ソニーの電子書籍に対する姿勢



 11月末は各種の電子書籍端末が発表されたが、市場での反応は実に興味深いものだった。もっとも興味深かったのは、ある作家を中心にしたコミュニティで、ソニーの電子ブックストアで自分の作品が販売されると、世界最大の電子ブックストアで自分の本が販売されないのでは? との懸念が出ている事だった。このグループはApple製品のファンなので、iBook Storeで販売されない可能性があると考えているわけだ。

 しかし、これは市場混乱の典型的なパターンの1つだ。この予測には大きな誤解が2つある。1つは、電子ブックストアは書店でしかないということ。出版社が実際の書籍を複数の書店で売るのと同じように、電子ブックでも“電子書籍を販売したい”という書店に商売をさせないというところはない。

 もちろん、フォーマットの互換性問題はあるが、こちらはあまり意味をなさなくなってきているのは、複数フォーマットに対応したリーダが増えていることからも分かると思う。

 さらに突っ込んで、特定の電子配信プラットフォームに依存するのが悪いのだ、という意見も見かけた。例えばソニーの場合で言うとブックリスタという事になる。ブックリスタのサービス基盤を使って、今後さまざまな業者が書店を開く可能性があるが、ブックリスタ向けにコンテンツを提供すれば、もしかするとKindle StoreやiBook Storeで売ってくれないかもしれない。

 いやいや、これもそんな事はない。紙の本でも複数の取次業者が流通を担っているように、特定の配信プラットフォームだけに対応する利点は出版社にはない。もちろん、どの電子書籍を仕入れて(すなわちサイトに登録して)販売するかは書店の自由だから、必ずどの電子ブックストアにも並ぶというわけではない。

書籍のアタッチレートは専用端末のほうが高い(ソニーのReader発表会より)

 そもそもiBook Storeは世界最大の電子書籍流通プラットフォームではないし、書籍のアタッチレート(1台あたりに売れる書籍タイトル数)も高いわけではない。書籍と雑誌、新聞、Webコンテンツが入り交じり、少々混乱しているという印象だ。同じような誤解はまだ数多くある。


●米国で行なわれているサービス・機能が日本で対応できない理由

 電子書籍市場は業界関係者の予想を超えて、急速に立ち上げ機運が高まっていった。ただし、高まっていったのは気持ちだけだ。日本以外、すでにビジネスが本格化しはじめている米国や欧州の一部はもちろん、そのほかの欧州各国やアジア地区でも、具体的なビジネスの枠組みが生まれ始めていた。

 日本でも気持ちだけは高まっていったものの、実際のビジネスの枠組みとなるとその歩みは決して速いものではなかった。決してやりたくないわけではない。と、このあたりは長くなってしまうので話を省くが、あらゆる準備を整えてからビジネスを始めていては、中国や韓国にさえ取り残されてしまう。

 そんな危機感を感じながら、今年の年末に始めるしかないと動き始めたのが、ソニー、シャープだった。表向きにはあまり情報は出ていないが、AmazonもKindleを日本固有の組版ルールを再現できる複数のフォーマットに対応させると言われている。

ソニーの「Reader」 シャープの「GALAPGOS」

 準備が間に合わなかったのは、フォーマットと周辺ツールの整備だ。ご存じのようにePub 3.0は日本語組版に対応するが、仕様が決まり、ブラウザが開発され、さらにコンテンツ制作のツールと使いこなしのノウハウが溜まるまでには時間がかかる。これを待っていたら、来年末でも発売できるかどうかわからない。これはAmazonも同じだ。

 そもそも、日本の出版社はすでにノウハウを持っているフォーマット以外を使いたがろうとしない。それは待っていられないので、既存のノウハウがあるフォーマットに対応しようと各社は判断した(シャープはもともとXMDF)わけだ。

 例えば米Sony Electronicsの野口不二夫副社長は、XMDFや.bookといったフォーマットへの対応に難色を示していた。どうせ将来はオープン標準になるなら、ePubでシステム組む方が効率がいいし、ワークフローに付随するツールの発展も早まる。それでもXMDFと.bookへの対応という形で日本語版のビジネスをスタートさせたのは何故か。野口氏はかつて、内部的に規定を決め、5つの条件が揃わない地域ではビジネスを始めないと宣言していた。その中にはオープンなフォーマットの採用もあった。

野口副社長

 野口氏は「可能な限り時間を割いて日本での準備を進め、各社に呼びかけてきた。しかし、そろそろ始めないとコンテンツの製作ノウハウから顧客へのアプローチ、あらゆる事が後手、後手になり、日本での電子書籍文化が育たない。本を読むスタイルも国ごとに異なるし、まずは実際にビジネスを動かさなければ理想的な運用は見つけにくいものです。実はSony Readerを販売する地域、日本は14番目なんですよ。ニュージーランドよりも後ろです。電子書籍のビジネスを、とにかくできる範囲で動かすことにしました」と話す。

 始めるために妥協した事の1つが、オープンではない既存フォーマットへの対応だ。XMDFは仕様をシャープが管理してきたため、ビューアは最初から開発しなければならない。DRMフリーのデータのみに対応するビューアは配布されているが、DRM付きのプラットフォームに統合したビューアは新たに開発する必要がある。

 米国版のSony Reader(実際にはソニーの電子ブックストア)が対応しているWindows/Mac OS X/iOS/Android上での電子書籍閲覧に日本語版が対応していない理由は、XMDFに本体を対応させる必要があるからだろう。まずは本体内でのXMDFレンダリングを追い込んでからでなければ、他のプラットフォームにも実装できない。

 このあたりフォーマットライセンサーであるシャープが、単にXMDFの書式仕様を出すだけでなく、積極的にマルチプラットフォームでのレンダラー開発に取り組み、ソースコードをライセンサー/ライセンシーで共有できればいいのだろうが、残念ながら現状、そのようにはなっていない。

 .bookの対応に関しても、開発元のヴォイジャーの開発リソースが不足しがちな事もあって、やはり順番に端末メーカー自身が実装に取り組んでいかなければならない。ソニーは来年にも.book対応を行なうと発表しているが、とにかく手を付けられるところから、順に対応していくというのが現状なのだろう。

 野口氏はまた「米国でやっているサービスや機能は、いずれは日本でも実現したいと考えています」とも話している。”日本ではなぜ”との問いには、スタート地点が他の地域よりもずっと後ろにあるから、とコンテンツパートナーを無視して答えることはできない。野口氏が黙しているのは、やらないからではなく、やる準備をしているからだ。


●DRMはの種類はフォーマット論と同じ

 いよいよ日本での電子書籍流通が開始するという段階になって来ると、他にも「そのDRMで本当に良いのか」といった話も聞かれるようになってきた。しかし、そのDRMが完全に閉じた規格でない限り、あまり大きな問題にはならない。問題になるのは、あまり普及しない中途半端なDRMを使う電子ブックストアが生まれるケースぐらいだろう。しかし、その確率は低いと思う。

 DRMは利用者への許諾内容に応じて、コンテンツの運用をルールの範囲内に制限するための技術だ。自分勝手に実装することもできるが、すでに世の中には広く使われている技術がある。ソニーが日本で採用しているのはMarlinというDRMだ。これはソニーだけでなく、パナソニックやフィリップス、サムスンといった家電企業も参画して決められたDRM仕様で、フォーラムに参加することで仕様を入手でき商品に実装することが可能だ。

 Marlinはどの会社でも採用できるので、ほかにMarlin対応のXMDFビューアが登場すれば、そちらでもソニーのブックストアで販売する電子書籍を読める。もしMarlin以外の電子ブックストアが誕生したとしても、そのDRMに端末が対応すれば読めるようになる。つまり、組版を表現する電子書籍のフォーマットと同じ事がDRMにも言えるわけだ。採用するシステムが他社にライセンスしない独自のものでなければ、仕様を取り寄せて実装すれば読めるようになる。

 複数のDRMが混在するのは望ましい事とは言えないが、少なくとも他社に仕様がライセンスされていない独自のDRMで電子コンテンツを流通させるよりはいい。例えばAppleのFairplayがそれに当たる。AmazonのKindleも同様だが、Kindleは複数のハードウェアプラットフォームで本を読めるようにしているため、ユーザーは受け入れている。しかしFairplayの場合、Appleが売っているハードウェアでしか読めない。

 どうだろう。フォーマット論とよく似ていないだろうか。もちろん、DRMは何か1つに統一される方が望ましいが、DRMをかけて流通の範囲を限定させるのは、電子ブックストアの判断である。例えば11月30日にリニューアルされた「小学館ebooks」(手前味噌だが筆者の著した本も販売開始されている)では、書籍がDRMフリーのXMDFファイルで販売されている。

 ところがシャープ(スペースタウンはDRMフリーだが、ガラパゴスストアはDRM付き)やソニーの電子ブックストアでは、中身は全く同じなのにDRMが付いている。このような状況にあっては、なるべく標準的かつオープンなDRMをサポートし、いざとなったら複数のDRMに対応するほかなかろう。

 こうした覚悟もまた「今すぐ始めなければ日本の電子書籍市場は世界から遅れる(野口氏)」という気持ちから来ているものだ。

●ソニー・野口氏の優先順位

 日本では本格的に電子書籍(雑誌や新聞、コミックスではなく書籍)市場は立ち上がっていない。米国でのビジネスが急速に立ち上がったので、日本でもすぐにできると思っている方がいると思うが、実際にやり始めるには業界全体のコンセンサスがもっと整わなければ無理だ。

 それでも何かを始めるためには、優先順位を決めて順に取り組まなければならない。例えば最も優先されたのは、多くの出版社がすでにフォーマットに関するノウハウを持っているXMDFに対応すること。これをなんとか果たして参入となったわけだ。

 「ただし最終的にはグローバルスタンダードに合わせて行きたい。例えばXMDFは日本版Sony Reader向けに対応したが、海外で販売されるものにはこのビューアは入っていない。ソニーだけでなく、他社のePub対応リーダも同じ。本来なら文字の問題など超えて、海外端末でも日本語の本が表示できなければならない」。

 最優先事項は出版社が納得できる組版の表示を日本語で行なえる、製作プロセスもこなれたフォーマットに対応すること。しかし最終目標は失っていない。

 日本では発表されなかった3G/Wi-Fi対応モデルも「もちろん対応できればいいが、通信パートナーの選定や端末認定の問題もある。本を購入する頻度は通常、月に数冊、10冊も読めば、かなりの読書家だ。ワイヤレスで好きな時に購入できれば理想だが、そのための準備に時間やコストを割くよりも、ページをめくる機能やバッテリ持続時間などを重視することにしました。一番ローコストなモデルにも、光学式のタッチパネルセンサーを採用したのも、より良い本を読むための道具とするためです」(野口氏)。

 まずはビジネスを始め、柔軟に新しい世界へと対応していくこと。最優先事項は何かと尋ねると、同氏はそう話した。紙の書籍ビジネスを電子流通にするだけで、これだけの大騒ぎだ。しかし、それはまだスタート地点でしかない。電子化することで、何が新しくできるようになるのか。やってみなければわからないことはたくさんある。

 「あまり細かな部分ばかりに拘っていると、日本は取り残される。他国は中国や韓国を含め、新しい本の流通環境に柔軟に対応しようとしている。電子化することで本は制約が大きく緩和される。例えばノンフィクションの中に日々の実話エピソードを挟みながら、どんどん筋書きが変化していったり、読み進め方で複雑に分岐するような小説も作りやすくなる。長さの制約も全くないといって差し支えない。新しいルールの中で、新しいコンテンツの作り方、エコシステム全体のあり方を作っていくには時間がかかる」(野口氏)。

 野口氏の意図は、出版社をはじめとする関係各位に対して、行動で電子書籍市場の準備を進める必要性を訴える事にあるように感じられる。

 最後に、個人的に是非、ソニーにイニシアチブを取って欲しい案件について話してみた。それは個人認証に紐付いて、同じコンテンツを異なるDRMプラットフォームでも利用可能にする運用の枠組みだ。例えばSony Reader対応のブックストアで購入した本を、Kindleでも読めるように購入コンテンツのデータベースを相互参照し、同じ人物なら無料、あるいは安価なシステム利用料程度で許諾するといった仕組みだ。

 すでに映像配信の業界では、似たような枠組みが立ち上がろうとしている。ユーザーに配信プラットフォームの壁を越える事を容易にさせることで安心感を与え、電子流通に対する抵抗感を下げた方が、業界全体として利益が大きいという趣旨からだ。

 「他にも紙の書籍との連携などもありますね。そうしたユーザーの懸念を取り除くために必要な業界内のルール作りは、一企業の利害を超えて大切な事ですから、我々も出版社とは関連した枠組みの話もしています。ただ現状、そうした細かな部分にまで目が行き届いていないのかもしれません。そんなユーザーの利便性よりも、ベストセラーが異なる販売サイトで2回売れた方がいいと考える人も残念ながらいます。

 現時点は、まず日本語向けの環境整備を進める必要がありますが、異なるサービス、異なる端末間での相互運用を進めるための枠組みを作ろうという機運が高まってくれば、ソニーとして積極的に取り組みたいと考えています」(野口氏)。

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(2010年 12月 7日)

[Text by 本田 雅一]