笠原一輝のユビキタス情報局

MWCで見えてきたスマートフォン向けSoC市場動向とHTML5という新しい可能性

 MWC(Mobile World Congress)は、その名の通りスマートフォンやタブレットなどのモバイル機器に関する展示会だが、元々は会議や商談が中心のイベントで、展示会は付属品という扱いだった。そこがInternational CESとの大きな違いで、一般消費者はターゲットにしていない。各社ともOEMメーカーなどの顧客や、購買担当者、報道関係者などをターゲットにした展示にフォーカスしており、一般の来場者が入れないプライベートゾーンで積極的な商談が行なわれている。

 他方、Qualcomm(別記事参照)やIntel(別記事参照)、NVIDIA(別記事参照)といった、本誌の読者にもお馴染みのSoCベンダーは、MWCの会場に大きなブースを構えて新製品の発表を行なうなど、さまざまなアピールを行なった。そうした発表などを通じて、2013年のスマートフォン向けSoC市場がどのようになっていくかが見えてきたと言える。

 また、MWCではFirefox OS、Tizenといった新しいモバイルOSの選択肢が登場し、端末メーカーや通信キャリアがそのサポートを発表するなど、OSに関しても新しい局面を迎えつつある。その背後にあるのは“HTML5”というキーワードだ。

強力な1社と残り数社に集約されつつあるハイエンドSoC

 独自OS、独自SoCを採用しているAppleは別にして、現状ハイエンド向けのスマートフォン市場ではある特定の1社が非常に強力な立場を築いている。それが、どこの会社かはNTTドコモが販売しているAndroidスマートフォンの春モデルを見れば一目瞭然だろう。

表1 NTTドコモの春モデルの搭載SoC(NTTドコモ発表の資料より筆者作成)
シリーズ製品名SoC
docomo with seriesAQUOS PHONE EX SH-04EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
MEDIAS X N-04EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
docomo NEXT seriesELUGA X P-02EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
Xperia Z SO-02EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
ARROWS X F-02ENVIDIA Tegra 3(QC/1.7GHz)
Ascend D2 HW-03EHuawei(HiSilicon) K3V2(QC/1.5GHz)
Optimus G Pro L-04EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.7GHz)
MEDIAS W N-05EQualcomm Snapdragon S4(MSM8960、DC/1.5GHz)
その他Xperia Tablet Z SO-03EQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
スマートフォン for ジュニア SH-05EQualcomm Snapdragon S4(MSM8960、DC/1.5GHz)

 上記の表は、NTTドコモの春モデルから3GまたはLTEのモデムを内蔵している製品のSoCを抜き出したもので、10製品中8製品がQualcommのSoCを採用している。日本だけでなく、多くの先進国でこうした傾向が見られる。

 つまり、現状はQualcommの一人勝ち状態であり、そこにSamsung Electronicsが自社のGalaxyシリーズに採用している「Exynos」シリーズが続き、NVIDIAのTegra 3、HuaweiのK3V2、IntelのAtom Z2400シリーズなどが追いかけるというのが今のスマートフォン向けSoC市場の構図だ。

 スマートフォン向けSoCの選択をする上では2つの重要な要素を検討する必要がある。1つはアプリケーションプロセッサとしてのCPU/GPUの性能や機能。そしてもう1つが無線モデムだ。SoCに統合されているか、オフチップかの差はあるが、スマートフォンが通信機器である以上、無線モデムの要素はアプリケーションプロセッサと同じぐらい重要な要素と言える。

 Qualcommは携帯電話のモデムを開発する企業としてスタートした経緯もあり、今でも無線モデム事業に関しては本業中の本業と言ってよい。実際、3GやLTEなどにもQualcommのIPが使われており、3Gモデムを搭載する場合にはQualcommとライセンス契約を結ぶ必要があることはよく知られている通りだ。

 そうしたQualcommだけに、同社の無線モデムへの信頼度は他社に比べて圧倒的に高い。実際、各国の通信キャリアは、各モデムベンダーに対して自社のネットワークに接続して技術的に問題がないという認証(通称:キャリア認証)を出すが、世界中でQualcommの無線モデムで認証をしていないキャリアは皆無と言っていい。そのため、端末メーカーにとってはQualcommを選んでおけば、少なくともキャリアのネットワークに繋がらないということはなくなるので、安心して選ぶことができるのだ。

 つまり、まず無線モデムとしての信頼性が最優先条件に来ていて、その後にアプリケーションプロセッサとしての評価が来るということだ。仮に、ほかのメーカーのアプリケーションプロセッサがQualcommの3倍も4倍も優れていれば他社の無線モデムを使うという“リスク”を採るモチベーションになる可能性があるが、現行世代ではそうなっていない。

 では次世代ではどうか。今回NVIDIAが発表(別記事参照)したパフォーマンスに関する資料を見る限り、Qualcommの新世代となるSnapdragon 800に対して性能で倍まではいっていない。こうした結果から見れば、前世代と同じような状況が続く可能性が高いかもしれない。もっとも、NVIDIAも今回はi500とよばれるソフトウェアで定義可能なモデムを投入しており、そちらの評価次第では状況が変わる可能性は残されている。NVIDIAとしては、これまでよりも早くi500のキャリア認証を取り、それをOEMメーカーに対してアピールすることができるかが重要になるだろう。

 Intelにも同じことが言え、Atom Z2500シリーズ(開発コードネーム:Clover Trail+)は確かに前世代に比べて性能が向上しているが、依然としてIntelは自社のマルチモード対応LTEモデム(データ専用は出荷済み)を出荷できていない。Intelのモデムを製造しているIMC(Intel Mobile Communications)はInfineon Technologiesの無線モデム部門を買収して作られた子会社で、かつてはiPhone 4のモデムを製造するなどしていたが、現在はQualcommにその座を奪われるなど、決して順調には推移していないのが事実だ。Intelがスマートフォン向けSoCで成功するには、IMCの立て直しが急務と言え、マルチモードLTEモデムの早期投入が求められるところだ。

 いずれにせよ、鍵は依然としてモデムにあり、これがハイエンドのAndroidスマートフォン向けSoCの現状である。

ソニーモバイルの「Xperia Z」や「Xperia Tablet Z」に搭載されているのはQualcomm Snapdragon S4(APQ8064、QC/1.5GHz)
NVIDIAのTegra 4を搭載したタブレットは、ベンチマークでは高いスコアを叩き出している
NVIDIAのTegra 4(左)とTegra 4i(右)の基板。赤で囲っているところがモデムとRF部分
IntelのAtom Z2580 2GHz(Clover Trail+)を搭載するLenovoの「IdeaPhone K900」だが、HSPA+までのサポートに留まっており、LTEは未サポート

メインストリーム向けSoCはリファレンスデザインとODMメーカーサポートが鍵に

 例年MWCでは、各社の最新製品が多数発表され、その新製品の発表を追いかけるだけでも相当大変なのだが、率直に言って今年のMWCではワクワクするような新製品の発表はさほど多くなかった。1月のInternational CESで発表済みということもあるが、話題になりそうな新製品の発表はSamsung Electronicsの「Galaxy Note 8.0」、ASUSの「PadFone Infinity」、「Fonepad」、ソニーの「Xperia Tablet Z」ぐらいだった。

 1つには、スマートフォンが急速に成熟製品になりつつあるということがある。細かな点を除き、すでにスマートフォンの違いはディスプレイサイズ程度になりつつあり、特にハイエンド製品は完全にバージョンチェンジのフェイズに入りつつある。例えば、iPhoneはその代表例と言ってもよく、iPhone 4、iPhone 4S、iPhone 5と若干の違いがあるものの、車で言えばマイナーチェンジの類のバージョンアップに留まっている。

 SamsungのGalaxyシリーズも同様で、特に日本や欧米のような先進国市場では、すでにスマートフォンは成熟した製品になってきているのだ。むろん、今後もキャリアのビジネスモデルにより2年に1度程度の買い換えが期待できるため、依然として大きな市場であることに変わりはないのだが、これまでのような爆発的な市場の拡大を期待するのは難しくなっている。

 このため、業界の焦点は次の市場へと目が向き始めている。具体的には、まだスマートフォンが普及していない成長市場だ。実際、今回のMWCでも、スマートフォンベンダー各社はハイエンド向けの製品だけでなく、普及価格帯の製品の展示に力を入れていた。こうした市場の変化を受けて、SoCベンダー各社も普及価格帯向けスマートフォン向けのSoCに力を入れている。

 これまで普及価格帯のスマートフォン向けSoC市場は、MediaTekのような低価格向けの製品にフォーカスしてきたベンダーが強かったが、ここでもQualcommの躍進は著しく、大きな市場を獲得している。低コストで基板を製造できるモデム統合型SoCだけではなく、QRD(Qualcomm Reference Design)と呼ばれるリファレンスデザインを、台湾や中国のODM/OEMメーカーなどに対して提供したことが大きく貢献している。このQRDを利用すると、極端な話、ODM/OEMメーカーは外装のデザインさえすれば、低コストで高クオリティのスマートフォンを設計できるのだ。

 Tegra 4iにより普及価格帯のスマートフォン市場に参入するNVIDIAも、Qualcommと同じ戦略を採る。NVIDIAはTegra 4iおよびTegra 4を搭載したリファレンスデザインとして開発コードネーム「Phoenix」(フェニックス)を、OEM/ODMメーカーに対して提供することを明らかにした。明らかにQRDを意識した戦略だ。NVIDIAはこれまでPC関連のビジネスをしてきたこともあり、こうしたODM/OEMメーカーとの付き合い方をよく分かっているベンダーであり、Tegra 4iの出来はもちろんのことだが、そうしたメーカーのサポートをしっかりしていくことがQualcommに対抗していく上で重要な鍵となることを理解している。

 Intelは現時点ではモデム統合型の製品を持っておらず、少なくとも2013年中にはそうした製品を出す計画がないが、1月のCESで発表した「Atom Z2420」(開発コードネーム:Lexington)を低コストでOEMメーカーに提供することで対応する。Intelの強みは、NVIDIAと同じようにPC関連のビジネスで培ったOEM/ODMメーカーをサポートするノウハウだ。それをうまく活用していくことで、メインストリーム市場において存在感を強めることは不可能ではないだろう。すでにAcerやASUSなどのPCを手がけるOEMメーカーを獲得できたことは、その現れと言える。

 さらに、このメインストリーム向け市場に参入していくのが日本のルネサスモバイルだ。別記事でも触れたように、ルネサスモバイルはbig.LITTLEに対応したCortex-A15コアが2つ、Cortex-A7コアが2つといったマルチコアSoCを発表し、実際に動いているデモを公開した。注目度の高いbig.LITTLEにいち早く対応したことが売りになる可能性があり、今年の後半に登場する普及価格帯スマートフォンへの採用を狙っている。

NVIDIAのリファレンスデザインとなる「Phoenix」(右、左は比較用においたSamsung ElectronicsのGalaxy S III)。5型のフルHD(1,920×1,080ドット)パネルを採用していながら厚さ8mmというスマートフォンで、OEM/ODMメーカーはこれを元に自社製品を低コストで設計できる
ASUSのFonepadはIntelのAtom Z2420(開発コードネーム:Lexington)を採用して、3Gモデム(音声対応)で249ドル(日本円で約24,000円)と低価格なのが特徴
ルネサスモバイルはCortex-A15が2つ、Cortex-A7が2つのbig.LITTLE対応のSoCをデモ

Firefox OS、Tizenへの期待感の裏側にはアプリケーションのHTML5化が

 最後に、SoCにも関係する話として、MWCで明らかになったプラットフォームに関する動向についてまとめておこう。

 今回のMWCではAppleのiOS、GoogleのAndroidに対抗するような“第3勢力”とでも言うべき新しいモバイルOSが話題になった。MozillaのFirefox OS、Tizen AssociationのTizenがそれで、前者をKDDI、後者をNTTドコモがサポートすることが発表された(別記事参照)。また、端末メーカーとしてソニーモバイルコミュニケーションズも、スペインの通信キャリアであるTelefonicaと組んで、Firefox OSに対応した端末を開発していく計画であることを明らかにした。

 Mozillaが発表会で明らかにしたように、当初のターゲットはこれからの“熱い”市場だと思われている普及価格帯や低価格帯のスマートフォンだ。端末を製造するベンダーもAlcatel(TCL)、LG、ZTE、Huaweiといった顔ぶれで、ハイエンドもラインナップするLGを別にすれば、低価格市場に強いメーカーが多い。だが、ソニーモバイルは、どちらかと言えばハイエンド製品が中心で、付加価値が高い製品を販売するメーカーであり、そのソニーモバイルがFirefox OSの端末を開発していくリストに入っていることに不思議な印象をもったユーザーも少なくないだろう。

 このことは、別記事のインタビューでソニーモバイル自身が語っている通りで、鍵はアプリケーションのHTML5化にある。現在端末メーカーは、製品のハードウェアだけでなく、クラウドサービス+端末のセットで製品全体の価値を上げるという方向性で製品を開発している。AppleのiTunesやiCloud、Googleとその各サービス、AmazonのKindleなどがその端的な例と言える。ソニーもPlayMemories Online、PlayStation Network、Music Unlimitedなどのエンターテインメント中心のクラウドサービスを展開している。

 ソニーにとっての課題は、これらのクラウドサービスによって提供できるユーザー体験が端末によって異なってしまうことだ。現在のモバイル系OSでは、ローカルにアプリケーションをインストールして、クラウドにあるデータを活用するという形になっている。OSによってはアプリケーションの作り方に制限があったりとして、必ずしもやりたいことができているわけではないし、OSによって提供できるユーザー体験が異なってしまっている。

 そこで登場するのがHTML5だ。HTML5を利用すると、ユーザーがローカルにアプリケーションをインストールしなくても、現在のモバイルOSのアプリケーションが実現していることに近い、リッチなUIを活用したアプリケーションを提供することが可能になる。HTML5の最大のメリットはOSに依存しないことで、OS側がHTML5をサポートさえしていれば、どのOSでも同じようにアプリケーションを走らせることができる。言ってみればOSを仮想化してしまうことができるのだ。

図1 HTML5前とHTML5後の違い(筆者作成)

 このことは、ソニーのように自社でモバイルOSを持たない端末メーカーや、自社でプラットフォームをコントロールしたいと考えているキャリアにとっては大きなメリットがある。現在であれば、iOSにせよ、Androidにせよ、最初にユーザーがすることはAppleやGoogleのIDを使って端末をアクティベーションすることだ。つまり、主導権はOSベンダーががっちり握っている状況と言える。しかし、HTML5が主流になれば、OSは何でもよくなるのだから、OSを持たない端末メーカーなり、通信キャリアが魅力的なクラウドサービスと組み合わせれば、主導権をOSベンダーから取り返せることができる。多くのキャリアや端末ベンダーがFirefox OSなりTizenなりに力を入れていくのは、このことがあるからだ。どちらのOSも、HTML5の実装ではAndroidやiOSよりも先を行っている。

 これに対して、ビジネスモデルとして、すでにOS独自のアプリケーションという“レガシー”を持っている現状のモバイルOSベンダーにとってHTML5への移行はハードルが高いのも事実。端末メーカーにせよキャリアにせよ、それらの既存OSに対して“HTML5へ進まないなら、FirefoxやTizenを選ぶぞ”とプレッシャーをかける意味もあるだろう。いわゆる“綱引き”だ。

 もちろん、この取り組みが成功するかは、端末メーカーなりキャリアがHTML5に対応した魅力的なアプリケーション、そしてクラウドサービスを提供できるかにかかっている。従って、今後はそうしたアプリケーション、クラウドサービスのHTML5化が焦点となり、その出来によってはモバイルOSの地図は大きく書き換わる可能性があるだけに、今後とも要注目だ。

MWCに設置されたFirefox OSのブース。このほかにも、スペインの通信キャリアであるTelefonicaのブースなど、キャリアや端末メーカーにも出展
ZTEのFirefox OS搭載端末。Snapdragon S1 7225A 1GHzというローエンドなSoCを採用するなど、最初のターゲットはローエンドで、まずは成長市場での普及を目指す

(笠原 一輝)