元麻布春男の週刊PCホットライン

水平分業のPC、垂直統合の携帯電話



 我々が利用するコンピュータは、さまざまな機構がレイヤーを構成している。それをザックリと乱暴に言えば、下からハードウェア、基本ソフト(ファームウェアやOS)、アプリケーションソフト、そしてデータ(コンテンツ)からなる。一般にプラットフォームというのは、フォーカスしたレイヤーより下のレイヤーを全てひっくるめたものだ。データにとってのプラットフォームは、ハードウェアからアプリケーションまでひっくるめたものだし、アプリケーションにとってのプラットフォームは、OSとそのOSが稼働するハードウェアを指す。

 ただし、レイヤーといっても、その境界は決して滑らかなものではなく、結構でこぼこしている。その隙間をハードウェアとOSの間であればデバイスドライバが埋め、OSとアプリケーションの間であればミドルウェアやライブラリ、アプリケーションとデータの間ならリソースといったものが埋めてきた。こうしたもので埋めることで、システムの性能を最大限引き出してきたわけだ。

 その一方で、こうした埋めものでレイヤー間のデコボコを埋めることで、各レイヤー間は自ずと結合されてしまう。データは特定のアプリケーションに依存し、アプリケーションは特定のOSでのみ動作する。OSにはサポートするハードウェアに関して、特定の仕様が存在する、といった具合だ。各レイヤーは一定の独立性を持ってはいるのだが、完全に独立しているわけではなく、依存関係も持ち合わせる。これが今までのコンピューター像であり、今もPCではごく当たり前の姿となっている。

 今、IT業界のトレンドの1つとなっている仮想化は、このレイヤー間のでこぼこを滑らかに磨いてしまおう、というものだと筆者は考えている。レイヤーの境界をツルツルに磨く(完全に抽象化してしまう)と、各レイヤーは今まで以上に自由に動けるようになる。これがコンピューティング環境の維持や保守を容易にすると同時に、効率の改善にもつながる。

 一番良く知られた仮想化は、ハードウェアとOS間の仮想化だ。仮想化ソフトウェア(ハイバーバイザー)を導入して、仮想化ソフトウェアが提供する仮想マシンにOSをインストールする。いや、仮想環境上でOSのイメージを実行すると呼ぶ方が相応しいだろう。仮想化されることで、1つの物理ハードウェアを複数に見せかけたり、複数の物理ハードウェアを1つに見せかけることも可能になる。つまり、上位レイヤーのニーズに合わせて、柔軟にハードウェアを構成可能になるわけだ。こうしたハードウェアの仮想化は特にサーバー分野で普及しており、データセンターの効率化に役立っている。

 基本ソフトウェアに対するアプリケーションの仮想化を推し進めているベンダの代表は、両分野で高いシェアを持つマイクロソフト自身だ。同社はMicrosoft Application Virtualization(App-V)と呼ばれる技術を企業ユーザー向けに提供中である。App-Vでユーザーは、物理アプリケーションをローカルマシンにインストールする必要がなくなる。アプリケーションは、必要なDLLやライブラリと共に仮想的なアプリケーションランタイム環境として実行パッケージが作成され、それをローカルマシン上で仮想的に実行することもできれば、サーバーからストリーミング実行することもできる。

PCを構成するレイヤー。その境界は必ずしも滑らかではない 仮想化はレイヤー間のでこぼこを埋め、各レイヤーの独立性を高めるもの

 アプリケーションが仮想化されることで、管理者は1台1台のPCにインストールされたアプリケーションの管理から解放されると同時に、クラッシュしたシステムの回復も容易になる。また、同じライブラリでありながら異なるバージョンを要求する複数のアプリケーションを、1台のマシン上で安全に同時利用することも可能になる。システム上のライブラリからアプリケーションを分離することができるからだ。

 データについては、ファイルフォーマットの標準化、XMLベースのデータフォーマット整備、あるいはMicrosoft Officeフォーマットのデファクト標準化など、ファイルフォーマットレベルでの共通化が進む。だが、実際には同じデータの重複など、本来は必要のない冗長なデータがストレージ上には存在する。ストレージを仮想化することで、こうした重複したデータを削除可能になるし、割り当てながら使われていないストレージスペースを削減し、効率化を図ることが可能だ。

 もっと身近なPCレベルでも、データの重複やHDDの中に散らばったデータの取り扱いはだんたんと難しい問題になりつつある。そうでなければ、いわゆる引っ越しソフトなどが話題になるハズがない。かつてはアプリケーションごとにバラバラだったデータフォルダが、ユーザーのドキュメントフォルダの下に集約されつつあるとはいえ、ドキュメントフォルダをドラッグ&ドロップするだけですべてのデータの移行が完了するユーザーは少ないだろう。いつの日にか、データの書き込みが仮想化され、書き込まれたデータはクラウドの彼方に、誰がどんなアプリケーションでいつ作成したもので、どれくらいの頻度でバックアップすべきか、といったメタデータを持った状態で保存される、という時代がくるかもしれないが、それはまだしばらく先の話だ。

 コンピュータを構成する各レイヤーが仮想化されることで、上下のレイヤー間の依存性がなくなり、自由度が増す。たとえば、特定のレイヤーに障害が発生した場合、そのレイヤーだけを交換する、といったことも可能になる。最新版のWindowsがリリースされても、データやアプリケーションには影響がなく、単にOSのレイヤーだけすげ替えれば利用可能になる日がいずれくるだろう。

 残念ながら、コンピューティングの仮想化には、コストと性能面でのペナルティがある。特にグラフィックスは仮想化による性能面でのペナルティが大きいため、これが主要な役割を担うコンシューマ向けのPCでは、仮想化技術の導入は遅れている。多くのユーザーが存在することで、仮想化によるコストを吸収しやすく、逆に管理や運用にかかわるコストを削減できることから、仮想化技術の導入は企業ユーザーを主体に進んでいる。しかし、企業や個人を問わず、PCあるいはITのトレンドは、間違いなく仮想化へと向かうだろう。データの冗長性と可用性を高め、ユーザーの自由度を増すことは、IT技術の本質であるからだ。

 流行のクラウドコンピューティングは、各レイヤーのインターフェイスを、ネットワーク(特にインターネット)経由のサービスとして利用できるようにしようというものであり、ユーザーから見て、サービスは完全に抽象化されている。クラウドの基盤には仮想化技術が使われており、仮想化技術なしにクラウドは実現しないとも言えるのだが、そのクラウドのサービス自身が、究極の仮想化でもあるわけだ。

DRMは、レイヤー間の独立性を著しく損なう

 その一方で、世の中には、この流れに逆行する動きもある。たとえば、DRMがそうだ。特定のコンテンツを特定のプラットフォームでしか利用できないようにするDRMは、仮想化に邁進するITのトレンドからは逆行している。

 まだPCがそれほど普及していなかった'80年代、多くのアプリケーションにはコピープロテクションが施されていた。当初は、配布メディアであったフロッピーディスクの複製を防止するものだったが、HDDの普及により、HDD上のインストールイメージに対するコピープロテクションも施されることがあった。しかし現在、少なくともメインストリームのPC向けアプリケーションを前提にする限り、コピープロテクションの施されたものなど存在しない。とどのつまり、コピープロテクションはPC/ITの向かう方向性と合致しないからだ。

 同様にコンテンツをプラットフォームに縛り付ける今のDRMは、各レイヤーを仮想化し、移動の自由度を高めようとする動きに反する。このようなDRMは、コンピューティングにとっては受け入れがたいものだ。データをプラットフォームに縛り付けないDRM、たとえば購入者個人の生体情報等を利用したDRMには、それなりのマイナスも存在するが、もし許容するとすれば、このような方向性ではないかと思う。

 さて、PC/IT業界が面白いのは、コンピューティングモデルだけでなく、ビジネスモデルまで同じように階層化していることだ。ハードウェア、基本ソフト、アプリケーション、コンテンツと各レイヤーごとにプレイヤーが異なり、そのレイヤーごとに競争がある。いわゆる水平分業体制だ。

 IntelやMicrosoftといった、この水平分業体制の勝ち組は、熱心に水平分業体制のメリットを説く。水平分業によって、各レイヤー間での競争が活発になり、技術革新が促進される。競争は価格の引き下げも推進するから、ユーザーはその恩恵を受けることができると。

 確かにこれは必ずしも間違ってはいないのかもしれないが、1つ大きな疑問がある。それは、水平分業が成立しているのはPC/IT業界だけではないのか、水平分業はPC/IT業界でたまたま成立したある種の偶然、あるいは奇跡なのではないか、ということだ。ニコンのカメラでキヤノンのレンズは利用できないし、トヨタの車台にホンダのエンジンを載せて日産のボディを被せるわけにはいかない。これらは垂直統合されているからだ。確かにデジタル化の進む家電の一部には、水平分業に近いビジネスモデルが存在するが、デジタルモノだからといって、水平分業になっているとも限らない。

 今、話題になっていることの1つに、携帯電話のSIMロック解除がある。日本で売られている携帯電話のほとんどが、特定キャリアのSIMでしか動作しないようになっているのを止めるべきではないか、という議論だ。率直に言うと、筆者はSIMロックだけ解除してもしょうがないだろう、と思っている。

 水平分業であるPCの世界と異なり、携帯電話は垂直統合の世界である。ハードウェアプラットフォームこそ徐々に標準化が進みつつあるとはいえ、商品としての携帯電話は、その上で動作するソフトウェアも含めて、特定のキャリアのサービスを前提に設計され、そのキャリアが端末の販売を行なう。

 PCの世界ではDRMに対して、アレルギーに近い反応が返ってくる一方で、携帯電話の世界ではDRMに対する拒否感はそれほどでもない。その理由の1つは、PCの世界ではDRMが独立したレイヤー(あるいは完全に独立しようとしているレイヤー)の独立性を損なうものとして認識されるのに対し、携帯電話ではレイヤーは分離しておらず、DRMがキャリアのビジネスモデルの中にスッポリと収まるからではないかと思っている。

 仮にSIMロックが解除されたとして、ソフトバンクの端末にドコモのSIMカードを入れて、iモードは利用できるのだろうか。あるいはドコモは、そのような端末によるiモードの利用を保証してくれるのだろうか。それはかなり怪しいし、実際に困難だろう。

 SIMロックが解除されたとしても、端末が音声通話にしか使えなくなるのであれば、それにどれくらいの意味があるのか。しばらく前に実施されたMNP(モバイル・ナンバー・ポータビリティ)が、ユーザーのキャリア間での移動を促すという観点において不発に終わったのは、メールアドレスや利用しているサービスまで、新しいキャリアへ引き継ぐことなどできないからだ。

 ソフトバンクの回線と端末を使って、iモードのサービスを利用することは不可能だろうし、ドコモに移った後もソフトバンクのメールアドレスを使い続けるわけにはいかない。キャリアが付与したメールアドレスを使わず、携帯でもgmail以外は使わない(これはある意味メールアドレスの仮想化)と決めてあれば、メールに関しては何とかなるが、そのようなユーザーは相当の変わり者(少数派)に違いない。


携帯電話の世界は、ハードウェアからサービスやコンテンツまで、キャリアに垂直統合された世界。DRMも統合の枠内に収まる

 今、SIMロック解除で直ちにメリットを享受できそうなのは、いわゆるスマートフォンのユーザーだが、それは逆に言えば、スマートフォンがキャリア固有のサービスに対応できていないからにほかならない。もしスマートフォンの国内シェアが高まれば、スマートフォンにもキャリア固有のサービスに対応したアプリケーションが提供され、ユーザーがキャリア間移動をした際に、その機能は使えなくなるだろう。キャリアが端末やユーザーを囲い込もうとするのは、ビジネス上からはしごく当然のことだ。そしてその手段は、SIMカードだけではない。

 総務省がSIMロック解除を打ち出すのは、次の3つの理由からではないかと、筆者は思っている。

1) ユーザーのキャリア間の移動を容易にすることで、ユーザーの利便性を向上させる。
(ただし上述したように、SIMロックを解除するだけでは、MNPの二の舞になる可能性が高い)

2) この不況下の日本において、最高益を出し続けるキャリアに競争を促したい。
(電波という国民共有の財産を利用した事業者が、この不況下にも最高益を出し続けるのは、総務省による国民財産の監理が適切であるのかどうかを問われかねない)

3) 端末のオープン化を促進することで、国内メーカーの海外再進出を促したい。
(国内キャリアのサービスと一体化した端末を開発していても、世界市場で売れる端末にはならない)

 こうした狙いを本当に実現したいのであれば、携帯電話のビジネスモデルを変えるしかない。最も手っ取り早いのは、端末の販売をキャリアから分離し、サービスを通信インフラから切り離して、水平分業モデルに変えることだが、キャリアがこれを認めるとは到底思えない。端末や独自サービスといった、複合的な競争から、特定分野だけの競争になってしまうと、ユーザーには分かりやすい反面、単純な価格競争になる可能性が生じるからだ。

 PCと異なり、携帯電話の世界は垂直統合のモデルでやってきた。端末からサービスまでキャリアによって束ねられ、コントロールされている。そうであるからこそ、キャリアが主導して新しいサービスを導入し、サービス開始と同時に対応した端末が提供されるという日本型の携帯電話モデルが成立する。サービス提供者は、キャリアのフレームワークに乗っかって、課金まで依頼することができる。

 確かに、このモデルによって、他国では利用できないような、わが国固有のサービスが実現されてきた。と同時に、わが国でしか売れない「ガラパゴス携帯」を生み出す要因にもなってきた。こうしたモデルには功罪両面があり、一概にどちらが優れていると言い切るのは難しい。PC畑の人間である筆者は、水平分業モデルの方を好ましく感じるが、そうでない人も大勢いることだろう。実際、水平分業モデルが導入されると、国内の端末メーカーが海外に再進出できる可能性が増す一方で、海外メーカーの国内進出も今より容易になる。国内メーカーが海外進出を図る前に、国内市場から駆逐されてしまう可能性だってある。それが長期的に見て国益にかなうことなのかどうかは、相当に議論があるのではないかと思う。