笠原一輝のユビキタス情報局

富士通「ARROWS Tab Wi-Fi QH55/J」開発者インタビュー

~リファレンスではない独自設計のWindows 8タブレット

ARROWS Tab Wi-Fi QH55/J

 富士通の「ARROWS Tab Wi-Fi QH55/J」は、Atom Z2760(開発コードネーム:Clover Trail)を搭載したWindows 8タブレットで、2012年11月末に発売された。Atom Z2760搭載Windows 8タブレットは、開発期間に制限があったこともあり、各社から発売されている製品はIntelのリファレンス設計をベースにしたものが多く、スペックはかなり似通ったものとなっている。だが、ARROWS Tab Wi-Fi QH55/Jは、防水(IPX5/7/8)、防塵(IPX5X)に対応するなど、他社製品とは一線を画すデザインになっている。

 そうしたARROWS Tab Wi-Fi QH55/Jを開発した富士通の開発陣にお話しを伺う機会を得たので、どのように製品開発が行なわれたのかなどについて紹介していきたい。そこから見えてきたことは、ユーザーが必要な機能を独自に実装することで、差別化が難しいWindows 8タブレットの中でもユニークな製品に仕上げたという事実だ。

目指したのはフルWindowsの機能を持つ防水タブレット

 最初にARROWS Tab Wi-Fi QH55/J(以下QH55)の特徴を簡単に説明しておこう。QH55は、Atom Z2760を搭載したスレート型のタブレットで、OSとしてWindows 8を搭載している。静電方式のタッチパネルを採用した10型ディスプレイ(1,366×768ドット)、2GBのメモリ(LPDDR2)、64GBの内部ストレージ(eMMC)、29Whのバッテリを内蔵しており動画再生時で10.5時間のバッテリ駆動が可能になっている。2012年11月末に最初のモデル(FARQ55J、Office Home and Business 2010搭載)が販売開始され、2013年2月に新モデル(FARQ55J2、Office無し)が追加された。なお、富士通のWebサイトからだけ注文することができるCTOモデルも用意されており、「ARROWS Tab Wi-Fi WQ1/J」の製品名で呼ばれるが、基本的には同等の製品と考えてよい(ので、以下どちらもQH55で統一していく)。

服部正志氏

 QH55を開発する上で富士通が目指したのは、Windowsのフル機能を持つ防水タブレットというコンセプトだったという。パーソナルビジネス本部第一PC事業部モバイルノート技術部の服部正志氏は「AndroidやiOSベースのタブレット市場が大きくなりつつありますが、そうした従来のタブレットではセキュリティに制約があったり、Windowsソフトが動かないといった制限がありました。そうした中で、Windows 8になり、タッチに最適化されたユーザーインターフェイスが追加されたことで、Windowsでもタブレット製品が現実的になりました。その時に外に持ち出すなら防水、防塵は必須だろうと考えました」と述べる。

 Windows 8は、ビジネスアプリケーションなど、Windows 7で使われていたさまざまなアプリケーションも実行可能な互換性が売りだ。例えばファイル暗号化ソフトや、セキュリティソフトなどを含めて、多くの過去のx86ソフトウェアはWindows 8で利用可能だ。こうしたセキュリティソリューションは、iOSやAndroidでは選択肢が少なく、圧倒的にWindowsの独擅場の分野だ。そういった従来のWindowsアプリケーションをモバイル環境でも利用したいというユーザーは決して少なくないだろう。服部氏によれば「すでに家にあるWindowsをそのまま外に持ち出して欲しかった」とのことで、過去の資産も含めてモバイルで利用できるところがWindows 8タブレットを計画した理由だという。

 その上で、防水、防塵にしたのは、「いつでもどこでも使えるとなると、雨への対策や、海岸、風呂場で使いたいなどのニーズが出てくるので、防水が必要になるだろうと考えました。弊社の場合、防水に関しては携帯電話でノウハウを持っていたので、それをWindows 8のタブレットでも活かせると判断しました」(服部氏)。実は筆者もQH55を個人的に利用しているが、確かにこれまでPCを持って行くことができなかった風呂場や、台所、アウトドアといったシーンでも、水や塵を気にせず利用できるようになったことは大きなメリットの1つだと感じている。

 また、服部氏も述べたように、富士通は、Androidスマートフォンやタブレットで防水、防塵に関するノウハウを蓄積している。ただ、スマートフォンやAndroidタブレットは携帯電話の事業部で開発されているのに対して、QH55はPCの事業部で開発されているが、服部氏によれば「事業部が違っても、技術の交流は行なわれており、関連会社で基本となる技術を開発しており、それを各事業部で共有しています」とのことで、それがPCにも活かせる環境にあった。

より薄くを実現するために新しいシール剤の実装方法を選択

 突然雨に降られることも少なくない我が国や、アジア各国などではモバイル機器を持ち歩く時は、カバンが濡れてもデバイスが大丈夫なように防水用のビニール袋に入れて持ち歩く人もいる。防水機能が最初から機器に備わっていればそうしたことを心配する必要がなくなる。

 しかし、防水/防塵機能を実現することは、簡単ではない。技術的に問題はなくても、厚さに悪影響を及ぼすことも問題となる。例えば、QH55では9.9mm厚という薄さを実現している。現在のタブレットの基準からすれば、最薄ではないが、1つの目安とも言える10mmを切る薄さだ。従来のWindows 7世代のタブレットでは20mm近いものも多かったので、これは大きな進化と言えるだろう。

山東由幸氏

 しかも、QH55では薄さに厳しくなるデザイン上の選択をしている。パーソナルビジネス本部第一PC事業部PCデザイン技術部山東由幸氏によれば「今回の製品ではデザイン側の要請で左右の側面を四角ではなくラウンド形状にしました。成形の悪い部分を出さないために樹脂の肉厚を均一にしたいのですが、ラウンド形状と防水を実現するため、カバーに穴が開けられない点に非常に苦労しました」という。

 一般的にカバーなどの樹脂は金型に材料を流し込んで成形する。この時に、カバーに穴を開けることができれば、成形する面積が小さくなるので、それだけ樹脂を均一にすることが容易になる。また、ラウンド形状よりも、平面の方がより均一にし易いのは容易に想像できるだろう。樹脂の厚みを厚くできれば問題は解決できるのだが、薄さという大命題があるため、それもできないと堂々巡りになってしまったのだという。

 そこで、QH55ではフロント側のカバーにガラス入りナイロン系の堅めの素材を採用することで、強度を確保しつつ薄くした。また、成形するときの金型にも工夫を加えており、必要ないところに抜きを増やすなど、穴を作らないでも均一にできるようにしているのだという。

 また、防水の内部構造に関しても大きな工夫が行なわれている。山東氏は「今回の製品に利用した防水シール剤は、これまでタブレットなどには使っていない手法を利用しています」と説明する。防水シール剤とは、コネクタや充電端子などの穴から入ってくる水や塵などが、電気回路に到達することを防ぐものだ。もう少し大きな機器(例えば自動車やエアコンの室外機など)では、樹脂で固まる素材などをコネクタに充填して固めてしまう。タブレットのような機器でも、基本的には同じような考え方で、水の進入を防ぐために防水シール剤が水が入ってくる可能性のある部分に充填される。

 山東氏によれば、同社の従来のタブレットでは、金型を利用して成型したゴム製のガスケットを利用していた。例えるなら、大きな輪ゴムのようなもので、カバーの内側を囲い込むようなイメージだ。しかし、今回の製品ではカバーに溝をあらかじめ作ってあり、そこにシール剤を流し込むことで実現している。実現できる防水性はどちらも一緒なのだが、溝に直接シール剤を注入する方が薄く作ることが可能なのだという。

QH55の側面は丸みを帯びたデザイン
灰色の部分がシール剤

新しいUIとの一体感を目指したラウンド形状、ハンドルをイメージした持ちやすさ

 ところで、先に述べたとおり、左右の縁を丸くするラウンド形状は、薄型化を実現する上ではハードルとなる。それでもなお、左右をラウンド形状にすることにこだわったのはなぜなのだろうか。

高橋圭司氏

 サービス&システムプロダクトデザイン事業部デザイナーの高橋圭司氏によれば「デザイナーとしてはラウンド形状に思い入れを持ってデザインしています。Windows 8では横に流れるUIを採用しており、それと合わせたデザインにしたいという考えがありました。また、Windows 8タブレットは横長で左右を握って持つことになるので、ハンドルのような持ちやすいデザインを意識しました」のだという。

 Windows 8では左右のスクロールが標準となる。また、チャームと呼ばれる操作用のバーを出現させるのも画面の右端から左にスワイプするなど、基本的に横方向の操作が
主体となっている。このため、アプリも横画面を意識して作っているものが多く、立って使う時などは、両手で左右の縁を握ってコンテンツを見る、あるいは左手で握り、右手で操作するという使い方が普通になる。横向きで握りやすくするのは、Windows 8タブレットをより使いやすくするために重要なポイントだと言えるだろう。

ボタン類は周辺より高さが低い

 実際、QH55を実際に持ってみると、尖った部分がないため、手にしっくりくる感じで持つことができる。「机の上に置いたときにも、ラウンド形状だと指を入れやすく持ち上げやすい」(高橋氏)という狙いもあるという。

 また、よく見ないと気がつかないことなのだが、QH55の電源スイッチは、外側に飛び出さず、内側に陥没した形になっている。最初は、押しにくいのではと思ったのだが、これにも理由がある。高橋氏によれば、カバンの中で勝手にスイッチが押されて電源が入るということを避けたかったためだ。その上で、押しにくくならないよう、高さを調整してあるという。細かな部分ではあるが、実際の使い勝手というのはそういう部分がきいてくる。

Micro USBポートからのHDMI/VGA出力はAnalogixのSlimPortを利用

 QH55の内部構造は、他のAtom Z2760搭載タブレットと同様、面積の大部分をバッテリ(29Wh)が占めており、基板などそれ以外の部分はさほど大きくない。バッテリだが、やはりできるだけ薄型が欲しかったので、バッテリメーカーと協力して、新しい薄型のバッテリを起こしてもらったということだった。

 余談だが、QH55はワイヤレスWANを搭載していないが、ワイヤレスWANモジュールを搭載するスペースは用意されており、microSDカードスロットの隣には、目隠しフタはされているがMicro SIMを挿入するスロットも用意されている。「現時点では具体的な製品計画があるのかどうかも含めてお話しすることはできませんが、物理的にワイヤレスWANを搭載することができるようになっているのは事実です」(服部氏)とのことで、ワイヤレスWANモデルが将来登場する可能性はあると言える。実際、AndroidのARROWS Tabでは、NTTドコモからLTEモデムを内蔵したモデルが発売され、Wi-Fiのみのモデルは富士通のブランドで販売されている。そのことを考え合わせれば、将来的にNTTドコモなどからLTEモデム入りのタブレットとして販売される可能性はゼロではないだろう。

QH55の内部。中央の黒いのがバッテリ
この右上の部分にワイヤレスWANモジュールを取り付けられる
実際のマザーボードは、チップ上にシールドが施されている
マザーボード背面

 QH55の開発では、富士通はインテルと密接にやりとりして作業を進めて行ったという。Atom Z2760機の開発は、富士通にとっても、インテルにとっても初めてづくしだったため、かなり頻繁なやりとりが必要だったようだ。

ポートのカバーを開けたところ。コネクタ周辺に防水加工されているのが分かる

 そういった経緯を辿った上でQH55は、Atom Z2760のリファレンスデザインではサポートされていない機能を実装している。具体的には、Micro USBポートからは、通常のUSBだけでなく、HDMIの信号もまとめて出力する機能が用意されている。これはオプションのMicro USB-HDMI(またはアナログRGB)変換ケーブルを使うと利用できる。

 この仕組みは、SlimPortという仕様を使って実装している。これは、米Analogix Semiconductorが用意しているソリューションで、IntelのSoCから出力されたディスプレイ出力とオーディオ出力、USB信号をAnalogix Semiconductorのチップで束ねておき、切り換えて出力する。つまり、USBケーブルが接続された時にはUSBの信号を出力し、HDMIケーブルが来たときにはHDMIの出力を行なうのだ。ちなみに、このSlimPortはGoogleが米国などで販売している「Nexus 4」でも採用されており、基本的には同じ仕組みになっている。SlimPortをサポートするには、リファレンスデザインのまま基板などを起こしていたら実現できず、かつディスプレイ周りの調整が絡むため、インテル側の協力が必要になるのだ。

 もちろん、他社がしているようにMicro USB端子とMicro HDMI端子の両方を装着するという選択肢もなかったわけではない。しかし「QH55では防水であるため、これ以上ポートを増やすというのは、デザインの観点から難しかった」のだという。

緊急時にはMicro USBポートからの充電もできるように設計されている

 QH55は、標準では付属しているクレードルに置くことで充電する。これはQH55が防水仕様であるためで、防水性を維持するためにフタの開け閉めはあまり行なわないで充電してもらうためだ。

 ただし、出先などでクレードルを持っていない状況も想定し、Micro USB端子からの充電も可能になっている。しかし、どの出力のACアダプタを接続しても、同じ程度の電流でしか充電できないことがわかる。この点に関しては「USBからの充電は緊急時ということで考えており、どのACアダプタであってもUSBの仕様である0.5Aの入力のみを受け付けるように本体側を設計しています」(服部氏)とのことで、2AのACアダプタと組み合わせても0.5Aでしか給電されないのだ。0.5Aでも、電源オフかConnected Standby状態なら、時間はかかるが充電できる。緊急時にはUSB充電もできるが、普段は付属しているクレードルとACアダプタを利用して充電して欲しいのことだった。

 確かに、USBの仕様上は0.5Aまでが標準となっているので、ケーブルなどがそれ以上の負荷に耐えられるかわからない以上、安全性を考えればそうした仕様になるのも理解できる。しかし、ユーザーによっては自己責任でもいいので、2AなどのACアダプタで充電できるようにして欲しいという要望もあるだろう。服部氏によると、「そうした声があることは理解していますので、もちろん現行製品では難しいが、将来は参考にしたいと思います」とのことなので、将来の製品に期待したいところだ。

クレードルに載せたところ

リファレンスデザインにはなかった仕様を採用した気概

 筆者として非常に興味深かったのは、OSメーカーやプロセッサメーカーなどプラットフォームを提供する企業が想定していないような独自機能を搭載していこうという日本メーカーならではの気概だ。

 近年では、クラムシェル型のノートPCにせよ、スレート型のタブレットにせよ、プラットフォームを開発するOSメーカーやプロセッサメーカーの発言力が強く、OEMメーカーが工夫できる余地は筐体くらいになっている。その意味で、今回富士通の開発陣が他社に先駆けて防水、防塵を実現したことは賞賛されていいだろう。

 また、リファレンスデザインにはなかったMicro USBからHDMIに変換するSlimPortを実装していることも興味深い点だと言えるだろう。リファレンスデザインにはない機能を実装していくというのは、これまで日本のPCメーカーが、グローバルなPCメーカーに先駆けて行なってきたことであり、そうしたことができるからこそ、グローバル市場で大きなシェアがなくても日本のPCメーカーが生き残ってきた理由の1つだと筆者は考えている。

 筆者も1人のユーザーとして、エンジニア達のそうした気概は大いに買いたいと思うし、ぜひとも今後もこういった取り組みはどんどん行なって欲しいということを願って今回の記事のまとめにしたい。

(笠原 一輝)