2001年武田賞受賞フォーラム開催
~坂村健、リチャードストールマン、リーナストーバルズの3氏が受賞

受賞理由

12月3~4日開催



 12月3日、都内ホテルにて、2001年武田賞の授賞フォーラムが開催された。武田賞は、財団法人 武田計測先端知財団が本年度より開設し、新たな工学知の創造に寄与した人と、工学知を市場に結びつけ生活者に富と豊かさを与えたアントレプレナーに贈られる。生命系応用分野と、情報・電子系応用分野、環境系応用分野の3部門が用意され、今回、情報・電子系応用分野で、トロンプロジェクトの坂村健 東京大学教授、Free Software Foundation代表のリチャード・M・ストールマン氏、Linux開発者のリーナス・トーバルズ氏の3氏が受賞し、講演を行なった。副賞は1億円で3人に分割して贈られる。

 受賞者紹介講演を行なった垂井康夫 東京農工大学名誉教授は、各氏の業績を紹介した後で、「OSの開発において、オープンな開発スタイルあるいは新しいオープンな利用の仕組みを生みだし、広範な人々の知恵をあつめ、コンピュータ利用の新たな発展をもたらした」と受賞理由について説明した。

 講演はアルファベット順となっており、最初に坂村氏が「未来のユビキタスコンピュータを実現するTRONオープンアーキテクチャ」と題し、講演を行なった。

■坂村健

坂村健氏
 坂村氏は、「このような賞をいただいて大変光栄だ」と述べた後、「携帯電話などへの搭載により、TRONは使用実績で世界NO.1のOSとなった。カーナビやデジタルカメラ、携帯電話などさまざまな用途で利用されており、みなさんがもっとも多くふれているOSとなっている」とTRONの普及状況について語った。

 「コンピュータの設計と似ているジャンルがあるとすれば、建築だと思う」と述べたあと、コンピュータアーキテクチャが建築と違うことがあるとすると、その仕様が長く使われることだ」と述べ、「現代のコンピュータアーキテクチャは、標準規格としてできるだけ広く、長く使われるものとならなければならない。コンピュータ産業はドッグイヤーといわれるが、コンピュータの基礎分野は違う。TRONは20年。UNIXは30年以上使われている。何十年後の将来にどう使われるのか? 開発時にイメージしなければならない」と設計について説明した。

 また、設計時のTRONイメージについても言及し、「ひとことでいえば、“どこでもコンピュータ環境”で、'80年代初頭に先駆けて提唱した。後に、MITやパロアルトがユビキタスコンピュータとかいうようになったが、このイメージはいま使ってもおかしくない」と先見性についてもアピールしたほか、「パーソナルコンピュータという言葉には汎用機のようなイメージがあったため、コミュニケーションマシーンと呼んでいた。環境や他人とのコミュニケーションを行ない、個人の属性に適した機器という意味では、現在のPCでなく、専用機である携帯電話がその機能を担っている。携帯電話の未来形としてのコミュニケーションマシーンに興味がある」と述べた。

 今後のビジョンについては小型化をあげた。たとえば、薬のパッケージにコンピュータを組み込み、ほかの薬を開けたときに、副作用などの情報を伝えてくれるといったイメージで、「昔は皆興味ももたなかったが、今では理解を得ている。社会全体がTRONのビジョン、“どこでもコンピュータ”に近づいていると感じている」と述べた。

 また、'93年に公開した。「TRON実験住宅」についてもふれた。1,000個のコンピュータを埋め込んだ住宅で、ネットワーク住宅で接続されていた点は類似住宅の先を行っていたとし、風が吹けば、窓が閉じる。人が入ってくると電気がつく、電話をかけようとするとテレビのボリュームを下げるなど、お互いに協調して動くようになっていた。こうしたものは、サブシステムの連携により実現されており、専用システムではコスト的に成り立たない。これを実現するために当時は地下に大きなコンピュータ室が必要となっていたが、マシンパワーの進化により、実現も容易になった。こうしたイメージで進んでいきたい」と述べた。

 また、TRONの優れたリアルタイム性やコンパクト性についても解説し、どんなに技術が進んでも「より小さく、よりコンパクトに」という需要は常にあると述べた。

 また、今回の受賞理由である、「オープン」について解説した。「産学協同形式の完全なオープンアーキテクチャ形式で開発されている。多くの人々の環境の基礎となり、生活環境全般を担うものが、独占ではいけない」とし、「仕様がオープンで、1つの仕様に基づいて組み込みのiTRONでは複数の異なる製品がある。異なる独立した実装があれば信頼性の非常に高いシステムを構築できる。これを“Design Diversity“と呼んでいる。TRONでは、参考コードがあるが、どういうプログラムでインターフェイスを実現するかは自由で、APIがTRON仕様の決めるとおりに動くと認定されれば“TRON準拠”としている。実装するのは自由。TRON仕様に準拠していなくても、勝手に使ってよく、クローズドにするのも自由だ。またTRONは、世界中の16bit以上のCPUのほとんどに実装されている。プロセッサやソフトウェアの発展に貢献できたと思う」と述べた。

 また、これからの課題として、セキュリティアーキテクチャなどをあげ、汎用的なセキュリティアーキテクチャとして「e(エンティティ)-TRON」に取り組んでいると説明、最後に、学際的な協調分散型の研究開発がますます重要となっていくだろう、と述べて講演を締めくくった。

■リチャード・M・ストールマン

リチャード・M・ストールマン氏
 リチャード・M・ストールマン氏は「フリーソフトウェアの拓く世界」と題し、講演を行なった。

 ソフトウェアを料理に使うレシピにたとえて解説し、「レシピをちょうだいといわれて渡したり、そのレシピをもとに料理をしたり、レシピを工夫して料理したことはあるでしょう? ところが、レシピをいっさい変えられず、中身は一切わからない。おまけにレシピの中身をあかしたら海賊行為だとされてしまったりする。そうした交換が禁じられているのが、Proprietary(商用)なソフトの現実だ」と述べた。

 「“Free Software”日本語でいう“ジユウ”なソフトウェアではそうしたことはあり得ない。交換が可能なソフトウェアだ」とし、「'70年代のプログラマコミュニティでは書いたプログラムを交換していました。フリーソフトウェアは政治的な問題ではなかったわけです。このコミュニティが脅威にさらされたとき、われわれはこの問題を政治的な問題ととらえたわけです」と述べて、「こうした経緯の後、UNIX互換のフリーなOSを作ろうとした。UNIX互換なのは、人々がどういったシステムが必要かわからなかったかったし、UNIXのユーザーが移行できるからだ。名前がGNU(グヌー)なのは語感や、GNU's Not Unixの再起頭文字でもあるということからだ。UNIXはProprietryなソフトだった。だからその代わりとなり、フリーな別のソフトウェアを考える必要があった」とGNUプロジェクトの成り立ちについて解説した。

 また、自由についても解説し、「自由は一部の人間の特権と衝突する。だから一部の人たちは特権を守ろうとする。みずからの利益のために活用して、みんなが変更してもよいソフトウェアが必要なのだ。レシピは読めるが、バイナリは理解できない。フリーソフトウェアとはソースコードが公開されているということだ。バックドアや不明なところがないようにしなければない。たとえば、MicrosoftのOSには“NSA Key1”とかいてあるファイルがある。実際になにがあるかはわからない。“CIAの仕掛けたバックドアだ!”という人もいる。あるいはMSのプログラマのジョークかもしれない。でもソースコードがないからわからない」と具体例を挙げ、フリーソフトウェアである必要性を強調した。

 また、「フリーソフトウェアでビジネスをやってもいいし、コピーを売ってもいい。それも自由の一部である。わたしはFSFを作るまで、GNUのソフトウェア、フリーソフトウェアを売って生計を立てていた。フリーソフトウェアは、人類のニーズをみたすことがきる。'80年代にはフリーのOSなんて無いと皆思っていた。GNUやLinuxの連携により、爆発的に成長してきた。皆が、こうしたソリューションを提供しようと努力してきたからだ」と解説した。

 残る問題としては、政府の対応をあげた。「ひとつは、DMCA(デジタルミレニアム著作権法)の問題。暗号化された記録媒体「ebook」や「DVD」などの問題で、eBookの暗号保護を解除したロシアのプログラマは、ロシアでは合法だったが、アメリカで逮捕、拘留されてしまった。もうひとつの問題は特許だ。ソフトウェアは大きく複雑で、数百というアイデアをつかわねばならないが、それが誰かの特許に抵触するか考慮することは、すべての開発者にとって苦痛を強いるものだ」とDMCAやソフトウェア特許について批判した。

 また、フリーソフトウェアの別の可能性として、フリーな百科事典のアイデアを挙げた。記事を何人かの筆者に依頼しそれを百科事典にまとめるというもので、「あと10~20年はかかると思っていたが、はるかに早い段階で、百科事典ができあがると思う。あとは、その記事をそれぞれの言語に翻訳すればいい」と述べた。また、スペイン語の辞書やインドの地方語の辞書プロジェクトなども例に挙げ説明した。

■リーナス・トーバルズ

リーナス・トーバルズ氏
 Linux開発者のリーナス・トーバルズ氏は、「オープンソフトウェア方式によるソフトウェア開発のメリット」と題して講演を行なった。

 まず、動機として「それがおもしろいからです」と述べ、「私はストールマンのようなビジョンを話すわけでなく、技術者から見たオープン開発の利点を説明する」と講演を始めた。

 まず、「'91年の開発当初は1万行だったコードが今では3,000万行ほどになっており、大半が私が書いたものではありません」とLinuxの現状を解説した後、「ソフトウェア開発というのは古典的な形で設計し、実行し、販売するものではなく、生物学的なプロセスに近いものです。私はそこにプロセスとしての命があると考えている。進化に当たって大きなその他のハード、ソフトとともに進化していくものだ」と述べ、

その進化のプロセスとして、

1.突然変異 --予期せずうまくいくこともあり、またその逆もある
2.他家受粉(Cross pollination) --いままでのものとの混合、組み替え、混合後の飛躍
3.競争と選択 --プロダクトライン上でも似たものの競争、同じ生態系上で、適所適存
4.平行開発による併存性

 の4つをあげた。それぞれがうまく進むことによってオープン形式での開発が機能してきたと解説。特許は併存性をつぶすほか、反競争的な側面もある。たとえば科学では、科学者同士のアドバイスは、数百年単位の科学的な慣例であり、こうした慣例に“ライセンスはない”。これらは、2.の組み替えの奨励といった形で今までずっと進化に寄与してきたと説明した。

 また、オープン方式の開発の問題については、平行開発によって、努力の重複が生まれることや、意志の疎通の難しさなどをあげた。

 また、オープンさによって、よりバランスのとれた形態になると述べ、「人によって何千の理想的な環境があり、それぞれが努力することで、偏りが取り除かれる。システムになにが必要か? Linuxではサーバーのほかラップトップ、ワークステーションやデスクトップ環境など必要なものを各自が作った。こうした進化のプロセスを経てできたことだ」と述べた。また、進化のスピードを速くするために、Linuxでは、頻繁にリリースを行ない、頻繁にフィードバックを得るようにしたとも述べた。

 今後のコンピューティングの将来については、「複雑でコントロールが難しくなっている。ただし、地球上で、もっとも複雑なものは何か? ととわれれば、コンピュータでなくわれわれ人間である。人間が出現した過程は、スーパーエンジニアがいたわけでもなく、進化によってです」と述べ、コンピューティングのような複雑な作業も、人間的な営為の延長上にあることを強調して締めくくった。

坂村氏に質問するストールマン氏
 また、各講演後にはそれぞれに短い質疑応答が行なわれた。坂村氏の講演後には、ストールマン氏が、携帯電話にTRONを実装した際にクローズドな部分があれば、「たとえば自分の場所が誰かに監視されるといった用途に使われる可能性もある」と述べると、「日本に住んでいたら、セキュリティは技術だけでなくポリシーの問題である。殺人の可能性があるから包丁をつかわないというわけにはいかない。セキュリティポリシーとしては、必要がないときは携帯の電源を切るしかない。セキュリティの主導権を自分自身がもっていることが重要だ」と述べ、立場の違いをのぞかせた。

 また、リーナス氏の講演後もストールマン氏は、「“フリーソフトウェア”のPhilosophyは私の話した“倫理”であり、“オープンソース”のPhilosophyは“進歩”をもとめている」と、フリーソフトウェアと、オープンソースの立場の違いを強調した。

□武田計測先端知財団のホームページ
http://www.takeda-foundation.jp/
□武田賞のページ
http://www.takeda-foundation.jp/award/ana/index.html

(2001年12月3日)

[Reported by usuda@impress.co.jp]

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