森山和道の「ヒトと機械の境界面」
「守破離」の体育会系ロボット学レポート
~コンピュータ将棋に見る人間のプライド、想定外をなくす社会シミュレーションなど
(2013/6/3 00:00)
5月21日、「体育会系ロボット学 人工知能、ロボット工学、レスキューシステム、エンタテインメント技術は我々の生活をどう変えるか」というセミナーが、株式会社内田洋行 新川本社(ユビキタス協創広場 CANVAS)で行なわれた。主催は国際レスキューシステム研究機構、慶應義塾大学 大学院 メディアデザイン研究科 リアリティメディアプロジェクト、株式会社内田洋行。本当に体育会に所属していた4人の研究者と、どちらかという体育会系の研究スタイルを持つという研究者1名、合計5人が講演した。『ロボット情報学ハンドブック』(ナノオプトニクスエナジー)の編集幹事の5人である。
キーワードは武道や華道茶道そのほかの教えで師弟関係のあり方である「守破離」。まずは師匠が教える型を守り、自分なりのものとするために型を破り、最終的には型にとらわれないように離れて自由な境地に達するといった意味で使われている。研究においても、型を守り、型を破り、型から離れることが重要だという。
身体に宿るロボットの運動知能
まず京都大学 工学研究科 教授の松野文俊氏は「守破離 ロボットの運動知能」と題して講演した。レスキューロボットの研究開発でも知られる松野氏だが、今回は、ロボットのお手本の1つである「生物」について、そしてそこから離れていくことについて講演した。生物の巧みな技を理解するための1つの方法として、人工物を作って確かめるという手法がある。松野氏は東工大時代にCOE「スーパーメカノシステム」で研究していた大車輪をするアクロバットロボットやヘビロボット、また、フェロモンに引かれて行動する群れを研究するための、フェロモン代わりのアルコールと触角代わりのセンサーを使ったロボットとその動作アルゴリズムなどを紹介した。
生物を理解するために作るロボットも、最初は生物の仕組みのエッセンスを忠実に抽出しようとする(つまり「守」)。だがロボットの体は生物とは違う。また物理的な身体は常に環境との相互作用を持つので、その身体に合った運動がある。自分の身体に合った動きを獲得しなければ、アクロバットロボットの動作も実際には実現できない。そこで評価関数をあたえて学習させてその動作を実現させた。環境と身体を相互作用させながら獲得した運動パターンは、学習させたロボットなりのものになっている。これがいわば「守破離」の「破」の段階だ。松野氏はこれが「運動が知能を生み出した根源」ではないかと述べ、「運動を研ぎすますことで知能が生まれてくる。その知能は脳ではなく身体に宿っている」と考えているとした。
さらに、生物を超えるロボットも考えられる。自然界の動物にはない任意に結合出来るモジュラー型ロボットや、回転移動するようなロボットだ。生物から動きのヒントを得て、生物を超える人工物を作るわけだ。これが「離」の段階である。
松野氏は最後に、研究には真理探究型と目的達成型研究の2種類があると述べた。生物の運動知能を探る研究は真理追究型、生物規範型ロボットを作るのは目標達成型だ。練習を重ねてうまくなっていく、それはまさに体育会系の修行と密接に関係しているのではないか、その根源は自然界にある、生物は自然環境に合わせて洗練されているのでそれをまねるのは戦略として悪くないのではないか、と語った。
コンピュータ将棋に見る「人間のプライド」
コンピュータ将棋の研究者としても知られる公立はこだて未来大学 複雑系知能学科 教授の松原仁氏は、最近話題の、コンピュータ将棋とプロ棋士の対戦「電王戦」について話した。第2回「電王戦」で人間側チームが敗北したのは御存知の通り。早くからコンピュータ将棋の研究を行なって来た松原氏は「プロ棋士の敗北は歴史的な必然であり、人間が悔しがるようなことではない」と述べた。今回の勝利も予想通りであり、今トップのプロ棋士と対戦しても、4回に1回は勝てると予測しているという。
やがて、世界で一番将棋が強い存在はコンピュータになる。だが、同様に人間がコンピュータに負けたチェスは依然として盛んであり、将棋もそうなってほしいと考えているという。そもそもコンピュータ将棋とプロ棋士との対戦は、コンピュータと人間の対戦ではなく「人間同士の異種格闘技戦」に過ぎない。だが、将棋の将来について、いくらかの心配があるともいう。
ちなみにチェスは「マインドスポーツ」と呼ばれており、スポーツの一種として捉えられている。有名なチェスチャンピオンのカスパロフにはコーチやメンタルトレーナー、栄養士がついていたという。一方、将棋はスポーツというより「将棋道」として捉えられている側面がある。そのため人間側の敗北が、より大きな意味をもって多くの人に受けとめられているのではないかと述べた。
また「なぜ(プログラマーではなく)ロボットが将棋を指さないのか」という意見もあるそうだ。たとえば人間に対してコンピュータが投了したり、あるいは人間が頭を下げる相手としてもロボットがいて欲しいという話もあるという。技術的には、将棋の駒を(ペチンとではなく)ピシッと置くハンドの開発は面白そうではある。
今将棋に限らずさまざまな分野でコンピュータや機械の性能が向上することで人間が負け始めている。それに伴って「ネオ・ラッダイト」と呼ばれるような反機械運動も生まれ始めている。いずれにしても今後、遠くない時点でコンピュータ将棋がプロ棋士に勝利すると予測される。そうなったあと、スポンサーが降りてしまうといった懸念もある。これに対して松原氏は「機械は人間の敵ではない。出来の良い子どもに自分たちが抜かれることを受け入れて、ほかに存在意義を見つけておこう」と語った。
なおチェスにおいては、人間がチェスソフトウェアを積極的に利用する「アドバンスド・チェス」と呼ばれる試合が存在する。将棋においても同様の「アドバンスド将棋」で、新たに将棋の可能性を探ろうという試みはあるが、将棋においてはまだ、ソフトウェアの利用はある種のカンニングのようなものだという考え方のほうが強いという。
「ロボット」や「知能」の最小条件は何か
大阪大学院 工学研究科 機械工学専攻の大須賀公一教授は、「現象学的にロボットを捉える」として、フッサールの現象学的な視点で、ロボットについて考え直してみようと話を始めた。ロボットとは何かというのはなかなか定義が難しい。たとえばアニメーションには以前から多くの「ロボット」が出ているが、どこからがロボットで、どこからがロボットではないのか。その境目は考えてもなかなかはっきりしない。
だが定義はできなくても、多くの人が「これはロボットだ」あるいは「これはロボットではない」といった判断を下している。それは、さまざまな定義の中に共通している概念があるからだという。大須賀氏は「ロボット工学ハンドブック」(コロナ社)や「ロボット情報学ハンドブック」(ナノオプトニクスエナジー)などによる、複数の「ロボットの定義」とされているものを示し、そこから、ロボットを感じる最低限の共通概念は、「知能」なのではないかと述べた。
では、「知能」の定義はなんだろうか。知能の定義もよく分からない。知能にも実体、客観的な存在はないかもしれない。だが知能を感じる/感じないという差はある。つまり我々は知能の存在を感じることができる。ではそれはどんなときだろうか。合目的で、予測不可能な動きを見たときに知能を感じるのではないだろうかと大須賀氏は述べた。
「想定外」をなくす社会シミュレーション
産業技術総合研究所 サービス工学研究センター サービス設計支援技術研究チーム 研究チーム長の野田五十樹氏は、始めに「体育会系と言えばとにかく走らせる。CPUもさぼらせない。データは飲ませる。考える前にプログラムを書いて走らせろ」と会場から笑いを取り、「想定外シミュレータ」と題して避難誘導計画用の人の流れのシミュレーションや非常時のロジスティックスのあり方に関する研究について紹介した。
野田氏が示した実際の秋葉原のビルから人が逃げていく様子のシミュレーションの様子は興味深いものだった。「Crowd Walk」というマルチエージェントシミュレータを用いた、避難誘導計画の評価などに使うためのものだが、「最適な状況」を見出すためのものではなく、むしろ「多少失敗してもうまくいく方法」を見出しておくために使うためのものだという。非常時に最適を求めても、そのとおりにリソースが取れるわけもないからだ。例えば、複数の会社が入っているような駅で毒ガスが撒かれたとき、どの部分がクリティカルなポイントなのかをシミュレーションによって見出すことができるという。
また、とにかく判断を拙速に行なうか、それともじっくり考えて判断を下して実行するかをシミュレーションすると、いくつかのクラスタに分かれるという。とにかくなんでも素早く決断するほうが早いのは当然で、特に初動を素早くしたほうがいいのは当たり前なのだが、毒ガスなどは素早く検知することは実際には難しい。そこで、順番に改善すべきポイントを見つけ出しておくことがベターだということになる。研究の結果では、消防署に早く知らせれば、多少ほかのことが遅れても被害を小さくできると分かったという。このように、例え何かが遅れても、とにかく素早くすべきことの優先順位が分かるのが利点だ。このような知見は、訓練のときに、できるだけ正確にしないといけないことは何かといった判断に役立つそうだ。意外と現場も気づいていないことをシミュレーションすると、気づいてもらえることが多いという。
非常時の医療においても同様で、野田氏らの研究では、医療スタッフの倍くらい搬送などを行なう非医療スタッフが必要だと分かった。患者はモノではないので、運べば終わりでは済まない。そこで誰かがついていなければならないのだが、そこでボトルネックが発生してしまうのだという。このほか野田氏は事例として災害時の仙台市の配送システムの話を紹介。自衛隊が入ったあと、ロジスティックスベースで命令系統を完全に組み直したという。非常時の指令系統は既存の上下の関係ではなく、あくまでロジスティックスを基本にして考えなければならないと述べた。
最後に「災害時にシステムを柔軟にすることはできない、人を柔軟にできるかどうか」が鍵だと述べ、「シミュレーションは気づきのツール。いろいろ頑張れば穴は小さくできる。コンピュータは使い倒してやりましょうというのが私の結論です」と講演を締めくくった。
認知的に透明なロボット
会場には大学生も多かったので、慶應義塾大学大学院 メディアデザイン研究科の稲見昌彦教授は、「研究室の研究スタイルは大学生活のQOLには大事」と述べ、研究分野によって、体育会系の度合いが異なるとざっくり紹介した。また、「守破離」になぞらえると、学部学生は入門くらい、修士はルールの枠内でパフォーマンスを出してちょっと活躍する、そして博士は分野の領域を広げ、最終的には、既存の枠組みを離れて新分野を立ち上げるといった感じだろうと研究を位置づけた。
稲見氏自身は、ロボットという概念を変えられないかと考えていると述べて、形状記憶合金を使ってレーザーを使ったものや、電子レンジで加熱すると決まった順番・タイミングで折れ曲がって立ち上がるような薄くて軽い加工のアイデアを紹介した。今までロボットとして使われなかった材料を使ってみることも重要だという。また、「人間大のロボットがいたら邪魔」だと述べて、光学迷彩の研究を紹介した。なおこの辺の話については、本連載バックナンバーでも紹介している。
今はさらに、「ドラえもん」のひみつ道具の「石ころぼうし」のような、存在感を感じさせない「認知的に透明」な物体によるサービス提供について研究していると述べて、いくつかの例を紹介した。たとえば、植物のように1日経てば動いて見えるといったような、超スローで動いて作業するロボットであれば、ロボットの存在を消しながら、ロボットの便益を受けながら暮らせる」かもしれない。「意識のスポットライト」があたってないところで動かすことがポイントになるという。
また「守破離」の「離」の部分として、「ロボット」という概念を一度バーチャル化できないかと考えているという。見かけやかたちはいわゆるロボットではなくても、人に働きかけるようなロボットだ。そして「巨人の肩に立つ」から「巨人の肩から飛ぶ」ことが大事だと述べた。
現在のロボット工学は、まだ生物を真似ようとしている段階であり、生物のような機能を発揮するに至っていない。また、動物はある行動をすればするほど巧くなる。だがロボットは使えば使うほど機能が落ちる。そういう意味では、まだまだだ。これから「守破離」のように段階を踏んで発展していくことを願いたい。