森山和道の「ヒトと機械の境界面」
エンドユーザーによる表現・デザイン・ものづくりを支援する
~「五十嵐デザインインタフェースプロジェクト」レポート
(2012/12/25 00:00)
JST ERATO五十嵐デザインインタフェースプロジェクト最終成果発表会「Creative Interaction--創るためのテクノロジーとその可能性--」が12月19日、東京大学にて行なわれた。
「JST ERATO五十嵐デザインインタフェースプロジェクト」とは、2008年から2013年にかけて行なわれた科学技術振興機構(JST)の創造科学技術推進事業(ERATO型)研究のプロジェクト。個人による自己表現を助けるソフトウェア技術基盤構築を目指したプロジェクトで、統括は東京大学の五十嵐健夫教授。これまでの本連載でもこのプロジェクトの成果は断片的に紹介しており、中にはネット上で大いに話題になったものもあるのだが、最終成果発表会のレポートのかたちを借りて、改めてまとめて紹介しておきたい。
これまでは大量生産・消費社会時代だった。だが今は部分的にだが、個人によるものづくりの時代へと移り変わりつつある。「Maker」ブーム、「パーソナル・ファブリケーション」ブームにも見られるように、個人が表現を行なったり、ものづくりを行なうためのハードルが下がりつつある。五十嵐プロジェクトは、そのブームが来る前に始まったプロジェクトだが、当時から創造的活動を助ける技術を開発することを目的としていた。具体的には、文字の世界におけるワープロやメール、ブログに相当するような支援機器/ソフトウェアを開発しようというものだ。
具体的な研究項目は3つ。1)映像表現、2)生活デザイン、3)ロボット行動デザインである。キーワードは「消費する人から創る人へ」。絵が描けないと自分で言う人も落書きくらいはできる。その落書き感覚で気軽に巧みな絵が描けたり、映像が作れたりすると楽しい。
同様に、鞄や衣服、家具など、実世界で触れるモノをデザインする、あるいは実際に物理的なものを触りながらコンピュータ上でデザインできれば、これまでにない可能性が広がる。今のコンピュータの計算速度ならば、物理シミュレーションをリアルタイムに走らせたり、物理制約を考慮したモデリングや形状デザインをコンピュータ側から提示することで、ユーザーをサポートすることもできる。ARのような拡張現実感を利用することもできる。
一方「ロボット行動デザイン」とは、ロボットに指示をして、動きや機能をデザインできるようにするというものだ。将来、ロボットが家庭に入ってくるとしても、家庭の環境や個人の使い方は人それぞれ。それぞれに合ったやりかたをロボットに伝える必要がある。だがロボットには「ここ」とか「そこ」とか、「あれを適当に」といった言い方は通じない。かといって個人が細かくプログラムしなければならないようでは普及しない。ではロボットに指示を与えるためにはどのようなインターフェイスが望ましいか。インタラクション手法をロボットや家電のコンテクストに適用してみようという試みである。
五十嵐氏は「コンピュータを利用して、新しい表現の可能性、どんなことができるのか、できるようになるのか」、「そのために研究者と技術者のやるべきこと、今後の課題はなにか」と問いかけた。
成果発表会は、研究項目ごとに3つのパネルセッションに分かれおり、1つ1つのパネルセッションでは、プロジェクト側の発表者と、外部からの招待発表者がそれぞれ発表を行なったのち、両者がディスカッションするというかたちで進められた。実物デモやポスターセッションの様子も交えてレポートする。
パネルセッション1:映像を創る
五十嵐氏は、2次元アニメーション作成を簡単に可能にするアプリケーション開発などで知られている。例えば線画で描いたイラストに対して、動かしたい箇所をちょっと引っ張ったりするだけで簡単にアニメを作るようなアプリを開発している。詳細は五十嵐氏のWebサイトを参照して頂きたい。
このプロジェクトでは、それらを発展して、リアルタイム物理シミュレーションを導入したイラストレーション支援システムなどを開発している。例えば、先天性心疾患の治療を対象としたアプリでは、心臓の流体シミュレーションを行なって、手術の方法を簡単に図解するだけで、血液がどのように流れるのかといったアニメを自動生成してくれる。これはエンジニアリング目的の機械の機構解説や、室内の空気の流れを解説するといった目的にも使える。同様に、ペン&インク・イラストレーションを描くときに、ウェーブした髪の毛や鱗、植物のような細かいテキスチャーを描くときに、ある程度決まったパターンを途中まで描くだけで、続きを同じパターンで描いてくれるアプリ「Vignette」なども開発している。マンガのスクリーントーンのような感覚で使える。
このほか、機械学習によって、ユーザーが描いた絵をコンピュータが学習してインタラクティブに修正してくれるようなシステムも開発している。例えば棒を描くと、その先に何を描きたいのかと、コンピュータ側が事前に蓄積した結果を元に提案してくる。ユーザーはその提案に対して、イエスかノーで答えながら対話的に絵を描くことができる。システムは対話を通して学習を続けていくことで、よりユーザーが使いやすいものへと成長する。
また、「Teddy」という手書きで簡単に3次元モデルを創れるシステムも五十嵐氏の代表作だ。だがこれは、モデルを回転させながら必要なところを描いていくことが必要で、馴れないと使いこなすのは難しかった。そこで五十嵐氏らは、一方向から見た2次元の絵に対して、3次元情報の註釈をつけるだけでより簡単に3次元モデルを適切に描画してくれるシステムを開発した。2次元のプリミティブに対して、3次元情報のアノテーションをつける。例えば「この半円は円柱だ」といった情報をつけることで、3次元にしてくれるのである。
結んだヒモのような柔軟物体を描くためのシステムも開発した。3次元物体のヒモ、例えばネクタイのようなものが折り重なっている例を考える。折り重なり方を入れ替えるのは従来の方法では面倒だったが、五十嵐氏らが開発したシステムを使えば、ワンクリックだけで入れ替えてくれる。結び目もワンクリックで入れ替えられる。
人間の動きを取り扱うためのソフトウェアも開発している。例えば、人間の動きを棒人間で可視化して、適切なデータを検索してくれるシステムは、スタジオで撮影された膨大なモーションキャプチャーデータを検索するためのものだ。
モーター付きの人形(ロボット)を動かすことでCGキャラクターを動かすシステムも開発している。もっとも大きな特徴は「データドリブン逆運動学」という機能だ。人間の自然な動きをデータとして持っていて、全身の姿勢を創ってくれる。例えば床上のものを拾う動きを創るためにロボットの指先を引っ張って動かすと、そのままだと単に手が下がるだけだが、実際の人間は膝を曲げる。このシステムは事前に集めたデータを元に、自動でそれをやってくれる。つまり、3次元キャラクターのポージングを、指先を引っ張って動かすだけで、ごく自然な動きにしてくれるというシステムである。なおこのシステムのメイン開発者である吉崎航氏は、最近は巨大ホビーロボット「クラタス」でも有名だ。
続けて招待講演者として東大工学部出身で、Webデザイナー、インターフェイスデザイナー、映像ディレクターとして著名なデザインスタジオ「tha」の中村勇吾氏が「映像/アニメーション/インターフェイス」と題して登壇した。最近の作品では『INFOBAR A01』のインターフェイスなどで知られる中村氏は「アニメーションとは動きそれ自体と、背後にある原動力や文脈の関係性を設計するもの」だと述べ、Webサイトやインターフェイスに凝った自身の作品を実際に実演しながら、「人の試行錯誤過程も作品として成立する」と語り、ユーザーインターフェイス的なアニメーション、環境映像的なアニメーションの可能性を示した。デザインは実際に使われる用途の文脈のなかで、使い分けられるものだと述べた。
また、これまでに制作した各種WebサイトやwonderwallのWebサイトやスクリーンセイバー、製作に携わっているNHK ETV(NHK教育)の「デザイン『あ』」という番組の一部を紹介。昔ながらのコマ撮りのストップモーションアニメーション手法で創られた映像を示して、コンピュータ云々は無関係にとにかく「がんばる」ことも大事と語り、会場を沸かせた。「垂直的な展開」に対して「水平的な展開」に注力しているという。
この後のディスカッションでは五十嵐氏からの「ユーザージェネレイテッドコンテンツはいろいろあるが、インタラィティブ・コンテンツは皆が作るようになるのかならないのか」という問いに対して、中村氏は「インタラィティブコンテンツは作る対象としてはキャッチーではない。プログラミング自体も抽象思考が必要で、その入り口に興味を持つか持たないか、そこはだいぶ深い溝ではないか」と答えた。また、中村氏は「美学が感じられる美しいデモが見たい」と語り、それには「自分が創ったものがどう見えるか計算」が必要なのではないかとコメントした。
下は中村勇吾氏の作品の1つ、「DROPCLOCK」。
パネルセッション2:モノを創る
筑波大学大学院システム情報系 准教授の三谷純氏は「エンドユーザーによるモノづくりのためのインタラクション」と題して、生活支援デザインに関する研究成果を発表した。目的は「誰もが簡単に欲しいものを絵を描くようにデザインできて、実際に手に取ることができる、そんな未来を実現するために何ができるか」。そのために、直感的なユーザーインターフェイス、試行錯誤できるな対話的操作を可能にするリアルタイム処理、使えるものを実現するための物理シミュレーション、自動的な制約充足、制作のための部品図や組み立て指示書の自動出力などを考慮に入れて5年間のプロジェクトを進めてきたと語った。
三谷氏は、物理現象をコンピュータで予測し、ユーザーにフィードバックすることを試みたシステムの代表例として「鉄琴のデザイン」を挙げた。与えられた鉄板を叩いたときにどんな音がなるか予想することは難しい。だから市販の鉄琴は長方形だ。だが物理シミュレーションを行なえば、形状のデザインを行ないながら、ある程度自由な形状の鉄琴を創ることができる。
鉄琴デザイン同様に有限要素法を活用したシステムの例が、インタラクティブな服のデザインによる型紙の自動デザインだ。人間が着たときにどのようにしわが寄るのかをコンピュータで予測させることで、しわの寄り方を見ながら、型紙を編集できる。人間だけではなく、経験が使えない任意の形状、例えばフィギュアや動物などに着せる服のデザインにも応用可能だ。
剛体シミュレーションをと形状デザインを組み合わせることで、実際にモノを動かしたときにどうなるかをシミュレーションしながら、物体のデザインを行なうこともできる。例えば「ピタゴラ装置」のような、これまでは物理的なモノをあれこれと組み合わせて試行錯誤しなければならなかったキネティックアートが、コンピュータの上でできる。将来どこに行くかの「キーポイント」もユーザーに示してくれる。
同様のアプローチで、スケッチ操作で椅子を創ることもできる。人間の身体と椅子を物理シミュレーションで動かしながら、状況に合わせた椅子をデザインできる。写真の上に絵を描くだけで、欲しいものをコンピューターが支援して、目的の物体を創るための部材を出力するシステムも開発した。机の上の棚や、ティーポットのフタなどを作成してくれるというものだ。
このほか、3次元CGと物理的なモデルのマネキンを組み合わせることで、実際のマネキン上で操作を行なうことで、コンピュータの中で服をデザインできる例や、ARを使って、実際にある部材をひな形として用いながら、物体を仮想的にデザインする事例も紹介した。
三谷氏は、物理シミュレーションの統合、制約の充足、実世界情報と統合した新規なインターフェイスの3つだけではなく、特に、未来に、実際に創ってみたらどうなるかをユーザーに提示しながら創れることが大事なのではないかと述べた。
セッション1と同様、続けて招待講演者として、アンズスタジオ代表で豊橋技術科学大学 人間・ロボット共生リサーチセンター研究員の竹中司氏が「建築におけるコンピュテーショナルデザイン」と題して、建築の視点から、コンピュータを用いた「関係性のデザイン」について講演した。竹中氏らが手がける「コンピュテーショナルデザイン」とは、単に形状をデザインするのではなく、まず周囲の環境とものとの関係性を考えて、その関係性を実現するために、数値解析やアルゴリズムを使って実際の物体をデザインするという手法だ。
竹中氏は最初にスペインにあるビルバオ・グッゲンハイム美術館の写真を示し、建築家は頭の中にある建築イメージの完成形の形の模索してきたと話を始めた。一方、今興味があるものとして鳥の群れの自発的な構造生成を示し、それぞれの関係性から「かたちの振る舞い方」をデザインすること、それがコンピュテーションの中で最も魅力的なのではないか、と語った。
例えば、葉っぱのような形状を作ることを想定すると、1つ1つ細かくクリックしながら形状を作っていくこともできるが自然界はそういうことはしてない。同様に、コンピュータを使えば、限られた点を指定して、その点同士の振る舞いを規定するだけで、形状をデザインすることができる。同様に、サークル・パッキング(円充填)のような作業を人間が1つ1つやることはない。数学が使えるからだ。このように手の仕事を超えてデザインしていくことがコンピュテーショナルデザインなのだという。
竹中氏はコンピュテーショナルデザイン建築の具体事例を3つ紹介した。「小学館 神保町3-3 ファサード計画」、「ソニーシティ大崎 ランドスケープ計画」、「嬉野市社会文化体育館コンサートホール」だ。
「小学館 神保町3-3 ファサード計画」では、木漏れ日という現象をいかにしてデザインするかがポイントだったという。竹中氏らは風や光を感じながら、植物の印象を持つような乱数をデザイン。落ちてくる光の量をとって、それを建物のファサードにした。それをデジタルファブリケーションの手法を用いることで、アルミのパンチングで作成した。パンチングといっても、単に同じ穴を開けるのではなく、9段階の穴を開けることができるのだという。これによって木漏れ日を表現した。つまり、パネルを単に作るのではなく、そこで起こる現象をデザインすることを目指したわけだ。
「ソニーシティ大崎 ランドスケープ計画」では、「いかにして都市に自然を感じる森を生成するか」が目的だった。建築物に付随しているものなので、自然にある森ではなく、木の数も決まっている。そこで木の関係性をかたちにするためにリサーチを行ない、「種まきプログラム」を使って絞り込みを行なって、自然と生まれるであろう人の動線と植物の根の干渉が最小になるところを未知として、植栽図をコンピュータで生成した。すべてデータで、アルゴリズム化されており、人工に創られているが、自然に近い森ができあがったという。ちなみにこの「森」は今はまだできたばかりだが、今後成長することも考慮されている。
「嬉野市社会文化体育館コンサートホール」は現在進行形のプロジェクトで、「いかにして折り紙で良い音の音響ホールを造るか」が目的だった。そこで折り紙プログラムと幾何音響を使って、良い音を観客に届けることができるホールを、反響音シミュレーションなども行なって、反射音が均一分布する折り紙ホールを造った。音のばらつきを均一化するのだが、そのためにポアソン分布とカイ二乗検定のような統計的手法を使って最適化を実行した。
竹中氏は自身の活動の一環として、豊橋技術科学大学 人間・ロボット共生リサーチセンターでの「次世代型知能化空間」、ロボットハウスを作るための次世代の木造建築「モノコック型木加工技術」というプログラムについても紹介した。「壁の中の力のふるまい方をデザインする」とし、強度解析とCNCを使って木材の部材を独自に作成しており、例えばものすごく軽くて風や光も通るが、必要な部分の強度は十分、といった木材が実現できるという。これら全てが一連の過程が、コンピュテーションデザインの可能性なのではないかと述べた。
竹中氏はプログラム自体も一品物として自作しているという。このあとのディスカッションでも、プログラムを作ることからデザインが始まっていると語った。コンピュテーショナルデザインの一番のポイントは、「変化に対応できるデザイン」であるというところだという。これまでのデザインは完璧なもの、確実なものを創ろうとしていたが、単に自動化されてエンドユーザーが便利になるのではなく、それぞれがどういう関係を持つのかを考え、ユーザーがどう感じるかも含めてデザインしていかなければならないと述べ、「コンピュータでしかできないような、手の延長にあるものづくり」について語った。
パネルセッション3:機能を創る
ロボットに対する操作インターフェイスにはまだ決定版がない。慶応義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の稲見昌彦氏はロボット操作のためのユーザーインターフェイス、ならびに、ロボットを通じて実世界に働きかけるためのインターフェイスの研究について発表した。
稲見氏は、天井カメラとマーカーによる物体認識とテーブルトップインターフェイスで家電をコントロールする「CRISTAL」、ICタグを使ってスイッチを自在に組み合わせることができるインターフェイス「Push-pin」、またアクチュエータのついたロボティック照明を使って部屋の一部分だけを照明するためのタッチインターフェイス「Lighty」などを立て続けに紹介。
さらに電子レンジにディスプレイをつけて、調理を待ってる間にあわせた長さの動画を出す「CastOven」、カメラ付きの扇風機で部屋のなかの任意の場所にのみ風を送ったりして、風の送り方をコントロールできる「AirSketcher」、デジタルレシピと連動して料理のときに適切な分量だけすくえるようスプーンの計量単位自体をコントロールする「Smoon」などを続けて紹介した。一部は将来、実際に生活の中に入り込んでくるかもしれない。
ロボット操作については、ロボットに「ここ」や「そこ」のような任意の場所に関する操作指示を与えるための2次元コード「MagicCard」、洗濯物を折り畳み方を指示する「Floldy」、食材の入れる順番や火力調節などのレシピをロボットにGUIで伝えるための研究「Cooky」などを紹介。これらのいくつかはYoutube等で話題になったりTVでも紹介されたことがあるので見たことがある人も少なくないと思う。
すべてをロボットあるいは人がやるのではなく、人と機械が互いに助け合いながら作業をするというのがコンセプトで、つまり「自動化」ではなく「自在化」だという。かゆいところに手が届くように、自在に操るためのインターフェイスだ。やりたくないことは自動化、やりたいことは自在化と考えているそうだ。
セッション3の招待講演者は岐阜県大垣市にあるIAMAS(情報科学芸術大学院大学准教授で、『Prototyping Lab 「作りながら考える」ためのArduino実践レシピ』(オライリージャパン)などの著作がある小林茂氏。プロトタイピングのためのツールキット「Gainer」や「Funnel」などで知られる「ツールキットデザイナー」の小林氏は「フィジカルコンピューティングとその可能性」という演題で、主に異なる職能を持つ人たちの共通言語としてのラピッドプロトタイピングという観点から講演した。
今はインターフェイスによって実現するインタラクション、そのためのラピッドプロトタイピング、ファブリケーションをやりたい人は自前で行なえる時代になっている。GUIだけで完結しないものを作ろうと思ったらハードウェアに手を出さなければならない。だが、今日の機械は形と機能がイコールではない。よってデザイナーは単に形をデザインするだけではなく、インターフェイスやインタラクションまで考えてデザインしなければならない。そのためにプログラミングや電子回路の知識が不可欠となっており、そのための学びの方法として「フィジカルコンピューティング」が1つのヒントになっている。
小林氏によればフィジカルコンピューティングとはインタラクションデザインを教えるためのメソッドの1つであり、コンピュータの原理原則を学びながら、既存の枠組み、既存のコンピュータ・インターフェイスに囚われず、もう一度人間とコンピュータの関係性を考え直すための方法であるという。プロトタイプを繰り返し何度もつくる過程を通して、身体感覚として共通言語として身につけることができるものだという。小林氏が中心となって開発した、センサやアクチュエータをPCに接続できるオープンソースのソフトウェア&ハードウェア「Gainer」などはそのためのツールキットの1つだ。
小林氏はこれらツールキットを使って、IAMASでの学生たちの中から生まれてきたコラボレーション作品をいくつか紹介した。最初に紹介された「アクション! ゆびにんぎょう」は、プログラミング経験は少しあったものの電子工作や3DCADの経験はなかった学生が、スキル獲得も含めて6カ月で開発したというアプリケーションで、靴の形をした小さな指人形だ。かかとと爪先にそれぞれセンサーがついている電子楽器で、どの部分を接地させたか、あるいはどのように離したかによって、ゲーム音楽のSEのような愉快な音が鳴る。楽しいインタラクション作品である。
これがアイデアスケッチの段階から、アイディアを等価に見せるためのスケッチの描き方のルール、学生たちによる評価と投票、ダミーを使ってSEを後入れするビデオスケッチ作成、ブレットボードなどを使ったハードウェアスケッチ、プロトタイプ製作へと発展していく過程を紹介。IAMASで小林氏がどのような過程でものづくりを教育しているのかを具体的に解説した。
次に紹介された「エスパードミノ」というArduino Fioを使った作品は、ネットワーク通信を可視化するというコンセプトで作られたもので、数字が表示されたとおりの順番でドミノが勝手に倒れていくというもの。これが見ると実に面白い。
だがアイデアを聞いた段階では小林氏自身も、そんなの面白くないんじゃないかと思ったという。やはり実際に作ってみないと分からない感覚はあるのだ。
3番目に小林氏が紹介したのは、IAMASメディア表現研究科の古山善将氏が開発した「指カメラ」。これは文章で説明するより見てもらったほうが早い。アイディアをプロトタイプとしてつくって、世の中に出して、レスポンスを世間からもらうことが大事だと述べたあと、IAMASでの「f.Labo」というものづくりのためのオープンな拠点を紹介した。レーザーカッターや3D切削加工器、3Dプリンタなどを使うことができるそうだ。
ディスカッションでは、稲見氏は「ニコニコ学会」などを例に「設計されたゆるさ」や「補助線」のようなものが必要なのかもしれないと述べた。イノベーションにつながる種はあちこちにあるのではないかという。また、ものを作っている手段自体をデザインすることはできないかと示唆。小林氏は、「文化としてあいだの状態が創れないかと考えている」と述べた。
最後に五十嵐氏は、プロジェクト全体を振り返り、技術によって便利になって何も考えず使うだけではなく、能動的に技術を使いこなしていくほうが楽しいということを伝えられるプロジェクトを目指したかったと語った。
パーソナル・ファブリケーションが持ち上げられる時代が到来している。ただ、コンピュテーションを利用したパーソナルなものづくりと一言でいっても、この日の成果発表会の内容を振り返るだけでも、実に幅広く、ずいぶんと奥行きがある。コンピュータの可能性の広さを反映したものだろう。
いずれにしても、これまでもアイディアを具現化すること、ものづくりが好きな人は変わらず創り続けるだろう。基礎ツールができてハードルが下がったからといって、そういう人が増えるかというと、個人的にはやや疑問だ。これまでどおり、創る人は創る、創らない人は創らないかもしれない。ただ、日曜大工のような単純な作業においても、普通の工具しかないのと、電動工具を使うのとではラクチンさや快適さが全く違う。それと同じようなことはあるのかもしれない。
また、現代においては、創る人と消費する人のあいだにも、実のところはそれほどくっきりとした二分線はないようにも思う。あいだはグラデーションだろう。どちらかしかいないよりは、さまざまな人がいるほうが豊かな社会であるようにも思う。