電子書籍元年に迎える年末



 今年(2010年)のこの連載は電子書籍端末に関する話題で始まったが、年末にかけて電子書籍がさらに大きな話題を呼ぶことになる。電子書籍を読むためのハードウェアが複数登場すると見込まれている上、大手出版社を含めて電子書籍販売の枠組みを決めてきているからだ。

 たとえばハードウェアの面では、シャープがガラパゴスで電子書籍端末市場に参入したことに加え、海外ではアマゾンのKindleと並んで多くのユーザーを獲得しているソニーも、国内でのビジネスを開始することを明言している。Kindleに関しても、他社の動向を踏まえた上で日本市場に参入する準備は進んできている。

 いくつかの動きが同時並行的に進んでいるが、噂先行でインターネットに情報が流れていると感じている。取材を行なっていると、すぐに報道できる事、将来にならなければ書けない事などが入り交じるものだが、単なる噂が事実として捉えられているケースも見かけられる。そこで、筆者が取材した範囲内の情報をテーマごとに分類し、年末に向けた電子書籍関係の動向をまとめてた上で個人的な意見も書き添えておきたい。

 今回は、主にフォーマットについての話題をまとめてみた。

●電子メディアにフォーマット戦争はない

 書き進める前にいくつか全体を俯瞰するための基礎的な話をしておきたい。

 まず一気に書籍流通が電子化される可能性があると考えている方もいるようだが、国土が広く物流の問題が大きい米国でさえ、2012年に10%程度という予測が2010年前半は多かった。日本の場合はまだ本格的にビジネスも始まっていない。今の段階で、日本での電子化比率を予測することにあまり意味はないが、多くても1割程度と考えるのが妥当だろう。

 出版事業の基礎はあくまで紙の本にあるということだ。電子出版の市場は当面の間小さすぎるため、製作コストや宣伝コストを考えると電子版のみで大きな成果を出すことは難しいと考えられる(もちろん中には既存の大作家が書き下ろしなんてものも出てくるかもしれないが、あったとしてもそれはごく一部の話だ)。

 将来のために電子フォーマットに投資できる出版社もないわけではないが、多くの出版社(ほぼ全社と言っていいかもしれない)はソフトウェアや電子技術の標準規格策定のノウハウを持ってはいないし、そこに投資するだけの大きな市場も、すぐ目の前に現れているわけではない、ということだ。

 電子書籍に関連して、既得権益を守るためにコンテンツを持つ出版社と、コンテンツを囲い込みたいハードウェアメーカーが結びつき、クローズドな世界で独自技術で固めたエコシステムを作ろうとしている、といったストーリーの批判記事を見かけることがあるが、そんな余裕はないはずだ。そもそも、純粋な電子流通のメディアの場合、エンドユーザーに影響する出力フォーマット戦争へと発展することは考えにくい。

 過去、電機業界においてフォーマット戦争と言われる事態が何度か起こってしまった。VHSとβのビデオレコーダ戦争の時は、規格を統一しようにも物理的なテープのサイズが異なっていたので乗り入れはできなかった。その後、DVDの前身であるSD規格とMMCDは、どちらも12cm、1.2mm厚のポリカーボネートディスクで外形は同じだったが、物理的な記録構造が異なった。これはBlu-ray DiscとHD DVDの間でも同じである。

 これらが技術論争に留まらずフォーマット戦争に発展し、(DVDは消費者に影響を与えることはなかったが)結果として消費者に少なからぬ影響を与えることになったのは、メディアフォーマットに物理的な制約があるためだ。しかし、電子流通しか想定してないフォーマットには、当然ながら物理的制約はない。

 電子書籍のフォーマットは映像や音声の圧縮手順やコンテンツオーサリングのためのスクリプト言語、あるいはJavaなどに比べると遙かにシンプルで、世界で流通している電子書籍フォーマットの多くは、組版ルールを示す印(タグ)を埋め込んだテキストファイルだ。技術書用などではレイアウトが崩れないようタグの付け方を工夫している場合もあるが、それらは書式策定上のノウハウであって、特定フォーマットに対応したリーダを作る事は難しくない。

 つまり、複数のフォーマットが流通しているのであれば、電子書籍端末は主要なフォーマットすべてに対応すればいい。無論、数十種類ものフォーマットが混在すれば問題だが、実際にはそんなことにはなっていない。実際、アマゾンのKindleが扱っているAZWという形式も、実はその中身は用途ごとにさまざまな形式で記述されている。

 これがソフトウェアでは低消費電力かつ高速に処理できないような複雑なフォーマットならば、対応するLSIを開発しなければならないため、フォーマットが増えるとどうしようもないということになるだろうが、電子書籍はページを表示する時にしかデータを処理する必要がない。組版ルールとしてどんな機能、選択肢が必要か? といった部分で議論はあるかもしれないが、フォーマット戦争は起きようがない。

●出版社にとってフォーマットライセンス料やオープン性より重要な事

 やっと日本語組版ルールがスタイルシート記述や追加タグとして盛り込まれるようになり、日本語ePubが実現しそうだというニュースが数カ月前にあった。大変に喜ばしいことだが、だからといってこの年末にすぐに対応端末が出てくるわけではない。タグ付けルールが決まれば開発はスムーズに進むだろうが、書籍データ(業界標準のDTPシステムはアドビのInDesignなので、少なくともInDesignのデータから、日本語組版情報も含めてePubにエクスポートされ、各種端末で崩れずに表示されるというワークフローが確立されなければならない。

ソニー製5インチサイズの英語ePub端末に、日本語フォントを埋め込んだePubファイル(筆者が手元にあるテキストをテストで出力したもの)を表示させたところ

 実際、欧文書式であればePubの書き出し機能はそこそこ使える印象だ。フォントを埋め込むこともできるので、横書き、ルビ・傍点など日本語組版機能なしであれば、日本語ePubを英語ePub端末に表示させることだってできる。ただ、新しい組版ルールが組み込まれ、どのように書き出され、表示されるかといったノウハウがたまるまでには時間がかかる。書き出しプラグインの改良も必要だろうし、ほぼワンタッチで(すなわち最小限の校正コストで)書き出せるようになるには時間がかかる。

 それでも仕様そのもののオープン性は重要という声はあるだろうが、日本語でのePubが使い物になるレベルになったなら、その時点でビューアが対応すればいい。それまでの間は、すでに実績のある書式を流用した方が、既刊書籍を速やかに電子化するには有利だ。

 たとえばシャープが提供し始めたXMDF形式は、DTPデータからワンタッチで書き出す事ができる。すでに携帯電話向けに豊富な経験があり、携帯電話、PDA、PC、すなわち画面サイズや解像度の異なる複数の端末で、問題なく書籍として流通できるデータを作る事が可能だ。

 小学館が年内に200冊の電子書籍を用意すると話しているが、これらはXMDF書き出しのノウハウを持つ子会社を通してXMDFデータとしてリリースされる。拙著の単行本も、この中の一冊になると聞いており、シャープ製以外の電子書籍端末でも読むことが可能になると聞いている。既刊の書籍はすでに校了したデータが存在し、それを別形式で書き出すと再校正しなければならないが、経験を積んだフォーマットならば校正作業は最小限で済む。

 一方、講談社はボイジャーが開発した.book形式でのリリースが多い。再校正のコストや時間をかけられない(冒頭でも述べたように、電子書籍市場はまだまだ小さい)ため、経験値が高く既存データもある形式でのリリースと伺った。講談社は電子版2万冊を用意との報道が出ているが、桁違いにラインナップ数が多いのは、再校正が必要となる要素を徹底して避けているためである。

 .bookは角川グループも採用する予定で、やはり先行して取り組んできた実績やノウハウが生きている事がわかる。角川は最終的に中間フォーマットでリリースし、端末に合わせて個々の形式でダウンロードさせることを考えているようだが、スタート地点は既存フォーマットとなった。

 実際に電子書籍市場を立ち上げて行くには、既刊書籍をできる限り低リスクで電子化できる環境を作らなければならない。無論、使い物にならないフォーマットにコストをかけるのは愚かなことだが、XMDFも.bookも、それぞれにパートナーの出版社、あるいはエンドユーザーに揉まれて進化・熟成されてきたノウハウの固まりだ。既存のデータもある。

 ライセンス料やフォーマットのオープン性にばかり目が行きがちだが、そもそも普及が困難なほど高いライセンス料を科した規格は消え去るだけだ。やり玉に挙がりがちなXMDFも同じで普及の段階に合わせて適切な料率になるならば問題はないだろう。

 少なくとも現状、日本語ePubより良い電子出版環境を提供できるものになっているのは間違いないのだから。繰り返しになるが、日本語ePubの方が良いという状況になったなら、ビューアは必ず対応する。そちらの方が良ければ、新刊のフォーマットは(自然に)日本語ePubへと移行していくはずだ。

●エンドユーザーにとってフォーマットライセンス料やオープン性より重要な事

 なお、ご存じの方も多いと思うが、電子書籍のフォーマットは将来的に、さまざまな組版指定やレイアウト情報などを記述できる中間フォーマットが標準規格として策定され、そこから各機器がサポートする電子書籍フォーマット(ePub、XMDF、.book、あるいは特定の技術書のレイアウトが得意なフォーマットなど)へと変換するワークフローだ。

 各種フォーマットのスーパーセットとして中間フォーマットが確定するまでには若干の時間がかかるだろうし、中間フォーマットへの出力ノウハウ(さらにその先のリリースフォーマット変換時のノウハウも)がたまり、ワークフローとして確立するまでには時間がかかるだろうが、電子書籍フォーマットに関する議論は、いずれにしても遠くないうちに収束する。もともと、エンドユーザーにとって重要な事は、フォーマットの種類ではない。手元にある装置に対して、どのような運用形態でコンテンツが提供されるかの方が、ずっと重要な事だ。

 たとえば、ある電子書籍ポータルで購入した電子書籍は、どの端末で読む事ができるのか。読み終わった本を友人に推薦したいといった時、期間限定で別のアカウントIDに対して“貸す”ことができるのか。紙の本の購入者が割引料金(あるいは無料)で電子版を購入する仕組みはあるのか。電子書籍端末を別メーカーのものに購入し直した際に、それまでに購入した電子書籍は移行できるのか、できないのか。移行できるなら、その枠組みはどうなるのか。

 たとえば私は先日、上梓した本で、本の一部にユニークコードを印刷しておき、ユニークコードをユーザーに入れてもらうと、コンテンツ全文のPDFがダウンロードできるというサービスを提供した。この時点ではPDFしか日本語で確実に本のデータを提供する方法がなかったため、DRMなしでPDF全文提供のサービス実現を出版社にお願いしたのだが、今後はそれを電子書籍フォーマットでできればいいのでは、と思っている。著者の裁量でそれが実現できるなら、と思っている執筆者もいることだろう。

 エンドユーザーにとってみれば、本への投資が守られることが、これは書籍レイアウトや内容を記述するフォーマットにも増して気になるところではないだろうか。

 筆者に集まってきている情報を総合すると、各種端末はマルチフォーマットに対応し、少なくともPC上のツールでは複数の電子書籍販売ポータルに対応する方向で調整しているようだが、読者個人に対するライセンス(電子書籍を読む権利)を異なるサービス間で継承するための枠組みについては、まだ調整が必要のようだ。

 とはいえ、実際にビジネスが始まりさえすれば、読者にとって悪い方向に行く事はないと思う。複数のシステムが存在することで、競争が発生する見込みが高いからだ。販売価格での競争はあまり見込めないが、運用形態の柔軟性に関しては競争が起きるだろう。

 いずれにせよ12月までには、次に向けてのアクションがいくつかある。


 なお、フォーマットのライセンス料やオープン性が電子書籍の価格に影響するのでは? との論も見かけた。しかし、実際に販売される電子書籍の価格が変わるわけではない(もちろん、自主出版は別)。年内には大手、来年春ぐらいまでには中堅を含めた出版社が電子書籍市場にコンテンツを提供していくが、リリース用フォーマットによって価格が違わない事はすぐに明らかになるだろう。

 電子書籍のコスト構造のうち、もっとも大きな割合を占めているのは配信・課金システムのコストで、おおよそ4割が見込まれている(ずいぶん配信コストが高いと筆者も思うが、この数字はリアルなものだ)。電子書籍の価格は紙の場合の7~8割というが、多くは7割程度になると見られる。

 ちなみに著者印税は講談社の場合で販売価格の15%、小学館は出版社売上げの25%との事だ。配信は外注されているため、小学館の場合も25×0.6=15(%)と両者は同じ印税率だ。また、前述したように紙の本の7割の価格が付けられる予定であり、この15%にかけ算すると、紙の本で言うところの10.5%が著者印税になる計算。

 すなわち著者の手元に入る金額は1冊当たり、紙でも電子でもほとんど変わらない事になる(ただし電子配信は売上げ実績に対してしか支払われないため、初版分に対してアドバンスで印税が支払われる紙の本とは厳密には異なる)。

バックナンバー

(2010年 11月 11日)

[Text by本田 雅一]