森山和道の「ヒトと機械の境界面」

リビングが研究開発やデータ計測の場所に? 生活者を巻き込んだ共創へ

~「リビングラボでつくる未来の生活空間」レポート

 慶応義塾大学の日吉キャンパスで3月2日、同大大学院メディアデザイン研究科(KMD)による研究内容公開「KMD RealProject Showcase」が行なわれた。そのプログラムの中にあった、「リビングラボでつくる未来の生活空間」というパネルディスカッションが目に留まった。「リビングラボ」とは「生活で使うものを生活者と研究者が共同して生活空間で作る」というビジョンの研究の枠組みだという。何より「リビング」という生活空間で創るというコンセプトに惹かれて、関連展示「RealityMediaが創る未来の生活空間」と合わせて訪問してみた。

関連展示「RealityMediaが創る未来の生活空間」の様子。未来のリビングを想定した空間に稲見研究室の研究展示が並んで体験できるようになっていた。なお各研究の詳細については稲見研究室のサイト等をご覧頂きたい

生活者と研究開発者の壁を取り払う「リビングラボ」

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授 稲見昌彦氏

 まず最初に、モデレータを務めた慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授の稲見昌彦氏が、最近の研究を交えて今回の趣旨について解説した。光学迷彩を使った「透明プリウス」そのほか色々な研究で著名な稲見氏だが、今回のパネルでは、最近は、「柔軟物コンピューティングの基礎研究」、すなわち「家庭内の柔らかいものを介した情報環境とのインタラクションの研究を行なっている」と話を始めた。

 PCやタブレット、ケータイなど、多くのインタラクションを行なう物体は「硬い」。だが「柔らかい」ものは乱暴に扱っても壊れないし、人をリラックスさせる。そしてリビングにはクッションやソファなど柔らかいものが多い。生活空間そのものをインターフェイスとして扱うならば、柔らかいものを介してインタラクションできると都合がいいということになる。

 稲見氏は、クッションをインターフェイスとして使える「FuwaFuwa」、電子レンジでチンするポップアップカード「POPAPY」、3D物体の上にプリントしたり自在に消したりできる「Shader Printer」などを紹介。プライベートなリビングを研究ターゲットにしたいと述べ、これまでのようにモノを作ったあとに使ってもらってフィードバックをもらうのではなく、生活空間そのもので研究開発ができるようにしてしまおうというコンセプトとして「リビングラボ」を紹介した。最近、誰もが創ることを目指したファブラボなどのコンセプトをよく耳にするが、「リビングラボ」は生活空間そのもので開発を行なおうというもので、ヨーロッパや米国では試みがあるものの、アジアではまだあまり行なわれてないアプローチだという。

 稲見氏はこのほか、物理学者のマイケル・ファラデーを例に出して科学と生活を繋げることの重要性を語り、最近の分子調理法を例に、組み合わせで誰も創ったことがない機能を生み出すシステムインテグレーションは料理そのものだと述べた。家庭において料理はもっとも身近なものづくりでもある。だが日本の場合、家の生活空間を自作していく人はあまりいない。だが日本の家屋にかつてあった土間は、料理だけではなく、農機具を作る場所でもあった。現代も、そういう場所を生み出すことができるのではないかと述べた。

リビングラボの狙い
欧米では既に行なわれている試み
ファブラボとリビングラボの違い
ちなみにこれが「透明プリウス」。クルマ自体はレンタカー
車体後部にカメラ
再帰性反射材とハーフミラーを使って後ろを見ると外が透けて見える

「使用価値」の高い製品を生むために

産総研デジタルヒューマン工学研究センター センター長 持丸正明氏

 独立行政法人産業技術総合研究所(産総研)デジタルヒューマン工学研究センター センター長の持丸正明氏は、デジタルヒューマン研究センターの紹介とコンセプトから話を始めた。「デジタルヒューマン研究センター」ならびに持丸氏には、この連載の中でも何度か登場して頂いているが、再度説明すると、「デジタルヒューマン」とは、モデル化してコンピュータで扱えるようにした人間データのことである。今は工業製品はいずれもコンピュータ内でモデルが製作されているが、使用者である人間そのものが実は一番良く分かってないところだ。そこで人間も丸ごとモデル化してしまい、製品と同じくらいのレベルまで理解しよう、モデルを一緒に動かしてみて調べよう、という試みである。

 産総研では「Dhaiba(Digital Human Aided Basic Assessment sysytem、ダイバ)」というヒューマンモデルデータを作って公開している。厳密なデジタルマネキンだ。このモデルを使って、クルマなどはもちろん、アパレルなどの設計に応用するのだ。人間の体型は多種多様のように思うかもしれないが、実は主成分分析で圧縮すると15の主成分にまで圧縮することができ、それだけで個別の人に適応したモデルを創ることができるのだという。飛距離が伸びるゴルフシューズの製作などに既に応用されている。

デジタルヒューマン「Dhaiba(ダイバ)」
アパレルやクルマの設計に応用されている

 メーカーとの共同研究も多いが、持丸氏によれば、デジタルヒューマンセンターに相談に来る企業と来ない企業があるという。具体的には、たとえばデジカメやテレビのように画素数や処理速度などで競っている「性能価値」が問われる成長市場のメーカーは来ないが、靴やグローブや眼鏡など「使用価値」が問われる成熟市場製品のメーカーは来るのだそうだ。使用価値が問われるということは、価値は生活で決まるわけだから、ものだけ考えていてもだめで、価値を上げるためにはどのように使われているかを知る必要がある。持丸氏らにとっては、その使用シーンを知るための場所が「リビングラボ」だという。

 性能価値市場の場合は、ユーザーも最新機能を使うのが楽しいので、とにかく高性能の製品を作ればいい。一方、生活者が主導になってくると、生活者はあまり機能がありすぎても使いこなせないので売れない、そこで販売店がメーカーに対してより大きな力を持つようになる。一方使用価値とは、要するに使った時、使われ方によって製品の価値が決まる商品である。製品がどのように使われているのか、ユーザーの同意を得て正しく把握することができるようになれば、販売店は適切な商品提案や売り方ができるようになるし、メーカーもユーザーの使い方を想定したものづくりができる。そのためには、実際にどう使われているかが重要だ、というわけだ。

性能価値が問われる製品と使用価値が問われる製品群
使用価値の時代へ

 これまでの大量生産にも恩恵はあった。だがその中でいかに価値を高めるか。生活者の多様性には、4種類あると持丸氏は分類した。身体機能、使い方、生活様式、価値認識の多様性だ。後者になればなるほど文脈依存性が高く、より生活空間に溶け込んだものだ。それらをそれぞれ把握するためには、別個のアプローチをとる必要がある。生活に密着した空間でそれらのデータを取る為には、各々別個のインターフェイス機器も必要だ。価値認識のようなものを把握しようと思ったら、生活の中に溶け込んだ装置も必要になる。

 また、同じようにデータ提供のかたちで協力するといっても、各レイヤーごとに、生活者とメーカーの関わり方も変わってくる。「ものづくり」に参加するといっても、自分自身で手を動かさなくてもいいのだ。生活者は、自分自身のデータをメーカーに提供するというかたちで、十分に貢献できるのである。たとえば自分の身体サイズを匿名で提供するのも、ものづくりへの参加なのだ。「クックパッド」のようなユーザーが自作料理のレシピを投稿するサイトは使い方のデータを提供していることになる。Twitterのつぶやきもそうだろう。生活者から自発的に提供され始めている膨大なデータを、彼らの合意の上で、どう見てどのように活かすかが、今のメーカーには既に問われ始めている。データそのものではなく、それを活かせる形でサービスに組み込むコンテンツが必要だという。

生活者の多様性の分類と把握方法
生活者がメーカーに提供する情報とメーカー側の取り組みのあり方
デジタルヒューマン研究の基本的流れ

 持丸氏は例として、アシックスによるシューズ設計の例を出した。同社では一部店舗で足を精密に計測し、カスタマイズした中敷を作ってくれる。靴そのものは大量生産品だが、中敷だけなら適切なコストでカスタマイズできるのである。こうすることでぴったりの中敷ができ、ユーザーは喜ぶ。そして同時に、同社は年間10万足の足データを集めることができる。それをもとにベースの靴の金型を改良することができる。つまり、ユーザーが参加すればするほど、自分たちにとってもぴったりの靴ができることになる。

 このほか、グンゼが販売している締め付け力を適切にコントロールする「コンプレッションウェア」の開発でも、店舗でデータをとることは行なわれてないものの同様の試みが進められており、データは量産に活かされているという。このように、ものづくりとサービスの枠組みがうまく回ると、生活者視点で見ると、自分が提供した個別のデータそのものは自分のためだけに活かされるにも関わらず、統計処理した結果はめぐりめぐって自分のためにもなる、ということになる。

 人体のモデルを製作するためには、これまでは、ラボの中に人を連れてきて、ものすごく高価で、かつ扱うのにも大変な計測機器を使う必要があった。持丸氏らは「F1」と揶揄していたそうだ。だが機械本体が安くならなくても、アルバイトが扱えるくらいの簡単操作が可能になれば計測器を実店舗に入れることができるようになる。そうすると数十万の単位で膨大な量のデータが集まってくるのである。それがさらに、「生活空間」に入ろうとしている。各種センサー類の価格が劇的に下がる時代になってきたからだ。持丸氏らが学生時代は一軸100万円単位だったジャイロは今や皆が持つケータイの中に入り、ネットワークに繋がっている。数億、数十億のデータを集めることが可能な時代になっている。いわゆるビッグデータである。

アシックスのシューズの例
グンゼのコンプレッションウェアの例
人間のセンシングが店舗から生活空間に入ろうとしている

 持丸氏は慶応理工学部・青木義満研究室との共同研究である体型の簡易測定技術や、人の歩き方の測定技術などを紹介。いずれも将来は、ごくごく簡単な機器でパパッとデータを取るだけで、個別のモデルを構築できるようになるという。そうすることで、例えば、もっと美しく歩くためにこうしたほうがいい、といった提案もリアルタイムに近い形で可能になる。測定技術が店舗ではなく生活空間に入ってくるとはそういうことだ。

 また、実際の生活者の普通の状況が分かるようになると、もっと色々なことも可能になる。製品はメーカー想定用途のまま使われるわけではない。本当の使われ方が分かることにより、使用価値の高いデザインが可能になる。サービス工学の観点からの整理すると、世の中のモノが価値を持つには4つくらいの型があるという。1)ルーチン型、2)イベント駆動型、3)時空間駆動型、4)コミュニティ型。ほとんどの製品は、こうしてこうするといった順番に従うことで価値・意味を持つルーチン型に分類される。イベント駆動型や時空間駆動型、仲間と共有することで高い価値が生まれるコミュニティ型などの製品は少ないので、大きな余地がある。たとえばリビングのいる場所や時間、あるいは誰といるかによって、どのように価値が変わるのか。それを知ることができれば、新しいサービス、プロダクトを作ることができるという。

簡易体形計測システム
簡易歩容評価システム
歩行のコーチングなども可能に
使用価値の4つの分類とそのために必要なインターフェイス

情報を「道具的」に扱うために

渡邊恵太氏。4月からは明治大学 総合数理学部 先端メディアサイエンス学科講師

 4月から明治大学先端メディアサイエンス学科講師として着任予定の渡邊恵太氏は、日常体験の機構をどうするかに興味をもって研究してきたという。渡邊氏はこれまで開発してきた、デジタルレシピに応じて変形する調理デバイス「Smoon」や、デジタルカタログから自動的に選択した家具の長さに合わせた紙テープを切ってくれる「LengthPrinter」を紹介。インターネット上のデータが実世界に対してまだ間接的なので、それを日常生活に結びつけて、もっと可能性を広げたいと考えていると述べた。つまり現状では人間が頭の中で変換しなければならないが、それをもっと自動でできるのではないかという視点だ。

 また、今までは1つのデバイスやサービスが人の時間を拘束するシングルインタラクションが主流だった。だがこれからはパラレルインタラクションの世界になると述べ、1つのモノがユーザーの時間を拘束するのではなく、ながらが当たり前になると語り、レンジでチンする間に合わせた動画をYouTubeから自動再生する「CastOven」を紹介した。

 また、プリンタの機能的限界を超えるアプローチとして、印刷時にBGMを鳴らす「ハッピープリンター」なども紹介。今後の構想として、実験的なインターフェイスを組み込んだホテルのような、滞在型の実証実験プラットフォーム、さらに「ものづくりがどうでもよくなるくらい」高速なものづくりプラットフォームなどの取り組みを行ないたいと述べた。なお、渡邊氏の研究については本誌でも何度も紹介させて頂いているので、詳細を知りたい方は検索して頂きたい。

情報をより日常に溶け込ませて道具的にしていきたいという
これからはパラレルなインタラクションが普通になる
「住めるテーマパーク」が将来目標

他人の暮らしを知る

慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 特任助教 瓜生大輔氏

 慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科 特任助教の瓜生大輔氏は、最初に人の風俗が克明に描かれている国宝「洛中洛外図屏風」を紹介。「なぜ、デザイナーは人が暮らす様子を知る必要があるのか?」というメッセージを繰り返し提示しながら講演を行なった。瓜生氏が手がけているのは「供養の儀礼のデザイン」。3年前に製作された「ThanatoFenestra」という作品を紹介した。これはロウソクの温度や光の動きをセンシングして、そのデータを写真表示に反映させるというもの。人の生活に根付く道具にしたいと考えており、そのために人が暮らす様子を知るための旅をしていると述べた。

 日本の中でも仏壇のありかたは人の住まい方によってそれぞれで多種多様である。同様に、瓜生氏はネパールのカトマンズでの火葬の様子、シンガポールのヒンズー教寺院、中国仏教寺院、ビルの中の公共スペースの祭壇、KMDとNAISTですすめている東大寺のデジタルアーカイブプロジェクトなどさまざまな例を紹介し、身近なものでも意外と知らないことを指摘した。「生活者に質問しない」という手法でできるだけ知るように努めているという。

 そして講演中何度も繰り返し提示された「なぜ、デザイナーは人が暮らす様子を知る必要があるのか?」という問いについては「私たちは他人が本当にどのように暮らしているのか知らないから」だとし、他人のことを知るための旅を続けたいと述べた。

「ThanatoFenestra」
カトマンズでの火葬の様子
「私たちは他人が本当にどのように暮らしているのか知らない」

 この後のパネルディスカッションでは、家庭のリビングだけではなく会社など仕事場での可能性や、複数のプレイヤーが関わる持続的なエコシステムとしての「リビングラボ」の重要性、場所の文脈と製品の関係などについて、ごく短時間ではあるが議論が行なわれた。特に場所の問題については、生活空間の中のモノにはたいてい置き場所が決まっていることが多いが、それを一度取っ払ってみることで面白い可能性が切り開ける可能性は高いだろう。典型例が電話であることは言うまでもない。特にお風呂場などにはかなり面白い可能性が眠っていると思う。

 また、今回「土間」という話が出たが、筆者は以前から、土間がシステムキッチンやリビングになったときと同じくらいの変化は、これからも十分起こり得ると思っている。既存の物品の再発明、異なる組み合わせの妙から、新たな生活空間の創造が生まれることを期待しているし、それにこれからの生活者として参加したいと思っている。面白い時代が来ようとしていることを感じさせるパネルディスカッションだった。

(森山 和道)