福田昭のセミコン業界最前線

「坂本エルピーダ」の行方



 国内唯一のDRAM専業メーカーであるエルピーダメモリが、会社更生法の適用を2012年2月27日に東京地方裁判所に申請した。会社更生法の申請に伴う記者会見の模様は大河原氏の記事を、DRAM自体の限界については後藤氏の記事を参照されたい。

●本当は10年前に潰れていたエルピーダ

 大河原氏の記事によると、東京証券取引所で開催された記者会見では、エルピーダメモリ(以降はエルピーダと表記)の代表取締役社長をつとめる坂本幸雄氏の経営責任を指摘する厳しい質問が飛んだという。企業が倒産したのだから、経営責任が問われるのは当然だろう。しかしエルピーダの誕生から現在までを振り返ると、単純に経営責任を追及するような事柄なのかどうかについては、疑問が残る。

 それは、坂本氏が社長に就任していなかったとしたら、エルピーダは2000年代の前半に消滅していた可能性が高いことだ。

 エルピーダがNECと日立製作所のDRAM開発部門を統合する形で業務を開始したのは、2000年の4月1日である。発足当時の社名は「NEC日立メモリ」で、2001年9月28日に統合ブランド「エルピーダ」が発表されるとともに、社名が「エルピーダメモリ」に変更された。

 「NEC日立メモリ」という社名からは何の感慨も浮かばない。ただ単に両社をくっつけただけである。その名前の通り、経営幹部はたすき掛け人事、開発拠点は親会社(NEC)の事業場を間借り、製造は親会社(NEC)に委託、販売部門の設置は誕生の1年後といった具合で、これが元大手DRAMメーカー(NECはDRAMのトップメーカーだったことがある)とは信じられないくらいの杜撰さである。

 当然のごとく、エルピーダの営業成績は無残を極めた。2001年度(2002年3月期)の売上高は783億円、営業損益は251億円の大幅赤字、2002年度(2003年3月期)の売上高は632億円に下がり、営業赤字は238億円と巨大な赤字を垂れ流していた。2001年(暦年)のDRAM世界市場に占めるエルピーダのシェアはわずか8%、2002年(暦年)のシェアは4%に下がっていた。エルピーダをどうするのかは、親会社であるNECと日立にとって懸案事項となっていた。

 2006年に発行されたノンフィクション書籍「エルピーダは蘇った」(松浦晋也著、日経BP社)によると、2001年〜2002年頃、NECは外部から社長を招聘することでエルピーダを建て直そうとしたのに対し、日立はエルピーダを精算することを考えていた(同書、28ページ)。NECの要請に坂本氏(当時はファウンドリ企業UMCの日本法人社長をつとめていた)が応え、エルピーダをまったく別物の企業に生まれ変わらせたことで、エルピーダは経営破綻を免れたと言える。

エルピーダメモリの会計年度別売上高と営業損益の推移。坂本氏が社長に就任したのは2002年11月。その後、2004年度から売上高が急速に伸びていることが分かる

●賭けだったPC用DRAMへの参入

 坂本氏がエルピーダの社長に就任したのは2002年11月1日である。「エルピーダ」の名称は「希望」を意味するギリシャ語「Elpis」と、日本の半導体メーカー数社によるダイナミックな事業統合という会社の成り立ちを示す「Dynamic」および「Association」という言葉から作られた。エルピーダの社名通りに「希望」が開けたのは、この時からだろう。

 「坂本エルピーダ」はDRAMの最大応用分野であるPC用DRAMではなく、「プレミアDRAM」と呼ばれる非PC用DRAMを主力製品に据えた。具体的にはモバイル用DRAMやデジタル家電用DRAM、グラフィックスDRAMなどである。これらのDRAMはPC用DRAMに比べると利益率が高く、エルピーダの財務体質を大きく改善させた。この製品戦略が功を奏し、2004年度にエルピーダは黒字転換を果たす。さらに「DRAMメーカーで世界トップ3に入る」という最初の目標を2006年半ばに実現してしまった。大成功である。

 ここからエルピーダは、あるいは坂本社長は、製品戦略を大きく変更する。PC用DRAMに本格的に参入するとともに、「世界トップのDRAMメーカーを目指す」ことに決めたのだ。

 世界トップになるためには、PC用DRAMを手掛けなければならない。DRAMの応用分野で最も大きいのはPC向けだからだ。ただしPC用DRAM市場は、価格の競争が極めて激しい、需給バランスが崩れやすい、利益率がそれほど高くない、といった問題を抱える。

 これらの問題はDRAMビジネスを手掛ける者にとっては常識である。坂本氏らエルピーダの経営幹部が知らないはずがない。それでも世界トップを目指したのは、DRAM市場ではトップシェアを取った企業が製品開発や価格競争などで主導権を握りやすいという大きなメリットがあったからだろう。

 このあたりの判断は極めて難しい。非PC用DRAMに専念することで相対的に安全な道を行くという考え方はごく普通にあり得る。エルピーダがPC用DRAMに参入していなかったら、今回の経営破綻を免れた可能性は十分にある。ただし売上高は2,000億円〜2,500億円程度に留まっていただろう。またDRAM業界3位は維持できなかった可能性が高い。

 DRAMは継続的に新製品を開発していく商品であり、業界団体であるJEDECで次期製品の共通仕様を策定することが慣例となっている。ただし発言力は企業によって一様ではなく、市場シェアトップのメーカーが仕様策定に強い影響力を有する。業界3位すら維持できないとなれば、次期製品の仕様策定に自社の考えや要素技術などを持ち込むことは困難になり、後追いの開発になってしまう。

 逆に業界トップになると、次期DRAMの仕様策定に対する影響力は決定的に大きくなる。それだけ、次期DRAMの開発を有利に進められる。市場シェアの大きさが、次期製品の開発の優位性を左右するのである。

●2度の挑戦でいずれも敗退

 結局のところ、エルピーダは賭けに出たのだ。PC用DRAM市場というリスクの大きな道を選んだ。しかし2008年にPC用DRAMの価格が暴落したことで、2008年度にエルピーダは1,500億円近い巨大な営業赤字を出してしまう。賭けは失敗に終わったかに見えた。

 そこから、エルピーダは逆転を図る。2009年には約1,000億円の融資を主力取引銀行から受けるとともに、経済産業省から産活法(産業活力の再生及び産業活動の革新に関する特別措置法)の認定を受けて300億円の公的資金を得た。2009年前半にはDRAM価格が上昇し、エルピーダは復活したかに見えた。

 しかし2010年後半にPC用DRAM価格が再び暴落したことで、再挑戦は失敗に終わる。会計年度ベースでは2010年第3四半期(2010年10〜12月期)以降、エルピーダは5四半期連続で営業赤字を計上する。特に厳しいのは直近の2四半期で、いずれも400億円を超える営業赤字を出してしまう。エルピーダの先行きを不安視する声が強くなり、新聞紙上にはエルピーダメモリと他社との提携交渉に関する記事が頻繁に載るようになった。

エルピーダメモリの四半期別売上高と営業損益の推移。直近では5四半期連続で営業赤字を計上している。
PC用DRAM価格の推移。2009年第1四半期〜第3四半期は1Gbit DDR2タイプ、2009年第4四半期〜2011年第2四半期は1Gbit DDR3タイプ、2011年第3四半期以降は2Gbit DDR3タイプの価格。市場調査会社DRAMeXchangeのデータを元にまとめたもの

●経営陣が続投する会社更生を目指す

 2012年2月2日に開催された2011年度第3四半期(2011年10〜12月期)の業績発表会で「リファイナンス(負債の借り換え)を受けるための再建策をまとめており、1カ月以内には何らかの答えが出せると思う」と坂本社長は説明していた。その言葉通り、ほぼ1カ月を経ずして会社更生法の適用を申請することで、答えを出したことになる。

 会社更生法の適用を受けると従来は経営陣全員が退任し、新たに選任された管財人(事業経営および財産処分の責任者)が再建を担っていた。しかし最近では経営陣が続投しながら再建を進める「DIP(Debtor in Possession)型」の会社更生を申請する例が増えてきた。DIP型会社更生では、従来の会社更生に比べると費用負担が減るとともに、手続きが簡素になっており、再建を素早く進められる。エルピーダもDIP型の会社更生を考えており、坂本社長が続投し、管財人となって再建に当たることを目指す。

 企業倒産から再建を目指すための法律には、会社更生法のほかに民事再生法がある。民事再生法では経営陣が続投するものの、債権者の担保権が拘束されず、担保物件を債権者が処分してしまう恐れがある。この点では会社更生法は債権者の担保権が拘束されているので、債務者にとって有利な方式と言える。なお半導体産業では、NORフラッシュメモリのメーカーで経営再建中のスパンションジャパンが2009年2月にDIP型で会社更生法の適用を申請した実績がある。

 ただしDIP型会社更生の利用には条件がある。まず、主要な債権者の同意が必要である。また現在の経営陣に不法な行為がないこと。スポンサー企業の候補が存在する場合はその了解が必要であること。現在の経営陣が続投することによって会社更生の実行が損なわれるような事情がないと認められること。これらを満たすことが条件となる。

●坂本氏の公式発言から感じる異変

 気になるのは、業績発表会などの報道機関および証券アナリスト向けの説明会における坂本社長のコメントや説明など、特に最近、違和感を感じる内容が増えてきたことだ。

 1つは、DRAM事業の巨大な赤字の理由を経営責任ではなく、為替交換比率の大幅な変動、すなわち「極端な円高」に帰する傾向がみられることである。もちろん、DRAM価格の暴落は痛手であり、極端な円高は巨大な損失を生む可能性が高い。そのこと自体に異論はない。ただし、韓国のDRAMメーカーと比べて日本のエルピーダの事業環境が著しく損なわれているかというと、必ずしもそうとは言えない。

 例えば為替交換比率の影響だが、ドル・ベースで表示されているPC用DRAMの価格を韓国と日本の通貨に換算したときに、どのくらいの開きがあるか見てみよう。2007年と2011年で比較すると、大きな開きがある。韓国のウォン・ベースで見たDRAM価格はこの間におおよそ5分の2(40%)になっている。これに対して日本の円ベースで見たDRAM価格は9分の2(22%)と大きく下がっているのだ。この違いは大きい。坂本社長の「円高責任論」は正しいようにみえる。

 ところが、2009年〜2011年で見ると、韓国のウォンと日本の円にそれぞれ換算したDRAM価格には、ほとんど違いがない。言い換えるとDRAM価格が大幅に低下した2007年以降で対ドルの交換比率でウォンと円に差が大きく出たのは、2007年〜2009年の間だけなのである。坂本社長の「円高責任論」は2009年〜2011年を対象にすると、的外れであることが分かる。

 2007年と2011年の間には4年もの期間がある。ダイナミックな変化が前提のDRAMビジネスで4年間の変化の違いを問題にするのは、かなり気が長いように思える。

韓国と日本におけるDRAM価格の推移(2007年〜2011年)。DRAMeXchangeの調べによるドル・ベースの価格を韓国のウォンと日本の円に換算し、2011年の価格を基準値(1.00)として相対化したもの
韓国と日本、台湾におけるDRAM価格の推移(2009年〜2011年)。DRAMeXchangeの調べによるドル・ベースの価格をそれぞれの通貨に換算し、2009年第2四半期(この期間中で最も円安だった時期)を基準値(1.00)として相対化したもの

 もう1つ気になるのは、韓国Samsung Electronicsとエルピーダの技術力は高いが、そのほかのDRAMメーカーはエルピーダよりも技術力が低いと受け取れるコメントを坂本氏はしばしば発していることだ。報道機関の記者や証券アナリストなどが執筆した記事やレポートなどは当然ながら、韓国Hynix Semiconductorや米国Micron Technologyなどの経営幹部や技術者などが目にすることになる。日本の新聞記事ではエルピーダとMicronの提携が取り沙汰されているが、坂本社長の発言はMicronにとって面白いはずがない。

●ポスト「坂本エルピーダ」がエルピーダ新生への道

 坂本社長はエルピーダをチップにPC用DRAMビジネスという「ギャンブル」を仕掛け、多くの債権者を巻き込み、一度ならず、二度、失敗した。この責任は免れない。多くの反発が生じることを覚悟の上で記述するが「坂本社長は退任すべき」だと感じる。

 誤解しないで欲しいのは、エルピーダをここまで大きな企業に育てた坂本氏の功績は、揺るがないものがあり、そのことはとても高く評価しているということだ。特に2002年〜2006年までの坂本社長の経営手腕には素晴らしいものがあった。賭けに出て、そして勝った。しかし2007年以降のエルピーダは、賭けに負けた。

 「それでは、エルピーダの経営は誰がやれるのか。坂本社長のようにDRAM事業に精通した経営者が日本にいるのか」と反論されるかもしれない。いや、反論されるだろう。でも坂本社長は半導体大手Texsas Instrumentsの日本法人「日本テキサス・インスツルメンツ(日本TI)」で長く経験を積み、副社長にまで上り詰めた人物だが、DRAM事業の経験は無かった。坂本氏は日本TIでは一貫してロジック半導体事業に携わってきた。DRAM事業に関してはほぼすべて、エルピーダの社長になることが決まってからの経験である。

 だから、エルピーダの新社長にDRAM事業の経験は必須ではない。半導体事業の責任者としての経験は必要だが、DRAM事業の経験にまで社長候補の条件を狭めることはない。内部昇格にせよ、外部からの招聘にせよ、新しい社長の元でエルピーダは再出発すべきだ。筆者はそう考える。

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(2012年 3月 6日)

[Text by 福田 昭]