大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

東日本大震災から1年。IT産業はどんな貢献ができたのか



 東日本大震災の発生から1年を経過した。

 東日本大震災による死者数は、約15,900人にのぼり、行方不明者数は約3,200人。約129,000戸の建物が全壊し、約254,000戸が半壊。そして、691,700戸が一部損壊という被害にあった。

 亡くなられた方には、改めてご冥福をお祈りしたい。

福島県相馬市沿岸部の現状。震災後1年を経過しても津波の爪痕は残っている2012311日撮影)伊達市では「除染」の文字があちこちでみられた(同)

●クラウド、BCPなどに高まる関心

 震災後、IT業界を取り巻く環境にも多くの変化があった。

 企業においては、BCP(事業継続計画)への関心が高まり、リスク回避あるいディザスタリカバリの観点からクラウド・コンピューティングが注目を集め、国内でなければならないと言われていたデータセンターの需要が、リスク回避の観点から海外のデータセンターを活用するという動きも顕著になってきた。

 日本マイクロソフトの樋口泰行社長は、「東日本大震災後には、ネットワークにつながることの重要性、データが紛失することのリスクが認識されるといった中で、クラウド・コンピューティングの意味が理解されてきた。また、PCが無くてはならないものになっていることも理解されてきた」と、その変化を指摘する。

 一方、個人ユーザーの間では、震災直後、携帯電話や固定電話回線がつながりにくかったのに対して、インターネットの接続性が高かったことに注目が集まり、TwitterやFacebookといったソーシャルメディアの活用が加速した点も見逃せない。データ通信網を活用した情報のやりとりは、被災地においても、大きな活躍をみせた。

 前文部科学副大臣であり、IT分野にも詳しい参議院議員の鈴木寛氏は、「被災地では、ネットワークにつながっているかどうかが生死を分けた。大震災を通じて、デジタルデバイドの重みを感じた」と語る。

●パケット通信の制御は限定的だった
固定回線の被災状況

 総務省によると、東日本大震災における通信への被害は、固定電話回線では、最大で約190万回線が被災、移動通信では最大2万9千の基地局が停止したという。被災3県の固定回線数は約2,400万回線とされており、逆算すると、約2割の固定電話が被災でつながらなかった計算だ。

 これらの被災は、8割以上が停電によるもので、固定電話では倒壊や流出の影響はわずか7%、携帯電話での基地局への地震、津波による停止は、わずか3%に留まっている。言い換えれば電源確保が、正常な通信環境の維持につながるというわけだ。

 「まず被災地に入り、避難所の位置を確認できるのが自衛隊。自衛隊などのとの連携を通じて、通信設備の応急復旧措置などを行ない、発災48時間以内での避難所における通信環境の確保が今後の課題になる」と、総務省大臣官房秘書課調査官であり、内閣府被災者生活支援チーム企画官の瀬戸隆一氏は指摘する。

 被災直後、通信手段が途絶え、3日間食事ができなかったという避難所が多かったという。通信手段を確保することは、こうした状況を解決することにもつながるというわけだ。

パケット通信における制御は少なかった

 通信がつながりにくい状況は、基地局などの倒壊のほか、輻輳制御も大きく影響する。NTT東日本では通常の4~9倍の通信量が発生したことから、NTT東日本では最大90%の通信制御を行なったという。また、KDDIでも同じく最大で90%の通信制御、ソフトバンクテレコムでは最大80%の通信制御を行なった。これも震災時に電話がつながりにくかった理由の1つだ。

 一方、移動通信においては、音声通話においては、NTTドコモが最大で90%、KDDIが最大で95%、ソフトバンクが最大で70%の制限をかけたが、パケット通信については、NTTドコモが最大30%の制限をかけたものの、KDDI、ソフトバンクともに通信制御はまったく行なわなかった。携帯電話を利用したメールやソーシャルメディアがつながりやすかったというのも、通信事業者が、パケットに関して、通信集中に対する制御を行なわない、あるいは低い割合に留めたことが背景にあったのだ。

ソーシャルメディアは信頼性が向上したとされる一方で、信頼性が低下したという声もある

 野村総合研究所の調査によると、東日本大震災後、信頼性が向上したメディアとして、「NHKの情報」が最も多かったが、次いで、「ポータルサイトの情報」、「ソーシャルメディアで個人が発信する情報」という順になっている。しかし、信頼性が低下したメディアという項目でも「政府・自治体の情報」、「民報の情報」に次いで、やはり3番目に「ソーシャルメディアで個人が発信する情報」が入っているという。

 ソーシャルメディアの情報は、確かにすべてを信用できるものではないが、この調査からも、多くの人が、ソーシャルメディアに対する認知を高め、その情報を利用し、頼っていたことは明らかである。

 文部科学省生涯学習政策局社会教育課長は、「震災直後には、断片的な情報が発信され、それが誤解を招くようなところもあった。そののちに、正確な情報を発信しても、誤った情報を払拭しきれないという問題もある。正確な情報を速やかに伝えることが大切である」だと語る。

 文部科学省は、2011年3月15日から、全国47都道府県に設置されている約70カ所のモニタリングポストから集計したデータをもとに、放射線モニタリング情報を1日4回掲載。日本語、英語、中国語、韓国語による情報を発信し、放射線量の変化をわかるように掲示した、これも、個人が発信する不確かな放射線量検査の数値ではなく、政府による正確な情報伝達を迅速に行なうという点では大きな成果があったといえよう。

●正確なネット情報を速やかに伝える努力が続々

 インターネットの情報は、テレビ、ラジオ、新聞メディアとは異なり、利用者自らが、必要な情報を取りに行くという点でも効果を発揮した。

 「阪神淡路大震災のときには、インターネットが登場した段階であったが、今回の東日本大震災はインターネットが本格的に普及して、初めて訪れた大震災。インターネットによる情報が活用された復興であった」(野村総合研究所シニアフェローの村上輝康氏)というのも事実である。

 政府や県、自治体の各ホームページ、東京電力などの関連企業、ニュースサイトなどへのアクセス数は、震災後、急激な勢いで上昇した。

 文部科学省のサイトへのアクセス数は、一日2万件弱だったが、震災後には、3月15日から、放射線モニタリング情報を掲載したこともあり、平時の16倍にもなる、一日28万件ものアクセス数になったという。

 文部科学省ではそれを見越して、ヤフーやWIDEプロジェクト、さくらプロジェクトなどと迅速に協力して、ミラーサイトを構築。サイトの安定稼働を維持したという。

 岩手県庁でも、3月13日午前11時に業務システムが復旧したのを機に、岩手県のホームページを再開したところ、被災状況や安否状況を確認するために、全国からのアクセスが一気に増加。同日午後3時には遅延が生じ、急遽、日本マイクロソフトの協力により、ミラーサイトを構築。平時の10倍ものアクセス数に達したものの、19日には数秒で閲覧できる状況に回復したという。

 ここで興味深いのは、ミラーサイト構築の決断をしたのが、ホームページの直接的な担当部門ではなく、IT機器の導入担当部門である法務学事課であったという点。日本マイクロソフトからのミラーサイト構築提案から1時間後には意思決定し、12時間後にはミラーサイトが稼働したという。

 だが、その一方で、参議院議員の鈴木寛氏はこんな苦言も呈する。

 「マスコミには、記事への表記や、放送する場合には、トップページのURLだけを紹介してくれといっていたが、中には最後の部分までを含めたURLを表記するメディアもあった。これではサイトを落とそうと思っているようにしか思えない。ミラーサイトのメリットを生かすには、トップページに行なってもらう必要がある。緊急時のこうした報道を行なう際に、マスコミ各社にも、一定のITリテラシーが必要であると感じた」

 確かに、ITを使いこなし切れていないマスコミが多いのも事実であり、ミラーサイトの仕組みを知らないまま、報道している例もある。マスコミ各社の報道にも、ITリテラシーが求められる時代に入ってきたことを示す事例だといっていい。

●ボランティア募集でもネットが効果を発揮
復旧・復興支援制度データベースの仕組み

 復興段階に入っても、ITは大きな威力を発揮した。

 経済産業省では、国や自治体の被災地支援策をワンストップで検索できる「復旧・復興支援制度データベース」を構築。500以上にのぼる被災者向けの支援制度を検索できるようにした。

 「新潟県中越地震の際にも、約300の支援制度が用意されたものの、これだけ多くの被災者向けの支援制度がある中で、被災者自身の希望にあった支援制度を的確に見つけられないという課題があった。復旧・復興支援制度データーベースでは、これを解決することができた」(経済産業省・平本健二CIO補佐官)という。

 内閣官房震災ボランティア連携室と連携した民間サイトの「助け合いジャパン」では、3月18日からFacebookのサイトを開設し、3月22日にはサイトをオープン。ボランティア募集情報を収集し、それをネットを通じて配信。この情報をもとに、多くのボランティアが参加した。このボランティア情報は、Yahoo! JAPANの復興支援サイト、gooの震災ボランティア情報ページ、@niftyのボランティア情報ページなどにも掲載され、「ボランティア情報のほとんどがここで提供された。収集した情報は、JR東日本の協力により、仙台駅構内のステンドグラス横にも掲示され、リアルとの連携も行なった」(助け合いジャパンボランティア情報ステーションリーダーの藤代裕之氏)という。

 一方で、社会福祉法人福島県社会福祉協議会人材研修課の斉藤知道氏は、福島県災害ボランティアセンターでの取り組みに触れながら、「福島県内には最大33カ所のボランティアセンターが設置されたが、有効なボランティア活動を実現するには、PCなどの機器や通信インフラを整備し、正確な情報の集約や整理、発信、共有が重要であることを感じた。2011年7月に、会津地域において、集中豪雨による水害が発生し、2つの災害ボランティアセンターを設置したが、東日本大震災の経験を生かして、この時に真っ先に整備したのが情報インフラ。正確な情報を全国に発信し、ボランティアの募集から、収束までをスムーズに行なうことができた」とする。

 復興のためのボランティアを募り、そこで活動してもらうためには、ITを活用した取り組みがもはや不可欠であることを示したものともいえる。

●被災地へのPC寄贈プログラムにも取り組む

 業界団体である一般社団法人電子情報技術産業協会(JEITA)を中心にした「ICT支援応援隊」を通じた、IT機器の提供活動でも成果があがっている。

 JEITAが事務局となって2011年4月11日~7月29日までの約3カ月間に渡って活動したICT支援応援隊は、経団連のほか、社団法人コンピュータソフトウェア協会、一般社団法人情報サービス産業協会、一般社団法人日本コンピュータシステム販売店協会などが参加。応援企業として約60社、現地支援機関として約70の団体が関連し、宮城、岩手、福島から寄せられた約100件の支援要請に応える形で、1,475台のPC、313台のプリンタ、107のネットワーク回線を無償で提供した。

 この支援制度を、一般財団法人ニューメディア開発協会を通じて活用したのが、岩手県釜石市のeネット・リアス、岩手県大船渡市のシニアネット・リアス大船渡、岩手県陸前高田市のシニアネット・リアス・高田の3団体である。

 一般財団法人ニューメディア開発協会新サービス産業創造グループの川村健三部長は、「シニアネットとして被災地に対して、なにかお手伝いができないかという提案をもらい、4月に準備委員会を発足。被災地のシニアネット3団体に、ICT支援応援隊を通じて、45台のPCのほか、スキャナ、プリンタを寄贈してもらい、被災地でPC講座を2011年秋から開始している」と語る。

 シニアネット・リアス大船渡の及川純代表は、「PC講習を行なっている場合ではないという気持ちもあったが、周りからは『早く再開してほしい』といった声があり、20台のPCを持って仮設住宅を訪問。年賀状作成の手伝いを行なった」とするほか、eネット・リアスの福島和男理事長は、「10台のPCを使った講習の募集を行なったところ、300人もの応募があった」とコメント。シニアネット・リアス・高田の大久保勇作顧問は、「シニアだけでなく、若い人たちに対する就労支援の一環として講習を行なうこともある」と、地域において、PCを活用した講習会が高い関心を集めていることを示す。

 そして、「緊急時において、ITを使えることが、情報入手手段として重要であることを、多くのシニアが感じている」というのは、この3つのシニアネット代表が異口同音に語る言葉だ。

 さらに、シニアネットでは講習会の開催以外にも、寄贈されたPCを利用して、写真の修復作業なども行なっている。

 eネット・リアスでは、傷ついた写真をスキャナーで取り込み、約10人の会員がPCで修復作業を無料で行ない、被災者に手渡したという。中には、写真にガラスの破片がくっついてしまい、はがそうとすると写真が破損してしまうという写真や、亡くなられた方の花嫁姿の写真という貴重なものもあった。「修復した写真は約300枚。40時間以上かけて修復したものあった」(eネット・リアスの福島和男理事長)という。

eネット・リアスで修復した写真。写真にガラスの破片がくっついてしまったものをスキャナーでデジタル化して、細かい作業で修復していったというこちらは泥の汚れを落とした例

 福島理事長は、「シニアには瓦礫の処理作業はできない。しかし、シニアにはシニアならではの貢献の仕方がある」と、PCの活用が復興支援のひとつになると位置づける。

 日本マイクロソフトの技術統括室の大島友子氏は、「被災地のシニアにとっては、PCが情報収集のツールとして活用されるだけでなく、PC自体が楽しい趣味となり、心が穏やかになるツールになっていた」と、実際に被災地を訪れた際の感想を語る。PCを通じて、生き甲斐を見つけたといえるシニアもいたという。

 だが、こうした取り組みにおいても課題がないわけではない。

 一般社団法人電子情報技術産業協会の長谷川英一常務理事は、「避難所に2台のPCを設置してほしいという要望を受け、PCを運び込んだとしても、そこからネットワークにつなげて、実際に多くの人たちに使ってもらうというところに至るまでに大きな難関があった」と指摘する。

 ネットワーク環境がつながっていなかったり、実際にPCを使える人がいないため、有効な使い方ができないといった問題もあったという。

 総務省の瀬戸氏も、「ICTスキルを持つサポートを育成することが重要であり、有効な情報活用につながる」と語る。

 また、PCのスキルを持った人がいた例としては、先に紹介したシニアネットがあるが、ここでも、PC講習会の開催場所確保に苦労していることや、開催場所への輸送費用の負担、テキストやチラシといった印刷および配布に関わる費用が自腹という状況である。

 日本マイクロソフトでは、PCの提供、受講内容のアドバイス、テキストの提供、資金的な援助を行なっているが、それの支援は、やはり限定的だといわざるを得ない。こうした細かい課題はあちこちに散見されるのは事実だ。

 だが、こうしてみると、東日本大震災において、情報の重要性が改めて認識される一方、その情報入手手段として、ITが重要な役割を果たしたといえるのは確かだ。

 そして、この経験を、成功事例および反省事例として、次に活かすことができるかどうかが、IT産業に課せられたテーマだといえまいか。