■山田祥平のRe:config.sys■
目の前に見えているものに直接働きかけることが、どんなに直感的でわかりやすいか。紙とペンのコンビネーションを、そのレガシーなフィーリングを損なわずにデジタル化するチャレンジが続いている。
●終わらない紙とペンの時代ワコムが新型の液晶ペンタブレット「Cintiq 21UX」を発表した。現行モデルに比べ、認識できる筆圧レベルが1/10となり、実に1gの筆圧を認識できるようになった。また、その分解能レベルも従来の1,024レベルから2,048レベルになったという。
この値が何を意味するのかというと、シャープペンシルの0.3mm芯で紙にサラサラとラフスケッチするような作業が、そのままペンタブレット上でできるようになったということだ。発表会でデモンストレーションを披露したイラストレータのredjuice氏も、これまでは下書きだけは紙とシャープペンシルを使って描いていたが、今回の製品なら、下書きもペンタブレットでできるとコメントしていた。
世の中、これだけデジタル化が進んでも、やはりまだ、紙とペンの時代である。デジタル系メーカーが主催する新製品の発表会でも、まだメモ帳やボールペンがノベルティとして配られる場合が多いし、それを取材する記者たちも、せっせとノートにメモをとる姿が多く見られる。10年前くらいに比べれば会見の場でノートPCを開く記者はずいぶん増えたが、まだ決して多数派とはいえない。
だから世に紙の種類は無尽蔵に近くあるし、それを束ねたメモ帳やノートも数多い。さらにペンや鉛筆などの筆記用具も百花繚乱だ。ぼくらはその中から好みのものを選び、自分の知的生産作業、創作活動の一端を担わせる。PCの入力デバイスは数多いが、種類の点ではどう考えても紙とペンの比ではない。ぼくらは、一体いつの時代になったら紙とペンのしがらみから抜け出ることができるのだろうか。というよりも、抜け出ることを望んでいないとさえ感じる。
●「円」を描けても「丸」を描けなければ表現にならないレガシーな紙とペンのフィーリングをできるだけ損なわずに、各種デバイスを使ってその作業をデジタル化することができれば、作業環境をそちらに移行したいと考えるアーティストは少なくないようだ。でも、そのベースにはどうしても紙とペンのコンビネーション、すなわち手描きのテイストが求められる。
たとえばペイントソフトを使って「丸」を描くとしよう。Windowsのペイントなら、図形機能があるので、真円も楕円も簡単に描ける。でもこれは「円」であって「丸」ではない。円と丸の違いは2Dか3Dかの違いだそうだが、平面上の円に3D効果を与えた結果、「勢い」や「味」などの個性を持った丸を表現することができる。これは、マウスなどのポインティングデバイスを使ってフリーハンドで円を描いてみるだけでも実感できると思う。
ただし、マウスでは、筆圧などを検知することはできないし、描かれる場所と描く場所が異なるために違和感もあるかもしれないが、ペンタブレットならそんなことはない。ソフトウェアの力を借りて、本当に紙にペンで描いたような円が描ける。それなら紙の下書きをスキャンするよりも、そちらの方がいいと考えるアーティストが出てくるのも不思議ではない。
疑問に思うのは、彼らはそのタッチなどのテイストを気にしないのだろうかということだ。紙のザラザラ感、ツルツル感、また、筆記用具の軸の太さや重量、全体のバランスなどで実現されている持ち味、握り味、ペン先の走り感、ひっかかり感といった感覚だ。ソフトウェアで太さや線の種類を自在に設定できるとはいえ、たとえば、筆のような感触を求めるアーティストはいないのだろうか。
筆先は無数の毛で構成されているが、1,000点のマルチタッチを検知するタブレットと本物の毛筆を使って、筆表現ができるのならすばらしい。いわゆるイラストレータのみならず、文字表現をする書家なども作業のデジタル化を考えるようになるかもしれない。それとも、そんなことは誰も求めていないのか。
●マウスより自然なタブレットとの対話今時のディスプレイはポートレート、ランドスケープどちらでも使えるものが多いが、ワコムのペンタブレットも縦位置でも横位置でも使える。また、立てても寝かせても使えるし、寝かせた状態でも少し角度をつけて斜めで使うようなことも想定されている。これは、アーティストによって線をひくときの得意な角度が微妙に異なるため、紙を斜に構えるように、タブレット本体を自分の好みの方向にできるようにするためだ。人によって線は縦にひくもの、横にひくもの、斜めにひくものという好みがあるらしい。まさに紙とペンでやってきたことを、そのまま電子デバイスでも踏襲しているわけだ。
ぼくらが日常的に向かっているディスプレイは立てて設置されている。レガシーな時代の道具にたとえればイーゼルに相当する。画家がイーゼルに立てかけてキャンバスを前に、筆を持ってウーンとうなるような光景を想像してみてほしい。少し筆を入れては遠くから眺め、ああでもない、こうでもないと描き続ける。素人の認識にすぎないが、絵画はキャンバスをイーゼルに立てて描き、イラストはキャンバスに相当する用紙をデスクの上などに寝かせて描くというイメージがある。ペンタブレットは双方のスタイルをサポートするし、寝かせて描いた絵を、立てて眺めるということもできる。
銀行のATMのタッチスクリーンはそのほとんどが寝かせられた状態で上から操作するが、コンビニなどで見かける多機能端末のタッチスクリーンはには立てた位置で操作するものも多い。これらは登場時期などの歴史的経緯も影響しているに違いない。
横に寝かせた状態のタブレットに絵を描く場合は、手首の付け根をくっつけて安定感を得ることが多い。ワコムの新製品は電磁誘導方式だから問題はないが、他の方式でも、今のタブレットは大きな面で接している部分は操作部分ではないと認識することができるので誤作動もまれだ。アーティストの繊細な描画にはどの方式がいいのだろうか。
マウスは、発明者本人であるダグラス・エンゲルバートさえも不自然なデバイスと言っている。その不自然なデバイスが今なお、もっとも主流のポインティングデバイスとして使われ続けている。タブレットはマウスに比べれば、明らかに人間と自然な関係を保てる。そして、それが創作の何かに影響を与えるのか。ペンと紙の持ち味を保ちつつ、なお、デジタルの便利さを兼ね備えたタブレット。ぼくらが目にする作品の多くがタブレットで描かれているという現実を前にして、フィルムを知らない写真家のように、紙とペンでは作品を作れないアーティスト層の登場など、これからのアートシーンの行方が興味深い。