“モバイルデータ通信で使い物になるIP電話”の登場が意味するもの



 “こんなものは使いものにならない”という声も出るかもしれない。しかし、スマートフォンを通常の携帯電話とは別にもう1台持ち歩く人や、そもそも通話に対するニーズが変化してきている現状、あるいはデータと音声、それぞれのサービスの優先順位が逆転し始めている人たちがいることを考えれば、このサービスは日本の携帯電話サービスを変化させるきっかけになるかもしれない。

 日本通信が始めた新サービスを使えば、データ通信契約のみで“携帯電話”として通話サービスを受けることが可能になる。近い将来、携帯電話の音声サービスが変質してきた時に振り返って、あのときがターニングポイントだったと言われるようになるかもしれない。

 その仕組みはSIPというIP電話のための手順を利用し、モバイルネットワークに最適化したものだ。単なるIP電話クライアント? シンプルに言えばそうだが、誰もやろうとしなかったことをやったことに意味がある。しかも完成度は決して低くはない。

●050付番で“携帯電話のように使える”IPベースの音声通話機能
日本通信が販売するIDEOS

 日本通信が発表したのは、中国の通信機器企業「ファーフェイ」が開発した「IDEOS」という低価格のAndroidフォン。そしてこの製品と共に開始する携帯電話向けのIP電話サービスだ。日本通信が販売するIDEOSは見た目も機能も、Android 2.2そのままだが、1カ所だけ異なる点がある。それは、この製品で音声通話をする場合、すべてIP電話になる機能を利用していること(もちろん、通常の携帯電話としても使える)。また、ユーザーインターフェイスはまったくAndroidと同一。つまり普通に電話をかけ、受けることができ、IP電話であることを顧客には意識させない。

 電話番号が050であるため、既存の携帯電話からのMNPはできないが、番号の違いとMNPができないことを除けば、ユーザーはそれが携帯電話ではない事も気付かないかもしれない。IP通話機能の基本料金は490円(つまり携帯電話の半額)で、通話料も基本料がもっとも安いプランにおける30秒21円という価格設定に対して30秒10円という設定だ。

 これは接続料なので、IP通信の経路を別途確保しなければならない。つまり必ず何らかのデータ通信契約は必要になる。b-mobile SIM U300の場合は月あたり2,483円から利用できるので、月額2,973円払えば音声通話機能付きスマートフォンが持てることになる。

 日本通信の販売するIDEOSは24日に出荷が始まり価格は26,800円。出荷時の端末には10日間のみ利用できるお試し用U300がSIMカードとして添付され、あとはU300にチャージするなり、自分で好みのSIMカードを用意するなりして利用を続ける事が可能だ(SIMロックはフリー)。

 前述したIP電話機能を使うためには、IP電話機能をAndroidのダイヤラと統合するアプリケーションをインストールする必要があるが、こちらは2011年1月にダウンロード形式で提供される。低価格でSIMロックフリーの端末を入手し、低基本料金、低通話料で通話を利用したい人には良いのかもしれないが、ここではIDEOSの記事を書き進めるつもりはない。

 今回の発表の注目点は、3Gの回線交換機能を利用せず、データ通信のみで音声サービスをやってしまうという挑戦にある。AndroidをIP電話端末にするSipdroidをインストールして使ったことがある方ならご存じだろうが、単にSipdroidを使うだけだと、携帯電話として使う場合のサービス品質は落ちてしまう。

 Wi-Fiで通話している場合や、条件の良い環境で移動せずに使っている分には問題なくとも、3Gデータ回線が混雑気味の場合や、移動中にハンドオーバーする際などに、音声が途切れやすい。国際標準の音声コーデックをそのまま使っただけでは、モバイル用の音声通信としてはある程度の制限が付く。これはSkypeでも、程度の違いこそあれ同じようなものだ。

●SIPサーバを用いたIP電話サービスを3G端末に最適化

 基本料金や通話料が一般的な携帯電話サービスの半額とはいえ、基本料金の高いプランと比較すると30秒あたり10円の通話料は“普通”のレベル。低維持費用で通話機能も使えるスマートフォンが欲しいという人でなければ、あまり安さを実感しないのでは、という意見も耳にしたが、今後ユーザーが増えてくれば、異なる基本料金と通話レートのプランも提案されるだろう。ここでは将来の話をしたい。

 このサービスは、言い換えれば携帯電話ネットワークを使ったIP電話が始まりました、というシンプルなものなのだが、モバイルデータ通信のプラットフォームで、どこまでIP電話を実用性の高いものにできるのかがポイントだ。

 実際に使ってみると、まず使い勝手が通常の携帯電話と全く同じで、3Gの回線交換なのか、それともIP電話なのかは意識せずに利用できることがわかった。日本通信自身が認めているように、通常の3Gの回線交換による音声通話に比べると遅延が大きく、目の前にいる人と話をしていると違和感があるが、通話相手が目の前にいなければ、携帯電話の回線交換との違いを意識することはないというレベルだ。音質にも問題はない。

 なお、Wi-Fiしかない状況、あるいはSIMカードを差し込まずにWi-Fiしか使えない状態でも、同様にIP電話を利用できる(テストで評価したベータ版はSIMカード必須だったが、製品版では修正される)。実際、この記事を書いている現在、筆者は台湾・台北のホテルにいるが、ホテルが提供している無線LANサービスに接続して、日本への電話をかけることができた(日本でIP電話を使った場合と品質の変化は感じなかった)。

 Mobile IP Phoneと名付けられた常駐アプリケーションの設定を見ると、接続サーバーなどの情報は固定でプログラムされているようで変更はできない。3GとWi-Fi、それぞれのネットワークでIP電話を使うか否かを設定する画面がある。このほかIP電話にかかってきた電話を別の番号に転送する機能もある。

 以前から次の世代からはIPネットワークで全サービスを……なんて話はあったが、とうとう3.5G世代でもそれをやり始める会社が出てきたことになる。しかし「これって普通のAndroidフォンにSipdroidをインストールしたのと何が違うの」という声もあるだろう。実際、できることの根本的な部分は同じだ。表面上の違いはIP電話のセットアップが不要で、本人確認ができしだい050が付番され、すぐに着信可能な状態になることぐらい、とも言えるが、実際には違いがあるそうで、電話の機種ごとに最適化を行なっているという。

●GSMの音声コーデックをベースに独自改良

 Mobile IP Phoneは前述したように日本通信で独自に開発したもので、一部にオープンソースプロジェクトの成果も使っているが、音声コーデックはGSM-EFRを元に独自に改良したものを使っているそうだ。そして、この技術のもっともキモとなる部分がここにある。というのも、SIPを使ったIP電話サービスは世界中にたくさんあるが、それらをそのまま使っても、移動体通信環境ではまともな通話にならない場合もあるからだ。

 Sipdroidとの違いに関して、先ほど“表面的な違い”について書いたが、本質的な違いはモバイル通信環境にも十分耐える音声コーデックの開発ということになる。

 実は移動体通信でIP電話サービスを行なうというアイディアは、PHSによる128kbpsパケット通信の時代にあり、実際に開発も進めていたのだとか。ところがPHSの128kbpsパケット通信は、4チャネルの通信回線を束ねて使うため、それぞれのチャンネルの遅延が揃わず、音声通信のインフラとしては使い物にならなかった。

 しかし、ここで遅延を小さくするために、ビットレートをどこまで絞り込めるのか、音質面の影響を考えながら、コーデックの最適化を独自に進めていき、今回、3Gデータ通信回線で音声サービスとして提供できるレベルに仕上がったことを確認し、サービスインとなった。車で高速道路を移動しながら通話ができるかなど、一般的な携帯電話に近い使い勝手が実現できるようになっているという。

 将来のバージョンでは3GとWi-Fiで音声で利用する帯域幅やコーデックを変更するなどの工夫も盛り込んでいきたいとのことで、3Gならこのぐらい、Wi-Fiならこのぐらい、と通信環境に応じて音質と安定性のバランスを取る仕掛けを入れていきたいと福田氏は話していた。

 ところで、このMobile IP Phoneというアプリケーション。IDEOSに最適化しているため、他の端末での動作は保証できないと日本通信側は話している(動作しないとは話していない)。これはなぜなのだろうか? と少し突っ込んで話してみた。理由は大きくは2つ。

 まず、ノイズ処理の問題。通話用のスピーカーの位置や音量によっては通話用マイクにそれらの音が入ったり、あるいは筐体の共振をマイクが拾うことがある。携帯電話の通話機能は、あらかじめこうしたハードウェアの特性を考慮した上で、適切な音声処理が施されているが、単にIIP電話のアプリケーションを動かしただけでは、相手が聞きづらい場合がある。

 ただし、これは我慢しようと思えば我慢できるレベル。もっとも大きな理由は、速度の遅いローエンド端末でも動くようにしようとすると、システムチップのアーキテクチャに合わせて音声コーデックのプログラムを作らなければならないからだそうだ。特に製品のスタート時にはローエンド端末から参入と考えていたため、遅いCPUでも低消費電力かつリアルタイム処理を行なうための最適化は欠かせなかったという。

 なお、1GHzクラスの高速CPUを搭載するAndroidならば、特に最適化を図らなくとも動いてしまうそうだ。ノイズやハウリングの処理は別途対応が必要だが、信号処理の問題に関しては、そのうち問題はなくなる。

 実際、将来的にはどの端末を使っていても、簡単にIP電話化できるサービスを提供可能になるよう、準備は進めたいとのこと。もちろん、他社の販売するAndoridフォンもサポートの中に含まれている。それどころか、アプリケーション認証さえ通してもらえるのであれば、iPhone向けにも開発はしたいと考えているようだ。

●モバイルデータ通信を使ったIPベースの通話サービスへの認識が変化すると……

 このニュースを見ての反応はさまざまだろうが、従来の電話サービスに比べ、サービスの品質に関して“危うさ”を感じる方々も少なくないと思う。ベストエフォートのデータ通信では、混雑時にどんな品質になる事やら……というわけだが、実際には回線交換でも混雑が激しくなると通話品質は著しく下がる。

 高コストで複雑な回線交換の仕組みではなく、IPベースの電話でも構わないじゃないか、少なくともユーザーは選べるべきだといった空気感が出てくると、スマートフォンを巡る環境に変化が訪れるかもしれない。

 例えば、携帯電話向けのIP電話には、090/080を付番しても良いではないか、という議論があるのをご存じだろうか。政権交代によってさまざまな新しい取り組みがストップしている状況で議論は進んでいないが、議論のテーブルには載っているテーマである。

 IP電話は固定電話網に比べると安定性に劣り、確実に通じない可能性があるため、通常の電話番号とは別の050で始まる電話番号が割り当てられるそうだ。しかし、そもそも携帯電話であれば電波が届かない場合もあり確実に通話ができるわけではない。

 つまり、携帯電話網を使った音声通話なのであれば。IP電話と携帯電話で加入者番号を分ける必要はない。ナンバーポータビリティまで含めた議論になると、システム変更などの問題も出てくるだろうが、番号の区別がなくなればIP電話を使う事の抵抗感も少しは減るだろう。

 さらに3.9G世代になってデータ通信の帯域が劇的に拡がれば、IP電話の安定性はさらに上がってくる。そもそも回線交換である必要があるのか、という議論も出てくるかもしれない。第4世代携帯電話網でフルIP化するのを待つ必要もないわけだ。

 さらには、同一世代で信号処理が極めて近いWiMAXとLTEを、3Gと当面の間は併用していく見込みの中にあって区別する必要があるのか、アプリケーションの制御はIP通信のレイヤでやれば十分ではないか、となってくると、次世代のモバイル通信インフラと見なされている2つの規格の位置関係も変化してくるかもしれない。

 禁断のアプリと称して、Skypeのプリインストールを決断したKDDIは、来年、3GとWiMAXのハイブリッドモデルを発売するが、これでIP電話アプリケーションを動かしたら……と思う人も出てくる。

 今までこのようなサービスが行なわれてこなかったのは、誰も得するとは思わなかったからだ。移動体通信の経験や知識がある携帯電話会社は、自分たちから率先して移動体データ通信でも通用する音声コーデックの開発などしない。自分たちのビジネスの枠組みを変えてしまうものだからだ。

 しかし、このような前例ができると、今まではそこに注目していなかった企業が目を向け始め、何かがカタカタと音を立てて動き始める。従来の枠組みや常識が崩れて、別の新しい方向へと変化していく1つのきっかけになるかもしれない。

●おまけ

 iPhone向けにプラチナサービスという強力な通信サービスを提供する日本通信だが、現在、Android用のプランも開発中とのことだ。ついでにMobile IP Phoneの料金プランに、もう少し通話料の安いプラン、あるいはかけ放題のプランがあってもいいのではと、COO福田尚久氏に話してみたところ、「今回は最も安くスマートフォンを提供する選択肢を模索したが、IP電話サービスとしては、別のプランも検討している」とのことだった。

 また、本文中で述べた既存の他社端末でも利用できるMobile IP Phoneアプリの提供も、もちろん検討中。動作検証や音声処理の最適化といった問題はあるが、いくつかの端末に開発ターゲットを限定してAndroidマーケットに汎用版Mobile IP Phoneアプリの配布をしたいとのことだった。

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(2010年 12月 28日)

[Text by本田 雅一]