森山和道の「ヒトと機械の境界面」
「Maker Conference Tokyo 2013」レポート
~メイカームーブメント+既存の製造業の可能性
(2013/6/19 00:00)
株式会社オライリー・ジャパンが主催する「Maker Conference Tokyo 2013」が6月15日、お台場にある日本科学未来館にて行なわれた。「Makerブーム」なるものがメディア上でも騒がれるようになって久しい。ここに来て、日本国内においても、ものづくりを楽しむ「メイカー」や、デジタル化や3Dプリンタなどの新しいものづくり技術の普及による変化を、既存の製造業がどのように捉えれば良いのかという視点が求められるようになりつつある。今回のイベントにも、そんな視点が感じられた。まだ定見はないが、取りあえず会場の様子をレポートしておく。
メイキングカルチャーの変遷と「モダン・メイキング・フェイズ2」
まずは2件行なわれた基調講演から。まず始めに講演したのは、マーク・フラウエンフェルダー(Mark Frauenfelder)氏。雑誌「Make」の編集長で、「bOING bOING(現在はブログboingboing.net)」の編集長でもある。Makerムーブメントの牽引者として世界的に著名な人物の1人である。
フラウエンフェルダー氏は、「人々はかつて皆ものづくりを楽しんでいた。だが一時期しなくなった。そして今はまた楽しむようになっている。そのヒストリーを紹介したい」と述べて、雑誌編集長らしく、昔の雑誌記事の変遷を交えて、アメリカのDIYものづくりカルチャーの変遷を語った。
最初に彼が示したのは産業構造の変化である。20世紀初頭、1900年には8割が農業に従事していたが、2012年には2%程度。昔の農業従事者の人々は必然的にメイカーにならざるを得なかった。農機具の修理などで他の人を頼ることができなかったからである。当時のカタログを見ると農機具にはさまざまなものがあったことが分かる。彼らの多くはその後、都市へと移動することになったが、技術や、「壊れたものは自分で直す」という文化は継承されていた。
続けてフラウエンフェルダー氏は、伝説的なSF雑誌「アメイジング・ストーリーズ」の編集長だったヒューゴー・ガーンズバックを例に挙げた。彼はSF雑誌以外に、メイカー的な雑誌も発行していたという。そして当時の雑誌を見ると、今の雑誌と企画が共通していることに驚く、例えば電力の無線伝送や風力発電、ラジコンや使用済み電球の再利用といった記事が当時から掲載されていたのである。フラウエンフェルダー氏は、使われている技術はアップグレードされているものの、基本的なアイデアや、何よりも記事のテイストがほとんど変化していないことを具体的に示して、会場を沸かせた。
そして「1970年代から2000年は、メイキングにとっての暗黒時代だった」という。つまり、大量生産時代の到来である。当時の雑誌記事にも大きな違いがある。フラウエンフェルダー氏は、テレビなどの価格下落に原因があると述べた。どういうことかというと、昔は電気製品のパーツも、自分の責任でチェックしなければならず、雑誌にもそんな方法が紹介されていた。チェックするための機器はドラッグストアに置かれており、どうやって自宅からテレビをドラッグストアまでもっていけばいいのか、といった記事が掲載されていたという。ところがテレビなど電化製品の価格はどんどん下落。人々は製品が壊れても自分で修理しなくなった。つまりソリューションは、買えばすむものになってしまい、ものをきちんと修理しようという気持ちはなくなってしまったのである。そしてDIYカルチャーが1970年から減っていったのだという。同じ雑誌を見ても、1970年には、どうやって自分で車を作ればいいのかという記事が掲載されていたが、1980年代には、メーカーが作ったすごい車自体の紹介記事が掲載されるようになった。なお、このように1つの雑誌の記事の変遷をたどれるのは、長い間、刊行され続けている息の長い雑誌がアメリカには存在するからであることを付記しておく。
下火になったDIYカルチャーだが、サブカルとしては続いていた。中でも有名なのが、これまた伝説的な「ホールアースカタログ」である。ジョブズが影響を受けたことでも有名だ。また、パンクやロックは伝統的な音楽業界の流れにそわず、直接ファンのところに音楽を届けようという流れとして位置づけられるという。出版業界も同様で、小さいプレスが自費出版で出版されていた。アメリカでは「ジーン(zine)」と呼ばれているミニコミ雑誌が増えて、「ファクトシートファイブ」のようなジーンのレビュー雑誌も登場し、一部で人気を博していた。フラウエンフェルダー氏は自身のジーン・コレクションを紹介しながら話を続けた。
そして、2000年から今日まで続いている「モダンメイカーカルチャー」と呼ばれる新たな革命が起きた。最初はMakerの人たちが「作るのを楽しむ」時代から、今はMakerが他の人たちのためのツールを作るようになり、さらにいろいろな関心を持っている人向けに変わろうとしている。フラウエンフェルダー氏は、「Make」誌の記事から、自動で鳥にえさをやって写真を撮るバードフィーダー、レコードを自動でデジタル化してくれる世界最大のiPod、イモを200m先に飛ばせるキャノン、ペットボトルロケット、ベーコンのにおいで目が覚めるベーコン・アラーム、1枚の板から無駄なく切り出して作られた椅子などのメイカーたちによるプロジェクトを紹介した。
最後に氏は「モダンメイキングのフェイズ2について話したい」と述べた。「これまでは組織がなくてはものが作れなかった。その時代が終わりつつある」という。デジタル化により、R&DがWebを使って分散化できるようになったことが大きいという。大企業が気づかなかったようなアイデアも実践されるようになりつつある。そして「最後にメイキングのスピリットを見せたい」と彼が示したのは、ナイフと接着剤と爪楊枝だけを使って作られた城だった。そしてその制作者であるScott Weaver氏は、「写真を撮りたい」と言ったらコスプレして出てきたという。「ものづくりのスピリットを持って、他の人と共有できるようなものを作っている」彼が、メイキングの好例だとフラウエンフェルダー氏は語った。
インディ・プロダクツによるオープン・ハードウェア・メイキング
基調講演2件目は、Seeed StudioのファウンダーでCEOのエリック・パン(Eric Pan)氏。Seeed Studioは深センにあり、「Maker のアイデアをプロダクトにすることを支援するオープンソースハードウェアのソリューションとサービスを提供している」会社である。つまり、Makerといっても、ホビーの域を超えて事業展開をしようとしている人を助ける会社だ。パン氏は「インディ・プロダクツ」と呼んでいた。またパン氏は「ChaiHuo hackerspace」も創設、中国国内初の「Mini Maker Fair」も開催している。プログラム委員の1人で、情報科学芸術大学院大学(IAMAS)准教授の小林茂氏からは「深センは30年の歴史しかない。その街でゼロから活動を立ち上げる活動をしている。世界のメイカームーブメントに携わっている中でももっともすごい人」として紹介された。
パン氏はゲームやコンピュータ好きの子供として育ち、大学ではコンピュータサイエンスと電子工学を専攻。ロボコンなどに出場していた。卒業後、Intelに入るが開発者ではなく、チップセットのプロダクトエンジニアリングに従事していた。だが将来の姿をイメージできず、退屈していたという。そこで会社を退職し、モンゴルに輸出する企業に就職。自転車で中国を回る旅行などをしながら自分探しをして、「Seeed Studio」を2008年に2人で設立したという。
パン氏は、取引をする相手がオープンでフレンドリーなので面白いと事業を紹介した。ただ、ビジネスモデルは従来のものと変えているという。「メイカーたちと単に取引するのではなく、アイデアも共有するし、販売もヘルプするし、売り上げも共有する」、「オープンハードウェアファシリテーター」として事業を進めていると述べた。ユーザー数もどんどん伸びており、今社員は120人。パン氏自身も注目の若手起業家として雑誌の表紙を飾ったりしている。これらはすべてメイカームーブメントあってのことだと述べた。
パン氏はクリス・アンダーソンの本『メイカーズ』(NHK出版)などにも言及しつつ、スティーブ・ジョブズによるアップル1や、最近のTokyo Hackerspaceによるガイガーカウンターなどを紹介。「自家製」の力はすごいと述べて、「自家製が本当の道だと思う」と語った。それには、ユーザー、デザイナー、マーケターの三位一体が非常に重要で、この組合わせがメイカーの最小単位だとした。
自家製の良いところは、スピードを上げて作れる機敏さがあるところだ。これをパン氏は「アジャイル・プロダクト・ライフサイクル」と呼び、プロダクトは基本的に外観、骨格、基板、ソフトウェアの4つのレイヤーでできているとした。今の時代においては、すべてを自分たちで作る必要はない。3DプリンタやArduinoのようなマイコンは、それぞれのレイヤーの速度を変えつつある。そしてレイヤーの組み合わせによって、これまで数年単位だったものづくりが、数カ月単位で可能になったという。
アイデアをプロダクトに変えるにあたって、同社では5つのステップを重要にしている。アイデア、プロトタイプ、数十個を作るエンジニアリングサンプル、共通ニーズを持つ人たちに配布するために100個くらいを作るパイオニアリングバッチ、そしてマスプロダクションである。作るものを少量にしておくのがミソだと言う。今はメイカーも多く、ニーズも多様化している。彼らは満足しない、常に変化するニーズに応えようとしている。それは生物の進化にも似ていると語った。
最後にパン氏は、「オープン・ハードウェア・メイキングの環境はそろってきたので、これからはどう進めるかだ。深センはプロダクトとのハリウッドになろうとしている。日本とのコラボレーションもやっていきたい」と述べた。
製品+ユーザーコミュニティ=豊かな製品周辺文化
午後はマルチトラックで、複数のセッションがパネルディスカッション形式で平行して行なわれた。筆者が聴講したのは「Maker フレンドリーな 製品をつくる(モデレータ:久保田晃弘氏) 」と、「Maker×メーカー(モデレータ:小林 茂氏)」の2つ。Maker時代の起業の役割に関するセッションである。
まずは「Maker フレンドリーな 製品をつくる」から。キーワードは「誰が作るかではなく、どのように作るかだ」。個人のMakerが作るか企業内Makerのような人が作るのかではなく、どうやって世の中に送り出すかのほうが問題だというわけだ。
最初にモデレータの多摩美術大学情報デザイン学科の教授・久保田晃弘氏は、一部で熱狂的なファンを持つHPの電卓、そしてエミュレータ「WP34S」を紹介した。これはファームもオープンソース化されており、既存のファームウェアをファンが改造したりしているプロジェクトである。ファンコミュニティもあって、そこではこの電卓を持つことの豊かさが共有されている。だが、もともとは企業の一製品である。つまり、「メーカーによる良い製品」がまず始めにあり、その上で、ユーザーがいじるのに必要なデータをメーカーが提供することで、製品周辺の文化が豊かになり、より社会の中で浸透していくのではないか、という見方を示した。今、新たなユーザーフレンドリーな文化が生まれ始めているという。
実際、例えば製品の使いこなしに関して疑問点がある場合、それが高度になればなるほど、メーカーのお客様相談センターによるサポートではなく、ユーザーコミュニティに聞くという流れは一般的になりつつある。重要なのはユーザーコミュニティが存在することだ。
さて、そのような視点で「メーカーフレンドリーな製品」として紹介されたのは、切削機「iModela」のメーカーであるローランドDGと、単音しか出ないアナログシンセサイザーで話題を呼んでいるKORGの2つである。
まずローランドDGの村松一治氏から、iModelaがどうして登場したのか概略紹介が行なわれた。もともと同社では音符を描く機械を作ろうということを始まりとして、XY軸を制御して図面を描くプロッターも手がけており、そこから製図用の機械や大判のポスターなどのカッティングマシンやインクジェットプリンタなども手がけていた。Modelaが始まったのは1996年から。ただ、当時は「遊んでいる人たち扱い」だったという。
開発担当の宮本数人氏は「成功するまでやれば成功する」という言葉が社内で伝えられていると述べて、開発の苦労話を紹介した。同社にはもともと、ユーザーニーズに合わせてモノを作っていくのではなく、技術者として自分たちのコア技術を使って必要なものを作っていこうという文化があったという。そして会社上層部からプレゼントされたというあれこれを紹介し、こんなものを作れと言われたと昔を振り返った。短時間の講演だったので詳細は分からなかったが、察するに、ずいぶんと無茶ぶりだったようだ。
あるとき宮本氏はミニ四駆のモーターを見て、これが切削機に使えるのではないかと思ったという。そこで図面を引くのではなく、まず頭の中で大まかな概念設計をして、そのまま早速試作をした。製品化に至ってはさまざまな苦労があってかなり苦しんだそうだ。例として挙げられたのはモーターによるノイズである。ミニ四駆と情報処理機器ではカテゴリが違い、規格も違う。だが家庭用機器として出したい、そのため苦心したそうだ。
またiModelaはもともとは、組み立てキットとして出したいと考えていたそうだ。本体自体を顧客であるユーザーに組み立ててもらうことで、メンテナンスも容易にしたいと考えていた。つまり製品を買っても維持コストがかかってしまうのにしたくなかったのだという。だが、生産部門などとの議論を通して、最終的には、まずはしっかり削れるというスペックを出さなければならないということでボツになったと紹介された。
コルグの坂巻匡彦氏は、「シンセサイザーをもう一度楽器にしたかった」と2010年3月に出した「monotron(モノトロン)」を紹介した。1970年代のアナログシンセサイザーは、新しい工夫を加えて、アナログシンセにしかできないことをやろうとしていたが、1980年代にデジタルシンセになることで本当の楽器みたいな音が出せるようなるなど便利になる一方、パラメーターにユーザーが直接アクセスできなくなり、シンセサイザーは器用貧乏になり、楽器じゃなくなったと感じていたという。そこで「もう一度、楽器性みたいなものを取り戻したい」と考えたのだと述べた。坂巻氏はその時代のことを「暗黒期」と呼び、しかもその時代をもたらしたのは自社のM1という大ヒット製品だった、だからそれと真逆のことを敢えてやってみようと考えたと述べた。なお会社の中ではやはり本流ではないという。
なお楽器にしたいというのは、「デジタルシンセサイザーにはギターのような荒々しい説得力がない。言葉を超えた『あー!!』みたいなのがない」、でもmonotronにはある、ということだそうだ。坂巻氏による下記のデモを見て頂ければ、何となく分かるのではなかろうか。
坂巻氏は1人の若手技術者の名前を挙げた。回路設計担当の高橋達也さんである。坂巻氏曰く「ミュージシャンであり技術者でもある、まさにメイカーのような人」で、彼が基板の裏に、シンセサイザーのパラメーターやオシレーターのソースなど、いわば「改造手順」みたいなものを書き、それを許可したことから今のモノトロンの改造は始まったと紹介した。だが、メーカーによる改造の推奨は普通はできない。だが、「いわばエンジニアの冗談、基板の落書きみたいなものだとして、面白ければいいかと思ってやってしまった」のだという。そして、「そのおかげでモノトロンが化けた」。安いアナログシンセからオープンな電子楽器として化けたのである。なお改造例も今はコルグオフィシャルサイトでまとめられているが、「製品の改造を推奨しておりません」と付記されている。
さらに今は回路図も公開されている。もちろんその前には営業部門や品質保証など社内のあちこちに根回しをしたという。「反響があってセールスの助けにもなる」という話をしたところ、「びっくりするくらい2つ返事でオッケーをもらった」と語った。同社の社内文化が伺える話である。これがモノトロンにおける1つの転換点となった。
今では、改造例に逆にインスパイアされて、いわばKORG自体による改造というコンセプトで作られたのが、兄弟機「Duo」と「DELAY」である。「Duo」は2つのオシレーターとフィルターを備えたシンセサイザーで、「DELAY」のほうは70年代、80年代の宇宙SF映画みたいな「スペーシーな」音が出る。YouTubeなどで音を聞けば、ああなるほどと思うはずだ。
また、monotriveという機器ではMIDI端子を付けられるにも関わらず、敢えて隠しておいたりもしたという。改造するメイカー的な人と、ミュージシャンとのコミュニティとの間につながりを持たせようとしたからだと坂巻氏は述べた。例えばミュージシャン側から「MIDI端子がないじゃないか」という問い合わせがあったら、メイカーをメーカー側が紹介してしまうといったことをやりたかったのだそうだ。実際に紹介したケースもあるとか。
坂巻氏は最後に、開発を通して、最初の「シンセサイザーを楽器にしたい」という気持ちについて実は、「ユーザーの手にシンセサイザーを戻してあげるということだったんじゃないか」と気づいたと述べた。アナログの楽器では、改造は当たり前のことである。音を少し変えたり、持ちやすくしたりするなど、もともと楽器は、顧客が手元で改造するのは当たり前である。しかし、デジタルシンセはそういうことができなくなっていた。それをユーザーに公開することで、「自分しか鳴らせない音」を出したり、使いやすくすることができるようになった。それがまさに、当初目標にしていたシンセを楽器にするということだったんじゃないかと思っていると述べた。
また、もう1個、大事なこととして、コルグという会社の中にメイカー魂を持っている人がたくさんいることを挙げた。同社では、会社オフィシャルでモノ作って楽しんでいいと言われているのだという。もちろん、好きなモノを作るのはなかなか難しいことだ。しかしながら「モノは、メーカーからお客へのプレゼントでもある。恥ずかしくないものを作れるという風土がある」と語り、自社の文化を讃えた。
「Maker」と「メーカー」の掛け算は可能か
次の「Maker×メーカー」というセッションでは、海内(あまうち)工業株式会社の海内美和氏、株式会社ケイズデザインラボの原雄司氏が登壇して、ディスカッションが行なわれた。モデレータはIAMASの小林茂氏。
海内工業株式会社は精密板金加工の会社である。普通の板金屋が扱わないような難素材を使った、精度の高い曲げ加工などを得意としているという。海内氏は曲げ加工や溶接の難しさだけでなく、業界全体の構造変化などの社会状況も交えながら、講演を行なった。今は鋼材も海外から調達して海外で販売する流れが大きくなっており、日本に残った仕事は「利益なき繁忙に陥っている」という。その中で同社は、脱「待ち工場」を掲げつつ、精密板金の技術を広めるために努力しているという。町工場は技で生きている。だから外部に技を出さないことが多い。だが、公開しても価値が失われることはない技術に関してはどんどん公開することで、新たな道を拓こうとしているのだ。
同社では精密板金ワークショップを開催することで、CADのような画面の中でのモノづくりだけでは分からないことを伝えようとしているという。例えば素材を扱うときには数値化だけではない問題がいろいろ起こる。町工場の職人たちは、それをノウハウとしてもっている。そのようなことを、生きている金属を触って曲げて加工する中で、簡単なものではないことを体感してもらおうという試みだ。
また、お客から言われっぱなしでモノを作るのではなく、お客が何を求めているかを探っているという。例えば、手作り板金とプレスを比較すると、1,000個未満なら手造り板金のほうが安くすむといった情報を開示することで、技術、品質、納期、サービスを向上させ、精密板金メーカーとしてのブランドを構築しようとしている。
メイカーとの協業においては、ミスマッチングを避けるために、目的を相互に確認することが重要だと述べた。また3Dプリンタは加工側から見ると、製品作りではなく、新しい部品の生産方法だと見ていると述べた。そして3Dデータへの対応は必須であり、3Dを活かすには2Dの土台が必要だと語った。最後に海内氏は「価値あるアイディアは確かな技術で」と会場に呼びかけて締めくくった。
株式会社ケイズデザインラボ社長で3Dコンサルタントの原雄司氏は、3Dのデジタルものづくりの推進者として著名な人物だ。2012年にはイグアスと共同で3Dスタジオ「CUBE」を共同で設立、渋谷「FabCafe」と連携して、平日は企業向け、土日には個人でも体験可能なスペースを運営している。3Dプリンタは今はブームだが、2006年頃にはまだ全然売れず、ものすごい仕掛けをしないと注目もされなかったという。誰も3Dプリントデータを作れなかったからだ。
そんな原氏は、3Dデータを実際に触れないことにフラストレーションがあったという。協業については違う専門性を持った人たちが一緒にやることでアイデアがたくさん出ると述べ、コンサルタントとして関わったいくつかのプロジェクトを紹介した。企画開発のデザイン支援等では、すぐに触れる実物を試作できる3Dプリンタはものすごく大きな力を発揮するという。原氏が例に挙げたのは住友ゴム工業株式会社によるスカート状手袋の開発、日本遠隔制御によるラジコンプロポデザイン、トンボ鉛筆によるキッズ文具等だった。例えば子供向け文具にしても、はやい段階で色も含めて試作をしてしまえば、実際に子供がどれを選ぶか実験できる。これにより、合意形成がすばやくできるのだという。
また、このような過程の中で「ものづくりの楽しさを思い出した」と言われることもあるそうで、モチベーション向上にも役立っているようだ。特にmake-a-thonのようなことをやると、1日半でたいへん面白いものを企画する人が出てくる。なぜ会社ではこういうスピードで企画ができないのかという話になるという。原氏は、前日に発表があったばかりの3Dプリンタ「CUBE」も紹介しつつ、設計ありきではなく、考えながらプロトタイプを作ることの意義を語った。
この後のディスカッションでは、Makerと中小企業の協業の可能性が探る議論が行なわれた。3Dプリンタといっても実際にはいろいろなものがあるのだが、ラピッドプロタイピングに大きな可能性があるのは確かだ。一方、100個程度作るのと、1万個作るのは同じ手法で良いわけはなく、大量生産したければ標準化するほうが良い。既存の製品製法にも大きな利点があるからだ。
多摩美の久保田氏は、「モックアップと製品のギャップが大きいのが日本の製品の弱点ではないか」と問題提起。コミュニケーションツールとしての可能性や、「メイカーが変えていくメーカーの姿」、「アイディアやスピリットが大量生産する中で失われないようにするにはどうするといいか」といったことを問いかけた。それに対して原氏からはデザインとギャップがない出力ができるため、「感動しなかったことに逆に感動した」と言われたという例が紹介された。
また、町工場においても「モックアップがあれば、相談にのれる」ことが少なくないのだという。個人のメイカーは背景もいろいろなので、独自の方法で書かれたよく分からない図面よりも、「こういうものを作れないか」と、3Dのものを持ってこられると、議論が容易になるというわけだ。
IAMASの小林氏は、「ものづくりを経験することで、ものを見る解像度が上がる。デジタルツールで作る経験をしたあと、今まで気づかなかった精度そのほかに気づく」といった教育公開的な利点があるのではないかとコメントした。ものづくりの難しさを分かった上で話をするのと、理解していないのとでは、町工場との協業もぜんぜん違うというわけだ。それに応えて原氏は「ブロックの精度を3Dプリンタで作るのは非常に難しい」と述べて、企業の研修においてはブロックなどを作ってもらっているという事例を紹介した。ブロックを作ることで、いかに大量生産技術で精度高く作られた今の製品がすごいか、3Dプリンタの解像度がどのくらいなのかといったことが実感として理解できるという。
また海内氏からは、板金体験をしてもらうことによって、体験者だけではなく、現場の職人たちのモチベーション向上という効果もあったという話題が紹介された。普段の現場は時間に追われて作っている。だから実際の現場では「ものづくりの楽しさ」などを楽しむ暇などないのが現実だ。そこに外部の人がやって楽しんでいるのを見る、そして職人たちを賞賛する声を直接聞くことで、相乗効果があるのだという。IAMASの小林氏も「自作だとLEDが光るときに感動する。だけど、そんなのは普段から体験しているはず」と同意した。
最後に久保田氏から、「今はハードウェア、ソフトウェア、ネットワークサービスが融合して1つのモノになっている。ソフトウェアと組んだモノは使い捨てにならない。だから工場の人がクリエイションのツールとしてもっとコードを書けるようになると新しい可能性が拓けるのではないか」という提案があった。小林氏も、展開図を自動生成するソフトウェアを紹介。こういうソフトウェアが町工場側から提案されると面白いのではないかと述べた。今はようやく、そのような議論ができる段階に入りつつあるという。
このあと、ショートプレゼンテーションや、メイカーのための教科書を考えるといったセッションがあったのだが、割愛する。