大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」

被災した富士通アイソテックのPC生産現場を訪れる
~「福島での元気な生産活動に期待してほしい」と増田社長



 富士通のデスクトップPCおよびPCサーバーを生産する福島県伊達市の富士通アイソテックは、4月18日から、デスクトップPCのフル生産を開始することになる。

 すでにサーバーは、3月23日から、日産500台の体制でフル稼働。震災前と同じ生産規模に戻っている。

 PC生産に関しては、3月23日からノートPC生産の島根富士通に一部を移管し、日産2,500台体制で法人向けBTOモデルの生産を開始。3月28日からは、富士通アイソテックでも個人向けデスクトップPCを、日に2,500台で量産を再開していた。

 4月18日付けで、島根富士通に移管していたBTO対応の法人向けデスクトップPCの生産を、富士通アイソテックに戻し、日産5,000台の体制とする。

福島県伊達市にある富士通アイソテック富士通アイソテックの増田実夫社長

 「生産ラインは完全に復旧した。今後は3~4カ月をかけて、建屋の修復に取り組んでいくことになる。余震が続いているため、その影響を受けて、生産ラインが一時的に止まることもあるが、従業員は前向きな姿勢で生産活動を続けている。福島で元気に生産活動を行なっていることを、みなさんにお伝えしたい」と、富士通アイソテックの増田実夫社長は語る。

 実際に、富士通アイソテックを訪ね、その様子を取材した。

福島駅と富士通アイソテック最寄りの保原駅を結ぶ阿武隈急行は、依然として部分開通のままだった


●フル稼働状態で襲われた東日本大震災

 3月11日午後2時46分--。福島県伊達市内にある富士通アイソテックは、震度6弱の強い揺れに見舞われた。

【動画】地震の時の様子。監視カメラの映像のためコマ落ちしているが、大きく揺れ、机の上のPCや、手前の棚が倒れるのがわかる(提供・富士通)

 地震の最初は、移動しやすい作業台や、生産中のPCを押さえていた生産ラインの従業員たちも、だんだん揺れが激しくなるのに連れ、これまでに味わったことがない恐怖を感じ始めた。

 激しい揺れが訪れるとともに、生産中のPCが作業台の上から落ち始め、ネジなどの部品も散乱しはじめた。天井から吊された蛍光灯は断線し、あちこちで火花が飛び散り、ガラスが割れる音、天井から板が落ちる音が工場内に響きわたった。

 悲鳴があちこちで聞こえ、女性従業員の中には恐怖で足がすくんで、その場で泣き叫ぶ人もいた。

 「すぐに逃げろ!」。

 誰かが叫んだ声にあわせて、全員が非常口に向かった。

 この時、デスクトップPCの生産ラインは、設置されている8ラインすべてが稼働。200人が作業に従事する、まさにフル稼働状態だった。

 「あとから生産現場に入ったが、足の踏み場がない状態。どうやって全員が逃げ出せたのか。それを考えると奇跡としかいいようがない」と増田社長は振り返る。

 サーバーやプリンタの生産ライン、事務棟などを含めて、富士通アイソテックには、約1,000人の社員が勤務していたが、全員が無事だった。

 この時、生産ライン上にあったPCは約1,000台、サーバーは500台弱。生産ラインに投入されたばかりのものから、完成し、梱包されたものまであったが、すべてを処分することになった。

企業向けPCの試験エリア。PCが落下している(写真提供・富士通)PCの保守部品修理エリアでは棚がひっくり返った(写真提供・富士通)PCの生産ライン横にある部品倉庫ではエアコンとダクトが落下(写真提供・富士通)
サーバーの機能試験エリア。作業台はスライドするようになっているもののストッパーで止まる仕組み。それが効かずに試験中のサーバーが落ちた(写真提供・富士通)これが現在の修復後の状態。すべてのサーバーが落ちた格好だ
サーバーの高温ランニング試験エリア。天井の板が落ちている(写真提供・富士通)サーバーの部品ピッキングエリア。奥の方のダクトが天井から落ちているのがわかる(写真提供・富士通)
ユーザーの要求仕様にあわせてカスタマイズするインフラ工業化エリア。パーティションが倒れて、区分けがなくなった(写真提供・富士通)インフラ工業化エリア。手前側にも本来は壁があり、完全に仕切られている状態だった今は簡易的に区切られている

 「現時点で被害額を想定することはできないが数億円規模にはなるだろう。その後の余震によって、建屋の修繕規模が大がかりになったものもある」と増田社長は語る。

 地震当日には耐えた建物も、その後にも続く余震の影響で問題が生じた例が少なくない。

●事前に策定していたBCMに則った対策

 富士通アイソテックでは、E棟と呼ばれる建屋にデスクトップPCおよびサーバーの生産ラインがある。1階がサーバーの生産ラインであり、2階がPCの生産ラインだ。

デスクトップPCおよびサーバーの生産を行なっているE棟

 震災の影響は、1階のサーバーの生産ラインよりも、2階のデスクトップPCの生産ラインへの影響の方が大きかった。

 地震発生当日は、午後4時の時点で全員の無事を確認したあと、すぐに全員を帰宅させた。

 玄関近くのロッカーに家や自動車の鍵などを入れている社員は、ヘルメットをかぶり、グループでロッカーまでたどり着き、必要最低限のものだけを持ち出した。また、生産ラインでは半袖で作業している社員もおり、外にそのまま飛び出したため、3月上旬の東北の寒さに凍える社員もいた。中には、外に置いてあった梱包用のビニール資材を身にまとう人もいたという。

 12日には自宅などに影響が少なかった管理職社員が出社。安全な建物内に対策本部を設置して、帰宅後の社員の安否確認や、社内の現状確認を開始した。

 その後も余震が続いていたことから、建物内部に立ち入るのが危険なため、まずは電気、施設、機械関連の業者に委託して、建物内を点検。社員は棟内には一切立ち入らないようにしたという。

トイレの改修工事を行なっていたことで、業者による安全確認が早期に行なえた

 実は、E棟ではトイレの改修工事を行なっていた。そのために関連する業者が、構内に常駐していたことも、安全確認作業を早期に進める上でプラスに働いた。すぐに専門家が点検してくれるような状況が整っていたのだ。

 壊れた機材の撤去や、危険な箇所の確認によって、棟内の安全が確認されたのは3月13日のことだった。

 本社のパーソナルビジネス本部との連携によって、事前に策定されていたBCM(Business Continuity Management)に則って、島根富士通に生産の一部を移管することを決定。同時に、サーバーも石川県の富士通ITプロダクツへ移管することなどが検討されたという。

 「BCMでは、災害が発生した当日に意思決定することになっていたが、被災状況の確認に時間がかかったことで2日後に決定することになった」(増田社長)。

 また、島根富士通で新たなラインを立ち上げるために、本来ならば、富士通アイソテック側から4~5人単位で社員を派遣する計画だったのだが、ガソリンの確保や鉄道による交通手段の利用が難しいこと、社員の自宅への影響を考慮したこと、また、富士通アイソテックでの生産ラインの復旧を第一に考えたため、結果として、島根富士通に派遣できた社員はわずか1人となった。あとは島根富士通の社員とパーソナルビジネス本部との連携によって、デスクトップPC用の生産ラインを新規に立ち上げたのだ。

 「生産ラインの立ち上げには、幅広く関与してきたスペシャリストを1人送り込んだ。新潟まで車で行き、そこから新幹線を利用して、島根に向かった。一方、東京などから戻らなくてはならない社員は、代わりにその車に乗り込んで、新潟から帰ってきた」という細かな連携もみせた。

被災によって工場内から運び出されたもの。トラック10台ほどが止まるエリアが一杯になったという今も構内ではひび割れ補修などの作業が行なわれている天井から板が落ちてしまったままの状態。建屋の修復作業はこれからだ
E棟2階部分では、壁が剥がれ落ちたままの状態になっているところもある。被害の大きさを物語る電源制御盤も応急処置の形で動作させている
ダクトの一部が新しくなっている生産ラインを一望できる事務室の窓ガラスが割れ、現在はビニールで応急処置してある社員が逃げた非常ドア。大きなドアなので一度に大勢が逃げられた

●被害が大きかったデスクトップPCの生産ライン

 3月15日午前、集まった社員を前にして、増田社長は拡声器を使いながら、現状を説明した。

 「まずは、E棟1階の安全が確認された。だが、余震の影響はまだある。活動する際には、チームになって活動してほしい」。

3月15日に集まった社員たち。管理職とリーダーだけを対象としていたが数多くの社員が集まった(写真提供・富士通)社員に向かって拡声器で説明する増田実夫社長(写真提供・富士通)電気とガスが通っていたので、社員や業者の方々におにぎりを振る舞う。1日400個作った日もある。「最後はかなり上手になった」と増田社長(写真提供・富士通)

 召集したのは管理職およびリーダー職の社員だったが、自分の職場がどうなっているのかを確認したい、そして、自分の職場は自分の手で復旧させたいという想いで、たくさんの社員が集まってきた。

 この日から、いよいよ1階の生産ラインの片付けが始まったのだ。

 1階は電気を確保することができたが、2階はまだ電気が通っていなかった。そして、水は棟内のすべてにおいて断水したままの状態だった。現在でも、2階のトイレの一部が利用できないなど、水が完全に供給されている状況ではないという。

 その点で、電気が通じている1階は、復旧に対するスケジュールを立案するにも目処が立ちやすかった。増田社長は、大型サーバーを生産している石川県の富士通ITプロダクトへの生産移管は行なわず、富士通アイソテックでの再稼働を目指した。

 一方で、2階のPC生産ラインは、電気が通じないことから、復旧に時間がかかると判断。島根富士通への生産移管という早期の選択は適切だった。

 3月16日から17日にかけては業者が自宅待機などになったことから、片付け作業は一度中止。3月18日からサーバーラインの片付けを再度開始した。だが、デスクトップPCの生産ラインの方はまったくの手つかずの状態だった。

 3月21日になって、ようやくE棟2階の安全確認が終了。社員がデスクトップPCの生産ラインに入ることができる状況となり、片付けを開始した。

 2階のデスクトップPCの生産ラインは大変な状況になっていた。天井に吊されていた蛍光灯が落ち、生産ラインを一望できる事務所スペースの窓ガラスが割れ、構内には空調ダクトと天井を這うケーブルがぶらさがっていた。

 最も衝撃的だったのは、大型エアコンが天井から落ち、その下にあった机が完全に壊れていたことだ。その下に人がいたらと思うとゾッとする光景だ。

 また1階から2階へ部品を搬入し、2階から1階へ完成品を降ろすための4台の昇降機も、制御装置が横転するなど、操作不能になっていた。

 「メーカーに問い合わせてもいつになるかわからない。そこで、当社の製造装置の技術者や金属加工を行なう精密加工センターの社員たちが自ら修理を行ない、アンカーボルトを使って機器を固定。2台を修理して稼働できるようにしてしまった。やればできるということを身に染みて感じた事例」と、増田社長は笑う。

デスクトップPC生産ラインの点検を社員が行なう(写真提供・富士通)デスクトップPCのトライアル生産を行なう様子(写真提供・富士通)昇降機は社員が自分たちで修理を行なった(写真提供・富士通)

 その一方で、デスクトップPCの生産ラインを島根富士通で稼働させるために、生産管理システムの変更と、部品調達の配送振り替え作業を開始。「生産管理システムのコアとなるサーバーが生き残っており、短時間に作業を進めることができたことも、生産の再開にプラスだった」という。

 近隣の外部部品倉庫には約3日分の部品がストックされており、ここから毎日必要な分を工場に運び込む仕組みとなっているが、ここでは部品の約9割がそのまま利用できる形で保管されていた。これもすぐに生産を再スタートできた背景の1つとなった。

 3月22日には、サーバーのトライアル生産を開始し、3月23日からはサーバーの生産ラインが完全に復旧。また、この日から島根富士通で、デスクトップPCの生産を開始することになった。

すでにサーバーの生産ラインはフル稼働状態となっているエージング試験ラインでは、ダクトが装置に接続されていないところもある

 さらに3月24日には、富士通アイソテックにおけるデスクトップPCのトライアル生産を行ない、3月28日からは、ディスプレイ一体型PCを中心として5つの生産ラインを動かし、日産2,500台の量産体制を敷いたのだ。

デスクトップPCの生産ライン。現在、ディスプレイ一体型PCを中心に5つのラインが稼働している。4月18日からは島根富士通へ移管していたデスクトップPCの生産も行ない、フル稼働体制となる
デスクトップPCの生産ライン。現在、ディスプレイ一体型PCを中心に5つのラインが稼働している。4月18日からは島根富士通へ移管していたデスクトップPCの生産も行ない、フル稼働体制となる3月23日からデスクトップPCの一部代替生産を行なった島根富士通。4月15日までの18日間稼働し、約45,000台のデスクトップPCを生産したことになる

 「実質的には約2週間生産が停止したが、企業の期末需要に対しては、ほぼ問題なく製品を供給できる体制を確立できた。懸念された部材の不足も、いまのところは問題がない。納品という形でお客様に迷惑をかけることはない」と、増田社長は早期の復旧が、功を奏したことを示す。

●完全復旧に向けて歩み出す富士通アイソテック
富士通アイソテックの栃本政一執行役員

 富士通アイソテックの栃本政一執行役員は、「被災地の中には、もっと大変なところもある。我々の場合は、自分たちで復旧できる環境にあったことだけでもありがたい」とする。

 増田社長も「富士通アイソテックで、これまでと変わらずにデスクトップPCやサーバーを生産し、社員が元気で仕事をしていることを知ってほしい」と語る。

 気になるのは、福島第一原発事故の影響による風評被害だ。

 伊達市は、福島第一原発からは約60kmの距離にある。そのため、政府の発表では、放射線の影響を受けない地域である。

 しかし、富士通アイソテックで生産されているプリンタの一部が台湾に出荷された際に、現地からの要請で、放射線量を測定することが求められたという。もちろん、その結果にはまったくは問題なく、台湾に向けて出荷された。

 「輸出などの際には放射線量を測ってもらいたいという要望もあるため、測定器を新たに導入する準備を進めている。日本市場向けに出荷する製品については、計測を行なう予定はない。当社の基準の上でも問題がないといえるものであり、今後の対応も、政府や自治体のガイドラインに従っていくことになる」(増田社長)という。

 富士通アイソテックは、確実に復旧の道を歩んでいる。

復旧したデスクトップPCの生産ラインの前に立つ増田実夫社長

 「今、生産ラインは完全復旧した。次は約3カ月をかけて建屋の復旧行なう。そして、そののちには、これまで以上に生産性が高く、品質をさらに高めることができる生産ラインの構築へと、さらに一歩踏み出していくことになる」と増田社長は語る。

 増田社長の視線は、復旧から次の進化にまで向こうとしている。

 同社では、毎年7月末に、地元の小学生などを対象にしたパソコン組み立て教室を開催している。

 「周りの環境に配慮する必要はあるが、今年も、ぜひパソコン組み立て教室を開催したいと考えている。それによって福島で作られるパソコンの素晴らしさを知っていただける場にしたい。そして、元気な富士通アイソテックの活動を知っていただく機会にもしたい」と意気込む。

 増田社長は笑顔を見せながら、富士通アイソテックの完全復旧に意欲を見せた。