことで、つまり三十二個までしかキーワードを認識しません。以前、この制限は十個でしたが2005年に拡張されました。もっとも三十二個もキーワードを入れる人はそう多くありません。
ウェブサイトが増大し、目的とするページにたどりつくには絞り込んだ検索が必要なため、一個のキーワードで検索するユーザは年々減少傾向にあります。
グーグルロゴの色はレゴから生まれた
グーグルロゴの色を見ると、レゴを思い出しませんか。グーグルロゴの最初のデザインは黒色で「グーグル」と書かれたシンプルなものでした。検討しながら、だんだんとデザインを変え、現在のデザインに落ち着きます。
シンプルに見えるデザインですが「グーグル」の文字の色や角度を変えることで、グーグルはスクウェア(几帳面)な会社ではないということを表しています。「e」をよく見ると横線ではなく上向きになっています。また創業者が好きなレゴの三原色を使うことにしましたが、「L」だけは別の色を使っています。これは、グーグルはルールに従わないということを表現しています。
グーグル社員はレゴ好き
グーグルで最初に作られたサーバ・ケースにレゴが使われていたのは有名な話です。4GBのハードディスクを十個搭載したサーバを使ってグーグル検索アルゴリズムであるページランクが動いていました。つまりグーグルの検索はレゴのケースの中で動いていました。
社員にもレゴ好きが多く、グーグル・ニューヨークでは受付を入ってすぐのところにさまざまな種類のレゴがケースに入って置かれています。社内では、レゴ広場と呼ばれ、最初は少しのレゴが置かれていましたが、要望で加速度的に増え続け、今ではおもちゃ屋さん以上の品揃えになっています。こんな会社なら、毎日行きたくなるでしょうね。
広いグーグル本社を巡るのに社員用自転車がありますが、自転車にはレゴの三色が塗られています。
グーグルロゴがプロポーズに使われたことがある 1998年
祝日や著名人の誕生日になるとグーグル・トップのロゴが凝ったロゴに変わります。このロゴを描いているのが韓国系アメリカ人であるデニス・ホワンという人物。スタンフォード大学で芸術とコンピュータサイエンスを専攻している時にインターンとしてグーグルに入社。グーグルがまだ小さな会社だったので、アートを専攻していることから、ウェブマスターと兼任でロゴ担当になりました。
モネの誕生日には、いかにも印象派というグーグルのロゴでしたが、ロゴを書いたデニス・ホワンは風邪をひいて熱がある時の作品でした。三十分くらいで作りましたが、手をかけずに作った、このロゴが意外とユーザに好評でした。
グーグルでは一般にはよく知られていない人物のロゴも登場します。波動力学で有名なシュレーディンガーの誕生日にはネコのロゴになっていました。これは“シュレーディンガーのネコ”をテーマにしていて物理の授業を思い出さないと理解できないロゴです。“シュレーディンガーのネコ”で検索すると量子力学について学ぶことになり、なかなか勉強になります。
DNAの螺旋構造が発見された記念日にはDNAのロゴがアップされました。ところが世界中の遺伝学者から「二重螺旋になっていない!」という指摘があいつぎます。もっとも、よくDNAを取り上げてくれたという激励が多くありました。
ロゴはドゥードゥル(Doodle)と呼ばれている
ロゴの発端はグーグル創業の頃、創設者の二人がネバダ砂漠でおこなわれるフェスティバルに参加中で、会社にいないことを伝えるために始まりました。ロゴの二つ目の「O」の後ろに人の形をいれて、創設者が外出していることをユーザ向けに発信したのが最初のロゴです。このロゴは「いたずら書き(Doodle)」と呼ばれ、過去のロゴは「Doodleアーカイブ」というサイトで見ることができます。サイトには南半球の夏至(12月)のロゴなど日本以外のロゴも掲載されています。
日本では川島優志さん(グーグルシニアウェブマスター〔当時〕)が二十%ルール(本業以外に勤務時間の二十%は自分の好きなことに使えるグーグルの制度)を活用して日本独自のロゴを作成しています。アメリカ人以外で、はじめてグーグルのロゴを作成した人物です。
グーグルロゴがプロポーズに使われたことがある
ロゴ担当のデニス・ホワンですがロゴをプロポーズに使ったことがあるそうです。ロゴの上にカーソルを持ってくるとプロポーズの言葉が飛び出る特製ロゴを作り、会社の許可をとって一時間だけグーグルのサイトに掲載しました。
彼女に連絡し、泣いて感動している時に、急いでふつうのロゴに戻しました。なんともオシャレなプロポーズです。「Doodleアーカイブ」でこのプロポーズのロゴを探してみましたが、さすがに見つかりませんでした。