山田祥平のRe:config.sys

買収で別天地を与えるLenovoの方法論

 古くはThinkPad、そしてMotorola、直近ではIBMのX86サーバー事業など、Lenovoは買収を繰り返して現在の地位を築いてきたと言ってもいい。言わばブランド買収の歴史だ。Lenovoの掌握化に近い状態にあるNECパーソナルコンピュータもほぼそれに近いものだと言ってもいい。今回は、その方法論について考えてみる。

Lenovoの米国拠点ラーレイ事業所とは

 米・東海岸ノースカロライナ州にあるラーレイ(一般的にはローリーと呼ばれるが、レノボ・ジャパンではラーレイと呼んでいる)を訪ねてきた。同州都でもあるこの街は、隣町であるダーラムやチャペルヒルとを結ぶ、リサーチ・トライアングルと呼ばれるエリアを構成し、言わば研究学園都市つくばのような趣を持っている。

 Lenovoの米国拠点としての本社も、この街を構成する重要な要素だ。着陸する飛行機の窓から見た光景は、まるで街全体がゴルフ場というイメージで、都市というにはほど遠いが、こういう地域だからこそできることもあるのだろう。

 Lenovoのスマートフォン事業の拠点は、Motorolaの拠点があったシカゴに集結することになったそうだが、ここラーレイには、今、ThinkPad、そして、サーバー部門の事業拠点が置かれている。かつて、そしてラーレイは今なお、IBMの重要拠点がある地域であり、そいういう意味ではもともとIBMのものだったIBM PCやThinkPad、サーバー製品群の故郷と言ってもいい。

 ThinkPadを創生したのは日本アイ・ビー・エムの大和研究所だとされている。だが、黒い弁当箱としてのThinkPadを考案したのはIBMのデザインセンターに所属していたドイツ人のリチャード・サッパー氏だった。そして、彼がThinkPadを象徴するIBMマゼンタのトラックポイントをアクセントにする基本デザインを考えた。そう言えば昔のThinkPadのトラックポイントはザラザラしていて今ほど赤くはなかったなということを思い出す。

 ともあれ、今、ThinkPadは、ラーレイでマーケティングされ、日本の横浜にある大和研究所でハードウェアの研究開発が行なわれている。

 ちなみに冒頭の写真はLenovo米国本社の前の通りの標識で「Think Pl(ace)」と名付けられていることが分かる。

企業文化を丸ごと買収

 買収して間もないサーバー部門はどうか。この部門に属していたメンバーはLenovoが新しく用意したビルに引っ越してきた。まるで隣町にやってきたようなもので環境が大きく変わったわけではない。そしてここで働く約500名がIBMからやってきた。

 説明のプレゼンテーションでも、もしかしたらOHPで説明が始まるんじゃないかとドキドキするくらいに、そこはIBMだった。今でこそパワーポイントスライドなどのプレゼンテーションアプリケーションが使われているが、四半世紀前は、IBMで何か説明を受けるとすれば、決まってOHPだったのを思い出す。

 拠点内を案内してもらったが、そこで見る光景は、春に北京で見たLenovoの拠点とは趣を異にしていた。流れる空気が違うのだ。ここでは明らかにLenovoはアメリカの会社である。聞けばLenovoはIBMに似ているともいう。だが、LenovoはIBMよりクイックでハイバリュー、ハイボリュームかもしれないとも。そして、ハードウェアカンパニーとしてのLenovoに、ソフトウェアカンパニーでもあるIBMの要素をもたらすのだという。

 Lenovoは買収対象に敬意を払い、もともとのバックグラウンドや、その組織の文化を損ね、殺してしまうのではなく、うまく活かすことを優先して考えるのだろう。たぶん、それがLenovoの方法論だ。

ヤマトの諸君、好きなようにやりたまえ

 われわれ日本人にとって、LenovoのPCと言えばThinkPadだ。ThinkPad以外のLenovo PCは、YOGAシリーズやIdeaPadなどで認知は向上しつつあるものの、まだまだ存在感は希薄だ。

 誤解を怖れずに言えば、Lenovoはアメリカの会社になりたがっている。だからこそ、アメリカを地で行く組織にアメリカ流のやり方を変えさせるのは得策ではないと考えているのではなかろうか。さらに、LenovoにとってThinkPadはスペシャルな存在で、決して犯してはならない聖域でもある。そして、それは、買収したばかりのサーバー部門とて同様だ。これは賢いやり方だ。

 ここ日本でLenovo傘下であると言ってもいいNECパーソナルコンピュータも同様だ。LAVIEブランドはそのまま継続され、日本でもっとも安心安全なPCを提供するベンダーとして認識されている。この業界にいるからこそLenovoとの関係をよく知っているが、一般大衆的には決してそうではない。そのことが悪くはない結果としてビジネスを成功に導いている。そして、NECパーソナルコンピュータの開発拠点である米沢事業所を、ThinkPadの大和研究所同様に、最高でそして独立した組織の1つとして扱うことで、ブランドを維持し、さらに価値を高めることを許している。だからこそ、米沢のスタッフは誇りをもって仕事を続けることができるのだろう。

ブランドの価値

 現在、Lenovoはスマートフォンのブランドとして「Lenovo」と「Motorola」を擁している。その筋によれば、年内にはSIMロックフリースマートフォンで日本国内市場に参入という話がまことしやかに流れてきているが、Lenovoは日本でのスマートフォンブランドとして「Lenovo」ではなく「Motrola」を選ぶという。普通に考えれば自虐的でもある。

 「ちょっと、そのMotorola、大事に扱ってよ」。ぼくがラジオの現場で仕事をしていた四半世紀以上前、中継で使われる無線機の代名詞は「Motorola」だった。コピー機をゼロックスと呼ぶようなものだ。今、そんなことを知る層がどれほどいるのかは定かではないが、通信機の分野ではMotorolaは一大ブランドとして君臨していた。

 買収を繰り返して最大手の座を獲得したHPは、CompaqやDEC、3comなど、この業界に生きるものなら知らないものはいないような名だたるブランドを手にしたが、これらのブランドは、外から見る限り、吸収に近い扱いであるのと対照的に、Lenovoはブランドとその価値を活かすことを考えているように思う。そういう意味ではLenovoは商社、あるいは持ち株会社に近い方法論でビジネスの成功を目論んでいるのではないか。高付加価値製品をこれらのブランドに委ね、Lenovoブランドは大衆ブランドとして敢えて身を引く。競合するのではなく、協調しながら、そのバックグラウンドではボリュームメリットを見出すしたたかさもある。

 方法論として、本当にそれが正しいのかどうかが見えてくるまでには、まだ少し時間がかかりそうだが、功を奏する兆しは今のLenovoの勢いに表れている。

(山田 祥平)