■元麻布春男の週刊PCホットライン■
前回は、水平分業モデルをとるPC/IT業界が、ますますレイヤーの完全分離を求めていきつつある一方で、世の中の多くの事業は水平分業にはなっていないこと、垂直統合されたデジタル機器の例として携帯電話について触れた。そして、携帯電話に水平分業的競争を持ち込むには、SIMロック解除くらいでは効果が期待できないのではないか、ということを述べた。
そう、水平分業ということが及ぼす影響は大きく、現在、パーソナルコンピュータを名乗る条件の1つであるとさえ筆者は思っている。先頃、ゲーム機であるプレイステーション3(以下PS3)が、新しいファームウェア(v3.21)で「その他のOSインストール」機能を廃止することを明らかにした。筆者はPS3上でLinuxを利用しているユーザーがどれくらいいるのか知らないし、これが利用許諾契約の一方的な改変で、ユーザーが法的措置をとれるのか、といったことは分からない。ただ思うのは、ハードウェア、基本ソフトウェア(ファームウェア)、サービス(PlayStation Network)、そしてアプリケーションが垂直統合されたゲーム機の世界では、これもやむなきことだろう、ということである。
PS3と言えば、デビュー当時、部分的にはパーソナルコンピュータより高性能ということが一部で言われた。おそらく、これは間違っていなかったのだろうが、PS3は決してパーソナルコンピュータにはなれない。それは「水平分業モデルによる自由」が保障されていない製品であるからだ。PS3のハードウェアで実行されるソフトウェアは、ユーザーが選ぶのではなく、メーカーが選ぶ。これが最大の違いなのだが、別にだからパーソナルコンピュータの方が偉いとか、優れているとか言っているわけではない。ただ違うのだ。
PS3のようなゲーム機だけでなく、携帯電話、特にスマートフォンなど、パーソナルコンピュータに近いことができる、コンピューティング・アプライアンス(計算家電?)が数多く登場してきている。米国で大ヒットとなり、間もなくわが国でも販売が始まるiPadも、パーソナルコンピュータではなく、ここで言う計算家電だ。
iPadのエコシステムは、他の計算家電同様、垂直統合されたものだ。ハードウェアは買収したPA Semiのスタッフが開発に参画したと言われる、ARMコアベースのカスタムチップ(A4チップ)だ。その上に、Appleが開発したiPhone OSが載る。サードパーティがアプリケーションを開発すること、コンテンツを提供することは可能だが、なんでも自由に開発できるわけではないし、その提供窓口となるのは常にiTunes Storeである。
AppleとAdobeは、iPhone OS上でのFlashのサポートについて、綱引きを続けていたが、正式にAdobeは同OSへのFlashの移植を断念した。それは、Appleがそれを認めないからであり、それを望むユーザーがいないからではない。また、AppleはiTunes Storeで販売するアプリケーションやコンテンツに関して、ポルノを認めない方針であることを明らかにしている。こうした方針を貫けるのは、プラットフォームからサービスまで、垂直統合されているからだ。ハードウェアからサービスまで、すべてひっくるめてiPhoneやiPadという商品であると、Appleは考えているのだろう。Appleといえども、MacでのFlashサポートを禁止しない/できないのは、Macがパーソナルコンピュータである証(自由を認めている証)であり、iPadとは異なるジャンルの製品であるからだと筆者は思っている。
AppleがFlashを受け入れられないのは、おそらくFlashのDRMをAppleがコントロールすることができないからだろう。SilverlightやWindowsMediaのDRMをコントロールするのがMicrosoftであるように、FlashのDRMをコントロールするのはAdobeだ。そしてAppleにはiTunesで販売するコンテンツのためのDRM、FairPlayが存在する。iBooksで販売される電子書籍もFairPlayにより保護されている。
実質的にDRMを管理することは、課金を管理することでもある。Appleは、自社だけのDRMにより、自社のサービスのみで自社のクライアントに対応するコンテンツを売ろうとしている。そうでなければ、ポルノコンテンツの排除など宣言できるわけがない。Appleは、他社のDRMをベースに課金されることを想定したアプリをiTunes Storeで配布することなど、絶対に認めないハズだ(iPhone用のiモードブラウザなど筆者には考えられない)。それはNTTドコモが、独自の課金システムを持つiモードの勝手サイトを認めるようなものだろう。先日、AppleとMicrosoftがHTML5 Videoの支持を打ち出したが、ポイントはHTML5が特定のDRMを想定していないことではないかと思っている。
AppleはiPhone向けにデータ/コンテンツ販売サービスであるiTunes Storeを垂直統合し、それを自らの管理下におくことで、iPhoneのデータ通信市場を自らの手中に収めた。通話とメール以外について、キャリアが関与する余地はほとんどない。データ通信に関して、回線費用を負担せずに、一種のMVNO的な存在となることに成功している。iPadはそれをより純化させた端末だ。3GやWi-Fiといった回線サービスを誰が提供しようと、最も付加価値の高い部分はiTunes Storeを持つAppleが握る。それがAppleの事業戦略だ。
こう書くと、Appleが垂直統合により、利益を独り占めしているように思えるかもしれない。しかし、ソフトバンクの決算を見れば分かるように、iPhoneはキャリアの業績にも大きく貢献している。もしiPhoneと同様のことをキャリアが達成できれば、その利益は今よりもっと、とてつもないものになっただろうが、そううまくは行かない。Appleは、ウチが開発した商品で、キャリアにもうけさせているのだから、その代償として回線を利用するくらい当然、と考えているかもしれない。
iPadのエコシステム。上から下まで、すべてAppleが提供する垂直統合モデルだ |
iPhoneビジネスの基盤となっているiTunes Storeが最初にオープンしたのは2003年春のこと。同年秋にはWindows向けiTunesの提供を開始した。そこからiTunesおよびiTunes Storeの改良と拡張を積み重ねてきている。同様に、もう1つの基盤となるMobileMeも、2000年にiToolsという無償のサービスとしてローンチされて以来、.Mac(2002年7月)、MobileMe(2008年6月)と名前を変えながらサービスを拡張してきた。こうした基盤整備の上に、iPhoneやiPadのビジネスは成り立っている。
Macというパーソナルコンピュータのビジネスを展開しながら、こうしたサービスを少しずつ構築してきたAppleが、いつ頃から明確に今のような垂直統合型(計算家電)ビジネスへ重心を移す決断をしたのかは分からない。しかし、iPhoneの発表と同時(2007年1月)に社名から「Computer」を取り除いたことは、極めて示唆的だ。遅くともこの日から、彼らが確信を持ってこの道に歩を進めていることは、疑いようがない。
以来Appleは、わずか3年余りで垂直統合された計算家電の市場を確立した。事前の準備期間を含めても、これは驚異的なスピードだ。インターネット接続可能な計算家電というコンセプトを打ち出したのは、何もAppleが最初というわけではない。たとえばナショナルセミコンダクターは2000年頃、当時傘下に置いていたCyrix事業(後にスタンドアロンプロセッサをVIAに、SoC事業をAMDに売却することになる)をベースに、WebパッドあるいはGXOと呼ばれるプラットフォームを提唱した(わが国でも開発者向けのカンファレンスが開催された)。
ナショナルセミコンダクターが提唱したGXO |
x86ベースのSoC(MediaGXおよびGeode)を搭載したモバイル端末上でLinuxやWindowsを動かす製品だったが、製品化するメーカーは現れなかったし、WebパッドやGXOを提供するキャリアも現れなかった。それは、製品が悪かったわけではなく、ハードウェアだけでは、あるいはハードウェアとソフトウェアだけでは、製品として完結しないものだったからだ。当時はWWANやWiFiホットスポットのような、モバイルブロードバンド環境が整っていたとは言い難いのも大きな理由だった。が、ナショナルセミコンダクターが、WebパッドやGXOをPCと同じ水平分業モデルで事業化しようとしていたことも大きな理由だっただろう。
iPhoneやiPadが成功したのは、端末とソフトウェアを自社で提供するだけでなく、その上のアプリケーションやデータ、さらにそれをオンラインで提供するサービスまで、一括してエンドユーザーに届ける垂直統合モデルとして立ち上げたからだ。同様に、かけ声ばかりでなかなか成功しなかった電子書籍を米国市場で立ち上げることに成功したAmazonのKindleも、端末とコンテンツ、サービスが一体化したものである。家電分野においては、PC業界が唱える水平分業より、垂直統合の方がうまくいくことが多い。
これに対してPC/IT業界のトレンドは、前回も触れたように、仮想化であり、各レイヤーの完全独立とリソースプール化である。それは現時点における水平分業モデルの行き着く先でもあるのだが、それはAppleの望むところではない。AppleがMac OSを自社のハードウェアだけで動作するものにしたいと望んでいるのは、良く知られた事実である。WindowsやLinuxと同じような1つのコンポーネントとして、簡単にすげ替え可能なレイヤーにはなりたくないのだ。
しかし、パーソナルコンピュータである以上、究極的にこの流れに反することは難しいだろう。逆に、1つのレイヤーとなることを拒むことで、PC/IT業界から締め出されてしまうかもしれない。その時、AppleはMac OSを他社のハードウェアに解放してPC/IT業界に留まるより、終了させる道を選ぶのではないかという気がする。ここでAppleの柱となるのは、垂直統合型のビジネスだ。
もちろん、だからといってAppleが明日にでもMacを止めるとも思わない。特に北米において、Macの売上げは好調であり、PCベンダーとしてAplleは5本の指に数えられる。現時点で利益を上げている事業を止める理由は全くないからだ。仮想化やクラウド化に向かっている振り子にしても、いつ逆の方向に振れ出すとも限らない。あくまでも将来における可能性の話である。
それにAppleがMacを止め、iPhone OSベースの計算家電を中心とした垂直統合ビジネスに移行する前に、まだやり残していることがある。それは、iPhone OS機器のパーソナルコンピュータ依存を排除することだ。
iPhoneにしても、iPadにしても、コンテンツの取り込みや管理にMac OSあるいはWindows上で動作するiTunesソフトウェア(現在はiTunes 9.1以降)を必要とする。言い換えれば、MacやWindows PCなしにiPhoneやiPadを利用することは難しい。そもそも、キャリアの回線をアクティベートする際にもMacやWindowsが必須なのだ。
これからAppleが行なうであろうことは、現在パーソナルコンピュータが提供している機能を、自社で提供するクラウドベースのサービスに置き換えていく作業だろう。その過程において、iTunes StoreとMobileMeの統合も行なわれるかもしれない(統合しない方が、MobileMeが提供しているサービスへの課金は容易かもしれないが)。いずれにせよiPhoneやiPadに、大容量のオンラインストレージを提供するサービスは不可欠だと思われる。ストリーミング音楽サービスのLalaを買収したのも、こうしたクラウド戦略の一環なのだろう。
見方を変えれば、iPhone OS搭載の計算家電において、パーソナルコンピュータはWeak Link(弱点)でもある。時に不調に陥り同期ができなくなるし、OSがアップデートされないことで最新のiTunesの利用ができなくなったりもする。Appleが望まないコンテンツが計算家電に入り込むのは、パーソナルコンピュータとの同期からだ。
おそらくこのコラムを読んでいる人の大半は、筆者と同じでパーソナルコンピュータが好きなのだと思うし、その操作にも長けた人であろう。が、世の中決してそのような人ばかりではない。何時、動かなくなるか分からないPCに、不安を抱きながら使っている利用者もたくさんいる。PCの自由より、電源を切って入れ直したら元に戻るシンプルさを好ましいと思う利用者はたくさんいるのだ。計算家電は、そういう人たちに安心して使ってもらうためにも、PCから独立しなければならない。それがAppleにとってのビジネスチャンスでもある。
5月21日、Google、Intel、Logitech(日本法人名ロジクール)、ソニーの4社は、GoogleのOSを搭載するGoogle TVの開発を発表した。また新たな計算家電プラットフォームの誕生である。一部に「TVがパーソナルコンピュータになる」的な報道もあったが、Google TVがパーソナルコンピュータになることはないと思う。PCは、何でもできる自由を持つと同時に、何にもできなくなるリスクを負った、個人向けの汎用小型計算機だ。それを望む人もいれば、そうでない人もいる。筆者は何でもできる自由を持ったパーソナルコンピュータが好きで、今後も使い続けることを願っているが、多くの人が望むのは、PCで実現されている何かの機能であって、パーソナルコンピュータそのものではない。
それでもGoogle TVが興味深いのは、この計算家電において、今までPC以外に成功例のない水平分業モデルを導入しようとしていることだ。Intel製のSoC(CE4100)、Googleのソフトウェア(Android OSおよびChromeブラウザ)、Adobeのアプリケーションプラットフォーム(Flash)、独立したハードウェアメーカー(ソニーおよびLogitech)、独立したネットワークサービス(米衛星放送サービスのDISH Network)、そして量販チャネルであるBestBuyだ(そういえば、Appleはわが国でのオンライン販売を、事実上自社の直販に絞ったことでも話題になった)。もしこの試みが成功すれば、x86系の組み込みプロセッサとAndroid OSを基盤とした計算家電が続々と登場する可能性がある。果たして、またもやの失敗に終わるのか、ついに成功を遂げるのか、その答えは1~2年以内に出るだろう。