バグは本当に虫だった - パーソナルコンピュータ91の話

第2章 インターネット・パソコンの黎明期(4)

2017年2月21日に発売された、おもしろく、楽しいウンチクとエピソードでPCやネットの100年のイノベーションがサックリわかる、水谷哲也氏の書籍『バグは本当に虫だった なぜか勇気が湧いてくるパソコン・ネット「100年の夢」ヒストリー91話』(発行:株式会社ペンコム、発売:株式会社インプレス)。この連載では本書籍に掲載されているエピソードをお読みいただけます!

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最初の日本語ワープロは六百三十万円もした! 1978年

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」で、戦前、就職した主人公が和文タイプライターと格闘するシーンがでてきます。タイプライターといってもキーボードを打つのではなく、縦横に配置された二千ほどの漢字から必要な一字を探しだし打つ機械です。この漢字一字を探すのが大変で、短い日本語文章を作るのも一苦労。一文字間違えると全てやり直しという過酷な機械です。1980年代頃まで現役で使われていました。

 『パソコン驚異の10年史』(片貝孝夫 、平川敬子)によれば、日本最初の日本語ワープロ機が発表されたのは1978年9月26日。これを記念して9月26日は「ワープロの日」になっています。

 ※正確にはその前年、1977年5月のビジネスショーでシャープが日本語ワープロ機を発表しましたが、これは参考出品でした。

 発売したのは東芝で、JW-10という名前、価格はなんと六百三十万円もしました。図体が大きく、大きな机がまるまるワープロで占有されていました。記憶装置は十Mバイトのハードディスクと八インチのフロッピーディスク。六百三十万円という価格は、誰もが買える価格ではありませんでしたが、その後、各社から新しい機種が発売されるたびに価格が下がっていきます。

 1979年にシャープから書院が二百九十五万円で発売され、1982年に日本電気から文豪が九十九万八千円で発売され、ついに百万円をきります。この頃から企業にワープロが普及しはじめます。

JW-10。発売価格は630万円もし、誰もが買えるという値段ではなかった。

パーソナル・ワープロの時代へ

 東芝から最初のワープロが登場した頃、ワープロが普及するかどうか疑問視され、当時の新聞には「将来安くなって、はたして一家に一台ということになるかどうか」と書かれていましたが、この予想は大ハズレとなります。

 1983年にパーソナル・ワープロとしてキヤノンからキヤノワード・ミニ・ファイブが二十九万八千円で登場します。個人向けを狙った最初のワープロで、家の机の上に置けるコンパクトなサイズでした。

 やがて値段が下がり十万円以下で買えるようになると、個人向けのワープロ専用機が爆発的に普及し、オアシス、文豪、ルポ、書院などのワープロ専用機が店頭を飾ります。

 ところが一太郎などパソコンのワープロソフトの機能が充実し、表計算ソフトをはじめとする他のソフトと連携する使い方をするようになってきました。こうなるとワープロ専用機の出番がだんだん少なくなっていきます。2002年、最後まで生産を続けていたシャープがワープロ専用機の生産をやめ、ワープロ専用機の時代は終わりました。

ワープロの「かな漢字変換」は主流ではなかった 1978年

漢字入力する場合、「かな」を入力してから漢字に変換する「かな漢字変換」が当たり前ですが、実は主流ではありませんでした。1980年頃にワープロ専用機を出していたのは東芝、リコー、ぺんてる、沖電気、キヤノン、シャープ、日本電気(NEC)、富士通の八社で、いろいろな「かな漢字変換」がありました。

漢字入力方式は四つあった

 漢字入力方式は大きく分けて四つありました。

漢字タブレット方式 漢字を一覧表から拾って入力
多段シフト方式 一つのキーに8~12の漢字を割り当てて入力
2ストローク方式 全ての漢字にカナ文字の「ストローク」を割り当て、それを暗記して入力
かな漢字変換方式 「かな」を入力して漢字に変換

 「漢字タブレット方式」は、大きなタブレットに小さな漢字が山のように並んでいて、電子ペンで選択して入力する方法です。「東」を入力する場合、「ひ」の行の漢字を指でなぞりながら、ひたすら「東」を探します。この作業が大変で、見つかると「あった!」と叫んだものです。

 「多段シフト方式」は、複数の漢字が割り当てられたキーと、その中の特定の漢字を指定する多数シフトキーの両方を同時に打鍵することで、漢字を入力する方式です。訓練すれば高速で入力できました。ただキー配列を覚えるのが大変。

 富士通は少し違ったアプローチで、かな入力専用キーボードを考えだしました。これが、親指シフト入力方式で熱心なファンがつき一時代を築くことになります。

 「2ストローク方式」は、カナ二文字で漢字を入力する方法で、たとえば「ミラ」で鏡を入力するような連想方式になっていました。少ないキー入力で漢字を出すやり方でリコーが採用していました。

 「漢字タブレット方式」を採用していたのがシャープ、日本電気、沖電気、ぺんてる。

 「かな漢字変換」を採用していたのが東芝と富士通です。当時、「かな漢字変換方式」と「漢字タブレット方式」は甲乙つけがたい状況でした。

単漢字変換だった「かな漢字変換」

 「かな漢字変換」といっても、現在のように長い文章を一括変換してくれるわけではありません。「東京都」と入力するには、「ひがし」とまず入力し、「東」に変換してから、「きょう」、「みやこ」とそれぞれの漢字を一文字ずつ変換していかなければなりませんでした。

 やがて変換が進化し、単漢字変換から熟語で変換できるようになります。これで「とうきょうと」と入力すると変換されるようになります。キーボードだけで変換できますので、「漢字タブレット方式」などはだんだん消えていきます。

 「松」、「ATOK」など数多くの「かな漢字変換」ソフトが変換効率や使い勝手を競いあい、文節変換、連文節変換へ進化していきます。今では「貴社の記者は汽車で帰社した」と同音異義語を入力しても前後の文章を判断して変換します。

 2007年12月初旬に日本語ワープロソフトの基本技術となる「カナ漢字変換」を発明した東芝の元技官が古巣の東芝に特許の対価を求める裁判を起こしたことが報じられました。日本語は同音異義語が多いので漢字変換は無理といわれていたのですが、一度使った漢字を優先的に出す「短期学習機能」と前後の文脈から判断して漢字仮名まじり文を適切に表示できる機能を発明し、現在も日本語ワープロソフトの基礎技術として使われています。

データ保存はカセットテープがあたりまえだった 1978年

データ保存に使っていたのがデータレコーダーと呼ばれる専用機械。お金がなければ音楽用カセットテープで代用していました。カセットテープにベーシックプログラムを格納するのが当たり前。そうです、今では見ることがなくなった、あのカセットテープです。

十五分録音のカセットテープ

 十五分録音できるカセットテープでちょっとしたプログラムの保存ができました。パソコンショップの店頭では、十五分の生カセットテープがパックで売られ、ゲームなどもこの十五分テープの形で販売されていました。

 1970年代後半、LKIT-16(パナファコム株式会社)というマイコンが売られていましたが、このマイコンにはプリンタ、テレビ、カセットを接続できました。ソフトウェアはベーシックとアセンブラが使え、キーボードにはアルファベット、数字、記号が並びます。本体価格が九万八千円。別売の電源装置が一万七千円でした。

 雑誌『マイコン』にはゲーム・プログラムのコードが載っていました。これを忍耐強くコンピュータにひたすら入力して遊びました。遊ぶ時間よりも入力時間の方が長かったという時代です。

『マイコン』1978年3月号の表紙に掲載されたLkit-16。テレビをモニターにでき、マイコン少年にとって憧れだった。

カセットテープへ保存する

 電源を落とすと、せっかく入力したプログラムが消えてしまうので、これをカセットテープに保存します。コンピュータはデジタルですが、カセットテープはアナログです。そこで音に変換して保存します。プログラムを読み込む時は反対にテープを再生すると「ぴーひょろひょろ」という音が流れコンピュータにプログラムが入っていきます。ファクスに近い感じの音です。

 ところが少し長いプログラムだとテープ・リード・エラーがよく発生しました。こうなるとまた最初からやり直しです。コンピュータの前で“エラー出るな!”と念じながら十五分間、画面を見ながらひたすら待ちます。エラーが出たら、また十五分間やり直しです。

テレビやラジオからプログラムが音で流される

 当時、テレビやラジオでマイコンの番組が放映されていました。番組の最後に“今日、学習したプログラムを今から流しますから録音準備してください”と案内があり、これをカセットテープに録音してコンピュータに入れると、ちゃんと動きました。何とも牧歌的な時代です。

 フロッピーは既に登場していましたが大きな八インチサイズで、二十万円近い価格でした。とても手が出せる価格ではありませんでした。1978年3月号の雑誌『マイコン』にフロッピーについて書かれた記述があります。

 “フロッピーは片面しか記録できなかったのがようやく両面で使用できるようになってきた。ただフロッピーはガタガタ揺れるような環境やゴミの多いところでは使えず信頼性も悪いし、大体値段が高すぎる。当分はカセットテープだな”という内容です。

 今ではテープどころかフロッピーもなくなってしまいました。

水谷 哲也

水谷哲也(みずたに てつや) 水谷IT支援事務所 代表 プログラムのバグ出しで使われる“バグ”とは本当に虫のことを指していました。All About「企業のIT活用」ガイドをつとめ、「バグは本当に虫だった」の著者・水谷哲也です。1960年、津市生まれ。京都産業大学卒業後、ITベンダーでSE、プロジェクトマネージャーに従事。その後、専門学校、大学で情報処理教育に従事し2002年に水谷IT支援事務所を設立。現在は大阪府よろず支援拠点、三重県産業支援センターなどで経営、IT、創業を中心に経営相談を行っている。中小企業診断士、情報処理技術者、ITコーディネータ、販売士1級&登録講師。著作:「インターネット情報収集術」(秀和システム)、電子書籍「誰も教えてくれなかった中小企業のメール活用術」(インプレスR&D)など 水谷IT支援事務所http://www.mizutani-its.com/