毎年、お盆シーズンは製品発表や取材もなく、比較的ゆったりと過ごすことができる。筆者も休暇を入れつつ、それまで時間がなくて評価できていなかった3DノートPCを見たが、クロストークが目立ち、映像を楽しむにはまだ時間がかかりそうだ。しかし、画質より臨場感を求めるゲームならば、それなりに楽しめるレベルにはなっていると思う。
この話は機会があれば連載の中でしたいが、今回は電子書籍に関して、さまざまな数字をまとめてみた。すると、日本で電子書籍ビジネスの常識として知られている話が、実は根拠の薄いものである事がわかってきた。
●北米の書籍市場を知る電子書籍に関してさまざまな誤解が、特に日本で広まっている背景には、現在の電子書籍ブームの発端となっている北米の状況が、断片的な情報と誤った解釈で伝わっている側面が少なくないと思う。そこで、まずは北米の書籍市場を知り、その後、電子書籍、日本の状況と話を進めていくことにしたい。
米国の書籍市場は少し前までバーンズ&ノーブルとボーダーズという、2つの巨大書店チェーンが市場を支配してきた。2008年の数字で恐縮だが、バーンズ&ノーブルは全米726店舗、ボーダーズは515店舗の大型書店を全米に展開。毎年のように出店数を増やしてきた。
それに伴って売り上げも伸びていたのだが、2006~2008年にかけて転機が訪れた。まず2006年にボーダーズが1億5,100万ドルの赤字に転落し、バーンズ&ノーブルの利益は2006年の1億5,100万ドルをピークに(店舗数、売り上げとも伸びているのに)翌年から下がり始めた。売り上げも2007年がピークで、それ以降は減少を続けている。
これに対してAmazonの売り上げは伸び続け、2008年にはバーンズ&ノーブルを逆転(比較対象はAmazonの売り上げのうち、米国内の書籍のみで比較)している。何より利益の差は大きく、Amazonは2009年約9億ドルの利益を書店事業で挙げた。
ゆっくりと寛いだ環境でゆっくりと本を選べる快適な大店舗を数多く展開し、本好きを集め、大量に販売することで成長したバーンズ&ノーブル的手法は、しかしAmazonに通期ベースの売り上げで2008年には抜かれていたわけだ。しかも、4期連続という慢性赤字のボーダーズはもちろん、バーンズ&ノーブルも2009年はプラスマイナス・ゼロあたりで、全米1位の書店チェーンでさえ存亡の危機を迎えている。
つまり“勝ち組がない”のが、北米の書店業界と言える。その中でAmazonは順調に成長しているのだが、ではAmazonはどんな特殊なビジネスをしているのか? 実は非常にオーソドックスなビジネスをしている。
●Kindle向けは赤字……なんて話はないAmazonの「Kindle」 |
Amazonと言えば、新型登場で活性化が進むだろう「Kindle」が、一番の注目株であることは間違いない。日本では電子ペーパーを採用したブックリーダーの現行機種が存在しないため、ピンと来ないという人も多いとは思う。だが、北米ではあまりiBookの事が話題にならなくなってきたように、iPad、iPhone向けのiBook Store戦略は、今のところまだ火がついていない状況だ。
そのKindleに関して、まことしやかに囁かれているのが、“Amazonは新刊刊行当初は損をしてでも電子流通させ、電子書籍への移行を強力に進めている”という噂。しかし、いくつかの点でこの話はおかしい。
そもそも、企業が損をしてでも売るという時というのは、それにより利益がもたらされる事が明らかな場合のみだ。一般的に、損をしてでも売る事はない(長期に渡って開発費を回収するなどの戦略はある)。AmazonがKindle向けに新刊を売ると損をするという話は、米ニューズウィークの記事が発端になっている。
ただし、その内容を見るとKindleに対して批判的な人物が、彼らは新刊当時、損をしてでも電子版を販売していると発言しているのだが、その根拠は「紙の本と同じ価格で電子版を仕入れているから」だという。米国の場合、書店は本を定価の5割で仕入れる。ところがKindle版はハードカバーの半額以下なので、逆ざやが発生することになる。
そんなはずはないと思い、電子書籍に関連する各所にさまざまな取材をかけてみたが、わかった事は、Amazonがかつてのバーンズ&ノーブルと同じ手法で書籍販売の利益を最大化しようとしていることだった。
バーンズ&ノーブルは多数の店舗を持つことで扱い量を増やし、仕入れを安く抑えることに成功した。米国では書籍の価格に自由競争の原理が働くようになっているので、扱い量が増えれば仕入れは安くなるのだ。店舗数を増やすほどに利益率を上げることができ、販売量も増える。
AmazonはKindle版を販売する事で(その中には持ち歩きはKindle、自宅では紙という人も少なからず存在する)扱い量を最大化でき、それによって仕入れ値を下げることができる。仕入れ値が下がるのは紙の本も同じなので、すると主業務である紙の本の販売でも利益率を高めることが可能だ。
このように、バーンズ&ノーブル的ビジネスをAmazon的に拡張するための“テコ”こそが、Kindleと言える。繰り返しになるが、世の中、損をしてでも……という商売は、ほとんどない。KindleによってAmazonは、紙の書籍ビジネスの利益も最大化しているという部分が重要なのだ。
一方、日本の状況はどうか。日本の価格モデルと米国のそれは全然違うので直接は比較できない。日本には必ず定価販売となる再販指定がある。また日本の書籍は委託販売であり、出版社が持つ資産(在庫)なのだ。売れなければ返品できるのは、そもそも書店は軒を貸しているだけだからだ。
また日本の書籍市場はコンスタントに下がり続けている。2009年の売り上げは8,492億円だったが、これが2014年には6,800億円ぐらいになるという試算もある。書籍市場の縮小はここ数年一定で、悲観的な予想通りになる確率は高いだろう。
よく「日本の出版社は電子書籍化に抵抗していてけしからん」といった意見をみかけるが、そもそも本を作り、流通させる仕組みが失われては電子書籍もなにもない。そもそも、紙の書籍を販売して成り立っている企業に対して、その主力事業たる書籍販売を(まだ流通量の少ない)電子書籍にしろというのは無理がある。
また日本の出版社が電子書籍化に反対しているというのも、彼らの気持ちを正確には伝えていない。なぜなら電子書籍化を進めなければ、自分たちのビジネスが今後は立ち行かなくなっていくと十分に認知しているからである。
日本ではまだ電子書籍ビジネス(あくまで書籍であって、雑誌や写真集、新聞、コミックはその限りではない)がまともにスタートしていないが、2014年までに全市場の10%程度が電子版になると予想すると680億円だ。さらにAmazonの成長予測なども加味すると、2014年の書店書籍売り上げは全体の52%しか残らない。市場縮小と利益率低下のダブルパンチだ。
書店・店頭での売り上げが2014年に今の半分近くになろうというのに、減った分をインターネット経由の販売だけに頼っていては、みすみす業界の縮小を加速させることになる。巻き返すチャンスがあるとするなら、その切っ掛けがいまのところ電子書籍しかないというのは、誰もが意識していることだ。
紙の本は再版指定があるのに、電子書籍にはない、といった法整備上の問題もあるので、電子書籍後の新秩序が日本ではどうなるか予測しづらい面もある。しかし、それでも出版社は電子書籍化、電子雑誌化は進めなければならない。雑誌市場でも売り上げ規模の縮小が続いているためである。
書店は書籍だけでなく雑誌も販売しているが、どの両方が同時に下がるため、市場は5年後までに30%以上も小さくなると言われている。すると、ここで負の連鎖が起きる可能性が出てくる。
収益性が悪化すれば、回復見込みのない店舗は次々に閉店せざるを得ない。例えば2009年に新規出店された書店は286あったが閉店ははるかに多く951店舗。つまり665店舗が純減数だ。
すると閉店した店舗の売り場から出版社に、大量の本が返品されてくる(前述したように委託販売の形式を採っているから)。市場が30%小さくなるということは、売り場面積もおよそ30%減ると考えられるので、おおよそ2,000~2,200億円分の本が、各出版社に返品されて戻ってくるのである。すると、とたんに経営が苦しくなる出版社が増え、中には倒産となるケースも出てくる。
このような事は、当然、出版社も自覚している。そろそろ、電子書籍化に関してはマジメに考えていかなければならない時期になっている。
(2010年 8月 20日)