森山和道の「ヒトと機械の境界面」

YCAM「TECHTILE」集中ワークショップレポート

〜触感を採集記録・再生する「テクタイル・ツールキット」と触感をめぐる議論

テクタイル・ツールキット

 山口県山口市にある「山口情報芸術センター[YCAM](ワイカム)」で、3月9日と10日、「YCAM InterLab Camp vol.2 『TECHTILE』集中ワークショップ」というイベントが行なわれた。YCAMが擁するインハウスのアートエンジニアチームであるYCAMインターラボが“「触感づくり(触感を積極的に取り込んだ表現)」のためのテクノロジー開発および表現コミュニティの形成”を目的として、慶應義塾大学の筧康明氏、仲谷正史氏、南澤孝太氏らと共同で研究開発してきた「TECHTILE(テクタイル)」の成果発表とアウトリーチを兼ねたイベントだ。2日目にはデザイン・文学・哲学・メディア論・産業の各分野からパネリストを集めて、パネルディスカッションも行なわれた。今回は、このパネルの内容をレポートしたい。

 パネルの話に入る前に、1つ紹介しておかなければならないデバイスがある。このプロジェクトで開発された「テクタイル・ツールキット」である。「触感のプロトタイピングを容易に可能にする」とされるこのデバイスは、触覚情報を記録・編集・再生するためのツールキットである。

 触覚はさまざまな多感覚が総合された複合感覚だが、このツールキットでは取りあえず、触覚とは突き詰めれば自らの動作あるいは外部からの接触によって、皮膚に与えられる「振動」であると割り切って、その振動をマイクで収集する。そして、スピーカーあるいは振動子で再生することで、主観的なものである「触覚」を他者に伝えられる客観的なものとし、メディアアートや研究などに役立てようという試みである。

 そんなの単なる音だろうと思うかもしれない。採集され、PC内で編集される情報としては確かに音だ。だが、うまく再生してやると、人はそれを触覚として感じることができるのである。たとえば、コップの底に「触感センサ」と呼ぶマイクを着けて、ビー玉をガラガラと入れて回す。それを、やはり底にスピーカーあるいは振動子を貼り付けた空の紙コップで受けると、あたかもビー玉が回転しているかのような感覚が得られる。一種の錯覚である。中身を見ると空っぽなので錯覚は薄れる。だが、中を見なければ、本当にビー玉が回っているような感じがするのである。しかも、何となく、手に感じられるそのビー玉の回転に合わせて手首を動かしてしまったりする。

 ほかにも、バドミントンのラケットで同様に触感を録って再生する。ラケットでシャトルを打っている映像を見せながら実際にラケットを持たされて再生されると、本当にシャトルを打っているかのような感覚が得られる。ビー玉以上に、手の動きを合わせてしまう。再生される触覚に合うようなかたちで、身体の動きが誘発されるのだ。もっとも、このツールには限界もあって、密着したものでないとうまく録ることができないし、再生時も同じだ。逆にそこをうまく突いてやると、人の感覚を騙すことができる。取りあえず議論のきっかけには十分になるツールである。

 初日9日には、実際にテクタイル・ツールキットを使って、「触感(知覚としての「触覚」にほかの感覚情報や記憶、コンテキストが付加されたものをこのプロジェクトでは「触感」と呼んでいる)」を扱ったアート作品などが市民参加のワークショップとして行なわれた。そして2日目には参加者たちを交えてパネルが行なわれたという次第である。なお、このテクタイル・ツールキットは触感の振動データなどのほか、オープンソース・ハードウェアとして基盤配置図、回路図なども今後順次公開される予定だ。

 また、本連載では2010年に「触覚をデジタルに操作する 〜第3回「TECHTILE展 触覚のリアリティ」レポート」をお届けしている。いくつかの内容や研究者たちは繋がっているので、合わせてご覧頂きたい。なお「TECHTILE」とは「TECHnology based tacTILE design」、つまり「Technology」と「Tactile」とを融合させた言葉である。触感を意識した価値づくりを目指す活動だという。

テクタイル・ツールキットを使った例。空のコップの中でビー玉が回ってるような感覚を伝えることができる。慶應義塾大学KMDショウでの展示から
別の作例「Haptic toy」。オモチャの電車を手で動かすとガタンゴトンという感覚が伝わってくる
慶應義塾大学環境情報学部准教授 筧康明氏
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任講師 南澤孝太氏
慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科リサーチャー,コロンビア大学博士研究フェロー 仲谷正史氏
YCAMインターラボ 三原聡一郎氏
テクタイル・ツールキットの特徴
ワイヤレス・テクタイル・ツールキット

触感表現とは何か

第1セッション「触感×表現」の様子

 パネルは、「触感×表現」、「触感×アイデア」、「触感×言語」、「テクタイル×未来」という4つのセッションに分けて行なわれた。モデレータは、YCAMインターラボの三原聡一郎氏と慶應義塾大学の筧康明氏、仲谷正史氏、南澤孝太氏らテクタイル開発チーム。

 まず、「触感×表現」と題された最初のセッションは、グラフィックデザイナーで多摩美術大学情報デザイン学科教授の永原康史氏と、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)講師の城一裕氏の話から始まった。永原氏は最近のタッチデバイスの登場によって、メディアは触感を表現できるように広がりつつあると述べた。触覚は、さまざまな感覚や記憶と融合することで、「触感」という体験に変わる。そしてタッチデバイスの登場によって触感を伝えられるメディアが成長し始めているという。

グラフィックデザイナー、多摩美術大学情報デザイン学科教授 永原康史氏

 永原氏は、触感を伝える、あるいは触感で伝えるデザインは、定量化によって可能になると考えたという。例えば聴覚メディアの場合は「音階」がある。音の連続する変化を離散化し、音階をつくることで、楽譜や鍵盤楽器ができた。それによって聴覚メディアは大きく進歩し、誰もが音楽を気軽に楽しめるようになった。また、視覚の場合は「色彩」がある。同様に、触覚も離散化できれば、より扱いが容易になると考えられる。

 永原氏は触覚も聴覚や視覚同様に連続する変化として捉えられるのではないかと当初は考えていたという。たとえば、ゆっくり軽く触るとくすぐったくて、速く強く殴ると痛い、といったような感じで、階調があるのではないかというわけだ。だがツルツルとザラザラのあいだにグラデーションがあるかというと、ない。程なく、触覚はおそらく連続したものではないと考えるに至ったそうだ。

 永原氏は次に、触覚は知覚ではなく「理解」なのではないかと考えた。たとえば我々は3次元の世界を見ていると思っているが、目の網膜に結像している映像は2次元であって、脳は逆光学でそれを解釈して3次元として「理解」している。それと同じことではないかと考えたのだという。我々はふだん「触覚」というかたちにエンコードされたものをデコードして、つまり解釈しているわけだから、その過程のどこかを利用すれば、メディアに乗せて伝えることができるのではないかと考えて、取り組みを始めたと続けた。

 そもそも我々は感覚のエンコードはこれまでもずっと行なってきている。さまざまな素材の触感を利用しているし、また特に日本語の場合、精度は低いものの「オノマトペ(擬声語)」の形で触感を言葉に置き換えて、伝えようとしている。触感を伝えるためのツールとして言葉を使ってきたわけだから、それを利用しない手はない。そこで永原氏は、マンガからオノマトペを切り出して、振動を伝えるためのいろんなセットを使って再現するという試みを紹介した。「ぶるぶる」するとか、波が岩にザパーンとぶつかるとか、自転車でシャーッと走る感覚などを伝えようというものだ。実際に学生たちとやってみたところ、1度オノマトペとマンガのアイコンというかたちでエンコードされたものを伝えることは比較的簡単にできたという。再生する感覚が適当なものでも、アイコンとオノマトペで先に共通理解が生まれていると、案外簡単に伝わるそうだ。

 最後に永原氏は「遠近法が生まれたときのように3次元世界を直接見ているのではなく、2次元を理解しているんだと考え、片眼で2次元を見ているかたちに戻してやると案外いろんなものが作れるのではないか」と述べ、「敢えて触覚は振動であると言い切ったほうが使えるようになる」と強調した。ツールとしての触感、触感を通じて何かを伝えるために振動として捉えるというやり方は、非常に有効なのではないかと思っているという。

表触図のようなものは可能か
オノマトペを表現するための素材
オノマトペが含まれたマンガのコマが表面に貼られていると、それなりに伝わる
情報科学芸術大学院大学(IAMAS)講師 城一裕氏

 情報科学芸術大学院大学(IAMAS)講師の城一裕氏は、最初に自身のサウンドアート作品を提示した。工業用のファンクションジェネレーターを使った、ウィーンと高低するサイン波の音が大音量で再生される作品で、耳の中の鼓膜が直接くすぐられるような、ぞわぞわする感覚が生まれる。単に音が鳴っているだけなのだが、手に脂汗が浮く。何か、そのままじっとしているとまずいのではないかと思われるような感覚だ。城氏は「音は耳で聴くものだけではない。音として知覚されない振動も音の一部だ」と考えて作品制作を行なっているという。

 次に城氏は2004年にICC(NTTインターコミュニケーションセンター)で無響室で体験する作品として出展された「“riot please”--/a....ha...++」(澤井妙治、城一裕、真鍋大度)という作品を紹介。聴覚と触覚を共に刺激するような作品だったという。この作品を制作後、非殺傷兵器として暴動鎮圧などに使われる「Long Range Acoustic Device(LRAD)」の存在を知り、音だけ、知覚のレベルで危機感を感じることもあると考えて製作を進めていたことは間違いなかったと感じたと述べた。音あるいは感覚刺激装置というのは、そういう要素を持ち得るものだということだ。

 さて、触覚のデザイン応用については、コンピュータに物理性を持たせるフィジカルコンピューティングの一環として捉えて試みを行なっているという。城氏は、よくこの手の試みで使われているArduinoの代わりにオーディオインターフェイスを使うことで100倍から1万倍くらいの解像度が得られると同時にレイテンシ(時間方向の反応の速さ)も数ミリ秒くらいまで縮めることができると紹介。たとえば、砂の感覚をサンプリングするにしても、オーディオインターフェイスを使うともっと滑らかに、よりリアルな感覚を得られると語り、「解像度を上げるだけでもっと違う世界があるんじゃないか」と述べた。

 そしてピエゾのマイクをくっつけた三輪車でいろんなテクスチャーのものの上を走って再生することでさまざまな音が生まれるといった作品、絵の描画と音の再生を合わせることで音が変わるだけで描かれる絵の感じが変わってくる作品などを紹介した。テクタイルを使ったものとしては、IAMASでの取り組みとして、ドアノブのグリップと階段を使って人の鼓動を互いに伝えあう作品「lub-dub」を例として出し、大出力の重低音振動ユニット「ButtKicker」をテクタイル・ツールキットと合わせて使うと良いのではないかと紹介した。また、テクタイル・ツールキットはオープンソースハードなので、城氏のほうでも実際に作ってみたという。すると、振動子を覆う素材を変えただけで、再生される触感がだいぶ違ったことから、アクリルや木などさまざまな素材で使ってみても面白いのではないかと述べた。また、同時にそれは、まだテクタイル・ツールキットが未完成であることの証左でもある。

相手の心拍を振動で感じる「lub-dub」。ドアノブだけではなく下の階段部分からも突き上げるような振動が伝わる
実際にはこのように2人で向き合って体験する
「“acrylic, paper, and wood” cutting records for techtile」。木や紙で作られたレコード。聴覚と触覚で素材の違いを体感する
「DIY TECHTILE Clear ver.」。アクリルで自作されたテクタイル・ツールキット
振動子はニンテンドーDSのソフトから

社会に触覚技術を送り出すためには

株式会社アイプラスプラス代表取締役社長 菅野米藏氏

 第2セッション「触感×アイデア」は、社会に触覚技術を出すにはどうすればいいかというコンセプトで行なわれた。ゲストパネリストは菅野米藏氏と「テクノ手芸部」。そしてYCAMの会田大也氏。まず最初に株式会社アイプラスプラス代表取締役社長の菅野米藏氏は、2009年に開発した視覚障碍者向けのデバイス「AuxDeco(オーデコ)」を紹介した。視覚障碍者向けの、額を使った触覚ディスプレイ装置、額で感じる視覚代行システムである。小型カメラで前方を撮影して、額に電気刺激を与える。

 人は1つの感覚がなくなっても他の感覚で代行補償する機能がある。そういう発想で作られたものだ。手術は不要だがトレーニングが必要である。大きなポイントは、研究用ではなく実用品なので、ヘアバンドのような見ための商品に仕上がっていることだ。コンピュータはバックや腰ベルトに装着できる。当時、東大にいた舘教授の技術を応用しており、電気刺激を使って、触覚(振動覚)を提示する。ポイントは、脳にどう感じさせるかにあるという。パネルは実際に舘研でその技術開発を手伝った南澤孝太氏も交えて行なわれた。

 開発のきっかけとして、菅野氏は、聴覚を失っていながら、裸足で足の裏を通じて音の振動を感じながら演奏をする打楽器奏者Evelyn Glennie氏を知ったときの衝撃を語った。それを見て、足裏で感じられるのであれば、額の感覚も使えるのではないかと考えたのだという。そして錯視の話から「感覚代行は錯覚の世界だ」と考え、いかに脳をだまそうかと考えたと述べた。「オーデコ」はトレーニングは必要だが、盲学校と共同開発した学習プログラムによって、早い人で20時間で単独歩行ができるようになるそうだ。試してるときに、被験者である視覚障碍の人のほうから「見える」という言葉を自分で使ってきた事から、「これはいける。触感で新しい価値を生むことができた」と実感したと語った。また、第1セッションでの議論を受けて「触覚は全身感覚なので、身体のうち限定した場所で1つ標準化することが必要なのかもしれない」とコメントした。

 ちなみに日本は日本眼科医会によれば188,000人の失明者がいるとされている。世界全体ではもっと多いことは言うまでもない。菅野氏は、「触覚は産業として使えるところまで持っていける。大学はすばらしい研究成果をたくさん持っている。ぜひ、社会に還元できるところまで仕上げて持っていって欲しい」と会場に呼びかけてまとめた。

「AuxDeco(オーデコ)」の仕組み。画像認識により輪郭抽出と電気刺激による触覚提示
2009年4月から商品化している
アートユニット「テクノ手芸部」

 続けて、アートユニット「テクノ手芸部」のかすやきょうこ、よしだともふみの両氏が講演した。動的表現ができる電子部品と、親しみやすい手芸を組み合わせたクラフト作品を中心に活躍している二人。「テクノ手芸部」という名前自体が1つの作品だそうだ。海外では「イーテキスタイル」や「テクノロジーファッション」といった言葉で行なわれている試みを、敢えて「キャッチーで親しみやすい言葉」で表現し、領域作りから始めているという。

 2人は、フェルトで作られた作品や新刊書籍を紹介しながら、異なるジャンルを組み合わせるテクノ手芸部の活動を紹介した。例えば、自分のしっぽを噛むと目が光るヘビという作品がある。これは回路としては非常に単純で「電子工作」で作ってしまうとできあがるものが限定される。だが余白として手芸要素がある「テクノ手芸」だと、人によって違うものができるという。このほか、ARマーカーを空中に提示する「ふくろう」や、サケの中でLEDのイクラが光る作品などなどが紹介された。

手芸と電子工作を組み合わせた「テクノ手芸」
「愛着が持てるかわいい電子デバイス」という新しいクラフトがテクノ手芸
LEDやフェルトがセットされたキット付きの本なども刊行
へびすけ
LEDをイクラに見立てたサケ
AR機能を組み込んだ「ふくろう」
気を引こうとして転ぶきりん

 触覚をどう捉えているかについては、導電糸を使った作品が例に挙げられた。LEDは自分たちでは作れない。けれど、スイッチは柔らかい素材を使ってでも自分たちで作ることができる。硬くないといけないと思われているものでも、実はいろんな素材で作れる可能性がある。「これはこのために使わなければならない」という発想から抜け出て、やわらかいコンピュータがあってもいいかもしれない。また、「近づいたら倒れるキリン」という作品を紹介して、普通のロボットと違って、誤作動すると原因が分かっていてもほんとに気を引いてる感じになることから、変な動きも表現になるんだなと感じたと述べた。

 また、手触りの想起という問題についても2人から提起された。彼ら自身は、触感を直接提示するものを作ってるわけではなく、よく知っているものの触感を想起させるものを作っているという。たとえば彼らが作品を展示すると、「触るな」と書いておいても触られるのだそうだ。原因はおそらくフェルトの素材感にある。つまり素材感にも、人に対して「触らせる」という行動を起こさせる機能があるのではないかと指摘した。人は触っていいものと、そうではないものを経験的に知っているからだろう。それらから、「手触りというのは、実際に触る前のところにも機能があるのではないか」と述べ、「普通は人の行動を導くようなデザインを行なうが、似たようなことが素材でもできるのではないか」と述べた。「人に触らせるためのデザイン」、触るまえの予感をデザインできる可能性は大変面白い。

 また2人は前日のツールキットを使ったワークショップにも参加。現状のサンプラーは、低周波が拾いにくいことから、聴診器のコーンの部分のようなアタッチメントなどがあるといいのではないかとコメントした。ちなみにフェルトの触感はあまりうまく再現できなかったようだ。

柔らかいスイッチ
第2セッションの様子

 続けて、YCAMでメディア・ワークショップの実施担当の会田大也氏は、触感ワークショップの肝と具体的な手順を例として同館での取り組みについて紹介。触感の場合は、「デジタルデータとして触覚を記録、編集、共有すること」、「視聴覚や運動感覚を統合的に捉えた触感という概念について理解すること」がエッセンスだと捉えてワークショップを実施したという。実際のワークショップの様子を交えながら、特に一般の人の場合は、少し制限を与えたほうが、アイデアは出てくると述べた。

触感ワークショップの手順
触覚を記録する
記録した触覚をPCで編集する

触覚を記号化する言葉をめぐる問題〜主観である触覚を客観化するために

詩人 松井茂氏

 第3セッションは「触感×言語」。詩人の松井茂氏、哲学者の青山拓央氏、メディア研究者の門林岳史氏の3人がゲストパネリストとして登壇した。まず始めに東京藝術大学藝術情報センター助教で詩人の松井茂氏は「コンクリートポエムから触感へ」と題し、詩人として触感、触覚にどう関わっているか、近年の仕事紹介からというかたちで話題提供を行なった。松井氏は最近は数理モデルを使った詩作を行なっているが、それに対し、記号論的に物事を身体から剥奪するようなかたちだけではないだろうという思いもあり、そのカウンターとして触感を捉えているという。

 松井氏は、タイポグラフィーを使ったビジュアルポエム作家・新国誠一の作品を紹介。新国誠一は「コンクリートポエトリー(Concrete Poetry)」というジャンルの運動に関わった人物である。コンクリートポエトリーとは、視覚詩と呼ばれる詩の1ジャンルで、文字そのもののビジュアル性や具体性に注目した形式で、複数の感覚を統合させることで、ある種の「メタ言語」を創造することが目的だっという。これはマスコミニュケーションとハイパーメディアの2つの状況に影響を受けていた。

新国誠一の作品
視覚詩へのマスコミニュケーションとハイパーメディアの影響

 次に松井氏は、ICCでの「触覚的なオノマトペ」という取り組みについて触れた。これは「物理世界の触り心地を感性語によって分類しようという試み」だったという。感性語というのはオノマトペのことだ。オノマトペを操作できる触覚パレットのようなものを作ろうと思ったのだという。

 ただ、この研究ではオノマトペは人によって個人差があるものだということを自覚しておいたほうがいいし、オノマトペは記号的に使われているということしか分からなかったという。オノマトペはは「無理矢理言っちゃえば、そこに引かれていく」ようなものであって、「基準がこれだという断言や断定は危険。身体的な言葉のように思うけれど、実際には刷り込まれている。普通の日本語だ」と釘を刺した。

 次に「声でなぞる」として、音声詩への取り組みとして「時の声」という詩集を紹介した。これは既存のオノマトペを使うのではなく、自分で作るのだが、それを、音を聞きながらそれを声でなぞり、さらに文字起こしをし、それをまた編集するという手間のかかる手法で作られている。また、詩集そのものも単なる活字印刷ではなく、1度プリントされたものを写真に撮影し、それを印刷するというかたちがとられている。世界の肌触りを詩にすることを狙ったもので、「イメージであることが不思議な質感を作るのではないか」と思ったのだという。松井氏は記号論の否定ではなく、身体的に意味をつなぎ直すような、初期の認知言語学がやろうとしたようなことを詩の上で実現できないかと考えたのだと述べた。

 この中で「沈黙の測定」というiPadを使った作品が紹介された。白い画面を指でなぞることで、文字が浮かび上がるという作品だ。触り方によって、文字が出てくるスピードや出てくる文字が調整されている。書籍版もあるが、これはデバイス版のほうが面白いという。

 最後に松井氏は、iPadのような本当に日常化したデバイスが出てきて思うこととして、ヴァネーヴァー・ブッシュが言った「ハイパーメディア」の環境が整ってきたとし、特徴は、既存の異なる感覚メディアが対立環境ではなく同じシステムで動くことにあると指摘した。ポイントは、映像や音が統合してるのかどうかではなく、それを操作する触覚がどうなっているのかが重要なのではないかと考えているという。松井氏にはこの状況は、「コンクリートポエム」がやりかたかったことである、「身体」と「記号」が今までないかたちで結びついているように思えると述べた。

 iPadのようなデバイスは、実際に触って得られる感覚はディスプレイの感覚でしかない。だが、表示画面がビジュアルなテクスチャーを持っていたり、指先の動きについてくるスピードを持っていることで、今までにないイントネーションのようなものがでてきているという。松井氏は「cutaneous(皮膚、皮膚に関係する)」という言葉を使って、皮膚感覚的な触覚操作において、操作しているのかされているのか分からないような刺激のなかに、文学や表現のようなものが入ってくるのではないか、今までのデザインシステム、書体のあり方とは違うところに、詩のあり方も向かうべきなんじゃないか、そこに何か可能性があるんじゃないかと述べた。

オノマトペの触り心地分類
音声詩「時の声」
iPadを使った詩「沈黙の測定」
「沈黙の測定」のしくみ
新しい文学表現の可能性
山口大学時間学研究所准教授 青山拓央氏

 分析哲学研究者で山口大学時間学研究所准教授の青山拓央氏は、本来、主観的なものである触覚を人に伝える、客観化できる可能性があるところに面白みがあると話を始めた。人に同じ何かを伝える、同一のものを伝えられる、「公共化できる」ところが面白いという。青山氏は、アリストテレス「心とは何か」(講談社学術文庫)と、野矢茂樹「心と他者」(中公文庫)の2冊を紹介した。アリストテレスは触覚がない動物はいないと述べているという。生き物は栄養を摂取しなければならないが、それに触覚は関わっているので、生き物にとって欠かせないのだというわけだ。もっとシンプルな理解として「触る」という行為は生死に直結する。敵からは逃げないといけないし、危険なものに触れれば死ぬからだ。

 我々は外界の対象の性質を視覚そのほかで捉える。動きなどは単独感覚ではなく複数の感覚で捉える。それぞれの感覚が1つに統合されることも不思議である。どうして複数の感覚が集約できるのだろうか。暑い寒いといった感覚は主観だが、色などの物体の性質は客観的に捉えることもできる。青山氏は主観的と客観的ということをアリストテレスの考え方とつなげると、あくまで1つの考え方としてだが、「客観的」なものというのは複数の感覚で捉えられることが必要なのではないかとも考えられると述べた。

 続けて青山氏は「言葉というものの機能は何か」と問いかけた。言語の重要な1つの機能は、何が同じものかを捉えて、切り分けていくことだ。言葉によって世界は分節化できる。言葉は他者とのやりとりに使うものなので、単に区別できるだけではなく、客観性を持つことが望ましい。つまり、「何が同じものなのか」ということを認識する能力とも一致している。「これはさっきのあれと同じだ」と分かる能力と、同じ言葉で捉える能力とは一体化していると考えられる。では、触覚はどれだけ切り分けられるのだろうか。それは触覚がどれだけの豊かさを持っているかという問いとも対応する問題だ。触覚を他者に伝えるためには、触覚を区別しラベリングしていくわけだがそれには客観性や公共性が必要となる。共有できるラベルでないと意味がないからだ。

第3セッションのゲストパネリストの3人

 青山氏は、前日のワークショップで実際に行なわれた例を出した。前日のワークショップでは、「ネズミが中で動いている感じがする箱」というものを作ったグループがあったのだという。だが「これはネズミが中で動いている感じがする箱です」という説明は「この箱は白い」という説明とは異なる。「白い」というのが物体そのものの性質を指しているのに対し、「ネズミが中で動いている感じがする箱」というのは、状況の表現である。「ねずみが動いている感じのアレに似ている」という比喩表現で説明するわけだが、その「アレ」に対応する言葉がないのだ。そのため、類似の状況の言葉をあてはめて使って説明しているのである。

 できることはせいぜいオノマトペを貼るだけだが、オノマトペは人によって使い方が異なり、客観化する能力は低い。少なくとも日本語の語彙からはそう言える。しかしながら一方で、触覚は非常に敏感だとも言える。たとえば職人は機械でも検知が難しいようなわずかな凹凸を触っただけで感じたり、すし職人はわずかな重さの違いなどが分かるともいう。つまり、表現するための言葉がないだけで、違いを感知する能力がないわけではないとも考えられると続けた。そして「触覚の解像度が低いということと、語彙が乏しいということはイコールではない。解像度に関してはさまざまなかたちで調べる必要がある。人間の触覚がどれだけ鋭敏か、調べる価値は高い」と述べた。

 また、野矢茂樹氏の著作を再度紹介し、たとえば触覚について「もっとふわふわしてごらん」とか「よくかゆがってごらん」とは言わない、なぜ言わないのかと問い、それは「“感覚”としての触覚というのは他からの観点を排除されているから。こうした“感覚”の全体性については、ぜひこの本を読んでみてください」と再び強調した。

関西大学文学部総合人文学科映像文化専修准教授 門林岳史氏

 メディア研究者で関西大学文学部総合人文学科映像文化専修准教授の門林岳史氏は、マクルーハンの研究を踏まえて、触覚の言説性、触覚についてどのように書かれてきたかということについて語った。なお詳細は、氏の著作「ホワッチャドゥーイン、マーシャル・マクルーハン? 感性論的メディア論」(NTT出版)の第2章で述べているので読んでほしいとのことだった。

 門林氏はまず、このワークショップについてのコメントから話を始めた。聴覚は音の振動を、視覚も電磁波の振動を捉えているわけだから、知覚しているものはほとんど振動だと言えなくもない。門林氏は「私たちは振動に囲まれていて、ある帯域を音、ある帯域を視覚的な光景として見ている。音の場合は特定帯域に絞ることで高精度になっているが、触覚は鈍いが幅が広いといった性質を持っているのではないか」と述べ、「触覚の複製可能性」について話を進めた。視覚や聴覚は既に複製可能になっている。人間は昔から絵も描いていたし音楽も奏でていた。だがそれが芸術として理解されるようになったのは比較的最近だ。それまでは芸術作品だとか、個別の作品としての感覚は持っていなかっただろう。

 「視覚や聴覚は対象化して示すことが簡単だということと、帯域が限定されていることは無関係ではない」と門林氏は続けた。たとえば料理はレシピは保存できるが、作られたもの自体は残らない。「保存可能で複製可能といいうことと、作品化するということは関わっている」という。これらを踏まえて「触覚メディアをアートとするときは、作品とは何かということは考えないといけないのではないか、と述べた。

 さて、ここ数年、触覚性は非常に注目を集めるようになってきているという。特に「身体化されたメディア経験」に注目しようという流れから、身体論の言説にさかのぼって現代のメディアを叙述し直そうという試みの中で、触覚が注目されているのだそうだ。ただし、彼らが語っている多くは、比喩としての触覚であることが多いとという。

 マクルーハンはメディアを人間の拡張、特に感覚器官の拡張だと捉えた。彼はメディアの変遷を聴覚から視覚への漸進的発展として西洋文化の変化を捉えた。また彼は、古代の口承文化について説明するときに「聴覚-触覚的経験」だと語ったり、「テレビは触覚的なメディアだ」と述べており、触覚というのは、感覚間の翻訳の過程だといった話をしているそうだ。そのベースにはおそらくアリストテレスがあり、テクノロジの魔術的側面をマクルーハンは触覚と結びつけて考えていた節があるという。またメディア論の中で「触覚」は多くの場合、別の経験の表象として語られることが多いと指摘した。

 このあとの議論では、電子書籍の登場によって、むしろ古いメディア(本)の触覚性が注目されるようになった、古いものが回帰するときの比喩として触覚が用いられることがあるのではという指摘があった。一方、マクルーハンは、テレビが触覚的とも語っており、新しさを触覚と言い換えていたようにも思えるという。言語が、既に言語化されている感覚をほかの感覚へと翻訳するとき、あるいはまだ語彙がないものの中間表現メディアとして触覚的な表現を求めているところは面白い。

共通感覚としての触覚性
触覚メディア論の可能性
第3セッションの様子

「テクタイル」の未来

テクタイル開発チーム

 最後の第4セッションは、「テクタイル×未来」と題して、このプロジェクトを進めてきたテクタイル開発チームがその思いを語った。慶應義塾大学環境情報学部准教授でメディアアーティストとしての顔も持つ筧康明氏は、「触覚や触感でつながったネットワークを作っていこう。まずはツールキットで絞ったかたちで触感づくりにどういう可能性や課題があるのか探り、そして実際に触感メディアを作って持って帰ってもらおう」と考えて、開発を行なったと述べた。

 今後は、さらにオープンにして、作りたい人なら誰でも作れる状態に公開していき、さらにもっと派生バージョンをWebサイト上で共有するための枠組みを作っていきたいと考えているという。多くの人がツールキットを使うようになれば、大量のトライの結果がネットにあがり、それをベースに素材集や触感分類が行なえるようになる。ツールキットを使って「触感を客観視する」という経験を多くの分野の人に積んでもらいたいという。

 ニューロサイエンスの立場から触覚の研究を行ない、かつ触覚メディアの普及活動を行なっている慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科リサーチャーでコロンビア大学博士研究フェローの仲谷正史氏は「触覚の最新の研究情報が流れるようなポータルサイトにもしたい」と語った。工学・生理学など分野を問わず触覚研究の情報を集め、それを気軽に取っていける場所にしたいという。

 エンジニアリングの研究者として参画し、実際にツールキットを開発した慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任講師の南澤孝太氏は、「ツールキットは一晩で作った。それができたのは蓄積があったから」と語り、「5年後の次に何が出てくるかを考え出すのが自分の仕事」と述べた。

 たとえば近未来、触覚情報も幅広く収集されるようになるかもしれない。1億個の触感データがあったときどうやって検索するのか。あるいは触覚を再生できるようになれば、ホログラムも触れるものになるかもしれない、そういうものが10年後、15年後のメディアなのではないかと可能性を語った。その始まりが「テクタイル・ツールキット」だと考えているという。

 YCAMの三原聡一郎氏は、「テクタイル・ツールキット」を、アーティストにとって、自分自身の作品をちょっと引いたメタな視点で見られるようにするための「きっかけアイテム」と評した。初めてできた触覚を扱うための共通言語だという。

プロジェクトで制作された「触感年表」
ワークショップで触感サンプリングに使われた物品
会場の様子