■元麻布春男の週刊PCホットライン■
1. iTunes
2. Wal-Mart(Walmart、Walmart.com、Walmart Music Downloads)
3. Best Buy(Best Buy、Bestbuy.com、Best Buy Digital Music Store)
4. Amazon(Amazon.com、AmazonMP3.com)
5. Target(Target and Target.com)
これは2008年8月に米市場調査会社のThe NPD Groupが発表した、米国音楽販売店のベスト5だ。1位のiTunesと4位のAmazonは説明不要として、2位のWal-Martと5位のTargetは総合スーパー、3位のBest Buyは全米最大手の家電量販店チェーンである。
残念ながらこれより新しい資料が簡単には見つからなかったため、1年ほど前のデータになってしまったが、筆者の感覚では1位であるiTunesが2位との差を開き、4位のAmazonがもう少し上にきているのではないか、と思っている。それだけ米国における音楽CDの店頭流通は痛んでおり、回復できない水準に達してしまったと考えているからだ。
この6月米国を訪れた際に驚いたのは、大手CD量販店の1つであったVirgin Mega Storeが米国から撤退していたことである。最も良く知るSan FranciscoのVirginは、市内を貫くMarket St沿いで、Apple Storeのほぼ向かいというロケーションにあった。Apple Storeが立地条件を選んで出店していることを引き合いに出すまでもなく、かなり良い場所だ。そこで3フロアを占めていた大型店が消え、がらんどうになっている、というのはかなりショッキングな出来事であった。
さらにその1週間後、San JoseのSantana RowにあるBest Buyに行ってまた驚くことになる。CD売り場は棚に空きスペースが目立ち、店員の目配りが十分だとはとても思えなかったからだ。元々家電量販店だけに、CD売り場がそれほど充実していたわけではなかったが、それでも同業他社に比べれば、まだ見やすい売り場構成だったと記憶する。それがすっかり荒廃していたのである。これは同じ店内のBlu-rayコーナーと比べても明らかで、Blu-rayの方がまだきちんと棚が構成されており、売り場は「生きて」いた(CD流通が完全に死んでしまった後も、Blu-rayというパッケージが生き残れるのかどうかは疑問だが)。
断っておくがSantana Rowというのは、決して場末のモールなどではない。グッチやバーバリーも出店する、ちょっと高級なショッピングモールだ。しかも道を挟んだ向かいはWestfield Valley Fairというシリコンバレーエリアでおそらく最大のモールがあり、ここにはやはりApple Storeが出店する。そんな好立地のBest Buyですら、CD売り場は酷いことになりつつある。
実は同様の印象をSan Francisco市内の書店(Borders)にあるCDコーナーでも筆者は感じていた。そして下した結論は、米国では音楽CDというパッケージメディアそのものが、今まさに死んでいこうとしているのだ、というものである。
●専門店の売上げは総合スーパーに奪われていない2004年に1度目の、そして2006年8月に2度目の破産申請を米国のTOWER RECORDSが行なった際に一部で言われたことは、総合スーパーであるWal-Martや、大手家電量販店チェーンであるBest Buyのような、より規模の大きなディスカウンターに顧客を奪われて、TOWER RECORDSは立ち行かなくなったのだ、ということだった。
しかし、筆者はこの説に違和感を感じていた。筆者は今でも月に5~10枚程度CDを購入するし、最低月に1回はコンサートやライブハウスに足を運ぶ。それでも総合スーパーであるジャスコやヨーカ堂、あるいは最大手の家電量販店チェーンであるヤマダ電機で音楽CDを買うことはない。多少安いからといって、専門店でCDを買っていた消費者が総合スーパーに流れることは考えにくい。専門店で売れるCDと総合スーパーで売れるCDは、別物であり、専門店で売られていたCDの多くは総合スーパーや家電量販店の棚には、そもそも並んでいないからだ。
おそらく総合スーパーや家電量販店で大量に売れるのは、「崖の上のポニョ」のサントラであったり、Miley Cyrus(ディズニーのティーン向けドラマで主役のHannah Montana役を務めた)のCDなのだろうと思う。それはコンテンツとしての優劣というより、対象とするオーディエンスの違い、お母さんにCDを買ってきてと頼む、あるいはお母さんといっしょにCDを買いに行く層(子供)が主な対象になっているかどうかだと考えている。この市場の潜在的な大きさは、「黒ネコのタンゴ」、「およげ! たいやきくん」、「だんご3兄弟」などが歴史に残る大ヒットとなっていることを考えれば不思議ではない。
逆に1人で音楽を選び購入する層、あるいは音楽ファンにとって、総合スーパーや家電量販店のCD売り場はそれほど楽しいところではない。品揃えに制限や制約があるだけでなく、売り場担当者の意志のようなものを感じることができないからだ。書店では、商品である書籍をどう並べるかということについて「棚を作る」といった言い方をするが、同じことが昔のレコード、今のCDにも当てはまると思う。棚がちゃんと作られていないショップは、ファンにとって居心地が良くないのだ。しかし棚を作れるCD専門店は、少なくとも米国においては、もはや絶滅危惧種である。音楽販売のランキングで総合スーパーや家電量販店が台頭したのは、専門店の売上げが総合スーパーに奪われたからではなく、専門店の売上げが減少した結果、あまり影響を受けていなかった総合スーパーや家電量販店の売上げが目立ったからではないのだろうか。
●アルバムがなくなるかもしれないこのようにCDの店頭流通を追い詰めているのは、音楽のダウンロード販売だろう。ランキングのトップをiTunesが占めているのはもちろん、ランキングのカッコの内側を見ても分かるように、すべてのベンダーがダウンロード販売を行なっている。レコードやCDというパッケージに代わり、ダウンロードや配信の時代が米国で訪れつつあるのは明らかだ。
それを感じさせるもう1つの事実は、国内ではiTunes Storeに楽曲を提供していないソニーが、米国ではiTuens Storeで楽曲をDRMフリーで提供していることだろう。米国で最大手のiTunesという流通にコンテンツを流さないことは、深刻な機会損失である。すでにAppleはiPodで米国のデジタル音楽プレーヤー市場の7割を占めている(台数ベース、金額ベースならもっと多い)。このプラットフォームに乗らなければ音楽ビジネスが成り立たないのだ。だが、そこで楽曲にDRM(当然AppleのFairPlayになる)を付与することは、iPodの寡占をソニーが強化することであり、自社製音楽プレーヤーの否定にほかならない。
先日もPalmのスマートフォンであるPreとiTunesソフトウェアで同期を認めるかどうかのトラブルが生じた。Appleは、iTunesソフトウェアを用いてPreとライブラリを同期することを拒んでいる。DRMがなくても、最大のシェアを持つ音楽ライブラリ管理ソフトであるiTunesを他社は利用できないというハンデがあるのに、DRMまで付与してしまっては、iPod以外のプレーヤーは可能性を完全に絶たれてしまう。逆に言えば、日本でiTunes Storeに楽曲を提供しないレーベルがあるということは、日本におけるiTunesのシェアが米国ほど高くないということの証だろう。まだ日本ではCDの流通は死に絶えていない、ということでもある。
とはいえ、過去の例から言って、日本市場が何年か遅れて米国市場の後を追う可能性は高い。もしCD流通がなくなってしまうと、その影響はさまざまなところに及ぶ。その最たるものが、これまで音楽流通の主流であった「アルバム」だ。
これまで音楽は、レコード、カセットテープ、CDなど、容器の大きさに合わせて売られてきた。アルバムは30cmのアナログLPの収録可能時間に合わせて、40分~60分ほどの音楽をセットにしたものだが、音楽流通の主流が配信になってしまうと、音楽をセットで購入する合理性がなくなる。リスナーは、自分が聞きたい曲だけ、曲単位で購入することが可能になるからだ。邦楽で3,000円するアルバムの代わりに、1曲150円の配信が主流になれば、音楽会社の売上げは減るに決まっている。音楽配信の利用がいくら増えても、CDの落ち込みをカバーできるハズがない。
7月27日の英Financial Times紙によると、Appleと4大レーベル(ソニー、ワーナー、ユニバーサル、EMI)は、歌詞やライナーノート等のコンテンツを含む「アルバム」の販売を目指しているという。現在のCDに相当する収録曲数をデジタルなアルバムとして販売することで、Appleは売上げを伸ばし、レーベルは売上げの落ち込みをカバーしたいということのようだ。しかし、好きな曲を曲単位で購入可能なことに気づいた消費者が、再びアルバムに戻ってくる保証はない。
音楽を販売する単位としてのアルバムがなくなると、統一されたテーマに沿って複数の楽曲を展開するコンセプトアルバムのようなものは作りにくくなる。また、曲と曲の間に挟むインタールードのようなことも難しい。30秒のインタールードにわざわざお金を払う人は少ないだろうが、インタールードであろうとタダで作れるわけではないからだ。'70年代のロックのように、コンセプトアルバムが主流になる必要はないが、それを許容できないビジネスモデルは、音楽にとって良いことではないだろう。
また、パッケージから配信への移り変わりによる売上げの低下は、現在の音楽産業のあり方も変えてしまうかもしれない。音楽を制作するには、ミュージシャン以外に、スタジオ、エンジニア、スタジオミュージシャン等で構成されるエコシステムが必要だ。劇的な売上げの落ち込みは、エコシステムの維持を困難にしてしまう。エコシステムが失われることによって、ベストセラーを生み出すことも困難になるだろう。
だからといって、何としてもパッケージ流通を守らなければならない、と考えているわけではない。というより、CDを守りぬくことはできないだろうと思っている。パッケージ流通からダウンロード/配信へという流れが不可避であることには、すでにPCソフトの流通という前例がある。フロッピーディスクやCD-ROMで流通していたPCソフトウェアも、今ではダウンロード販売がすっかり主流だ。ブロードバンドの普及が、数百MBのダウンロード販売を可能にしてしまった。OSやOfficeでダウンロードの占める割合は低いかもしれないが、パッケージより圧倒的にプリインストールが多いことは容易に想像できる。
PCソフトもダウンロード販売が主流になることで、平均単価は低下したハズだ。必ずしもその低下分をほかの部分で補えているわけではないだろうが、生き延びているところ、むしろ成功しているところは、パッケージ時代と異なるビジネスモデルを構築したところだ。広告モデルによる無償提供、ゲームのネット課金、サービスに対する課金など、さまざまな形態が発生している。音楽業界は、これらが自分たちにとってどのような意味を持つのかを考え、新しいビジネスモデルを確立することにもっと力を注ぐべきだ。守らなくてはならないのは音楽であって、旧来のビジネスモデル/パッケージビジネスではない。コンテンツを守りつつ、ビジネスモデルは時代に合わせて変えていけなければ、ビジネスモデルごとコンテンツが滅びかねない。そのことにもっと危機意識を持つべきだ。