■大河原克行の「パソコン業界、東奔西走」■
NECパーソナルプロダクツ米沢事業場 |
NECのPC生産拠点であるNECパーソナルプロダクツ米沢事業場は、2011年3月11日の東日本大震災の影響を少なからず受けた。
米沢市の震度は5強。この日は、開発部門、生産部門を含めて、約2,000人が勤務していたという。
インテルのチップセット問題によって、2月出荷予定の製品が遅れ、3月10日から順次再出荷を開始したのにあわせて生産の増強を行なっていたところであり、生産ラインでは、通常の約500人体制を、さらに300人増員してフル稼働させていた。3月の期末需要の真っ直中、新製品の生産集中時という点でも、年間で最も生産が集中する時期だったといえよう。
約70個あるセルライン方式の生産ラインそのものには、地震の影響はなかった。
作業台からPCが落ちたり、部品が散乱するという事態には至らなかったのは幸いだった。生産ラインを柔軟に変更するために、パイプによる作業台や部品棚を導入していたことが、揺れをうまく吸収したようだった。
一時は、群馬事業場への生産ラインの移設や、海外のODMへの発注なども検討したというが、生産ラインへの影響が少なかったことで、米沢事業場での生産再開が適切だと即断したという。
だが、建屋全体としては、壁が崩れた箇所や、ひび割れ、水漏れが随所に見られ、照明器具が落下した場所もあった。一方、プリンタ生産の一部では完成品が荷崩れするという事態が起こったが、被害は限定的だったという。
地震発生後、全従業員が外に避難。全員の無事を確認した。とはいえ、外に出たものの、この日の米沢市は、氷点下の吹雪の中。生産ラインの担当者の中には、半袖のまま飛び出した人も見受けられ、寒さをしのぐのに苦労したという。約1時間、事業場勤務者の全員の安否と、屋内の安全を確認したのちに、必要なものを屋内のロッカーなどから持ち出し、午後4時30分には全員に帰宅指示が出された。
震災直後の様子。蛍光灯が落ちてきた場所も | 構内にある売店の商品も棚から落ちてしまった | 棚が転倒して水浸しになってしまった場所もあった |
階段の壁にも亀裂が入っており応急処置している | 天井部分にもひびが入っている |
●ネットワークが寸断し、システムが停止
3月12日、13日の土日には、約15人の管理職が出社して、事業場内の安全確認作業を開始した。
生産ラインそのものには影響がなかったが、HDDへソフトウェアをインストールするためのネットワークシステムが停止した。さらに致命的だったのは、生産管理や部品調達管理、工程進捗管理を行なう社内システムが停止してしまったことだった。
米沢事業場側のシステムや、外部にあるデータセンターは無事だったのだが、それを結ぶネットワークが寸断され、情報のやりとりができない状況になってしまったという。
NECパーソナルプロダクツ プロセス改革推進部統括マネージャーの若月新一氏 |
「クライアントやデータセンターの被害は想定していたが、ネットワークが寸断されるというのは想定外の出来事。2日間をかけて、別の回線を確保し、13日からはデータセンターと結んで生産情報、部品調達情報などをやりとりできるようになった」(NECパーソナルプロダクツ プロセス改革推進部統括マネージャーの若月新一氏)という。
このネットワークを確保したことにより、米沢事業場は、14日午前8時30分の定時から、生産ラインを動かすことができた。この日午後の大きな余震によって、緊急避難を決定した午後4時までは生産ラインを稼働させ、翌日からも毎日、PC生産を行っている。
とはいえ、確保できたネットワーク帯域が狭いため、事務的なメールのやりとりなど必要なものを除いて禁止され、社内システムを優先的に動かす体制を作った。一度、動かした生産ラインを止めることなく、稼働させることを優先した結果の措置である。
しかし、このネットワークも16日に起こった余震で、再度寸断されるという事態に陥る。ここでまた別の回線を確保して、約2時間で復旧。生産ラインを止めることなく、生産管理を行うことに成功したのだ。
米沢市内では、16日午前、18日午前に計画停電が予定されていたため、この日は午後1時から稼働。午後8時まで全員が残業して勤務。この日の予定数量を生産したという。
●ガソリン不足に数々の課題が浮上
電気、ガス、水道が寸断されることはなかったのは不幸中の幸いだが、ガソリンの調達には苦労した。
12日以降、米沢市内のガソリンスタンドは閉店が相次ぎ、約2週間に渡って営業ができないガソリンスタンドがほとんどだったという。そのため、自動車通勤が多い米沢事業場では、通勤手段の確保にも支障が出るようになってきた。
そこで近所の社員同士による自家用車の相乗りや、毎朝3便、隣接する南陽市などにマイクロバスを運行。社員への負担が少なく通勤できるようにした。
米沢事業場では、通常の使用量であれば3日間のガソリン備蓄があり、自家発電にも対応できるようになっていたが、蛍光灯の間引き照明や、空調の調節などによって節電を行ない、燃料不足に対応していった。
米沢市では、4月にも関わらず雪が降っており、寒い日が続いたが、空調を最低限の範囲で稼働。従業員は社内にいても、コートを着ながら作業する状況だったという。また、開発部門などの一部社員に対しては在宅勤務制度を緊急で導入し、ガソリン不足下での通勤回避にも効果をあげた。
構内にある社員食堂も燃料確保のために通常営業は停止したものの、ご飯と味噌汁、漬け物とごま塩だけという特別な定食が、単身赴任者などを対象に用意され、これが3月14日~18日までの5日間に渡って提供された。
一方で、米沢地区に避難してきた被災者のために救援物資を提供。約170人の被災者が避難していた米沢市立体育館には、TV機能付きデスクトップPCを2台のほか、ダンボールやブルーシートなどを提供し、避難所生活を支援したという。
節電のため電気を消し、空調も使わずに業務を行なう。コートを着ている従業員も | 食堂が臨時営業した際に提供した定食。単身赴任者が対象 |
避難所となった米沢市立体育館にTV機能搭載PCを設置 | 支援物資を届ける米沢事業場の社員たち |
●完成品配送、部品調達ルートに苦慮
ガソリン不足が大きく影響したのは、物流面である。
生産した完成品を配送するためのトラックを確保できず、当初は完成品の在庫が蓄積するという事態に陥っていたのだ。
「10トントラックで、一日20便を使って全国配送してきたが、震災直後には5台しかトラックがやってこない状況となった。そこでさまざまな手段を利用して、全国に配送できる体制を維持した」(若月統括マネージャー)という。
中には、被災地に支援物資を運んだ帰りのトラックを確保するという効率的な運送方法も模索した。
NECパーソナルプロダクツ PC事業本部生産事業部生産管理部生産管理マネージャーの水落治氏 |
「いつもは見慣れないトラックが、米沢事業場に数多く入ってきた。これにより、生産した完成品を消費地に出荷することができた」(NECパーソナルプロダクツ PC事業本部生産事業部生産管理部生産管理マネージャーの水落治氏)というわけだ。
米沢で生産されたPCは、東北地区への配送は郡山の物流センターを経由して発送されるが、この物流センターが運用できない状態まで被災しており、東北地区に関しては米沢事業場からの直接配送となった。
また、関東の物流センターには、新潟を経由して届けるという迂回ルートが使用された。物流センターでは、PCと周辺機器が組み合わされて、ディーラーの倉庫やエンドユーザーなどにセットとして納品されるが、ルートの迂回やトラック便の確保の遅れによってPCの入庫が遅延ぎみになるために、製品同士をマッチングさせるためのサブシステムを手作りで開発し、これによって物流面での不具合を発生しないようにしたという。
一方、部品調達でも物流面での課題が発生した。
一部には東北地区への部品出荷を停止するメーカー、物流業者があり、米沢事業場に部品が入荷しないという状態が発生していた。
そこでNEC本社の資材部と連携し、東京・府中市の府中事業場を拠点にして部品を集約。ここからNEC独自の流通ルートを確保して、米沢事業場に部品を入庫した。完成品を配送したトラックがその帰りに部品を積載して入庫するという仕組みも取られた。
「CPUやメモリなどの海外から輸入する主要部品の場合、成田や大井の倉庫に入庫するものを、府中に変更するとい手続きをするだけでもかなりの手間と時間がかかる。だが、今回の場合は特別措置として、迅速にこれに対応してもらった」(水落マネージャー)という。
府中事業場から米沢事業場へは1日2便の体制で主要部品が入庫。米沢事業場で生産を続けても、部品調達が遅れることはなかったという。
4月18日からは郡山の物流センターの機能が回復することから、従来通りの物流ルートの体制が確立できるようになるという。
●安定した生産体制を維持する仕組みづくり
NECパーソナルプロダクツでは、震災の影響によって、3月の生産計画の達成率は75%程度に留まるだろうと試算していた。
だが、部品調達においては府中事業場を基点とした臨時調達ルートの確立、米沢事業場では計画停電への対応を含めた変則勤務体制の実施、完成品はトラック便の臨時確保による配送ルートの確立などによって、当初計画通りの生産量を達成できたという。現在でも、7,000~8,000台/日の生産規模を維持しているという。
「社員の中にはどうしても出社ができないという場合もあったが、生産ラインでは柔軟な配置変更を行ない、ラインを止めることなく、生産量を維持できた」(若月統括マネージャー)ともいう。
実は、米沢事業場のPC生産ラインでは、2010年秋に、「水すまし」と呼ばれる生産ラインへの部品供給を行なう仕組みに自動搬送システムを導入。人が個別に部品供給を行なっていたものを「自働化」した。
「水すましは、適切なタイミングで正確に部品を供給するという点で、ノウハウが必要な仕事。企業向けPCでは、BTO対応が増加しており、さらに熟練度が必要となっていた。これを自働化、システム化したことで、多くの人たちが、この作業に従事できるようになった」(若月統括マネージャー)。
デスクトップPCの生産ライン。すでにフル稼働状態となっている | 完成した企業向けデスクトップPCのMateシリーズ | こちらはノートPCの生産ライン |
米沢事業場では約15%の生産比率に留まるコンシューマ向けPC | 昨年(2010年)秋から導入している自働搬送機。これにより柔軟な人員配置が可能になった | すべての自働搬送機には、「がんばろう東北」の文字が入っている |
この仕組みの変更も、復旧段階における人員の柔軟な配置に効果を発揮したといえる。
また、入荷の遅れについても一部ではみられたものの、コンシューマ向けPCの7割以上が海外ODMからの直接入荷になっており、これらへの影響は皆無の状況。米沢事業場で生産する一部量販店向けの専用モデルの出荷に遅れが生じたぐらいだ。企業向けPCについても、東北地方への配送などに遅れがあったものの、致命的な遅れは生じなかったという。
東日本大震災の震源から約100km離れている米沢事業場だが、今後の生産に懸念材料がないわけではない。
「被災したメーカーの中では、PCの内部に使用する重要な部品を生産している企業もある。今後、この調達に影響が出てくる可能性があるだろう」(若月統括マネージャー)というのが最大の課題だ。
海外から輸入される部品については、東京港への入港を嫌って、大阪などに陸揚げするというケースも出ているため、これによって部品の入庫が遅れ、生産の遅延につながるといった懸念もあるという。
さらに、節電については、「生産ラインの稼働率を下げずに25%の節電を行なうためのプランは出来上がっている。また、輪番停電の際には、停電対象となった平日を休む代わりに土日に稼働させることで、生産量を維持することもできるだろう」として、回避策を策定済みだ。
現在、米沢事業場で生産されている製品のうち、海外に輸出されているのは、ストレージ製品のみであり、放射線の影響を懸念する必要はないようだが、「使うことは考えていない」としながらも、すでに放射線測定装置は事業場内に用意しているという。
今後も安定的な製品供給体制を維持するために、いくつかの課題があるのは事実だろう。
NECパーソナルプロダクツ米沢事業場では、さらに多くの知恵を使うことで、安定した供給体制を維持していく考えだ。